ファミリーヒストリー▽中川翔子〜近代化に賭けた先祖 お台場建設とクラークの教え 2015.12.04


レインボーブリッジの真下を通り船で向かったのは東京湾に浮かぶ人工の島…造られたのは今から160年前の幕末。
ペリーの黒船来航をきっかけに外国船の侵入を防ぐため砲台が設置されました。
海を埋め立て強固な石垣を築く難工事を僅か1年で完成させました。
実はこの台場の建設工事にはある女性タレントの先祖が関わっています。
本人はこの事実を知りません。
男と東京両方手に入ってしもたわ。
女優歌手声優などマルチな活躍をしています。
「しょこたん」の愛称で親しまれています。
日常を赤裸々につづったブログも人気で常に話題を集めています。
よろしくお願いいたします。
そんな翔子さんですがこれまで自らのルーツを知る機会がありませんでした。
番組では翔子さんに代わり家族の歴史を追いました。
浮かび上がってきたのは幕末の動乱を生き抜いた先祖弥十郎。
共に仕事をしたのがあの歴史上の人物でした。
そして高祖父一隆は…何度も映画化された…その出版を手がけたのが祖父でした。
そして夫が亡くなり…娘のためどんな困難にも立ち向かいました。
中川翔子さんは自らのルーツと初めて向き合う事になります。
(取材者)いかがですか?6年前中川翔子さんは母と北海道を旅行した時思いがけない事実を知りました。
北海道でサケのふ化事業を始めたのが母方の4代前の高祖父一隆だというのです。
生まれも育ちも東京の翔子さん。
なぜ北海道に先祖がいたのか全く分からないといいます。
手がかりを求め向かったのは…ここに翔子さんの先祖に関する貴重な資料が保管されている事が分かりました。
江戸時代から!幕末から明治にかけて書かれたものです。
平野弥十郎は翔子さんの5代前の先祖。
サケのふ化事業を始めた高祖父一隆の父に当たります。
実はこの2人北海道の近代化のために多大な貢献をした親子でした。
この日記を手がかりに翔子さんの母方のルーツ平野弥十郎からたどっていきます。
時は文政6年1823年の江戸の町。
弥十郎は浅草の福井町で雪駄の卸問屋に生まれました。
店を継いだ弥十郎は周囲が驚くほどの商才を見せます。
質の落ちる商品を大量に仕入れて安売りし大もうけします。
それから10年後の…日記にこんな記述があるこの年。
「土佐国漁師万次郎アメリカより帰る」。
弥十郎は大きな転機を迎えます。
「鑑札受け土工請負人となる」。
繁盛していた店を畳み土木工事の請負業に転身したのです。
江戸の歴史に詳しい…更にその翌年日本を揺るがす大事件が起きます。
「上を下へと争動す何事成りと聞くに今日外国の黒船下田沖に見えし」。
ペリー率いる黒船が来航したのです。
江戸幕府は外国船の再来に備え東京湾の品川や横浜に砲台を備えた防御基地台場を造る計画を立てます。
横浜市に今も残る…周辺の海が埋め立てられ陸続きになっています。
郷土史に詳しい…更にこの台場の建設にはある歴史上の人物が関わっていました。
その男の名は勝麟太郎。
江戸城無血開城の立て役者となった…勝海舟が台場の設計者平野弥十郎が現場の責任者でした。
「勝麟太郎はしばしば見聞に参られそのつど毎我に詳細に教示有りたり」。
工期は1年。
弥十郎は延べ30万もの人夫をまとめあげ台場を完成させました。
品川から程近い第一京浜八ツ山橋。
ここですね。
明治2年弥十郎が請け負ったのが日本初の鉄道を開通させるためここにあった山を切り崩す工事でした。
そして工事で出た土砂を使って海を埋め立て新たな線路を建設しました。
ところがこのころ海の向こうで日本への進出を虎視眈々と狙う国がありました。
それが北の大国ロシア。
そこで明治政府はロシアの脅威に対抗するため北海道の開発を急ぎます。
当時の北海道の中心は…しかし北海道の南の端に位置していたためロシアへの防備にも開拓にも不向きでした。
