(阿川)おはようございます。
阿川佐和子です。
今日のゲストはなんとデビュー35周年を迎えられた…でももうそんな年だっけ?ってちょっとびっくりしちゃって。
大きな声では言えないんですけど51歳になられたというあの近藤真彦さんにおいでいただいております。
おはようございます。
どうもはじめまして。
どうも。
すみませんしつこく言うようですけど…。
はい51歳ですね。
お見受けしませんが。
いやいやもう十分やっぱり傷んできてます。
どこ?どこら辺?どこら辺が傷んでますか?これ真面目な話になっちゃうんですけど僕レーサーをちょっとやってた時代があってその…若い頃なんですけどね。
でやっぱそのころに何回かクラッシュしてるんですよ。
あっやっぱり…。
首の付け根とか…若い頃はそれでも痛くないんですけど。
ええ〜最近首がちょっと痛くなったりとか。
だんだん出てくるんですか?そう出てくるんです弱ってきて。
で先生に相談したら「しょうがないですねお年ですから」って。
あははっ!
(ナレーション)今日のゲストは…。
分かんないからできない!15歳のときドラマ「3年B組金八先生」の生徒役で芸能界デビュー。
・Babyスニーカーぶる〜すデビュー曲「スニーカーぶる〜す」がいきなりオリコン1位に!その後もヒット曲を連発し…。
翌年「ギンギラギンにさりげなく」で日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞。
トップアイドルへと駆け上がりました。
そして…。
(司会者)近藤真彦さんが歌われた「愚か者」に決定いたしました。
23歳のとき「愚か者」で日本レコード大賞を受賞。
・愚か者よ押しも押されもせぬ国民的スターに。
しかし…。
その後突然レースの世界へ。
実はそこには複雑な思いがありました。
レースの世界に…。
なんかこうああ…。
そうそうそう。
前は嫌だったんですけどね。
今日は近藤真彦さんが迷いながらも着実に上ってきた大人への階段をサワコに語ります。
35周年。
はい。
ねえ。
35年僕もたないと思ってましたけどね。
ええ〜!?そんなしみじみ。
15歳でデビュー?15歳で「金八先生」に出て16歳で歌を出しました。
「スニーカーぶる〜す」は16歳。
はい。
だからまあそのころはやんちゃだったし。
うんうん。
まああまり評判よくなかったですね僕ね。
なんで?どこに評判が悪かったんですか?いや大人たちに。
「スニーカーぶる〜す」が大ヒットしました。
そうするとどんな子供でもやっぱ調子に乗っちゃうんですね。
やっぱ調子に乗っちゃった。
調子に乗ってましたたぶん。
あははっ。
でまあ大人たちが困るようなことを恐らくね。
「あっち行っちゃ駄目だよ」っていうところに行ってたと思いますし。
ええ〜「こんなスケジュールだよ」って言うと「それは嫌だ」と言ってしまったりね。
うちの社長のジャニーさんが「もうほんとにYouは…」。
「Youは」ね。
「Youはもう来年いないから。
3か月しかもたないから」とか脅かされてましたんで。
うん…35年なんて想像もできなかったですね。
あははっ!先輩がいなかったですから。
えっ先輩って私にとってはジャニーズとかフォーリーブスとか。
いやジャニーズが全盛期の頃僕まだ小学校上がってるか上がってないかぐらいですからね。
そうですね。
郷ひろみさんは?郷ひろみさんはもうもちろん僕がジャニーズ事務所入ったときにはジャニーズ事務所じゃなかったです。
あっもうそうか独立してらっしゃったから…。
あっいない!?誰もいなかったです。
まあいたんですけどもたぶんご存じないと思います。
川崎麻世って知ってます?うんうん。
はい知ってますよ。
(スタッフ)あははっ!一応知ってます。
知ってます?あははっ!あの方一人でしたから。
あっあの人一人?あの人一人です。
であの人も今より有名じゃなかったですから。
ああ〜。
今有名ですよね川崎麻世。
有名になってきたけども。
別の意味で有名になったからね。
そうなんですよ。
ただすごく僕仲いいんですよ。
1つ年上なんですけど。
へえ〜1つ違いですか?はい。
でもそのさっきおっしゃったやんちゃ盛りっていうか。
だってTBSのそれこそ「ザ・ベストテン」に毎週のように出てた時代もおありだったでしょ?はい。
ああいうの出てるときは楽しかったんですか?面倒くせぇとか思ってた?いや出てるときはあの〜まだ子供なんで今日何位かな?とか5位かな?4位かな3位かな?って。
「今日何位なの?」「いや5位です」「誰だ!?1位」とかって言ってね。
あははっ!あははっ!「誰だ!?1位」とか。
「誰だ!?1位」。
「誰なんだよ」「いや沢田研二さんです」「それはしょうがないだろう」。
あははっ!
