武藤貴也オフィシャルブログ「私には、守りたい日本がある。」Powered by Ameba

国家主権、国家の尊厳と誇りを取り戻す挑戦!品格と優しさ、初志貫徹の気概を持って(滋賀四区自民党衆議院議員武藤貴也のブログ)


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 私がツイッターで、「SEALDs」は「利己的個人主義」に基づいた主張をしていると述べたことについて、様々な意見が寄せられているので、ここでもコメントさせて頂きます。ツイッターでは文字数が限られており、私の言いたいことが十分に伝えることが出来無いので、ブログで述べさせて頂きます。

 まず、読んで頂きたいのは、砂川判決における田中耕太郎元最高裁判所長官の補足意見、以下の箇所です。

 「要するに我々は、憲法の平和主義を、単なる一国家だけの観点からでなく、それを超える立場すなわち世界法的次元に立って、民主的な平和愛好諸国の法的確信に合致するように解釈しなければならない。自国の防衛を全然考慮しない態度はもちろん、これだけを考えて他の国々の防衛に熱意と関心とをもたない態度も、憲法前文にいわゆる『自国のことのみに専念』する国家的利己主義であって、真の平和主義に忠実なものとはいえない。
 我々は『国際平和を誠実に希求』するが、その平和は『正義と秩序を基調』とするものでなければならぬこと憲法9条が冒頭に宣明するごとくである。平和は正義と秩序の実現すなわち『法の支配』と不可分である。真の自衛のための努力は正義の要請であるとともに、国際平和に対する義務として各国民に課せられているのである。」

 このように、田中裁判長は自国の防衛を考慮しない態度も、他国の防衛に熱意と関心を持たない態度も、憲法が否定する「国家的利己主義」だと言っています。そしてその上で、真の自衛の為の努力は、正義の要請であるとともに、国際平和に対する義務として「各国民に課せられている」と言っています。

 つまり、「SEALDs」の方が仰る「だって、戦争に行きたくないもん」という自分個人だけの感情で、今議論されている平和安全法制に反対するのは、田中最高裁長官の言うように「真の平和主義に忠実なものとは言えない」と私も考えます。

 誰もが戦争に行きたくないし、戦争が起こって欲しいなどと考えている人はいないと思います。しかし他国が侵略してきた時は、嫌でも自国を守るために戦わなければならないし、また世界中の各国が平和を願い努力している現代において、日本だけがそれにかかわらない利己的態度をとり続けることは、地球上に存在する国家としての責任放棄に他ならないと私は考えます。

 加えて、7月13日の平和安全法制特別委員会にお越し頂いた元外交官の岡本行夫氏は、次のように述べています。

 「一九九四年、イエメンの内戦で九十六人の日本人観光客が孤立したとき、救ってくれたのはドイツ、フランス、イタリアの軍隊でした。二〇〇〇年からだけでも、総計二百三十八人の日本人が十一カ国の軍用機や艦船などで救出されてきました。一九八五年三月、イラン・イラク戦争でイランの首都のテヘランが危機になり、日本人二百十五人が孤立しましたが、日本の民間航空機は、危険だからとテヘランまで飛んでくれませんでした。それを救ってくれたのはトルコでした。トルコ政府は、テヘランに派遣した二機の救出機のうちの一機を日本人救出に当て、そのために乗れなくなってしまった何百人かのトルコ人は陸路で脱出させたのです。日本では報道されませんでしたが、二〇〇四年四月、日本の三十万トンタンカーのTAKASUZUがイラクのバスラ港沖で原油を積んでいた際に、自爆テロボートに襲われました。そのときに身を挺して守ってくれたのは、アメリカの三名の海軍軍人と沿岸警備隊員でした。彼らは日本のタンカーを守って死に、本国には幼い子供たちを抱えた家族が残されました。みんながみんなを守り合っているのです。」

 世界にいる日本人は、各国の軍隊や警察組織によって守られています。そして岡本氏が述べているように、日本では全く報道されていませんが、日本人を守るために命を落とした外国人もいます。「みんながみんなを守りあっている」ときに、日本が、しかも日本人自身の安全に、我関せずという態度をとり続けることは、日本人の命と財産を守るリスクと負担を他の国に押し付けるということを意味します。

 以上述べたように、世界中が助け合って平和を構築しようと努力している中に参加することは、もはや日本に課せられた義務であり、正義の要請だと私は考えます。
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「外交敗北」
 昨日、「明治日本の産業革命遺産」が「世界文化遺産」に登録されたということで、各地で喜びの声が上がっている。

 しかし、事はそう単純に喜べる状況ではない。なぜならば、今回の件で日本政府は、「朝鮮人の強制連行や強制労働」(英語で「brought against their will」や「forced to work under harsh conditions」などを使用)を世界の公式の場で認めた挙句、当該遺産に関して「この犠牲者のことを忘れないようにする情報センターの設置など、適切な措置を取る用意がある」と公言してしまったからである。明治産業革命は1850年代から1910年頃までであり、その間朝鮮人徴用工は一人もいないので、本来無関係であったはずなのに、韓国の言い分を受け入れてしまった。

 こんな条件付きの「世界遺産登録」では、日韓の未来志向どころか、過去に縛られる材料をまた新たに作ってしまったといっても過言ではない。今回外務省がすべきだったのは、韓国が反対しても採択に持ち込み、やむを得ない場合は韓国が反対したとしても韓国以外の国の賛同を得て「世界遺産登録」を成し遂げることだったと私は思う。


解決済みの「徴用工賃金未払問題」
 そもそも問題とされている徴用工は、1944年9月から1945年8月終戦までの11ヶ月間、労働力不足を補うために国民徴用令の適用を免除されていた朝鮮人にもそれが適用されたというものだが、当時朝鮮半島は1910年の「韓国併合に関する条約」によって国際法上日本の一部であった為、日本人同様朝鮮人に対して徴用を行ったということ自体は、法的に問題はない。従って戦後、問題となったのは、朝鮮人徴用工の一部賃金未払に関する補償だったのだが、それに関しても1965年の「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」(日韓請求権協定)で解決されたはずだった。

 50年前のこの協定により、日本が韓国に対し、無償3億ドル・有償2億ドルの計5億ドル、さらに民間融資として3億ドルの経済支援をする代わりに、韓国は個人・法人の請求権を放棄するという合意がなされた。協定の第2条1項では請求権に関する問題が「完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」と明記されている。つまり、徴用工の賃金未払に関しては、日本政府からの経済支援金を使って、韓国政府が元徴用工らへ補償を行なうはずだったわけだ。

 しかし当時の朴正熙大統領(朴槿恵大統領の父)は、この協定の内容を国民に公表することなく、経済支援金を全て公共事業など経済政策に活用した。当時の韓国の国家予算は3億5000万ドル程度で、8億ドルの支援は文字通り莫大な額だった。それにより韓国は「漢江の奇跡」と呼ばれる経済成長を遂げたとされるが、その一方で元徴用工の補償は行なわれなかった。

