後藤遼太、市川美亜子
2015年12月6日21時33分
戦後70年の今年、安全保障関連法に反対する人たちは街頭で声を上げ続けた。6日には、大学生グループ「SEALDs(シールズ)」と「安全保障関連法に反対する学者の会」が東京で、年内最後の大規模な抗議行動を展開。「民主主義ってなんだ」。こう問い続けた若者たちは、その体験を胸に先を見据える。
抗議行動には約4500人(主催者発表)が参加した。銀座のデモの中心にはSEALDsメンバーがいた。その一人、筑波大大学院1年の諏訪原健さん(23)は集会で、俳優の石田純一さんらの後に登壇し、「法案は止まらなかったけど、社会は変わっている。大きな希望がある」と訴えた。
街頭デモに加わり始めたのは昨年2月。後輩に誘われ、後にSEALDsの中心メンバーになる奥田愛基さん(23)宅に遊びに行ったのがきっかけだった。奥田さんは特定秘密保護法の問題点を説明し、「自分たちのやり方で声を上げよう」と熱心に語った。
諏訪原さんも政治には漠然とした疑問があった。ただ「デモなんて正直ださいし、何も変わらない」と思っていた。大学4年になれば卒論も就職活動もある。だが、同じ大学生の奥田さんの熱意に動かされた。
安保関連法案の国会提出が迫った今年5月、奥田さんや諏訪原さんは十数人でSEALDsを結成。国会前のデモ参加者は当初、百人単位だったが、法案審議が進むにつれて増え、8月30日には12万人(主催者発表)に。その日、諏訪原さんは誘導係だった。人波に圧倒されながら、思った。「この国に良心はある」
時折思い出すのは祖父の言葉だ。祖父は戦時中、鹿児島県の特攻基地にいた。「終戦が少し遅ければ人間魚雷になっていた」。日米開戦の12月8日には毎年、電話で言われる。「何があっても、戦争はいけない」
来夏の参院選後、SEALDsは解散する予定だ。「未来の社会の腐葉土になれば、それでいい」。その後は「身近な一人にでも、社会のことを考えてもらえるようにする」。その積み重ねが社会を動かす。そう思うようになった。
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