愛犬が僕の元から居なくなってしまってから2ヶ月が経とうとして いる。これくらいの時間が経つと、居ないはずの愛犬の残像を感じる事も少なくなって来た
ふと気付けば季節は冬に。すると、 段々と感じる事も無くなってきた愛犬の残像を、 再び感じる事がある
冬に外出する時、 玄関のドアを開け車に乗り込む前に犬小屋の前に行き、「寒いね」 といいながら彼を撫でまわしてから出かけるのが僕の日課だった
あれから2ヶ月。その習慣もすっかり意味がなくなった僕だが、 先日、暖冬と呼ばれていながらも随分寒くなった日。 眠い目をこすりながらボケっと玄関を出た事もあって、 無意識のうちに犬小屋の前まで歩いて来てしまった。
「あ……」と間抜けな声を出してからその事に気付いた僕は、 よせばいいのにそっと犬小屋を覗きこむ。居るわけないのに。 その事実を確認して、勝手に落ち込む
きっと僕は季節が変わるたびに、「その時の愛犬」 の事を思い出すのだろう
一緒にいた時間は、あまりにも長かった
中学生から社会人になるまで。毎日のように一緒にいたのだ。 1月や2月で忘れるなんて方が不自然だ
犬小屋も、いつか片付けようと言っていながら誰も片付けない
大きくて、重くて、処分が大変という事もあるが、 きっとそれだけが理由じゃない。 本当はとっとと片付けてしまうべきなのだろうが、 どうにも腰が上がらない。僕も、両親も、みんなだ
あらゆるシチュエーションで愛犬を思い出す
宅配便が来た時、 滅茶苦茶に吠えるものだから素早く受け渡しをしていたが、 そんな心配はしなくて良い事に気付く
深夜に家を出る時、起こさないようにそっとドアを開けていたが、 もうそんな気を使う必要はない事に気付く
薬局で無意識のうちにペットコーナーに足を向けるが、 もうご飯やおやつを買う必要はない事に気付く
大雨の音が聞こえれば、家に入れてやろうと思うが、 もうその必要がない事に気付く
甥っ子が玄関へと駆け込んでいく時、 犬が離れているかもと慌てて追いかけるが、 もうその必要がない事に気付く
頭の中で、心の中で、もう整理はついたはずなのに、 ほんの日常の中の「反射」の中から愛犬はよく姿を現す。 そのたびに僕は、どうしようもなく寂しくて、泣きたくなる。 しかしどこか懐かしくなったりもする
僕の愛犬は、こんなにも「当たり前」の中にいたんだ
「居なくなって初めてわかる」っていうのは、 きっとこういう事なんだ
確かにそうだ。愛犬が居るのは僕の中では当然の事で、 いつもの日常で、本当に当たり前のことだった
でも、もういない
こればかりはどうしようもない事だ
泣いても、喚いても、悲しんでも、どうしようもない事だ
だから、その寂しさを感じるたびに、僕は涙を堪えて笑うのだ
「楽しかった思い出」を、何て事はない「当たり前の中の思い出」 を、わざわざ「悲しかった事」にしてしまう事もない
だから僕は、当たり前の中の君を忘れない
これから先も、ずっとだ
当たり前の中の君を覚えている
その温もりを覚えている