 日本の資金援助による経済発展の恩恵は、元徴用工を含む全ての韓国人が享受してきたのであるから、朴正煕大統領の経済政策が完全に誤りであったとは私は思わない。日本からの経済支援の大部分が個人補償や法人補償に当てられていたら、韓国の発展はなかっただろう。しかし個人補償に当てられなかった事を盾にして、元徴用工が日本政府を相手取り賠償請求訴訟を乱発したり、「日韓請求権協定」に合意した韓国政府自身が日本政府を責めたりする今の状況は、全く道理に合わない。日本からすると、まさに開いた口がふさがらない。


国際法無視の韓国政府
 朝鮮問題に詳しい東京基督教大学の西岡力教授は次のように述べている。「反日姿勢を鮮明にしていた盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権は、2005年に日韓国交正常化交渉の外交文書を公開し、『韓日会談文書公開の後続対策に関連する民官共同委員会』を作って日本への賠償請求を検討させました。そこでの検討ですら、日本に補償を求めるのは無理と2006年に結論づけられ、元徴用工らには韓国政府が支援すべきだとしていました。しかし、それを『個人の請求権は消失していない』と無理矢理ひっくり返したのが2012年5月の韓国大法院(最高裁判所)判決です。元徴用工や遺族9人による新日鉄(現・新日鉄住金)と三菱重工を相手取った訴訟で、原告の請求権を認める判決を下したのです。これは国際法を無視した判決です。もし、こういうことが今後も起きるのなら、どの国も韓国とは何の条約も結べなくなります」

 今回の「世界遺産登録」の際に日本政府・外務省がすべきだったのは、世界各国にこうした歴史的経緯を繰り返し何度も説明することであり、それに加えて解決済みの問題を覆し、国際法を無視する韓国政府を批判することであったと思う。その上で、どうしても韓国の賛成を得られないのであれば、採決で反対に回られてもやむなしという態度で臨むべきだっただろう。日本的な「和」の精神は、冷厳な国際政治には通用しない。従って、「全会一致」、「日韓関係の未来志向」にこだわったことで、日韓に未来に続く新たな禍根を残した可能性は否めない。


「第二の河野談話」になりかねない
 日韓関係は、目前の問題から目をそむけ友好関係を作ろうとしても、逆効果だと私は思う。「これさえ認めてくれれば幕引きだ」と言われ、信用して譲歩したら、また新たなスタートラインに立つ。慰安婦問題もそうであった。「全てこれで幕引きだ」と言われ、譲歩して発表した「河野談話」から問題が広がることとなった。今回の問題が「第二の河野談話」にならないか、新たな問題の幕開けにならないか、私は大きな懸念を抱く。

 与党の議員の一人として、外務省に対して対韓補償問題は既に「日韓請求権協定」で決着済みのはずだということを再度確認し、更に今回登録された世界文化遺産には徴用工に関しての広報はすべきでないということを改めて主張しようと思う。

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「中国共産党の運転するバス」
 中国が主導するAIIB(アジア・インフラ投資銀行)が注目を集めている。当銀行は、アジアにおけるインフラ整備の高い需要に応えることを目的として、2013年10月に習近平国家主席が提唱したものだ。既にイギリス、ドイツ、フランス、オーストラリア、韓国なども参加申請し、その数は50ヶ国以上に上っている。
 多くの国の参加をもって設立されたAIIBだが、その中身はいまだ不透明であり、設立のしっかりとした理念もなく、投資基準やガバナンスに関する疑義が持たれている。
 周知のように、日本は一次募集での参加は見送ったが、次は6月に二次募集が行われるということで、国内においては「バスに乗り遅れるな」という意見が目立つ。
 しかし、参加することになれば、ヨーロッパのような「域外国」と異なり、「域内国」として約3600億円を拠出することになると試算されている日本は、AIIBのガバナンスはさることながら、中国の覇権主義、膨張主義を抑制することも含め、乗る「バス」がどのような「バス」か、しっかりと見定めてから、「乗るか、乗らないか」を判断する必要がある。


中国がAIIBを設立した意図①(国内事情)
 中国がAIIBを設立しようとした意図は大きく言って二つあると考えられる。一つは「国内事情」である。拓殖大学総長の渡部利夫氏によれば、現在の中国は「ステートキャピタリズム(国家資本主義)」ともいうべき経済に変質しているという。具体的には「央企」と称される独占的企業群が政治権力と結託し、高利潤を謳歌しているという。「央企」は、中国にある約15万社の国有企業のうち、わずか113社。それが15万社全ての総利潤及び納税総額の6割を占める。「フォーチュン」誌によれば、世界売上高上位500社のうちで中国企業が91社だが、その殆どが「央企」である(ちなみに日本企業は57社)。中国ではこの「央企」が政治権力と結託し、公共事業の受注や銀行融資の豊かな恩恵に浴して、「資源、エネルギー、通信、鉄道、金融」の5分野で大きな収益を上げ、これが中国共産党独裁の財政的基盤となっている。渡辺氏は、この「央企」を「現代の浙江財閥」と称している。
 この「央企」が中国国内では力をもてあまし、高い投資依存と過剰生産状態を巻き起こし、そのはけ口と、合わせて中国企業の海外進出をもくろみ、AIIBを設立したのである。
 渡辺氏は現在の中国を以下のように表現している。今の中国を知る上で分かり易いと思うので引用したい。

 「貧困農民のとめどない都市流入、少数民族の抵抗、環境劣化、官僚の腐敗・汚職、所得格差の拡大はすでにおぞましいレベルに達している。限界ぎりぎりまでに膨れ上がる中国の社会的不満に国内政策で対応する術は、「和諧社会」実現を求めて挫折した胡錦濤前政権で尽きた。習近平政権は対外膨張路線によりフロンティアを拡大し、そこで得られる富と権威で内政に臨もうと決意したのであろう。第一次大戦後に追い詰められたドイツ国民の鬱積する不満が、アドルフ・ヒトラーをして激しい対外侵略に駆り立てた真因である。「第三帝国」の興隆は、しかし周辺国と米国の反発を招いて惨たる崩落を余儀なくされたという歴史的事実が想起される。膨張する中国の帰結がいかようであれ、備えに怠りがあっていいはずがない。」


中国がAIIBを設立した意図②(覇権主義)
 中国がAIIBを設立したもう一つの意図は、世界における「覇権」を取るためである。
 もちろん第一義的には「金融秩序への新たなる挑戦」だろう。1944年に構築され、ドルを基軸通貨として国際通貨制度の再構築、安定した為替ルートに基づいた自由貿易体制を整えるべく合意されたいわゆる「ブレトンウッズ体制」は、リーマンショック以降様々な課題に直面している。IMFや世銀、そしてADBに対しても、発展途上国の意見や利害がもっと反映されるべきだという意見寄せられている。しかし今まで構築してきた経済・金融秩序を見直すとしても、中国がそれに代わる新秩序を作ることはありえない。
 更に、中国の意図はもっと大きい。それは金融秩序だけではなく、世界秩序そのものを変え、中国が覇権国家として世界をリードする枠組みの構築である。それを分かり易く言えば「ウェストファリア体制」への挑戦と言って良い。「30年戦争」と言われる大宗教戦争を経て疲弊したヨーロッパ諸国は、1648年「ウェストファリア条約」で「国家における領土権」「領土内の法的主権」「主権国家による相互内政不可侵の原理」などを取り決めた。要するに、おびただしい数の人が死に、侵略戦争はもうやめようという取り決めを行ったのである。これによって近代外交および現代国際法の根本原則が確立され、その体制のことを「ウェストファリア体制」と呼ぶ。日本が目指している「法の支配」の源もここにある。
 しかし現在中国が行っていることは、「かつての中国が持っていた領土の回復」という名目の領土への主権侵害、侵略の連続であり、国際社会が積み上げてきた現在の国際秩序「ウェストファリア体制」への挑戦だといっても過言ではない。AIIBはその一環として位置づけて見なければならないと私は思う。
 従って、もはやこれを食い止めるためには周辺諸国の「抑止政策」(=「封じ込め政策」)しかないと私は感じる。安全保障で中国に対し何らの脅威も感じないヨーロッパには、日本からしっかりと説明する必要があるだろう。