(夫)ごちそうさん。
(妻)はいありがとう。
結構残ったね。
(でんきやさん)よいしょ。
いっせーのよいしょ。
《冷蔵庫ってコンセント挿してから中が冷えるまで時間かかりますよね》《だから事前に了解を頂いたお客さまには前もって冷やしてお届けしてます》いや〜ホント冷えてるとすごい助かるよこれ。
《ほんの少しの時間でもお客さまに不便な思いをさせたくないなっていうのが一番の思いです》はよ済んでよかったわ。
ありがとうございます。
近藤さんの思い出の曲を一曲ご紹介いただきたいんですが。
なんか音楽だけはませてまして。
じゃあちっちゃい頃から音楽は好きだったんですか?友達の影響だったんですね音楽…音楽好きの友達の影響で。
そのころあの〜ビリー・ジョエルとかハードロックのKISS。
あっKISSはい。
で僕が好きだったのはその中でちょっとアイドルっぽいんですけどベイ・シティ・ローラーズっていうタータンチェックのグループだったんですけど。
すごく好きで部屋にポスター貼ってたりとか。
へえ〜。
ええ。
それでなんかそのときに友達とベイ・シティ・ローラーズのレコードを聴きながら…。
まだレコードの時代ですよね?レコードですもちろん。
なんか「あの子かわいいね」とか「あの子にバレンタインのチョコもらったんだよ」とかちょっとそういう感じの甘酸っぱい話をしてた思い出がベイ・シティ・ローラーズの曲を今聴くと思い出しますね。
う〜ん懐かしいな〜。
懐かしい?はい。
それでつきあったり告白したり告白されたりとかいうことは…。
あのね中学2〜3年の頃にいましたよ1人だけ。
ただそれは中学2年3年なんで手をつないだかつながないかぐらいな感じでしたよはい。
手をつなぐだけで体中に電線の時代でしょ?そうですねええ。
今でもそうですけど。
あっええ〜!?あははっ!もともとでもその15歳のときは野球やってらっしゃったんですか?地元で。
はい。
そのマッチ少年に突然ジャニーズ事務所に入るという運命が待ち構えていたわけですね。
そうですね。
これが野球をやってた監督さんのお嬢様がジャニーズJr.募集の記事を読んでそれで誰か送ろうと思ったんでしょうねきっと。
ふふっ。
で近所にそんな子はいないかなと思ってあっパパが野球の監督をやってるから…。
そこに少年がいっぱいいる…。
野球の少年を…写真があると。
で見たんですねきっとね彼女。
僕後から知ったんですよ送ったっていうのを。
それで見てあっこの子がいいんじゃないかなって思ったのがたまたま僕だったんですよ。
ほう〜。
で僕の全身ですよ全身の写真でバットかついで野球帽をかぶってるんですよ。
なんか分からないけどそのおねえさんはその写真を送ったんですジャニーズ事務所に。
野球帽で立ってる…。
でうちのジャニーさんが見ていって履歴書を見ていってパッパッパッ…ん?と思ったのがまたたまたま僕だった。
偶然だったんですよ。
へえ〜!今ジャニーズ事務所に送られてくるような履歴書もうメイクしてスタジオで撮って下手すりゃちょっと修正してるぐらいの…。
ええ〜!?ほんとにそういう…そういう写真なんですよ。
へえ〜。
僕今ジャニーさんにも言われるんだけど「顔のこんなちっちゃい写真から僕はYouを探したんだから大したもんでしょ」って言うからそれはもう感謝しておりますと。
「ところでYouあの履歴書持ってない?」って言われたんですよ。
俺が持ってるわけないじゃないですか。
あははっ!
