「全くどうすれば、もっと「美しい国」とまでは言わない、「安心して暮らせる国」になるのだろう?」
その他
toriiyoshiki氏のツイートより。
今夜のNスペ「調査報告“無届け介護ハウス”」は大変な力作だった。
よくあそこまで(顔出しで)撮影できたものだと思う。
そして、番組を見終わって心に残るのは、この国の残酷さだ。
福祉の基本は社会的共助にあるはずだが、そこが完全に忘れ去られている。
受け皿もないのに高齢者を病院から追い出す。
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病院が悪いのではない。
制度設計がそうなっているのである。
にも拘らず、決定的に足りない特養(52万人待ち?)。
ベッドはあっても職員不足で受け入れることができない特養もある。
介護報酬が低く抑えられ、職員に満足な給料を払うことができないからだ。
事実上、家族が自分の人生を犠牲にして介護するか、年金では賄いきれない有料老人ホームに入るか、の選択だ。
さもなければ、この番組で描かれたような安い(リスクの伴う)無届け介護施設に入るしかない。
…これが「経済大国」をもって自ら任じる国のやることだろうか?
この国は何を大切にすべきか、何にカネを使うかの選択が完全に狂っているとしか思えない。
貧富の格差を拡大し、固定化する政策を国が率先して遂行しているのである。
なんという酷薄な国家か?
これはもちろん人道、人権の問題なのだが、同時に経済上の問題でもあることを指摘しておく。
これだけ老後の不安にさらされる社会では、高齢者やもうじき高齢者になる世代は金を使わない。
消費を最低限に抑制する。
社会保障が貧弱だから、金を残さなければ安心できないのである。
だからお金が回らない。
何度も指摘しているが、現在の不況は基本的に「消費不況」だとぼくは認識している。
若い世代は貧困化のなかで消費しようにも金がない、比較的金を持つ高齢世代は将来の不安ゆえに金を使わない。
いくらジャブジャブと市場にマネーを流し込んだところで、これで経済が活性化するはずがないではないか。
ぼくは現在の日本社会に対する激しい怒りと絶望に囚われている。
今夜のNスペで取り上げられた介護の問題だけではない、異なるマターであるはずのものがみな同じベクトルを指し示すことで、日々のニュースがやり場のない思いを増幅させるのである。
どこかできちんと歯止めをかけなければ、と痛感する。
全くどうすれば、もっと「美しい国」とまでは言わない、「安心して暮らせる国」になるのだろう?…
我らが為政者は社会保障を「拡充」するどころか、年金財源の「確保」よりも株価の吊り上げを優先事項としているのは明白だからなあ。
切り捨てられている側がそれに気づかず支持してるんでは、いやはや…

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