そのため中心地を札幌にうつし北海道全土の開拓を進めようとしたのです。
陸路と海路でつなぐ全長220キロの札幌本道計画が打ち出されます。
この工事の責任者として白羽の矢が立ったのが弥十郎でした。
当時49歳。
未開の地を切り開くという前代未聞の大工事に胸を躍らせます。
ところが妻富は反対。
この時の富の言葉が残されています。
それでも弥十郎は家族を東京に残し一人北海道に向かう事を決意します。
弥十郎率いる人夫など500人を乗せた軍艦東京丸は品川から函館に向かいました。
しかし出航から3日目。
函館まであと僅かの海上にさしかかった時の事です。
船は霧に包まれ針路を見失います。
そして座礁したのです。
「舟はめきめきめきと鳴渡り地震のようであり食堂の姿見鏡はみぢんに破れた」。
「このままでは沈没する」。
混乱する船内で弥十郎は一か八かの行動に出ます。
霧で視界が閉ざされる中小舟に乗り込みいてつく海をこぎ出しました。
運よく岸にたどりつくと近くの漁村に救助を求めます。
そして沈没寸前全員が地元の漁船に助けられたのです。
弥十郎は工事に取りかかります。
そうです。
この時明治政府はある写真家に工事の撮影を依頼しました。
当時函館で活躍していた…土方歳三のこの写真を撮った事でも知られています。
工事開始の記念写真。
左端に立ち人夫たちをまとめているのが弥十郎かと思われます。
工事ができるのは3月から10月の間だけ。
2年かけて完成させる計画でした。
森を切り開き巨大な岩は火薬で爆破しながら工事を進めました。
「もともと人家が少ない僻地ゆえにテントを張って寝起きした。
雨水で布団や衣服を水に浸し飲み水が不足すれば汚水を飲むこともしばしばだった」。
明治6年札幌本道が完成します。
記念にこんなものまで販売されました。
道の途中にある地名が紹介されています。
平野弥十郎を研究してきた…弥十郎は札幌本道の完成後も新たな道路建設に関わりました。
弥十郎の奮闘によって北海道の開拓は加速していったのです。
ああもう…幕末から明治にかけて活躍した弥十郎。
その四男が翔子さんの高祖父でさけのふ化事業を始めた伊藤一隆です。
14歳の時曽祖父の姓だった伊藤を名乗るようになります。
翔子さんは高祖父一隆の事をどこまで知っているのか。
明治4年父・弥十郎が北海道へ行く事が決まった年。
一隆は東京・芝増上寺の境内にあったある学校に入学します。
あそこですね。
開拓使仮学校。
この学校は北海道開拓のリーダーを育てるため新政府が設立しました。
ゆくゆくは北海道に移される予定でした。
一隆は父の影響もあり北海道に興味を抱きます。
成績優秀だったため最年少の13歳で入学を許されました。
当時の入学願書が残されていました。
一隆と弥十郎の名前が…。
そして明治8年開拓使仮学校は札幌に移されます。
父の弥十郎が札幌本道を造った事で札幌は急速に発展。
開拓使仮学校はその後札幌農学校となります。
現在の北海道大学です。
一隆は厳しい試験をくぐり抜け第一期生となります。
入学できたのは僅か16人の狭き門でした。
そこに一人のアメリカ人教師がやって来ます。
教師の名はウィリアム・スミス・クラーク。
アメリカの進んだ農業を教えるため明治政府に雇われ来日しました。
家畜の飼育法や牧草の育て方など近代農業の基礎を8か月間にわたって教えました。
一隆はクラークから学問以外にも大きな影響を受けます。
キリスト教の洗礼を受けた時立会人になったのが敬けんなクリスチャンでもあったクラークでした。
クラークはこの時の事をこう語っています。
クラークとの8か月間があっという間に過ぎていきました。
クラークが札幌農学校を去る日。
一隆たち教え子は馬に乗り途中までクラークを見送りました。
そして別れの時クラークがあの言葉を残したのです。
一隆は後にこの時の事を娘に語っています。
