気になる事件

日本で起きた個人的に気になる事件の考察

亞書

亞書の謎12 一応の終止符

新聞や各ニュースサイトで亞書の問題が取り上げられたようだ。
前回の記事のコメント欄にも多く情報が載っております。ありがとうございます。

また、記事には入水そと本人と見られる人物からのコメントも載っていた。

(以下引用)
同社は2013年3月に設立され、代表取締役の男性(26)が1人で運営。男性は朝日新聞の取材に対し「自分が即興的にパソコンでギリシャ文字を打ったもので、意味はない。本そのものが立体作品としての美術品とか工芸品。長年温めてきた構想だった」と説明。題名も「ひらめいて付けた。意味はない」。著者のアレクサンドル・ミャスコフスキーは「架空の人物で、作品のイメージとして記載した」と話した。  

また、代償金に関しては、

納本した経緯は、2年前に遡ります。代表の男性によれば、2年前に、10万円の楽譜を作ったが(楽譜はどれも高額なのでおそらく10万円でも妥当な金額と思われる)、「高くて買えない」という匿名の人から国会図書館への納本を依頼されたとのこと。 
その時から納本を続けているとのことです。 
納本は「国立国会図書館法」で発行者に義務付けられています。相当頒布される場合は義務となるとのこと。国会図書館は内容をチェックすることはなく(チェックすると検閲につながる恐れがある)、すべての本を資料として保存していくとのことです。 
国会図書館は、納本した発行者に対し定価の半額と送料を支払っています。これが「代償金」と呼ばれるもの。この問題では、定価が約6万5千円ということは、1冊当たり3万円あまりが発行者に支払われていることになります。 
なお、亞書は、代表の男性が自ら印刷して装丁しており、1冊作るのに3万円以上かかっているとのこと。 
これが本当であれば、納本ではほとんど利益を得られないことになりますが・・・・・。 
国会図書館は、りすの書房と返金協議に入るとしており、りすの書房も返金に応じる姿勢だということです。 

どうやら、亞書に関してはやはり全て入水そとが一人で行っていたよう。
そして、問題の亞書の中身であるが、大方の予想通り、意味はなかった様である。
全てをひっくるめ、本を使った芸術品という構想ということのようだ。

そして、代償金目的ではない、曰く代償金が出ても利益が出ない、ということらしい。
しかし、136万というお金を受け取っていることは事実である模様。また亞書は1冊も売れてないらしい。

いうなれば芸術品や工芸品であり、また本、という側面も持ち合わせている、といったところか。
そして、本という側面も持っている(ISBNを持っている)ということから、納本せざるを得なかったという
ことなんだろうか。

ただ、これも本人曰く、というところであり、本当にそうだったのか、もしくは納本(代償金)目的だったのか、
はたまた両方だったのか・・・真相はわからないところである。
(ただ、一連の流れを見てきたものにとっては、素直には受け入れ難い)

仮に全てが計画的ということであれば、芸術というカテゴリと納本制度を絶妙に組み合わせた
(悪い意味で)賞賛に値する業である。

が、これらの行いが詐欺に当たるかどうか、というのはまた別のステージの問題だ。
そして、これらを究明していくのは私の役割ではない。それらは然るべき人間が行っていくものである。

まだまだ気になる点(岩井悦子詩集の人名など)はあるが、結局、意味は為さないものなのだろうか。

兎にも角にも、これらの出来事が切っ掛けで、国会図書館の納本制度のあり方というものの
問題提起になれば幸いである。

とりあえず亞書に関しては"一応の"終止符を打ちたい。

今後、何か進展があれば、その都度取り上げてみようと思う。

それまでは動向を見守ってみたい。

亞書の謎11 原点に還る

現状、これまでの流れが一方向に向かって進み、一つの結論に到達しそうになっているが、
結局、図書館やりすの書房の公式な見解がない以上は、推測の域を出ない。

なので、ここらで一つ原点に返ってみたい。

その前に一つ。
 
このブログにおける「亞書の謎」は、亞書ならびそれに纏わるものの謎や疑問を単純に
追及することが目的であり、りすの書房を追い込む為のものではない
、ということをことわっておく。