見えてくるAIIBの実態
 現在構想されているAIIBは既に多くの問題点が指摘されている。まずはガバナンスをどのように効かせるのかという点である。各国代表による理事会を設けず、本部は北京、初代総裁は中国の金立群氏(ADB元副総裁)と目されている。中国の出資率は50%で、中国のAIIBにおける議決権も50%になると見られている。これでは当然公正・公平とは言えない。
 中国では、人民銀行や国有商業銀行など銀行は当然全て共産党の支配下に置かれており、今回のAIIBもその延長線上に位置づけられているとみられる。つまり極端に言えば、AIIBは習近平の命令下にあり、資金だけを他国から拠出させ、使い道に関しては中国がリードするという構造である。その影響は既に出ていて、韓国がAIIBに参加する際「AIIB総会の承認を得られれば、北朝鮮への融資を可能にする」と、中国は合意しているという。
 そもそもAIIBは当初「シルクロード構想(一帯一路)」実現のために設立すると謳っていた。「シルクロード構想」とは古代シルクロードの範囲を基本としつつも、陸と海で関係する各国の政策に関する意思疎通、インフラの連結性、貿易の円滑化、資金の融通、民心のつながりを実現していこうという構想である。簡単に言えば、中国のリーダシップで中国を中心とした「中華秩序」を構築しようという試みである。



腐敗国家が他国のお金を管理できるのか
 2012年10月、米紙ニューヨーク・タイムズは、「裕福でない家庭の出身で庶民への思いやりが深いことで知られる中国の温家宝首相」に関し、指導部入りした後に一族が「27億ドル」もの財産を蓄えていると報じた。「庶民派」と言われた温家宝がこのような状態である。
 日本では考えられないことだが、中国では政府高官の私生活や資産の状況は闇に包まれており、個人情報は国家機密とみなされている。温家宝首相の報道がなされた後、中国国内では温家宝首相に関するネットでのアクセスが制限されたという。もちろんその他の政府高官に関しても、アクセスが制限されることはよくあることだ。そうした中で、一部の政府高官が賄賂等によって年間に蓄える個人資産は数十兆円にも上るとの指摘もある。
 果たしてそんな国に他国の財産を預けて、クリーンに公平に運用できるといって誰が信頼するだろうか。まずは自分の国の資金管理を厳正にすべきである。


中国を大国化してはならない
 以上見てきたように、今の中国の手法や方向性を見ると、平和的に発展できない以上、中国を決して大国化させてはならないと私は思う。そうであるならば、拠出したお金が何に使われるかという問題点以前に、中国の国益のために設立されるAIIBに協力、もしくは参加する必要はない。中国の大国化は、長期的に見てアジア進出する日本企業にとってもプラスにはならない。
 昨日安倍総理が訪米し、前代未聞と言えるほどの高待遇を受けた。上下院で演説する機会を得ただけでなく、日米同盟の重要性をオバマ大統領と共同で国際社会に向けて発信した。なぜここにきて日米同盟がしっかり再認識されるようになったのか。もちろん安倍総理の外交努力もあるが、ようやくアメリカが中国の覇権主義の脅威に気づいてきたからではないだろうか。
 中国はフィリピンやマレーシアだけでなく、近年ヴェトナムとも領土問題で対立を激化させている。2011年7月、ヴェトナムは集団的自衛権が行使できない日本は頼れないので、さっそく米国に依頼し、ヴェトナム中部のダナンで米軍と合同訓練を行った。もちろん中国に対するけん制、抑止力向上のためである。アメリカもこうした東南アジアからの支援要請に応えるのも大変であり、中国への抑止政策の一環として日米同盟を位置づけるようになったのだろう。
 AIIBを論じるにあたってはもっと大きな視点で中国の意図を見る必要がある。
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司法は科学よりも科学的に勝るのか
 「司法は科学よりも科学的に勝るのか」、判決を聞いて私はこのように感じた。
 4月14日、福井地裁は、関西電力に対して、「債務書(関西電力)は、高浜発電所3号機及び4号機の原子炉を運転してはならない」という仮処分判決を言い渡した。
 その理由を簡単にまとめると、①基準地震動(700ガル)を超える地震が発生する可能性がある、②基準地震動以下の地震によって重大事故が生じる可能性がある、③使用済燃料が格納容器のような堅固な施設によって閉じ込められていない、以上三点である。
 そしてその上で結論として、「(原子力規制委員会が策定した)新規性基準は、緩やかに過ぎ合理性を欠く。新規制基準に適合しても本件原発の安全性は確保されない。そうである以上、新規制基準に高浜原発が適合するか否かについて判断するまでもなく、原告が人格権を侵害される具体的危険性が認められる」とした。
 まさに「原子力規制委員会」が議論に議論を重ね策定した「世界一厳しい新規制基準」を、いとも簡単に否定してしまったのである。


日本の英知を結集した原子力規制委員会
 3年前の2012年、東日本大震災の教訓から、二度と原発事故を繰り返さないために、民主党野田内閣において、民主党、自民党、公明党三派共同で「原子力規制委員会設置法案」が国会に提出され成立した。同法に基づいて設置された「原子力規制委員会」は、紛れもなく日本のみならず「世界の英知」と言っても良いくらいの知見を集め、数年の審議を経て「世界一厳しい安全基準(=新規制基準)」を策定した。
 ちなみに同委員会の委員長には、原子炉工学の権威で元日本原子力学会会長の田中俊一氏が着き、委員長代理には東大名誉教授、地質学者で元日本地震学会会長及び元地震予知連絡会会長の島崎邦彦氏が着いた。その他の委員も、地質学者や放射線医学者などを含め、まさに日本を代表する専門家たちが、イデオロギーや党利党略を超えて日本の安全と安心のために着任した。

