とろみをつけた料理で寒い冬を乗り切って下さいね。
まっすぐに延びる線路。
今から70年前あの惨劇の地へと続いていました。
貨物列車の専用ホームベルリングルーネヴァルト駅17番線。
ここからユダヤ人の大量移送が行われました。
日本の障害者施策をけん引してきた藤井克徳さんです。
視覚に障害があります。
ホームに敷き詰められたプレートには日付行き先そして運ばれたユダヤ人の数が刻まれています。
1,000いくつ?732。
(藤井)1,700?あ〜。
1933年。
ドイツではナチ党が政権を握ります。
その中心にいたヒトラー。
民衆は熱狂的に支持しました。
そんな中ドイツ人の血を汚すものとしてユダヤ人や障害者たちが迫害されました。
戦後70年の今年ベルリンを訪ねた藤井さんはあるドイツ人の足跡をたどりたいと考えていました。
ナチス時代を生きた視覚障害者…当時ベルリンで作業所を経営していました。
そこで苦難の中にいたユダヤ人しかも障害のある人たちを雇っていました。
国家が戦争へ突き進む中障害者だったヴァイトは何を信じどう行動したのか。
戦後70年の今私たちは何を学ぶ事ができるのか考えます。
1930年代職人の街としてにぎわった場所です。
今は観光の拠点としてホテルや飲食店が立ち並びます。
藤井さんがまず訪れたのがこの通りのある一角。
門をくぐった先にオットー・ヴァイトの作業所があったといいます。
(子どもたち)ハロー。
ハロー。
建物は戦争での空襲を免れ当時のまま。
2階にあった作業所は博物館として公開されています。
どんな感じですか?オットー・ヴァイトの表情…顔は。
(通訳)まあすごい笑ってはいませんけれども本当に人を見つめてるような感じで優しく…。
1883年ドイツの田舎町に生まれたヴァイトは塗装職人の父の後を継ぎました。
しかし第1次世界大戦で負傷しその後遺症で40代で失明したといいます。
そこでヴァイトは当時視覚障害者の代表的な仕事だったブラシ作りの作業所を立ち上げます。
従業員は30人ほど。
ほとんどが当時迫害されていたユダヤ人の障害者たちでした。
今回藤井さんには知りたい事がありました。
1933年。
ヒトラー率いるナチ党が政権を握ります。
ドイツ民族を最も優れた人種とし公然と行ったのがユダヤ人の迫害でした。
ユダヤ人は不買運動で経済的に追い詰められただけでなく法律で選挙権や職業選択の自由などを剥奪されていきます。
年々迫害が進みついには強制収容所などに送られ厳しい労働を強いられるようになりました。
1936年。
戦争の足音が聞こえる中ヴァイトは軍事用のブラシの製造に力を入れ始めます。
武器の整備に使われる貴重な軍需品のブラシを作る事でヴァイトはナチスからの委託を受けようと考えます。
1939年。
ドイツがポーランドに侵攻し戦争が始まります。
ブラシの需要はますます高まっていきました。
その年ヴァイトの作業所はナチスから正式な認可を得る事ができました。
なぜヴァイトはナチスに協力する行動をとったのか?その真意が書かれている資料があると聞き公文書館を訪ねました。
(藤井)グーテンターク。
分かりました。
そこにはヴァイトの強い思いが刻まれていました。
そこは盲人作業所をたてまえとしてって表現ありますか?そうです。
(通訳)盲人作業所というたてまえとして。
ナチスの傘下に入れば迫害の手は伸びない。
大胆でしたたかなヴァイトの戦略は功を奏し30人以上のユダヤ人を従業員としてかくまう事ができたのです。
このころベルリンにいたユダヤ人の半数以上が国外へ逃げていました。
しかしなかなか受け入れてくれる国が見つからなかったのが障害者でした。
ヴァイトはこうした障害者たちを積極的に雇いました。
その一人1941年から作業所で働いていた…元銀行員でしたがユダヤ人である事から職を奪われ家族と共に国外への移住を計画します。
子どもたちを逃がす事はできましたが彼は障害を理由に拒否されドイツにとどまらざるをえませんでした。
また視覚に障害があったローザ・カッツも両親と離れる事を余儀なくされました。
そこで身を寄せたのがヴァイトの作業所でした。
ここ数年ヴァイトの功績に光を当てる動きが広がっています。
ドラマや絵本には何度も困難に直面しながらも諦めないヴァイトの姿が描かれています。
ある日作業所の中庭にゲシュタポのトラックが入ってきました。
作業所の従業員を強制連行しにやって来たのです。
突然の事でした。
従業員は抵抗する事はできませんでした。
ヴァイトは必死で抗議をしますがあっという間にトラックに詰め込まれます。
しかし諦める事はしません。
すぐさまトラックを追いかけます。
そしてその数時間後…。
視覚障害者のヴァイトを先頭に従業員たちが連なりながら帰ってきました。
この時ヴァイトはゲシュタポに従業員がいないと国防上重要な製品が作れなくなると主張。
なんとか連れ戻す事に成功したのです。
ヴァイトのこうした行動は一歩間違えれば政治犯として捕まる危険な行為でした。
彼自身が身の危険をどんなふうに感じたんでしょうかね。
ヴァイトの事を描いたこの絵本。
作者は当時作業所で働いていたユダヤ人女性です。
従業員を守ろうと巧みに戦ったヴァイトを知る唯一の生存者です。
これはインゲさんの身分証です。
当時ユダヤ人の女性にはサラというミドルネームが強制的に付けられドイツ人と区別されていました。
そこでヴァイトはインゲさんに新しい名前を付けドイツ人に見えるよう新たな証明書を作ったのです。
この証明書もあってインゲさんは生き延びる事ができました。
時にはブラシ販売でもうけたお金で肉やワインをごちそうしてくれました。
生きる気力を持ち続けられたのはヴァイトのこうした振る舞いのおかげだったといいます。
戦争が激しくなる中ユダヤ人を一人残らず収容所へ強制連行する動きが強まります。
ヴァイトの従業員たちにも危険が迫ります。
逃げ場を失った人に手を貸したヴァイト。
あちこちに隠れ部屋を用意しかくまいました。
作業所の一角を改造して作った隠れ部屋は今も当時のまま残されています。
実際これが隠れ家使われたんですか?隠れ家入っていいんですか?