さて、この亞書であるが、異様な値段と冊数から、当初一体、何の目的で製造、販売されたのか、
というのが疑問になっていた。

調査を進めるうち、図書館の制度を利用した金儲けなのでは?という憶測が出てきた。
図書館に本を納めると、その本の定価の約半分の代金(代償金という)を貰えるというものだ。
確かにその場合、破格な値段と冊数の筋は通る。

更にそれを裏付けたのは中心人物とされる「入水そと」のブログ内における下記記述である。
(現在は削除済み)
 
『本日演奏される『モテトゥス第1番〈アヴェ・マリア〉』の現行の出版譜は三種類ある。 
ファクシミリ版は、たった28ページで八千円という、なかば詐欺まがいの代物で、
公立図書館の馬鹿どもをだまくらかすために出した版であるから、 
個人が手を出すべきものではない。演奏用のA4判も、たった8ページで二千円もする。 
そんなわけで、どうしても楽譜が欲しい物好きがいたら、手のひらサイズのポケットスコアがおすすめである。 
1,030円である。消費税が上がる前に、買うべきである。いまだに一冊も売れていない。不良在庫の山である。』 

これに対する指摘が多方面から挙がると、販売元のりすの書房ならびに入水そとは
自身のサイトやブログを消し、行方をくらましてしまった。これに関しては後ろめたいことが
あるからなのでは?という声が多い。

確かに一連の流れや状況だけ見ると、架空の会社を作り、図書館の制度を利用した金儲け
という可能性は十分に考えられるし、濃厚だとも思える。
そして仮にそう(確信犯)だとすると、私は普通にこのやり口に感心してしまうだけである。

が、実態が分からない以上、これらを断定することはできず、あくまで推測の域を出ないのも事実だ。

また全てを入水そとがたった一人で行っていると考えてしまいがちだが、数人で行っている
可能性だってあり得る。その辺すらハッキリしていないのだ。

そして仮に、だ。
仮に金儲けが目的ではないならば、全てが水泡に帰すこととなる。

金儲けが目的でないというのは、つまり代償金がさほど貰えなかったという場合である。
・・ただ、これに至っては調べようがない。駄目元で図書館に訊いてみる手立てはあるが・・・。

だが仮にそうなると、他に目的があったということになる。無理矢理にそれを捻り出してみよう。

思いつくのは亞書をアンダーグラウンドやカルト、謎をコンセプトにする目的で出版したという場合。
値段自体も作品の一部、として恣意的につけられた値段で、"一部"と言うと語弊があるかもしれないが、
あの異常な値段こそ、亞書としての神秘性を高めるための材料ということである。
Amazonにしか流通させないというのも、そういった効果を狙ったものと、
或いは抑えがたい自己顕示欲の表れかもしれない。
代償金を得たのは結果としてそうなっただけであり、主目的ではないということだ。

ただ、この説でいくと聖書も同じことをしているわけで、かなり無理があるとは思える。
結局、聖書の二番煎じなのだ。タイトルこそ不可解なものの、やっていることは
変わらないというわけである。

何かこう、イメージ的に、どうも聖書は亞書の(結果的にだが)リハーサルのような気がする。
というのも聖書のあの値段のバラつき。あそこまで値段に差があるのは労力だけでは
説明がつかないのでは?