 田中委員長は同委員会のHPで以下のように述べている。
 「原子力規制行政への信頼が完全に失墜している中で発足する原子力規制委員会は、国民の厳しい目をしっかりと受け止めながら、規制の強化を行うことが責務です。東京電力福島原子力発電所事故への反省を一時も忘れることなく、独立性と透明性を確保し、電力事業者等と一線を画した規制を必ず実現させなければなりません。すべての規制について不断の改善を行い、日本の原子力規制を常に世界最高レベルのものに維持してまいります。放射線による影響の不安と向き合って毎日を過ごしている人がいるということが、私の心から離れることはありません。JCO臨界事故の経験や、これまでに得た知識、私が持ちうるすべてを、原子力の安全を確保するための新たな規制に注ぎこむ決意です。」


裁判所によって犠牲にされる国益
 このように公正・公平・中立な立場で日本の英知を集結し設置された「原子力規制委員会」が、まさに日本の安全と安心のために二年以上も議論を重ねて策定した「世界一厳しい新規制基準」が今回、科学的知見を持ち合わせていない福井地裁によって「新規性基準は、緩やかに過ぎ合理性を欠く」「新規制基準に適合しても安全性は確保されない」「新規制基準に高浜原発が適合するか否かについて判断するまでもなく…」と、いとも簡単に否定されたのである。
 あたかも裁判所が、原子力に関する世界最高の知見を持ち合わせた原子力規制委員会よりも、科学的知見において優っていると言わんばかりの判決である。
 しかも司法の判断は絶対であり、仮差し止め処分は有効で、再稼働に支障をきたすおそれが出てきた。再稼働に支障をきたすことにでもなれば、当然関西電力の経営を悪化させ、それによる更なる電気代の値上げ、引いては日本経済全体の悪化という事態にもなりかねない。
 裁判所は、今回の仮差し止めで生じるであろう国民的損害について補償することはしない。そういう裁判所が無責任に今回の判決を出したことに、私は非常に憤りを感じる。


事実誤認だらけの裁判所~田中委員長の指摘~
 この様なことがあっても良いのだろうか。田中委員長は福井地裁の判決を受けて、「判断の前提となる幾つかの点で事実誤認が有り、新規性基準や審査内容が十分に理解されていないのではないか」と裁判所の判決を痛烈に批判した。
 事実誤認について言えば、例えば裁判所が「外部電源と主給水双方について基準地震動に耐えられるように耐震性をSクラスにすべき」と判示したのに対して、田中委員長は「外部電源のところですけれども、外部電源について、SBO(全電源喪失)を防ぐということで、我々は非常用電源とか、いわゆる電源車とかバッテリーとか、色々な要求をしています。外部電源は商用電源ですからCクラスですけれども、非常用電源についてはSクラスになっています。ですから、ざっと見ただけでもそういった非常に重要なところの事実誤認がいくつかあるなと思っています」とコメントしている。

 またもう一つ裁判所の事実誤認について挙げれば、裁判所が「使用済み燃料の給水設備の耐震性をSクラスにするという各方策がとられるべき」と判示したのに対し、田中委員長は「耐震重要度分類で給水設備はBだと書いてありますけれども、これはSクラスです。…プールの水が無くなったのではないかということが非常に懸念されたわけですね。ですから、プールの水がなくなるというのは非常に重要なことですから、そうならないようにということで、プール自体も、プールに給水するところも、あるいはプールの水を監視する水位計等も、みんな耐震上はSクラスにしています」と判決の誤りを指摘している。

 この他にも判決の内容に関して田中委員長は、幾つも重要な事実誤認を指摘し、既述の裁判所が仮差し止めの根拠とした3点について明確に反論を行い、裁判所は「新規性基準や審議内容が十分に理解できていない」と痛烈に批判したのである。


「裁判所万能論」を廃し、国民の利益を守れ
 裁判所は万能ではない。まして科学的分野においては、研究所を裁判所が兼ね備えているわけもなく、尚更万能とは言えず、科学的見地において確立された事柄に、本来口を挟むべきではない。
 裁判所ができることは、示された「新規制基準」に高浜原発が適合しているかどうかを判断することに尽きる。なぜならば「新規制基準の妥当性」を判断できる能力を裁判所は持たないからである。
 現に「原子力規制委員会」も、福井地裁の仮処分決定によって「新規制基準を見直す必要性は無い」という考えを示している。当然のことだ。間違いだらけの判決に従った方が危険だ。

 関西電力は今回の判決を受けて「速やかに不服申し立ての手続きを行い、再稼働に向けたプロセスへの影響を最小限に留めるべく、早期に仮処分命令を取り消していただくために、今後も高浜発電所3、4号機の安全性の主張・立証に全力を尽くしてまいります」とコメントしている。
 また安倍総理もこの判決が出された後、「原発については、いかなる事情よりも安全性を最優先することとし、原子力規制委員会が、科学的・技術的に審査し、世界で最も厳しいレベルの新基準に適合すると認めた原発について、その判断を尊重し、再稼働を進めていくのが政府の一貫した方針です」と国会答弁を行っている。
 我々政治・行政は今回の判決が出た今、尚更国民の生活が悪化しないよう、最善を尽くしていく必要があろう。


裁判所が間違えた場合はどうするのか
 今回の判決を行った裁判長は、これをもって名古屋の家裁に異動になるようだが、裁判所が特定のイデオロギーや偏見に基づいて判決を行う、あるいは事実について誤認や誤解をして判決を行っていたのでは、「法の支配」は中立性を失い、極めて不公平・不当なものになってしまう。更にそれが国益に影響を及ぼす場合、その損失は計り知れない。
 「三権分立」で言う「立法」と「行政」は間違いを犯したら選挙で否定され権力を失う。あるいは政権が交代し、権力が入れ替わる。つまりいわば「訂正機能」あるいは「引責機能」があると言っても良い。しかし「司法」にはそれがない、もしくは機能していない。唯一存在する「国民審査制度」は、罷免された裁判官はこれまで1人もいないことからもわかるように、実質機能しているとは言えない。裁判所は、いわば「否定さない次元」で絶対的な権力を振るっているのである。
 従って我々国民、特に政治家は「裁判所は全て正しい」という見方を改めなければいけないということを今回の一件で再認識し、更に「裁判所が間違える可能性」に備え、何らかの対策を考えておかなければならないと思う。「国民審査制度」の見直しもその一つだろう。
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「極めて不十分な安全保障法整備」
 昨年7月1日、集団的自衛権行使容認を含め、安全保障政策全般にわたり見直しを行う旨記した文書が閣議決定された。そしてそれを踏まえて、昨年末自民党内で安全保障法整備推進本部が設立され、現在に至るまで法整備に関する会議が行われてきた。しかし、せっかく国民的な議論を盛り上げ、安全保障法を大きく変える良いタイミングであったにもかかわらず、そこで決定された内容は極めて不十分と断じざるを得ない。
 そもそも大きく変化する国際社会の中で、我が国の平和と安全を維持し、国際的な義務と責任を果たすと謳い策定された昨年7月1日の「閣議決定」では、「切れ目の無い対応を可能とする国内法制を整備する」、「自衛隊が幅広い支援活動で十分に役割を果たすことができるようにする」という文言が記されていた。
 しかし、実際様々な議論を経た後まとめられたものは、我が国の防衛について「切れ目」が存在し、国際平和協力活動に関しても「幅は狭く」、「十分」とは到底言えない。