(スタッフ)あははっ!へえ〜。
そう。
でもそれでジャニーズJr.に入ってまず抵抗はなかったんですか?それはなかったです。
っていうかもともとジャニーズJr.知らなかったんですよ。
でジャニーズ事務所もそんなに有名じゃなかったんです。
今ほどはね。
今ほどは。
ただその当時学園ドラマみたいなのがはやってたんですね。
学校行っちゃあ前の日あれ見たこれ見たっていう学園ドラマの話をしてましたね。
それでジャニーズ事務所から連絡があって学園ドラマのオーディションがあるから来ないかと。
で1週間後ぐらいにジャニーズ事務所から電話がかかってきて「あなたは合格されました」と。
ほう。
「えっ!?」。
もう家族中ちょっと大騒ぎになりまして。
ってことはテレビに出るってことか。
レギュラーか?って話になって。
ふふふっ!しかも学園ドラマ…あの憧れの学園ドラマの生徒役だぞって。
でもそれが人生初のドラマ…。
もちろんです。
テレビも初ですね。
演技…。
演技も初です。
演技なんてやったことないですから。
まあまあ…こういうスタジオでやるじゃないですか。
で武田鉄矢さんがまた長いセリフを覚えてきてで一発で撮るわけですよ何ページものセリフをね。
それをカメラがずっとこうついてくるじゃないですか。
生徒の表情を撮りにこう…。
1人ずつをね。
1人ずつこう撮ってきて。
で僕はその〜素人なんでカメラの赤いタリーが気になっちゃうわけですよ。
タリーがパッと俺のとこでつくとあっ俺映ってるのかなと思ってこうやってカメラ見ちゃうの。
あははっ!そうすると武田鉄矢さんがず〜っと言ってたセリフのいちばん最後の最後に…ってやると…俺「清」っていう役名だったんですけどその上から…サブから「ばかやろう清!カメラ見るんじゃねぇ!」とかって怒られて。
「武田さんすみません!もう一回頭からお願いします」って言って。
よく怒られました僕。
清のせいで頭から…。
カメラ目線の生徒。
あははっ!
(ナレーター)かけがえのない暮らしを守るために。
パナソニックは水と太陽光といった自然エネルギーから生み出した水素を使い効率的に発電する技術の研究・開発を進めています。
自然の力を活かしたクリーンなエネルギーでつくる次の社会へもう動き始めています。
(でんきやさん)こんにちは〜。
《オーブンレンジってあっためるだけじゃもったいないんで》ご主人せっかくなんで。
《なので私は食材や調味料を持って行って一緒にお料理を作りながら使い方の説明をしてるんです》
(夫)2のほうね。
はいそうですね。
早いですね覚えるの。
(妻)あっジュージュー鳴ってる。
《電化製品買ってそれでなんか幸せな暮らしができればいいなって。
そういうお手伝いをしたいです》レンジが全部やってくれたんで簡単だったです。
簡単でした?あっよかった〜。
たのきんトリオで田原俊彦さんと野村義男さんと三人でしょ?たのきんトリオを結成して…。
結成っていうかねなんか人気が出たんですよ。
でその三人なんでせっかくだからと言ってこの…「悪がきトリオ」とか「三人なんとかトリオ」とか言われてたんですよ。
でそれをまあ名前を付けようじゃないかっていうので募集したのが田原の「た」野村の「の」近藤の「近」の「きん」「たのきん」っていう。
ああ〜。
田原野村近藤の「たのきん」なんだ。
それはまあひらがなだったんですけどね。
それを聞いたときどう思ったんですか?変な名前だなと思いましたよそりゃ。
でも変な名前だなと思ったんだけどその当時「いやこれが格好よくなるんだよ」って言われましたからね。