何か理由があると思う。

単純に思いつくのは聖書を用いて「この値段ならこれだけ代償金が貰える」という"探り"を
入れていたのではないだろうか?そして、導き出されたのが6万という数字。要するに限度額である。
その数字を亞書の価格に設定した・・・ということだ。

まぁ全くの妄想にすぎないのであるが・・・・
 
兎にも角にも、亞書の中身は何なのか、というのが最大のポイントだ。
そして、その手がかりになるのは現状ではりすの書房から送って頂いたサンプルただ一つである。

現時点で、巷ではサンプルを見るに亞書の文章は意味をなしていない適当なもの、
という意見が支配的だ。

つまり、ページ数を稼ぐため、色々な言語を滅茶苦茶に打ったものだ、ということ。
サンプルをOCR(活字の文書の画像をコンピュータが編集できる形式に変換するもの)で取り込み
解読しようとした人もいたようが、読み込めなかったらしい。

このサンプル、一部は検索すれば見つかるが、残りの頁は中々ないようなので、
ここらで実際にお見せする。サンプルであるからまずないとは思うが、もしも問題があるようなら
すぐに削除するので悪しからず。
 
また、以前コメント欄でサンプルをりすの書房から頂いた人がいたが、Noがいくつのサンプルだったかを
教えて貰えると幸いだ。
※追記 コメント欄にて教えて頂いたが、私と同じNo.73であった。

以下がサンプルである。 
 
 4
 3
2
 1


特徴的なのは影の付いたフレームがフォーマットになり、その中に文字が書いてある。
一部情報によると、この文字はセルビア語との声もある。
少しでも読める方はいるだろうか?知り合いに専門家がいる方はぜひ見せて頂きたい。
そして、これ以降の頁は現物を見てみないとわからないのが実情である。

例え、意味を成さない言語だとしても、どう作成したのかが気になる。
1言語だけならまだしも、複数の言語が混ざっている可能性も示唆されているわけで、
その場合、余計煩わしく骨が折れる。
逆に言えば、敢えてその手法をとったのかもしれないが・・・。

更に云えば、96冊、同じ頁がないのかというのも気になるところ。
つまり、ある程度刷った頁を、順序をばらばらに入れ替えて製本している可能性もある。
その方がコスト面で考えても確実に楽であるからだ。

あとは装丁である。銀色と黒だけの配色。表紙からして怪しさを醸し出しているのが見て取れる。
探ってくれといわんばかりのオーラがある。無駄に「凝っている」のだ。
これも本の価値、神秘性を高めるための演出だろうか。
どの道、手にとって見なければ分からないのが現状。

頼みの綱は国立国会図書館だけであるが、60冊しか納入されておらず、全てを見ることは出来ない。
今後、続きが納入されるのだろうか。





つづく


亞書の謎10 中古の聖書

新たな謎というか、気になるのはユダ書院から出ている「言語別聖書集成」に関してである。

言語別聖書集成と検索するといくつかAmazonのサイトが出てくるのだが、全て消えている。
この消された聖書はキャッシュでまだ見れるのだが、全てに共通することとして「新品」なのである。
そして、現在Amazonで売っている残りの言語別聖書集成は、全て中古品だ。
なぜ新品だけ消したのか?
ここからは憶測であるが、恐らく「亞書」を一気に削除した際、ついでに消したのではないだろうか。

現在、Amazonで木曜社(御山のきつねは除く)の作品と「ウルトラ飛んで」はかろうじて引っかかるも、
在庫切れの状態。
本店も再開未定の休業に入っていることに合わせて、なのだろうか?

で、気になるのはこの
中古品という点。これなのだが、どこが売っているかというと岐阜県にある
買取専隊エース」というリサイクルショップ。

ここが聖書を大量に買い取ったという事になる。現在、この店からはAmazonマーケットプレイスにて、
聖書それぞれの値段に関係なくほとんどが20000円で計36冊売っている。
誰が売ったのかはわからないが、仮に誰かが定価で買ったとすると、少なく見積もっても
ざっと200万は超える。
しかも、発売日やらを考えると、買って間もなくすぐに売っているということになるから、
ちょっと考えにくい。

あくまで推測の域を出ないが、これらはユダ書院(りすの書房)が役目を果たして
用済みになった聖書を売却したのではないだろうか?