「切れ目のある離島防衛」
 まずは尖閣諸島周辺に関する防衛についてである。中国による「領海侵犯」は月3回から5回、公船によって定期的になされている。接続水域に対する侵入は月20回から50回に及ぶ。中国の意図は、既成事実を積み上げ、尖閣諸島周辺は日本の実効支配が及んでいないことを法的に証明することであり、領海侵犯そのものが目的と言っても過言ではない。実効支配が揺らげば、当然「日米安全保障条約第5条」の対象からも外れる。
 確かに、国際法では国連海洋法条約において「無害通航権」が認められているが、中国が行っている通行は、これには当たらない。加えて、同条約の25条では「沿岸国は、無害でない通航を防止するため、自国の領海内において必要な措置を取ることができる」とされている。公船に対しても、比例性は担保しつつも、必要な措置を取ることはできる。つまり日本は中国公船の領海侵犯に対し、法的には「それを防ぐために必要な措置をとることができる」のである。しかし現在の日本は、外国公船が上陸を標榜して進んでくる場合に、それを防ぐ必要な措置をとる法整備がしっかりなされていない。これは武力行使に至らない侵害、いわゆる「グレーゾーン事態」とか「マイナー自衛権」として議論されているが、今回の法整備でもしっかりとした結論が出されておらず、「切れ目」となっている。


「幅は狭く、不十分な国際協力」
 今回の政府与党が決定した安保法制は、肝心な時に自衛隊が活動できないように縛るものだ。例えば、自衛隊が非戦闘地域で「日本や国際社会の平和のために活動する他国軍」に後方支援を行っていたところ、支援していた軍に対しどこかの国または国に準ずる組織が攻撃を加えた場合、日本の自衛隊は後方支援を中止し撤退しなければならない。つまりまさにこれから給油等の支援が必要な時に、日本の自衛隊は協力できなくなることになる。これで果たして「幅広い支援活動」で「十分に役割を果たす」と言えるだろうか。
 また、集団的自衛権発動に関しても他国では見られない「存立危機事態」の認定という基準が設けられた。例えば「9・11同時多発テロ」をきっかけに、米国はアルカイーダをかくまうアフガニスタンに自衛権の行使を行った。これに対し当時NATOは集団的自衛権を発動し、日本は「非戦闘地域」において「後方支援」を行った。今回の法整備では、日本もNATO同様に集団的自衛権を発動できるようになることが期待されたが、集団的自衛権発動には「存立危機事態」の認定が必要とされることとなった。そしてアフガン攻撃はそれに当たらないことが確認された。これも国際社会や同盟国からは「不十分」と思われるだろう。
 私は米国のアフガン攻撃のような事態が起こった場合、集団的自衛権を発動するかどうかは時の政府の判断であり、発動しないという判断をすることもあると思うが、法整備は十分に行っておくべきだと考える。


「拉致被害者の救出を阻む憲法9条」
 そしてもう一つ大きな問題は、「邦人救出」についてである。先般行われた拉致議連の会場でも問題点を指摘したが、昨年の閣議決定や自民党が取りまとめた方針でも、「邦人救出」には「当該領域国の受け入れ同意がある場合」という限定が付け加えられている。つまり日本政府は北朝鮮による拉致被害者を物理的に救出することはしないと断言したに等しい。北朝鮮が邦人救出に同意するはずないからだ。
内閣府や外務省によれば、「受け入れ国の同意が必要」という限定を加えた理由は「憲法9条」による制約だという。
 拉致問題は、被害者家族も高齢になり、時間的制約がある。家族会も救う会も、文字通り今年が拉致問題の「最終決戦の年」としている。政府はこのことをきちんと認識して誠意をもって全力を尽くすことができているだろうか。今回の「邦人救出」に関する法整備に、「受け入れ国の同意がある場合」という限定がついていることは非常に残念でならない。実際に特殊部隊を作って救出作戦をするかどうかは能力的にも課題があり難しいとしても、日本人を救出するためには「受け入れ国の同意がない場合」もできるように法整備しておくことは、北朝鮮に対する圧力にもなり、必要なことだと私は考える。


「9条が原因なのか、それとも覚悟が無いことが原因なのか」
 これまで挙げてきた問題点の原因は、全て「憲法9条の制約」だと政府役人は答弁している。しかし本当にそうだろうか。「憲法9条」のどこを読んでも拉致された被害者を救出できないとは書いていない。国際法上も自国民救出については、「憲法9条」の禁じていない「自衛権」で説明されることが多い。まして日本人拉致事件のように、国家が首謀し、組織的に大量に日本人を拉致し監禁し、工作員として教育し、国際的なテロ事件を起こすような場合、邦人救出を行っても、当然、最小限度の「自衛権の行使」で説明できる。もっと言えば、先に述べた集団的自衛権行使も国際平和協力活動も、すべて憲法解釈の変更を行うだけで十分説明できる。にもかかわらず憲法解釈の変更、更にはそれにかかる法整備をしないのは「覚悟」が無いとしか言いようがない。つまりすべては恣意的に行使できないように、憲法を言い訳に使っているのである。
 先日、ある米国出身の弁護士が「憲法9条は、米国に刃向かった日本に対する制裁措置・ペナルティだ」と語っていた。日本国憲法をつくったGHQは、まさに「制裁」として「憲法9条」を入れたのだろう。しかし日本人は、その「制裁」としての憲法9条を、あろうことか逆に非常に高く評価し、守ってきた。アメリカ人から見ると、不可解あるいは滑稽に見えるだろう。
そして今、その「憲法9条」が邦人救出を阻み、日本の国際協力を阻止している。政府が言うように、拉致被害者救出に全力を尽くすというのなら、「そんな憲法は改正すべきだ」と叫ぶのが政府の仕事であろう。
 もっとも私は現行憲法でもすべて十分対応できる解釈が可能だと思っている。つまり全ては政府、ひいては国民の「覚悟」の問題なのだと思う。

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 昨日、国会対策委員会で「選挙権年齢の引き下げ」について報告があった。いよいよ選挙権年齢を18歳に引き下げるための公職選挙法改正案が今国会に提出される見通しだ。担当者からは世界的にも成人年齢が18歳に引き下げられている状況に鑑み、日本でも選挙権年齢等を18歳まで引き下げて、来年の参議院選挙では18歳以上の多くの人に選挙に参加してもらうべく法整備を急ぎたい旨報告があった。

 確かに子どもの権利を拡大しようという世界的な潮流の中で、日本も選挙権を引き下げようとする意見が多く出されるようになってきた時代背景は分かる。また少子高齢化時代にあって、若者の政治参加の幅を広げ、将来の日本を創る自覚を持ってもらおうとする意見も理解できる。しかし本当に今のまま選挙権年齢を引き下げて良いのか、疑問が残る。それは権利の話だけが先行し、義務と責任の議論がなおざりにされているからだ。

 先月、神奈川県川崎市で中学1年生の上村遼太君(13)が殺害されるという本当に痛ましい事件があった。上村君を裸にし、冬の冷たい多摩川を泳がせて、その後カッターナイフで首や体中を切りつけて殺した犯人の主犯格は、18歳の少年だった。報道各社は犯人が18歳という未成年であることから、少年法の趣旨を尊重し、実名を伏せ、もちろん顔写真など本人が特定されるような情報は全く報じかった。