「人気が出てもうアイドルになったらこれが格好よくなるんだよ」って言われてまあたのきん…まあそれでも1〜2年ぐらいだったですよ。
あの〜田原俊彦さんに対してはライバル意識ってあったんですか?まああの〜寮に一緒にいたんで。
二人とも寮に…野村さんも?野村君は東京出身なんで通いだったんですよ。
で…俊ちゃんと僕は寮にいたんで逆に言うと僕の実の弟よりも長く生活してるんですよ。
はあ〜。
本物の兄弟のように…。
そう。
ライバルとかライバルじゃないとかって…なんかその〜世間は恐らくちょっとライバルに仕向けたかった感じ…。
ちょっとでもタイプ違うでしょ。
うん…。
まあでも本人同士はなんのあれもないですねうん。
ケンカしたりっていうことは…。
ないです。
全然ないです。
4つも離れてるんで。
向こう4つ上ですから。
あっそうだったんですね。
それでずっともう歌って歌手やっててあるときにレーサーになった…。
そうですね。
トップアイドルとして目まぐるしい日々を送っていた近藤さんですが…。
23歳のときそこにはある複雑な思いがありました。
これは何がきっかけだったんですか?僕あの〜「日産自動車」の車のコマーシャルをやっててその車のお披露目会を富士スピードウェイでやったんです。
おお〜!ほんとに速く走られるレーサーはこの人ですって呼んでいただいたのが今はもう引退されたんですけど日本一速いって言われた星野一義さんっていうレーサーだったんです。
でその人の助手席に乗って富士スピードウェイを走ったときになんだ?この世界は!って思ったんですね。
へえ〜。
それでちょっと刺激を受けまして。
それがたぶん22〜23ぐらいですかね。
でもその22歳でまあレースの世界に興味を持ったとはいえ芸能生活っていうか歌手生活の方はどうしようと思ってたんですか?そのとき。
もう頭になかったですねもうこっちが忙しくて。
こっちは興味なくなってた?なくなってました。
あの〜なくなってたと同時にやっぱりその…「ギンギラギンにさりげなく」の時代よりもなんかもう「ギンギラギンにさりげなく」とかあの時代がやっぱりこう山の頂上でやっぱり少しずつこう下りていかなきゃいけない時代だったと思うんですよね。
だからんん…そこでレーサーになるからっていう話じゃなかったんですけど…。
でもちょっと逃げましたねレース界に。
レースの世界に。
ちょっとこっちのなんかこう下山してる自分が見たくなくて。
はあ〜。
その当時はまだ25〜26だと曲は出したらヒットさせなきゃいけないっていう気持ちがすごくあってだからそれがちょっと疲れちゃってたんですかね。
もちろんあの〜自分がこんだけレースの方にいて芸能の世界に戻ってパッと自分のシートがあるとは思ってなかったですちゃんと。
諦めてましたもん。
もう戻れないだろうと。
戻れないかもしれないと…。
事務所をやめるっていう話はなかったんですか?やめる話はなかったです。
やめるとは言ってないし向こうからもやめろとも言われなかったんで。
やめたいって気持ちも…。
うん。
やっぱりあの…サーキット行ってつらい予選をやったあとシャワーバッと浴びてテレビバッとつけると輝かしい後輩たちが出て歌って。
ジャニーズの。
ジャニーズの。
それはやっぱり見れない時期ありましたね嫌で。
悔しい?悔しいというかんん…ちょっと嫌で見れなかったですね。
誰々がそのころあれでした?誰かなぁ?覚えてないな〜。
SMAPとかそのSMAPの前ぐらいだったと思いますけどね。
そういうの見てなんか複雑な気持ちでしたね。
まあすぐ消しちゃいましたけど。
ちょっと寂しさがあったとか。
