ザ・赤貧伝説!~広島東洋カープ涙の過去
いよいよ始まったCSファイナルステージ。豊富な資金をベースにした巨大戦力・読売ジャイアンツに挑む、やり繰り上手・広島東洋カープという見立てができるだろう。そのカープ球団史をさかのぼると、思わず涙を誘われる、切ない過去があった。その壮絶な球団史の一端を、プロ野球の歴史にも詳しいスマホ専用サイト『週刊野球太郎』編集部に話を聞いた。
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【球界随一の低予算!】
2013年の広島の総年俸は16億7390万円、平均年俸は2700万円でいずれも12球団中11位(最下位は横浜DeNAの総額15億470万円/平均2467万円)。2000年代は5位が定位置で、FA選手をつなぎ止めることはもちろん、獲得することも一度もなかった。15年間もAクラスから遠ざかる一因になったのは間違いないだろう。
【資金難は球団創設時からの伝統】
親会社を持たない市民球団として結成されたという歴史的背景もあって、球団創設時から資金難にあえいでいたのが広島。1951年には深刻な球団経営状態から給料の遅配や遠征費が払えない事態となり、一時は球団解散の決定がなされた経緯もある。
【カープを救った樽募金】
この危機に立ち上がったのが、球団初代監督でもある石本秀一。監督自ら後援会を立ち上げ、資金援助を訴え続けた。さらに広島市民が、当時の本拠地だった広島総合球場入り口に酒樽を設置し募金を呼びかけた。これが有名な「樽募金」で、400万円(当時)もの大金を集め、球団存続最大の危機を脱した。
【資金難から生まれた、球界初の広告入りユニフォーム】
解散は免れても、経営難は変わらなかった広島球団。1952年、1953年は、ユニフォームの胸ロゴはホーム・ビジター用とも「HIROSIMA」の一種類しか作ることができなかった。さらにこのユニフォームには、資金援助の見返りに、殺虫剤「フマキラー」のロゴマークが袖に入った。これが、日本球界初の広告入りユニフォームとなった。
【設備老朽化で、他球団の選手が......】
経営難を脱しても、設備面までにお金がまわせなかった広島球団。老朽化が激しかったかつての広島市民球場の選手ロッカーは冷房が効かないため、ヤクルト・宮本慎也が扇風機を寄贈したのは有名なエピソード。
【樽募金、ふたたび】
このように老朽化が進んだ広島市民球場だったため、1980年代から新球場建設の話が持ち上がったが、やはりネックとなったのが財政面。そこで再び行われたのが樽募金。広島県内各地に樽が設置され、総額1億2千万円もの募金を集め、新球場建設の一部(※総額は90億円)に充てられることとなった。
こう考えると、相当コストパフォーマンスのいい球団、と見ることもできる広島。一方、クライマックスシリーズで対戦する巨人は、年俸総額38億1610万円、平均6155万円と、もちろんぶっちぎりの球界No.1だ。選手の熱い戦いの裏にある「お金の事情」も知っておくと、シリーズの見方もちょっと変わるのではないだろうか。
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