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【テロは防げるか(中)】
断片情報から兆候をつかめるか? インテリジェンスのプロ育成急務 組織縦割りが壁に…
「やられた時点で負け」とされるテロとの戦いで、日本は重い敗北を経験した。
昭和52年、日本赤軍が日航機をハイジャックし、バングラデシュのダッカ空港に強制着陸する事件を起こした。警察庁は警備局内に逃亡した赤軍追跡の秘匿組織、通称「調査官室」を設置。キャリア官僚らを世界中に派遣、テロ組織の動向把握に当たらせた。日本の内外で対テロ捜査の枠組みが徐々に整えられていった。
だが、現実は残酷だった。昭和63年、東京のサウジアラビア航空事務所とイスラエル大使館近くで高性能爆薬が爆発。平成3年、サルマン・ラシュディの「悪魔の詩」を翻訳した筑波大助教授が同大の構内で殺害された。P班を含む公安部の精鋭も極秘に投入されたが、事件は未解決だ。
海外にいる邦人の安全確保の環境はさらに厳しい。日本人技師らが犠牲となった平成25年の「アルジェリア人質事件」では、情報収集力不足を露呈。政府は中東・アフリカ方面への防衛駐在官増員を決めたが、経験者は「高度な対人折衝力を備えた現地語の習熟者が不足している」と指摘する。テロ情報収集は、駐在官が得意とする軍事情報とは別の分析力が必須で、成果が出るまでには時間を要するという。