うんありましたね。
30ちょっと過ぎた頃にどこ行ってもやっぱり「あっあのギンギラギンのマッチだ」って言われることに対してちょっとやっぱり抵抗はある時期がありましたね。
もううるさいと。
そう。
もう30の俺つかまえて「マッチ」とか「ギンギラ」って言ってんじゃねぇよって思ってた時代がやっぱありましたよ。
うん…今はもう51ですけど「ギンギラのマッチ」って言われると僕ギラッとしますからね。
「ギラッと」って何?いや何年…何年このあとギンギラのマッチでいられるか!みたいな。
あははっ!そっちの挑戦に入ってるんですか!そうそうそう。
前は嫌だったんですけどね。
そこ乗り越える時期というのがあったんですね。
ありましたね。
ただここ…んん〜2〜3年もっとそういう気持ちになりましたね。
たのきんトリオの頃と比べれば大人になっちゃって。
そうですね。
でもやっぱりそういう経験を積んだっていうことがレースの仕事をしつつまた35周年の歌を出し歌手としても…。
まあ伊集院さんの曲で言うとほんとに「愚か者」なんていうのは…。
あれだって難しい…。
難しいですね。
金と銀の杯がどうしたこうしたとか。
あははっ!そう。
今でもコンサートツアーやったりとかすると「愚か者」歌うとやっとなんかこう「愚か者」歌えてきたかなって思えますね。
年相応の意味が肌についてきたっていう感じ。
気持ちも仕事に対する意識も変わってくるっていうのはありますか?それは変わります。
あの〜いい曲だったらいいっていう方が強くなりましたね。
コンサートでも言ったことがある。
こうたくさんのお客さんの前で「俺スーパーヒットいらないから」ってMCで。
「ただいい曲歌い続けていくよ。
どうしてか分かる?俺もうヒット曲いっぱいあるから」。
あははっ!「俺は何が武器かって俺のヒット曲1曲や2曲じゃないよ。
すごいいっぱいあるんだよ」ってお客さんに言ったらお客さんに「私たちがヒットさせたんだ」って言われた。
(一同)あははっ!すごいでしょ?返してきたの?返したきた。
もう謝るしか…「あっどうもすみません。
確かにそのとおりです」と。
あははっ!当時伊集院さんとは会ってたんですか?会ってましたよ伊集院さんとは。
定期的に会ってましたね。
でも伊集院さんもどっかもうちょっとずっと年は離れてるけども近藤さんに興味を持ったんじゃないですか?じゃなきゃ作れないでしょ。
そうだとすごくありがたいですね。
曲はもちろん提供してもらうことはすごくあったんですけどもなんかこういいタイミングで連絡を頂いたりしてじゃあちょっと飯でも行きましょうかなんて話になって行くとちょうどああ〜どうしようかな結婚しようかなどうしようかって悩んでるときだったりとかするんですよ。
ほう。
結婚の悩み事だったちょっと…。
反対だったんですよみんな…。
反対されてたんですか?特に向こうのご家族からちょっと反対されてたんですよ。
やんちゃなマッチしか知らないんで。
(スタッフ)あははっ!やんちゃなマッチに嫁に出すために育てたわけじゃないと。
ええ〜そんなこと言われて…。
ええまあそういう感じでしたね。
「そうなんですよ伊集院さん。
反対されてるんですよ」「ああそうかまあしょうがねぇなそういうもんだよ」と。
まあでもたたき続けなさいと扉を。
そうすればいつか開きますからみたいな話で飲むわけですよ。
兄貴だね〜ほんとに。
兄貴なんですよ。
ほんと兄貴なんですよ。
じゃあちょくちょくそういう…。
場面場面でありますかねうん。
まあこの場で言えることはそのぐらいですけどね。
あははっ!
