カネのために祖国を売ったCIA職員
オルドリッチ・エイムズ(1941年〜)は、アメリカのCIA工作員。
アメリカの対ソ連スパイ工作の重要人物でありながら、カネのために自ら志願してソ連KGBの協力者となりました。
彼は逮捕されるまで数千件の機密情報をソ連側に流し続け、なんと約9年もの間バレなかった。
1994年にFBIに逮捕され、現在終身刑で服役中です。
彼の裏切りによってソ連に潜伏していたCIA協力者の多数が捕まってスパイ容疑で殺されており、ソ連戦略を大混乱に陥れたとしてアメリカでは売国奴として非難される人物です。
1. CIAに入るまで
オルドリッチ・エイムズは1941年5月、ウィスコンシン州生まれ。父親は大学の講師で、母親は高校の英語の講師。
1952年に父親がCIAで働き始め、東南アジアで3年オペレータの任務に就きましたが、酒浸りで成績は「極めてヒドいパフォーマンス」であったらしい。結局現場は任せられぬとして本国に呼び戻されて本部勤務となりました。
エイムズは高校在学中、父親のコネを使ってCIAでインターンを経験しますが、成績が低かったため、記録の分析や文書の仕分けなどの雑務を担当しました。
その後シカゴ大学に進学し国際文化と歴史を専攻するも生来の怠け癖のため大学に行かなくなり、やがて退学。
また父親のコネを使ってCIAの臨時職員となり、1962年に正規職員となりました。
2. 落ちこぼれからエリートコースへ
当初エイムズはCIAでキャリアを重ねるつもりはなかったようですが、働きぶりが認められて高い評価がつけらると、数度のアルコールの不祥事があったにも関わらず、エリートの道を進み始めました。
1969年には同僚のナンシー・セッジバースと結婚。同じ職場に勤める者の結婚を禁じたCIAの規約によってナンシーは退職。すぐにエイムズはトルコ・アンカラでの任務を与えられ、トルコに赴任しました。
当時トルコは仮想敵国ソ連の情報を収集するための最前線基地であり、そこに赴任したことはまさにエリートコースであったわけです。エイムズはロシア語を話せたこともあり、そこでトルコの学生運動のリーダーだったデニズ・ガゼミシュと接触に成功したり、いくつかの実績を残して4年後にアメリカに帰国。
次に勤務したニューヨークでも極めて良い成績を残したものの、次の派遣先であるメキシコシティでは酒浸りになり重度のアル中になってしまう。おかげで成績はまったく振るわなかったそうです。
そんな状態だったにも関わらず、CIAはエイムズを信頼し1985年4月16日、彼をワシントンにある「CIAで最もセンシティブ」な工作本部ソ連東欧部に配置しました。そこは対ソ連情報戦略を練っていると同時に、世界中に存在する対東側諸国のCIAのエージェントやスパイを統括している部署。そこに存在する情報は機密中の機密です。
こんな中にエイムズは妻ナンシーと別居。エイムズは二人の借金全てを請け負い、かつ3年半の生活費合計46000ドルを支払うことになってしまった。
と同時に、メキシコシティ駐在中に知り合ったコロンビア大使館の文化大使であったマリア・ロサリオと同居を始めた。このロサリオという女は大変な浪費家。エイムズはロサリオにお願いされるまま、高価な服や下着、靴を山ほど買い求めた。
エイムズの懐は常に火の車だったでしょうね。
3. カネのためにKGBの二重スパイに
カネに困ったエイムズは1985年、密かにソ連大使館のKGB職員と接触。
「CIAの情報を渡す代わりに報奨金をよこせ」
という密約を結ぶためでした。
その夏にエイムズは数回KGB職員と密会し、CIAとFBIの関係者のリストを渡し、その引き換えに50,000ドルを受け取りました。その評判を聞きつけたのか、同年12月にはモスクワを拠点とするKGB職員と、コロンビアの首都ボコタで会ったりもしています。