 選挙権年齢だけが18歳へ引き下げられる一方で、少年法は18歳を未成年の少年として保護する仕組みになっている。加えて、成人年齢、飲酒年齢、タバコの喫煙年齢、年金加入年齢などは全く議論されていない。つまり、選挙権という権利だけが拡大される一方で、義務や責任を求めるような議論はなおざりにされている。これで本当に良いのだろうか。

 確かに、大人と子どもの境目の議論は難しい。子どもの成長には著しく個人差があると言えるだけでなく、そもそも成人していても知識や教養が大人としては不十分だということもあり得るからだ。従って、成人年齢や選挙権年齢などを何歳に定めるかは、決め手となる根拠の無い難しい問題だ。

 しかし確実に言えることは、権利の拡大は義務や責任の拡大と表裏一体でなければならないということである。それは子どもに責任感と社会常識を身に着けさせ健全に成長させるためだけでなく、社会全体の秩序を維持するために必要不可欠である。少年法などで保護される少年が、一方で選挙権等の権利だけを得ることについて、私は決して良いことだとは思わない。

 選挙権年齢を18歳に引き下げるのであれば、まさに日本の未来を決める政治に参画する責任を負うのであるから、同時に大人としての義務や責任を課す議論もすべきだと私は思う。

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「コメ農家がおかれている苦境」
 今、日本の「農業」は岐路に立たされている。とりわけコメ農家は、人口減と食生活の変化による消費量の減少、後継者不足などから今後の未来を描けず、否応なしに淘汰の道を歩まざるを得ない状況を迎えつつある。また農業を営むための基盤整備事業(土地改良事業など)も、財政難で年々支出が削減され、惨憺たる状況にある。

 多くの人は、それはコメ農家の努力不足だというが、本当にそれだけが原因だろうか。農協法を制定しJAを作った昭和22年、間違いなくコメは不足しており、政府は食糧増産を掲げ、国策として農業を指導してきた。しかし人口減と食生活の変化によりコメが過剰状態となった現在、かつて増産せよと音頭を取った政府は手のひらを返し、農家に潰れてくれと言わんばかりの政策しか生み出せないでいる。政府には、淘汰するなら弱い農家の生きる道を提示する責任があると私は思う。

 確かに、コメ政策は難しい。人口を増やすこと、コメの消費量を増やすことができれば、その問題の多くは解決するが、それは簡単なことではないからだ。また日本の国土は環境的に、安価且つ大量にコメを生産できる状況にないことも大きな原因だ。つまり、日本のコメ農家は例え品質は世界一のものを作れたとしても、価格の面で世界で勝負できる環境になく、海外に新たな市場を求めるにはあまりにも不利な立場にあるということだ。


「JA改革やTPP参加は農業の発展には役立たない」
 しかしそんな難しい環境で、何らかの展望を見出す必要があるといっても、一つ確かなことは、TPPに参加してコメの関税を下げたり、MA米を増加させたりすること、あるいは「改革」と称してJA組織を弱体化させることが、農業振興には全く役立たないということだ。(ちなみに私はJA改革が全く必要ないとは思っていない)

 今回の「JA改革」は実態としては5年間のペンディングだと言って良い。なぜならばJA中央会の力の源泉となる監査・指導の権限は選択制で残し、最も大きな資金源となっている非農家準組合員の利用制限は、5年間の実態調査をして今後の検討課題としたからだ。従って、野党や規制改革検討委員会のメンバーは、準組合員の利用を制限できなかったことをとらえて、改革は骨抜きになったと自民党批判を強めている。

 確かに農協法の保護を受けたJAが、農家のための金融サービスを非農家の準組合員に受けさせることが道理にあわないということくらい皆わかっている。しかし、コメが売れない今、農村地帯にあるJAの経営を支えているのは組合員より比重が多くなった非農家準組合員からの金融部門収益(住宅ローンなどによる収益)だ。「経済は弱肉強食」、「自由経済の導入」、「岩盤規制改革」などと言った言葉をスローガンに、準組合員の利用を制限してしまえば、何とか存続してきた農村地帯のJAはたちまち消えてしまいかねない。日本全国津々浦々で設置され、地域の信頼・信用を獲得し、地域コミュニティの維持に多大な貢献をしてきたJAを、本当に今、潰してよいのだろうか。JAネットワークは日本にとって、郵便局やJRなどと同じように、先人たちが作ってきた計り知れない価値を持った財産だと私は思う。机の上の経済原理だけで考えるのは間違っている。


「日本人にとってコメは特別な存在」
 加えて言えば、日本にとって「コメ」というのは特別な存在だ。もちろんコメを作るための田畑が、環境保全や景観保全などといった多面的機能と呼ばれる役割があることもコメを特別たらしめる所以だ。しかし、それよりも日本の国柄が、コメ自体とともに形成されてきた歴史だと言っても過言ではないからだ。天皇の最も重要な祭祀も、日本中の神社の中心的な役割も、まさに「五穀豊穣」への祈りであることからもそれは言える。

 つまり、日本の国からコメ農家、田んぼが消えると、当然「五穀豊穣」を祈る神社仏閣、そしてお祭りも意味をなさなくなる。豊作を祈るための儀式や祭りはこれまで、地域の絆、連帯感を育み、日本人特有の融和性を育ててきた。農耕民族が狩猟民族よりも温和だといわれる所以がそこにはある。

 それだけではない。「五穀豊穣」を祈る神社は、どの地域にも存在し、その神社を中心にどの集落も、どの町も形成されてきた。日本の村も都市も、コメと神社なしでは形成しえなかった。どんなに小さな集落にも神社があるのはそのためである。

 だからこそ私は、農業の衰退、破壊は、まさに日本の伝統文化の衰退、破壊に他ならないと感じるのだ。


誰にとっての岩盤規制か
 JAの存在は「岩盤規制」だと言う人がいるが、それでは一体それは誰にとっての「岩盤規制」かという問いに誰も答えない。私は、それはアメリカやその利害関係者達にとっての「岩盤規制」なのではないかと思う。TPP参加へ最も強く反対運動を繰り広げたのは、まぎれもなくJA中央会であった。確かに、アメリカが金融商品を日本全国に向けて売り出そうとすれば、まぎれもなくJAは「岩盤規制」である。郵便局が今、全国のネットワークをフル活用しアメリカのアフラックという会社の金融商品を売り出しているように、アメリカは今度はJAの全国組織を利用するか潰すかして、地方の金融分野まで参入したいと考えていることは容易に想像できる。

 果たして日本人はこのことに抵抗しないで良いのだろうか。今アメリカが海外で行っている金融分野への参入は、かつて先進国が植民地に行っていた「搾取」の現代版のように感じる。日本人は日本人の手によって、自由に経済活動をすべきであり、我々の財産を独占的に吸い上げられるようなことはあってはならないのではないか。そうしたことを踏まえて、一体誰にとっての「岩盤規制」なのか、立ち止まってゆっくり考えてみる必要があろう。