(スタッフ)あははっ!言えないことの方が多くて。
(一同)あははっ!ええ。
それではもう一曲選んでいただいてる今元気にしてくれる曲というのは…。
もうね僕年に2本ぐらいトライアスロンやってるんですよ。
ああ〜トライアスロンもやってるんですってね。
はい。
そのトライアスロンの練習ガンガンガンガン行くんですけどそのとき友達に作ってもらったあの…メドレーがいっぱいあるんですけどそれを聴きながら練習をする。
へえ〜。
その中にやっぱりコテコテで申し訳ないけど「ロッキーのテーマ」。
あははっ!分かりやすい。
分かりやすい。
いやあの音楽はよくできてますね。
もうヘロヘロになってつらいときに「・チャララ〜」って流れてくるとちょっと力が湧くんですよね。
もうちょっと頑張ってみようかなっていう気持ちになるんですか。
もうまさしく…まさしくあの〜今のこのあれですよ僕も…。
「僕も」?まったく走って…ああやって走ってますからね。
これ聴きながら?ええ。
だいたい今ツアー行ったりとかしてても必ずジョギングしなきゃいけない格好とスイミングプールの格好は必ず持っていきますね。
ジョギングシューズと。
はい。
昔はツアーのとき自転車で行きましたよ。
えっ?1日間があるとみんなあの〜移動をバスでしたりとかするんですけど「僕自転車でいいですから」って。
一人で?そうですね。
どのぐらいですかね…200キロ近く。
200キロぐらい7時間ぐらいかけて。
これは後輩に憧れられるのも無理ないですね。
いやいや…。
そんなことないです。
もう後輩はまねしてほしくないです僕の。
仲いいのは誰なんですか?ついていきます!みたいな。
いやもうみんな仲いいですよ後輩は。
ただやっぱり東山はいちばん年が近いんで東山とはやっぱり多少話が合いますね。
でも久しぶりに会うとんん…後輩も年取ったなと思いますよ。
あははっ!いやほんとに。
ああそう?うん。
年取ったなっていうよりうん…やっぱり頼もしいなとかしっかりしてるなって思うようになりましたね。
はあ〜。
今後も…。
豪華なゲストが続々登場します。
お楽しみに!2015/12/05(土) 07:30〜08:00
MBS毎日放送
サワコの朝[字][解]【近藤真彦▽今もギンギラギン】
ゲスト・近藤真彦/歌手▽アイドル・マッチ誕生から35年…長い芸能生活での本音が今、明かされる!阿川佐和子がゲストの意外な側面や表情を引き出します。
詳細情報
番組内容
ゲストは、デビュー35周年を迎えた歌手の近藤真彦さん。15歳の時にドラマ『3年B組 金八先生』の生徒役で芸能界デビュー。翌年「スニーカーぶる〜す」で歌手デビューした近藤さんは「ギンギラギンにさりげなく」で日本レコード大賞最優秀新人賞、「愚か者」で同レコード大賞を受賞。ヒット曲を連発し、アイドルとして不動の地位を手にいれました。しかし、その人気絶頂期にスポーツカーレースの世界へ本格参戦を決断。
番組内容2
アイドルとレーサー、2足のわらじを履き歩み始めた。近藤さんが、当時抱いていた胸中を打ち明けます。
デビュー曲の大ヒットから自らを調子に乗っていたと省みる近藤さん。ジャニー喜多川社長から「YOUは来年(芸能界に)いない」とたしなめられていましたが、今やジャニーズ事務所を牽引しています。迷い、悩みながらもギンギラギンに輝き続けた35年の芸能生活を阿川と紐解いていきます。
出演者
【司会】
阿川佐和子
【ゲスト】
近藤真彦(歌手)
1964年、神奈川県生まれ。
1979年、TBS『3年B組金八先生』でデビュー。
1980年、「スニーカーぶる〜す」で歌手デビュー。翌年には「ギンギラギンにさりげなく」で日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞。
1987年、「愚か者」で日本レコード大賞の大賞を受賞。
1988年、レーサーとして「全日本F3選手権」に初参戦。
出演者2
2000年、レーシングチーム「KONDO Racing」を設立。
2010年、「ざんばら」で日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞。
音楽
【番組テーマ曲】
「Tea for Two(二人でお茶を)」歌:ドリス・デイ
お知らせ
【解説放送あり】
制作
【製作】MBS TBS
【制作協力】TBSビジョン
おことわり
番組の内容と放送時間は、変更になる場合があります。
ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
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