東京五輪・パラリンピックの主会場となる新国立競技場の建設に、東京都が395億円を支払うことになった。

 舛添要一知事は当初、都の負担を求める国に「納税者を納得させる議論が必要だ」と反発していた。この計画ならばなぜ、認めるのか。今度は知事が、ていねいに説明すべきである。

 国は8月、建設費の上限を1550億円と定めた。今回決まったのは、その約半分を国が負い、4分の1ずつを都とスポーツ振興くじ(toto)でまかなうという案だ。

 一見すると、都は負担を300億円台におさめたようにも見える。だが、計算に含められていない周辺道路などの整備費を加えると、都の支出は約450億円に膨らむ。

 再来年に消費税率が10%にあがることも見込めば、結果的には、国から当初求められていた500億円の負担と変わらなくなる可能性もある。

 舛添知事は5月、当時の下村博文文科相に「国立施設なので都が払う話ではない」と難色を示していた。

 国費であれ、都費であれ、税金を預かる責任者がその使い道に厳しい目を向けるのは当然の姿だ。予算が野放図に膨らんだ公共事業のあり方に、自治体トップが一石を投じたことに共感する人も多かったはずだ。

 それだけに夏以降、都議会最大会派の自民党に釘を刺されて急速に態度を軟化させたことに釈然としない人は多いだろう。

 たしかに、国立競技場とはいえ、都の足元にある施設の建設費を部分的に負うことはやむを得まい。そもそも都が誘致した五輪だ。国直轄の公共事業と同じ比率で折半するというのもひとつの考え方だろう。

 しかし巨費を引き受けることにした理由として、都が挙げる説明はあまりに中身が乏しい。「多くの都民が大会の感動を体感できる」「五輪後もスポーツや観光の振興に役立つ」といった具合だ。これでは説得力に欠ける。それは建設計画がどうであろうと変わらぬ話だ。

 そもそも問題は、上限1550億円自体の妥当性が、いまだによく見えないことだ。なぜその数字になったのか、国も十分詳しい説明をしていない。

 舛添知事は、その計画を定めた関係閣僚会議にも出席していた。財源負担をめぐる国との会合で何を議論したのか、都は公表してもらいたい。

 都議会での論戦が8日から始まる。舛添知事は、繰り返し国に求めていた「説明責任」を自ら果たすべきだ。