思うに亞書と聖書は納本用と流通用の1冊づつしか作っていないのでは?と思うのだ。

図書館に納め終わったものと同じもう1冊は用済みということで、Amazonから戻して
買取専隊エースに売っぱらい
足がつかないようにした?
一体いくらで売れたのかが気になるところだ。

現にこの店は2万円で売っているわけなので、それ相応の値段で買い取った可能性はある。

・・しかし、なぜ岐阜県のリサイクルショップに?

このお店の特徴として、現物を送って査定してもらうことができ、更に20点以上なら送料無料という利点がある。
ただ、このようなお店は他にもあるだろう。なぜここなのか?なるべく遠い場所の店舗がよかったのだろうか。
いずれにしろ送料は無料だし、条件さえあえばどこでもよかったとも考えられる。
査定後は銀行口座に振込みらしく、煩わしさもないことから、そのシステムを好んだのだろうか?
※ 追記2015/10/28 買い取りエースの「よくあるご質問」に「アマゾンで売っている商品を中心に
お取扱いしております。」とあった。これが理由だろうか。

ただ、そうだとしても聖書は全部で99冊あるはずなので、他63冊を売却してないのはなぜだろう。
聖書は既に図書館に納入されているわけだから、全部売ってもいいわけだ。

もしかすると、買取エースへ向けた販売実績(市場価格の提示)としてあえて全部売らず、
Amazonで流通させていたのかもしれない。なので、今後も小出しで売られる可能性はある。

つまり、図書館の代償金と中古買い取りの両方で錬金が可能というわけだ。


問題はいくらで買い取ってくれるのかだが・・・調査してみよう。




つづく



 

亞書の謎9 FBAのワケ


現在、Amazonから消えてしまった「亞書」。

ふと気付いたことがある。
亞書は当時AmazonでFBA{正式名称「フルフィルメント by Amazon」}で売っていた。
簡単に云うとこれはAmazonが商品の管理・発送を代行してくれるもので、
カスタマーから見ると、「プライム」と表示される商品のことである。
出品者の手間がすべて省けるので、便利ではあるがその分、手数料などもかかってしまう。
逆に発送など全ての業務を自社で行う方式のマーケットプレイスというのもある。
こちらは自分でやる分、FBAほどの手数料がかからない。

亞書はそのFBAだったのだが、そうなると疑問がある。
大々的に宣伝しているわけでもなく、ましてやあの値段からして、1冊売れれば奇跡である。
流通させることだけが目的であれば尚のこと、なぜお金をかけてまでFBAで出品をしていたのだろうか?

どうせ売れないであろう本であれば、手元に置いておいても問題はない。
つまり、マーケットプレイスで出品していた方がいいのではないか?

FBAでなければいけない理由が何かあるはずだ。
逆に言えば入水にとってマーケットプレイスだと都合の悪い理由がある。

考えられる理由としては、発送する際に、送り主の住所が必要になってしまう。
ユダ書院ないし亞書刊行會は架空の会社なので、その住所を書くことが出来ない。
FBAならAmazonの倉庫から発送されるので、その必要がなくなる。

もしくは特定商取引法に基づく表記を嫌がった、という説。

Amazonでマーケットプレイスで出品している商品を何でもよいので見てみてほしい。
そして、社名をクリックすると、右の方に「特定商取引法に基づく表記」が出るはずだ。
特定商取引法に基づく表記は、販売業者、ストア代表者名、お問い合わせ先電話番号、住所、その他・備考、 
運営責任者名、店舗名を記載しなければならない。
※追記 2015/10/27個人での出品の場合、その義務はないようだ。

ユダ書院は架空の会社である。その為、上記項目を埋めることが出来ない。

入水はこれを嫌がったのではないか?
しかしFBAにしてしまえば、一度に二つの悩みが解決する。

ただ、この説では矛盾することがある。
まず、りすの書房が流通と販売を請け負っているということであれば、堂々とりすの書房の住所で売ればいいはずだ。

また、以前りすの書房から売っていた入水そとの「御山のきつね」が現在はadamsというところから
マーケットプレイスで598000円という馬鹿げた値段で売っている。
このadams、特定商取引法に基づく表記がないのである。
つまり、表示させない方法もあるわけで、それならFBAで売る必要性はないように思う。
(私はこのadamsも入水なのではと思っている)

なぜFBAに拘ったのだろうか?

