昔は助けたろうけど、今は微妙だ。
私が大学生の頃、バイト帰りに夜の商店街を自転車で走っていたとき、助けを呼ぶ女性の声が聞こえた。
何度も何度も「すいませぇ〜ん!助けてくださぁ〜い!」かなりのピンチか、頭おかしい人の2パターンしかない感じ。
私は迷って一度通り過ぎた。チラ見すると、叫んでるのは自転車の横に棒立ちしてる中年女性。偏見だが、やばそうだと思った。
すれ違った自転車のおじさんは無視していった。夜の商店街は人通りが少なくて、次人が来るのはいつかわからない。
私はもう嫌になって、女性のところへ行った。カッコつけたいとかよりも、もうどうにでもなーれと思ってた。
ロングスカートが自転車の車輪に絡まってガチガチ、女性は自転車の横にしばりつけられていたというわけ。
スカートを脱げばよかったんだけど、夜とはいえ外でパンツいっちょになるのは嫌だったんだろう。
スカートを解くのがかなり大変だった記憶が強く、その後どうしたかとかは覚えてない。適当に挨拶して帰ったと思う。
宗教勧誘、マジで頭のやばい人、他人にやたら攻撃的な人、危ない人が沢山いる。ネットで、親切がアダになった件も沢山知ってる。
頭がおかしい人が奇行をしているのを見たこともあるし、実際絡まれて大変な目にあったこともある。
妊婦やお年寄りに席を譲る、子連れの母親に親切にする、倒れてる人を助ける、どうみても困ってる人に声をかける。
親切にも色々あるが、今の自分にそういう親切を行うことが出来るかと言われれば、正直答えられない。
まず他人に声をかけることに躊躇いがある。
明らかに異常な状況下にある人に関わるのに躊躇いがある。
単に頭がおかしい人だから異常な状況になってるだけかもしれないから。
今は家族もいるし、もし危ない人に関わった時、自分の問題だけで済ますことも出来ない。
そもそも余計なお世話だったり、相手はそんな事望んでないかもしれない。
そんなことは事前にわからない。
他人へ親切は、昔自転車にしばりつけられてたおばさんに声をかけた時の様に、’勇気’が必要な行為だ。
人助けってのは、「何の前情報もない他人に関わる」という決断を下す勇気が少なからず必要だと思う。
今の自分には無謀で傲慢な勇気を持つ人にも見える。そもそも、警戒心が無さ過ぎて危ない。
しかし、そういう後ろめたさを持ってるのがいけないのか、困ってウロチョロしてる人と遭遇するとつい見てしまう。
困ってる人ってのは、目ざとくこっちの目線に気づく。今の所道に迷ってるだけパターンばかりだけど。
どっちかわからんヤバそうな人は、店員とか駅員とか、その場のスタッフ系の人にチクって終わった事も多い。
未だに無視でやり過ごせない。
いい人ぶりたいとか、正義漢でありたいとかではなく、自分のプライドとかスタンスの問題。
親切をするかどうかは勇気の問題だと一般化はしたくないし、するつもりもない。
あなたは困った人を助けられるか?
その時に必要なのは、無視する勇気か声をかける勇気か、いい人ぶりたい見栄か、お礼や態度の見返りなのか。
うーーん。