【阪神再建に挑んだ男たち】
厳しい指導で選手を鍛えた石本秀一監督【拡大】
しかも初代森茂雄を慕って阪神入りした主軸景浦将という猛者は、気分がのらなかったら飛んできた打球すら追わない? とまでいわれた。それでも肝心な場面では石本はベンチから合図をおくり「ここで打ったら賞金を出すぞ」と今ならとんでもないことまでやって、また景浦将が第1回の事実上の“日本シリーズ”といわれた『洲崎の3連戦』で巨人沢村からホームランをかっ飛ばすのである。それを見ていた巨人監督藤本定義(のちに阪神監督)は驚いて、いつもあきれ顔でその話をよくしていた。
酒仙投手といわれた西村幸生が後楽園の巨人戦前夜に酒を途中で我慢して宿舎にもどると石本が麻雀をしていたのでカッとして取っ組み合い。翌日、石本も西村幸生もケロッとして巨人に完封勝ち…なんてまさに『梁山泊』の阪神。その迫力は新監督金本知憲の豪気にダブるのである。(敬称略)
★石本秀一監督の足跡
1936(昭和11)年7月29日、初代監督森茂雄(9勝6敗)に代わり監督に就任。2位となり洲崎の優勝決定戦で巨人に1勝2敗。後のTG戦の伝統を作る。2年目春2位。秋1位で後楽園、甲子園での「優勝決定戦」で沢村を攻略し打倒巨人を果たす。
3年目春は1位。秋2位。甲子園-後楽園と巨人との「優勝決定戦」でV2。4年目2位。翌年は名古屋金鯱の監督に招へいされた。戦前の創生期の阪神の“武闘派”監督第1号だ。
(紙面から)