(通訳)入っていきましょう。
ここは当時のそのままの部屋の大きさですか?しかしとうとう隠れ部屋もゲシュタポに見つかります。
従業員のほとんどが連れ去られました。
ヴァイトも取り調べを受けます。
これ以上従業員をかくまう事はできなくなりました。
作業所に残されたヴァイト。
しかし従業員たちが連れ去られてもなお彼らを救う事を諦めませんでした。
従業員たちが送られた収容所には食べ物はほとんどなく多くの人が餓死する過酷な場所でした。
ヴァイトは食料を送ろうと画策します。
従業員の手紙から収容所の中の状況をうかがい知る事もありました。
この手紙のヴァイトの肩書はじゃがいも卸業となっています。
食料が底をついている印です。
元銀行員のエーリッヒ・フライからも手紙が届いています。
しかしこれが従業員たちから届いた最後の手紙になりました。
1945年。
ベルリンは陥落し戦争は終結します。
全ての強制収容所は解放されユダヤ人への迫害も終わりました。
犠牲者はおよそ600万人にも上っていました。
ヴァイトが守り続けてきた従業員たちもほとんどが収容所で命を落としました。
終戦直後ヴァイトは孤児院の設立に力を尽くします。
強制収容所で親を亡くしたユダヤ人の子どものための施設でした。
終戦から2年後の1947年。
息を引き取るまで支援を続けました。
考えてる事とこの行動に人間なかなか差があって難しいと思うんですね。
私は七十数年前の時空間を超えてねこのこびないぶれない諦めないっていうのはね私はこれは障害者の分野だけじゃなくてね広く人権問題取り組んでく上でもしかしたら今の日本社会の中でとても大事な点じゃないかな。
より厳しいところに焦点を当てるって生き方はこれは私にとってはとっても魅力的なあるいは自分自身としても学ぶべき点じゃないかなっていう事を感じました。
自らも障害のあったヴァイト。
あの過酷なナチス時代信念を貫き通した強さは一体どこから来ているのか。
こんにちは。
ハロー。
初めまして。
藤井さんはイリヤ・ザイフェルトさんを訪ねました。
ドイツ議会で議員を務め障害者の権利を守る活動を続けてきた人物です。
同じ事が起きないようにするためどのような思いで活動しているのか。
戦争中ナチスに迫害された障害者の歴史。
藤井さんは何を感じたのでしょうか。
今回はっきりしたのはいわゆる一般論で働く能力がないからだとかあるいは社会のお荷物って事をいわれてきたんだけども改めてその誰にとって価値がないかっていう事戦争を進めてくものにとって時の権力にとって価値がないものという非常に強者の論理。
弱い者に問題が集中するっていうのは現代とも日本ともつながってるな。
例えば虐待だとか例えば経済事情が悪くなってくと真っ先に障害者が解雇されてしまうとかっていう事実はあまたある訳なんでこの辺から問題点を察知する力をねやはり磨くって事も大事じゃないかな。
道路に埋め込まれた小さなプレート。
ナチスの犠牲者一人一人が住んでいた所にあるつまずきの石と呼ばれる記念碑です。
名前と亡くなった時期や場所が刻まれています。
過去を忘れないようにドイツ国内外に埋め込まれています。
これはヴァイトの作業所にいたユダヤ人従業員のもの。
今彼らは私たちをどう見つめているのでしょうか。
2015/12/02(水) 20:00〜20:30
NHKEテレ1大阪
ハートネットTV 戦後70年 障害者と戦争 ナチスから迫害された障害者たち2[解][字]
ユダヤ人迫害が激化するナチス政権下、最も厳しい立場にあるユダヤ人障害者を救った人物がいた。ドイツ人視覚障害者のオットー・ヴァイト。彼は何を信じ、どう戦ったのか。
詳細情報
番組内容
優生思想を背景にしたナチス・ドイツによる障害者虐殺の実態を知るため、ドイツを訪れた藤井克徳さん(日本障害者協議会代表・自らも視覚障害)。今回、特に注目している人物がいる。ナチス政権下、ベルリンで障害者が働く作業所を経営したオットー・ヴァイトというドイツ人視覚障害者だ。自らの命を危険にさらしながら、最も厳しい状況にあったユダヤ人障害者を救ったヴァイト。彼に何を学ぶことができるのか、その軌跡をたどる。
出演者
【出演】藤井克徳
ジャンル :
福祉 – 障害者
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
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音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
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