「クラーク博士は日ごろ学生たちに人間の小さな野心や名誉心などに捕われず私利私欲をわすれて何か人類に貢献するような高い目標大きな志を抱けといっておられたのであの時『ボーイズ・ビイ・アンビシャス』といい残された」。
クラークの教えを胸に一隆は学問に励みます。
そしてクリスチャンとしての自覚を深めていきます。
恩師クラークを見習って酒もやめました。
後に「北海禁酒会」という組織を立ち上げています。
クラークが去ったあとに札幌農学校に入学したのが五千円札に描かれた教育者…そしてキリスト教の思想家として活躍した内村鑑三もいました。
内村は一隆の親友になります。
そもそも内村がキリスト教に改宗したのも先輩である一隆の勧めでした。
明治13年札幌農学校を卒業した一隆は北海道の開拓を担当する行政機関開拓使で働き始めます。
与えられた仕事は北海道の水産業を発展させる事でした。
当時北海道ではサケの乱獲が問題になっていました。
川で簡単にとれるサケは貴重なたんぱく源として漁獲量が急拡大。
更に缶詰にされ本州にも出荷されていました。
北海道の漁業の歴史に詳しい…明治19年一隆は視察のためアメリカに向かいます。
そこで目の当たりにしたのが日本ではまだ成功していなかったサケの大規模ふ化放流事業でした。
よろしくお願いいたします。
当時の一隆の報告書が残されています。
このようになってます。
「米国水産取調書北海道庁五等技師伊藤一隆著述」と。
1年間に及ぶアメリカ視察で学んだ最新の技術を直筆のスケッチを添えて報告しました。
卵に直接精子をかけるという方法。
そして帰国した一隆はサケのふ化場の建設に取りかかります。
探し当てた場所が千歳川の上流でした。
こちらです。
13トン!はい。
今年で128年。
現在も当時と同じ手順で採卵作業が行われています。
ところがその後一隆は水産業に関わる仕事をやめてしまいます。
全く畑違いの石油会社に転職しました。
お雇い外国人だったアメリカ人技術者エドウィン・ダンの誘いでした。
当時のエネルギーの中心は石炭。
しかし一隆は近い将来石油が中心になると考えたのです。
決断する時の一隆の信条が残されています。
明治45年一隆はアメリカからロータリー式掘削機を導入します。
すると2年後秋田黒川油田の大噴油につながりました。
一隆は63歳まで石油会社で働きました。
石油の歴史を展示する…一隆が書いた「日本石油史」。
秋田黒川油田の成功に至る過程をつづっています。
「黒川大噴油によりて本書の筆をおくを得たるは編者の光栄とし又愉快とする所なり」。
水産業石油業と次々と新たな事に挑戦をした一隆。
昭和4年71歳で亡くなります。
その葬儀で弔辞を述べたのが親友内村鑑三でした。
ハァ…。
伊藤一隆は妻トミとの間に9人の子供に恵まれます。
ちなみに次女のケイは女性ミステリー作家でもあり「若草物語」や「あしながおじさん」を翻訳した松本恵子です。
アイの孫で翔子さんのおばに当たる大束愛子さん。
アイが描いた絵を大切に保管しています。
アイは幼い頃から父一隆が絵を描く姿をよく見ていたといいます。
そんなアイが結婚し長女として生まれたのが…太平洋戦争中の昭和19年。
21歳になった栄子は見合いで小笠原好彦と結婚。
戦後すぐ好彦は出版社を立ち上げます。
その名は…早稲田大学時代からの知り合い丹羽文雄や火野葦平にも執筆を依頼しました。
昭和22年好彦は田村泰次郎の小説「肉体の門」を出版します。
戦後の東京でたくましく生きる娼婦たちの姿を描き何度も映画化されました。
大成功を収めた好彦は中野に100坪の家を購入。
しかし順調な暮らしは長くは続きませんでした。
「肉体の門」のヒットから僅か半年後出版社は倒産します。
無理な経営拡大で資金繰りに窮し多額の借金を抱えたのです。
そんな中家族を支えたのが妻の栄子でした。
家の一部を下宿に改装。
更に貸本屋も始めます。
昭和28年次女が生まれます。
桂子は母がどんなに大変な時でも笑顔を絶やさなかった事を覚えています。