「美辞麗句ではなく、皆で知恵を絞ることが大事」
 自民党は選挙の際、農林水産業の所得倍増を掲げた。10年間で第一次産業従事者の所得を、2倍にするという。しかしそれはあくまでも目標であって、実際これをやれば所得が2倍になると断言できる具体的な施策は今のところ無い。

 しかしそうはいっても農業を維持するために、知恵を絞らなければならない。販売に力を入れるよう政策誘導する6次産業化、450万トンの需要が見込める飼料用米への転換、輸出も順調に伸びている日本酒や米粉に加工して需要を見出すこと、これらは確かに可能性のあるアイデアであると思う。効果も期待できる部分もある。しかし問題は、私たち政治家が農家の人とともに問題意識を共有し、ともに知恵を絞ることを怠っていることだと私は思う。

 美辞麗句ではなく、今おかれた農業の深刻な状況を、農家だけでなく国民全体で共有し、ともに農業の未来と国の在り方を考えることこそ今最も必要なことだと思う。
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「痛恨の極み」
 2人の邦人(後藤健二さん、湯川遥菜さん)がISIL(「イスラム国」と称するテロリスト集団)に殺害された事件について、まず故人に対しご冥福を祈るとともに、ご家族に心からのお悔やみを申し上げる。
 殺害された両名と同じ日本人として、テロリスト集団に対し強い憤りを覚えるとともに、テロリスト集団と戦う意思を国家として強く持たなければならないと実感している。


「自己責任と国家責任」
 一連の人質事件の中で、日本国内では「自己責任論」が叫ばれた。確かに外務省の渡航延期勧告や退避勧告を無視して入国したのであるから、あくまでも悪いのはテロリストだが、拘束された責任は本人にもある。まして湯川さんは武器商人としてシリアに入国、後藤さんはその湯川さんを救出するために入国したのであるから、ジャーナリストとして現地取材に行くなどという社会的な目的を持っていたわけでもない。つまり動機が不純だという批判も免れない。
 しかしながら、だからと言って国家は2人を救わなくても良いということにはならない。国家第一の責務は、何があっても国民の生命財産を守ることにあるからだ。


「テロの要求に屈してはならない」
 一方で、今回のように身代金や政治犯の釈放を要求してきた場合、「人命第一」を掲げてそれに応えるべきかどうかの答えは否である。日本政府は難しいことだが、テロリストの要求に応えずに人質を救出することに全力を挙げなければならない。それはテロリストの要求に応えれば、かえってテロを助長し、他の邦人も危険にさらすことになりかねないからだ。
 1977年のダッカハイジャック事件の際、当時の福田赳夫総理が「人命は地球よりも重い」として、出獄希望の6人の日本赤軍メンバーを釈放し、16億円のテロ資金を提供した。しかしそうした対応は国際的非難を浴びただけでなく、事実同年一ヶ月半後に横田めぐみさんが拉致され、それ以降数百人とも言われる日本人が拉致されるテロ事件を引き起こした可能性が指摘されている。日本は人質をとって脅せば要求に応えると思われたからかも知れないのだ。
 そういう意味において、テロの要求に屈しなかった今回の安倍総理の対応は正しかったし、「テロに対し強い憤りを覚える」と表明したことはテロに対する戦いの表明でもあり、評価されるべきだと私は思う。


「湯川遥菜さんのお父さんの思い」
 話は変わるが、湯川遥菜さんのお父さんが、息子が殺害されたと連絡が入った後、取材に応じて「ご迷惑をお掛けして申し訳なかった」と謝罪し、さらに政府などに対し「救出に向けて尽力して頂いた」として感謝の意を示したことが世界で注目を集めた。私としては、息子を失った深い悲しみがあるにもかかわらず冷静に謝罪したお父さんに、お悔やみを申し上げるとともに心からの敬意を抱いた。
 しかし海外、特に中国では「なぜ息子が殺されたのに謝罪し、感謝するのかわからない」という意見が多かったという。それどころか「自分の子どものことより、まず社会に謝罪するとは、日本の全体主義は恐ろしい」といった反応もあったようだ。「韓国人だったら人質の親は絶対にカメラに向かって大統領を罵るだろう」というコメントも紹介されていた。
 日本では個人よりも共同体を重視する。個人よりも家族や、地域、コミュニティ、国家などが優先するというのが日本の常識である。今回の湯川さんの一連の行動は、個人的なものであり、その個人の行動が日本全体を不安に陥れたため、父として謝罪するのは日本の社会常識に則った言動だった。湯川さんのお父さんが取材に応じた後、湯川さんに対し「自己責任」を求めるコメントは激減し、今度は同情論が広がったことなども、中国メディアは紹介していた。
 不謹慎かもしれないが、一連の日本世論の反応は日本の伝統的な精神や価値観を世界に強く示したのではないかと思う。


「重要なのは今後の対応」
 今回のテロ事件を受けて大切なのは、今後どのようにテロリストに向かっていくかということである。
 安倍総理は、17日エジプト・カイロで「『イスラム国』と戦う周辺各国に総額で2億ドル程度支援をお約束します」と、非軍事的分野に限定した人道支援を宣言した。しかし一方で、イスラエルの地元紙「イディオト・アハロノト」(19日付)に「真の友からの提案」と題し寄稿し、その中でイスラエルが推進するユダヤ人入植(住宅)地の建設について「国際社会が国際法違反とみなす」ものだとして、改めて見直しを求めた。つまり日本の中東外交は極めて中立的な立場をとっていると断言できる。従って、今回のテロリストの言動は彼らの勉強不足のなす業であり、許しがたい暴挙であると言わざるを得ない。
 日本では野党やマスコミが、安倍総理がイスラエル訪問をしたからテロが起きたとか、人質救出に自衛隊を投入するとアメリカのようにテロと真っ向から対立することになるとか、あるいは報復を主張すると憎しみの連鎖が始まるという理由で、事実上何もしないのが一番だとする意見が多く散見される。
 しかし私は、そのような意見こそテロを助長する危険性があると思う。日本国としては、国民を一人でも殺害したら、犯人をどこまでも追いかけて行って捕えて罪を償わせるという国家の強い意志が明示されることが必要だと思う。そのことが日本人に対するテロを未然に抑止すると思う。
 日本政府はさっそく国際社会や国際機関と連携し、自衛隊を派遣しテロリスト犯を捕える行動を、法整備も含めて具体的に検討すべきと考える。野放しにされたテロリスト犯は、今後も日本人の殺害を繰り返すことになりかねない。しかし、国家としてそれだけは許してはいけない。


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 新年あけまして、おめでとうございます。昨年は急な選挙もあり、皆様には大変お世話になりました。衷心より感謝申し上げます。今後も更に国や地域のためにしっかり頑張っていく所存でございます。今後とも変わらぬご指導ご鞭撻を心より宜しくお願い申し上げます。

 さて、年末に行われた総選挙ですが、私も含め自民党は291議席を頂きました。これは2年間の自民党による政権運営に対する信任と、何よりも今後への期待だと考えております。従ってこの期待に応えていくことが肝心であり、今後の我々政権与党の責任は非常に重いということを改めて自覚しております。