その年だけでエイムズはKGB職員と何度も会ってその都度協力者リストを渡してカネを受け取り、合計金額は4,600,000ドルにもなりました。
その年、各地に潜伏していたCIAエージェントが何人も連絡が取れなくなったり、失踪したりしました。CIAはまさかエイムズが情報を漏らしているとは思わず、ソ連によって情報が遮断されているか、あるいは暗号を解読されたかと思っていたそうです。これにより、優秀なエージェントだったエドワード・リー・ハワードのほか重要な人物数人がソ連によって殺害され、CIAは重要な情報獲得手段を失い大打撃を受けました。
また同年エイムズは正式に妻ナンシーと離婚し、ロサリオと再婚。当時からエイムズの羽振りの良さは同僚の評判になっていましたが、エイムズは「新しい妻がコロンビアの資産家でね」と言い訳していたようです。
1986年からエイムズはイタリア・ローマに駐在しましたが、その間もKGBと連絡を取り続け、ワシントンからの司令内容を逐一、ローマのKGB経由でモスクワに流し続けました。ローマ駐在の4年間で、エイムズは1,880,000ドルもの報奨金を受け取っています。
4. 逮捕・捜査
1989年、エイムズはワシントンに戻り相変わらずCIAの機密資料をKGBに流し続けていました。機密資料は「デッド・ドロップ」という方法で、使われていない郵便受けに資料を入れ、KGBが後でその郵便受けの中身を確認し回収する、という方法です。報奨金の受け渡しも同じように、カネを郵便受けに入れあとでエイムズが回収する、という方法で行われました。
同年CIAとFBIはようやく、彼らがリクルーティングしたスパイがソ連(次いでロシア)によって捕まって処刑されている事実から、関係者リストが内部から漏れていることを疑い始めました。
その途上でエイムズのありえないほどの蓄財っぷりに疑問がもたれ、1993年5月からエイムズの身辺の本格的な調査に乗り出しました。
FBIは約10ヶ月エイムズを追跡調査し、エイムズの家から内部資料やその他ソ連との関係を証明する証拠が発見。さらに10月には調査員はコロンビア・ボゴダでのリストの受け渡しについてロシアの意向を確認するエイムズのメールを発見。
1994年、エイムズはモスクワで開かれる会議の出席を予定していましたが、CIAはこれを決定的な何かを渡すタイミングに違いないと考え、2月21日にエイムズと妻のロサリオの逮捕に踏み切りました。
逮捕の瞬間、エイムズはこう叫んだそうです。
「間違いだ!お前たちは他の誰かと勘違いしている!」
翌日、エイムズと妻のロサリオはスパイ容疑で正式にアメリカ合衆国司法省に告訴され、裁判の結果仮釈放なしの無期懲役。妻ロサリオは5年の禁錮刑と罰金が課せられました。
以下の動画の冒頭にエイムズ逮捕の瞬間が収録されています。
まとめ
ここに登場する人物、全員がダメなヤツばっかで、何かもう、力が抜けてきます。
カネのために平気で後先考えずにリスクを犯したエイムズ。強欲な妻ロサリオ。
ダメな男エイムズを過大評価して出世させた上、内部文書の流出に9年も気が付かなかったCIA。
多くの人の生命や財産の運命を握るポジションにいる人達がこんなにザルだなんて、何だか情けなくなってきます。
でも、ダメな奴に重要ポジション任せて、でも上の人達は全然監督しないで蓋開けたら大変なことになっていて、「どうしてこんなになるまで放っておいたんだ!」的なことって結構ありますよね。
本当これ人ごとじゃないです。
自分の行動を顧みると、ドキッとする部分ありせんか?
参考文献
The FBI, Famous Cases&Criminals, Aldrich Hazen Ames
Aldrich Ames - Wikipedia, the free encyclopedia