桂子はその後母に負担をかけたくないと飲食店で働き始めます。
それから4年後店に一人の男性がやって来ます。
9歳年下で歌手デビューを控えていました。
2人はすぐにひかれ合います。
そして出会いから5年後結婚。
翌年女の子が生まれます。
勝彦がテレビに出演するようになると家族と一緒に過ごす時間が減っていきます。
ところが平成4年勝彦が突然病に倒れます。
急性の白血病でした。
それから僅か2年後勝彦は亡くなります。
32歳の若さでした。
この時翔子はまだ9歳でした。
そんな母の愛を一身に受け翔子は絵や歌が得意な少女に成長していきます。
そして高校生の時ある雑誌のオーディションに応募しグランプリを受賞。
芸能界にデビューするとアニメソングを歌ったりコスプレを披露するなど新ジャンルを次々と開拓。
個性的なキャラクターで多くのファンを魅了します。
そして2007年には「紅白歌合戦」に出場。
今年の連続テレビ小説「まれ」にも出演しました。
行ってきます。
そんな翔子さんの活躍を陰ながら応援している人たちがいます。
平野弥十郎の子孫たちです。
数年前翔子さんが親戚である事を知りました。
う〜ん…。
ウフフフフフ…。
明治21年翔子さんの高祖父伊藤一隆が成功させたサケのふ化事業。
北海道の千歳川には今年もたくさんのサケが戻ってきました。
多くの観光客が訪れる秋の風物詩となっています。
川のほとりにある水族館。
その一角にこんな展示があります。
一隆の名前の下には翔子さんの事が書かれています。
そして台場や札幌本道の建設を手がけた…67歳で亡くなるまで北海道で暮らしました。
あ〜っお墓!お墓参り行かなくちゃ。
弥十郎が札幌本道建設のため函館に向かった明治5年。
乗っていた東京丸が座礁。
弥十郎の果敢な行動によって乗組員全員が助かりました。
この時一人の医師が乗っていました。
その名は六角謙三。
工事が始まると人夫の健康管理やけがの治療にあたりました。
実はそのひ孫が福島で医師をしている事が分かりました。
今回曽祖父が140年前に九死に一生を得た事を知りました。
曽祖父謙三はその後福島に戻り医者を続け子孫ひ孫も同じ医者の道に進みました。
あれ?自分の曽祖父を助けた平野弥十郎の子孫が中川翔子さんだと伝えました。
平野弥十郎は日記の書き出しにこう記しています。
「家の血筋の続きがらを伝える手がかりを失うことはいかにくやしいことだろう。
ありのままを書き残し我が子供達に長く伝えたい」。
中川翔子さんの「ファミリーヒストリー」。
激動の時代の中で信念を持って挑戦する家族の歴史がありました。
未来に向かってどう生きるかっていう第二章が始まった気がします今日から。
2015/12/04(金) 22:00〜22:50
NHK総合1・神戸
ファミリーヒストリー▽中川翔子〜近代化に賭けた先祖 お台場建設とクラークの教え[字]

しょこたんこと中川翔子さん。5代前の先祖は、幕末、お台場建設や北海道で道路建設に携わった。そして4代前の高祖父は、あのクラーク博士の愛弟子。近代化にかけた歳月。

詳細情報
番組内容
「しょこたん」こと中川翔子さん。5代前の先祖は、幕末、お台場建設に関わった人物。勝海舟と共に仕事をしていたことが分かった。その後、北海道開拓のために、道路建設に携わった。そして4代前の高祖父は、あのクラーク博士の愛弟子で、札幌農学校の第一期生だった。サケのふ化事業に成功し、その後、石油事業に転じた人物。近代化に賭けた歳月が浮かび上がる。翔子さんは、先祖たちの偉業を初めて知り、驚いてばかりだった。
出演者
【出演】中川翔子,【語り】谷原章介

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

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