「ルネッサ~ンス」の掛け声と貴族ネタで一世を風靡した漫才コンビ・髭男爵の山田ルイ53世(40)が、自身の長い“引きこもり経験”を赤裸々につづった著作「ヒキコモリ漂流記」(マガジンハウス)を出版し、重刷されるなど好評だ。山田自身の引きこもり体験、そこから得たものと失ったもの、自身の体験を通じて伝えたいこととは?
“貴族キャラ”からは考えられないが、山田は10代のほとんどを引きこもり、その時既に「もう俺の人生は終わった」と絶望をかみしめていた。
同書に書かれた“引きこもり経歴”によれば、山田は小学校時代から成績優秀で、関西圏では有名な進学校「六甲学院」(神戸市)に中学受験で入学。「将来は東大も狙える」という抜群の成績を残すも、中2のときに大便をもらし、周囲に気づかれたことをきっかけに人生が狂った。
「勉強も運動もよくできる優秀な山田君」というプライドと「神童感」まで持っていた山田だったが、おもらしの失敗を受け入れられず、不登校になって退学。以後、高校にも行かずバイトを始めても「優秀な山田君」を知っている地元の同級生に会うのが嫌ですぐ辞め、20歳まで場所を変えながら引きこもり続けた。学校だけでなく、社会との関わりも避けていた。
だが、成人式のニュースを見て焦りだし、大検を受けて愛媛大学の夜間コースに入学。大学の友人と漫才を始めたのをきっかけに芸人を目指し、大学を中退し上京。赤貧生活を続ける中、2008年にブレークした。
引きこもり当時、山田は「人生が余ってしまった」と感じていたという。何の希望も持てず、ただ日々を過ごすだけだった。「取材で『今から見るとダメじゃなかったのでは?』と聞かれることがあるんですが、無駄です。人生の豊かさという意味で完全にロス。みんなと一緒に楽しく勉強して遊んだ方が絶対にいい。人生設計的にも苦境に追い込まれますからね。美化するのは違うと思うんですよ」と語る。
大検を受けようと思ったときも「このままでは人生の転落が止まらないと焦ったから。滑落し続ける中で、指が引っかかる突起物を必死に探して指をかけた感じです。自分が動かないと何も変わらない。引きこもって自己嫌悪にさいなまれている人は、その気持ちを脱出に利用すればいいと思う」と山田は振り返る。
この本に強いメッセージを込めたわけではないが「引きこもりそうな人、その親御さんには読んでほしい。引きこもったら、不登校になったら、後々どれだけしんどいことになるかがよくわかります。ツケは自分で払うしかないんですよ。よく歌詞で『歯車になりたくない』ってありますけど、歯車、親の敷いたレール、めっちゃいいですよ。ドロップアウトすると、こっちは純正の部品じゃないから組み込まれるのはなかなか難しい。僕なんか社会に属して生活していると思えるようになったのはほんの7~8年前からですから」。引きこもりで20年間、ロスしたと考えている。
過去の山田のように自我が強すぎ、失敗を受け入れられない人には「無傷でピカピカのまま年を重ねるなんて無理。納得がいかない状況をのみ込んだり、見て見ぬフリをしてやり過ごすことを覚えましょう。自分に対してあきらめ『そんなのできへんで』と自分に言えるようになると生きやすくなります。引きこもってわかりました。人は一人で生存はできても、生きてはいけないんです」という言葉を贈った。
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