 私は選挙戦を通じて三つの重要政策を訴えました。一つ目は、まず「景気回復、経済成長」であります。アベノミクスによる景気回復が、全ての国民が実感できるものへとしていかなければなりません。数十年苦しんできたデフレ状態から脱却し、景気を回復、経済を成長させることが、今日本で最も求められていることであります。経済成長こそ、税収増につながり、社会保障費の負担増に対応する唯一の道であり、少子化を解消する大きな力になると私は考えます。

 二つ目は、「地方創生」であります。戦後急速に浸透してきた「個人主義思想」により、家族・地域・国といった日本の伝統的な集合体は、今やその絆を失いつつあります。その上に数十年前から行われてきた「市町村合併」は古くからの地域コミュニティの消滅に拍車をかけてしましました。加えて、あらゆる経済政策が大都市圏にしか大きな効果を出さず、地方は未だ人口減、過疎に苦しんでいます。今こそ地域のアイデアを出し合って、皆が協力し「地方創生」を行わなければならないと考えます。

 三つ目は、「外交力の強化、防衛力の強化」であります。今の日本は大きく変動する国際情勢の中で、岐路に立たされています。アメリカが「世界の警察はもうやめる」と宣言し、一方で中国は太平洋をアメリカと二分しようとする「新大陸間構想」を掲げ軍事力を急速に拡大しています。現実に東アジアにおいて中国は、領土拡大、資源争奪に向け具体的に動いています。そうした緊迫した東アジア情勢の中で、日本はより一層自主的な外交力・防衛力を確立していく必要性に迫られています。また、TPPによる農産品等の関税の問題、原発停止によって顕在化してきている原油価格の問題なども、国の外交力と大きく関わる問題であり、外交や安全保障は今や私達の生活に密接に関わっています。

 古い格言に「勝って兜の緒を締めよ」という言葉があります。戦国大名の一人である北条氏綱の遺言とされるこの言葉は、勝利したからといって気をゆるめず、さらに心を引き締めろという戒めであります。今回選挙で勝利した私もこの言葉の意味を良く考え、先に掲げた三つの重要政策をはじめ、日本が直面する様々な難題に対して今後とも誠心誠意取り組んでいく所存です。

 末筆ながら、今年一年が皆様方にとりまして幸多き一年となりますことを御祈念申し上げ、年頭の御挨拶を兼ねた今後の抱負とさせて頂きます。
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 昨日夜19時、安倍総理が記者会見を行った。増税を延期する理由と解散総選挙に打って出る理由について、自分の言葉で語り、国民に対しわかり易く説明できたと思う。

 内容を簡単に言えば、増税による景気悪化が予想以上で、アベノミクスを成功させてデフレから脱却するためには現段階で消費税を再度引き上げるべきではないという結論に至ったという事である。そしてそのためには再度国民の信任を得たいということだ。それは前の民主党政権が、選挙で掲げたマニフェストを反故にして国民の支持を大きく失ったことに由来する。自民党は前回の2012年総選挙で「三党合意」に基づき、消費税の増税を掲げた。その公約を変えるわけだから、再度選挙が必要だという理屈だ。消費税は他のテーマと異なり、大変重要なテーマなので、国民に再度信任を仰ぐことは理にかなっていると私は思う。

 民主党政権時代、いやそれ以前から財務省は消費税の引き上げを目指してきた。そして今回3%増税の時もありとあらゆる理屈で根回しを行い、消費税の増税に至った。彼らが、消費税を3%上げるとき「ショックを和らげる対策を十分に行うので景気は悪化しない」と言い張ったことを、当時説明を受けた私も鮮明に記憶している。もちろん現実に、彼らが分析した通りにならなかったことは、今回の結果を見れば明らかである。

 正直に言えば、彼らの「財政再建」という目的自体は理解できなくはない。誰だって歳入と歳出のバランスを取ることは当然だという事は理解できる。しかし今回の数字で示されているように、増税した結果GDPがマイナスになり、景気が悪化して税収が減ってしまえば「財政再建」は成功しない。そもそも「デフレ下で増税をすれば必ず景気悪化を招く」という事はかなり前から多くの経済学者が主張していた意見である。私もその説を支持し、最初から増税には反対の立場を取ってきた。従って、今回のGDPマイナスは多くの経済学者が主張していた通りだと言わざるを得ない。つまり財務省の読みは甘かったということだ。

 しかしそれでも財務省は未だに増税を法律通り断行しよう根回しを繰り返している。安倍総理としては「国民の力」を借りなければ、再増税を延期できないと感じただろうと予想がつく。つまり今回の選挙は「財務省対国民」というとらえ方も出来るかも知れない。昨日の記者会見で総理が再増税を1年半後とする期限を設け、更に「景気弾力条項の削除」と「財政再建の旗を降ろさない」ということを明言したのは、そうした財務省、与党の増税派、野党やマスコミなどが「安倍総理は財政再建の旗を降ろした」と批判キャンペーンをやることを封じる意図があると思う。加えて言えば、アベノミクスを1年半後までに成功させデフレから確実に脱却させるという強い決意の表れかも知れない。

 話は変わるが今回総理が総選挙に打って出た大きな理由はもう一つある。来年になれば支持率を下げかねない二つのテーマがあるということだ。それは原発再稼働と集団的自衛権にかかる法改正だ。

 我々は代替エネルギーが無いのにもかかわらず、無責任に原発を止め続けることは出来ない。化石燃料購入に消える毎年5兆円という予算は無駄の極みであり、他国依存のエネルギー・資源政策をとり続けることは日本の安全保障上も良くない。経済成長を支えるために安定して安価なエネルギーを供給する体制を整えることは、今の政府・与党にとって喫緊かつ重要な責務である。従って来年は、世界で最も厳しい安全基準を満たした、つまり「3・11」が再び起こったとしてもびくともしない原発のみに限って稼働させる必要があるだろう。

 また集団的自衛権にかかる法改正に関しても同様の事が言える。我が国の尖閣諸島周辺、フィリピン近海、ヴェトナム近海における中国の領海侵犯、資源強奪などを見ると、協力して中国を抑止するための集団的自衛権を含めた法整備が必要不可欠である。中国を抑止し、東アジアの安全、安定を確保することも、年明けの日本政府・与党に課せられた喫緊の課題である。

 しかし、多くのマスコミは原発再稼働にしても集団的自衛権にかかる法改正にしても、こうした政府の立場に立たず、反対意見ばかりを報道し続けるだろう。そして国民はそうした繰り返される反安倍政権の報道を見て、少なくない影響を受ける可能性が高い。そうなれば内閣支持率、政党支持率は低下し、安倍政権もどんどん追い込まれていく可能性がある。

 それならば、支持率がまだ高い現段階で衆議院を解散し総選挙に打って出た方が良いと考えるのは当然なことだ。議員は議員であり続けることが目的ではない。議員になって自分の目的を達成することが最も大切なことだ。目的とは、一言で言えば「日本国民の安全と繁栄」である。私もそのことを肝に銘じて、今度の総選挙へ臨もうと思う。
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