改めて考えると、やはり、入水は「りすの書房」と「ユダ書院」の関係性を出来るだけ断ちたかった、
と思うのだ。

当初の設定では、アレクサンドル・ミャコフスキーが執筆、それを亞書刊行會が編纂、
ユダ書院が出版という設定だったのではないか。

Amazonで見る限り、亞書はりすの書房から出ているということは一見してわからない状態だった。
しかし国会図書館で亞書をサーチすると、りすの書房とユダ書院とが連名で出版になっている。
ここまで見られるということは計算に入れてなかったのではないだろうか?

そして、マーケットプレイスにしてしまうとやはり送り元の住所が必要となる。
そこにりすの書房の住所を書くことに抵抗があったのではないだろうか?

私が問い合わせた際に返答を頂いた「ユダ書院が出版元でりすの書房が流通・販売している」、
というのは発覚してから急遽作った設定なのでは?

本来は全く関わりのないものにしたかったはずだと思うのだ。

以上がなぜFBAにしたのかという私の勝手な推測、憶測なのだが、
ここへきて、聖書に関してまた新たな謎が生まれてしまった。





つづく

亞書の謎8 岩井悦子詩集

木曜社から出ている岩井悦子詩集。他とは一線を画す異様な本である。

取り分け、3頁目あたりから、何の脈絡もなく本の約半分を使った教授と思しき人名の羅列が
不気味である。凡そ詩とは言い難い。装丁や表紙なんかに気品さが感じられる分、余計に気味が悪い。
その後の、後半部分は平仮名だけで書かれた気の抜けるようなポエム。
ただ、一番最後の章だけは割かしまともな小噺だ。昔風の文体で書かれており、
柿五郎とやらが、ある女と性交渉をしたがる、という話。結局、柿五郎は死んでしまうのだが、
知的な文体で独特なユーモアが感じられる。

さて、問題の人名を調べてみよう。名前は全部で68名分書いてある。

名前を一人づつ検索してみた。

共通するのは

・ほぼ法学部教授
・年配が多い。ゆえに故人多数。
・労働法を専門としている
・季刊労働法に掲載されている人物が多数

女性は2名だけのようだ。
また弁護士が1名いる。
 
また名前を一気に検索にかけるとこのサイトがでてきた。
確かにここに載っている名前が詩集にも数多く載っている。
ただ、全員が載っているわけではない。少なからずチョイスをしているようだ。

結論としては・・・



・・全く意味が分らないというのが正直なところ。 まず、何故労働法なのか? ?推測すら立てられない。

また検索にヒットしない人物もいた。

運輸調査局 木俣新一 だ。

教授の名前がある中、この人物だけ、 運輸調査局。異質である。
 
その前に運輸調査局ってなんだ?サイトを見てみる。

 交通に関する学術的、実証的な調査・研究等を行い、交通に関する学術の振興及び交通事業の進歩発達に貢献し、もって交通社会の健全な発展に寄与すること

らしい。 あまり労働法とは関係がなさそうに見える。

評議員・議員というところを見ても、木俣新一という人物はいないようだ。 

名前だけで検索してみる。すると、長野図書館のサイトがヒットした。「腹の皮」なる本を書いている。
随分古い本だ。作家なのか?はたまた同姓同名か。

労働法に関係する人物の名前は、ネットの検索で適当に引用したとしても、
この木俣新一なる人物は、引用しようがない。要するに運輸調査局に努める一般人だと思うのだ。
ということは、現実で調査局あるいは木俣自身と接触があったということか。

現状、推測の糸口が全く以て見つからないので、岩井悦子詩集に関しては一旦、調査を打ち切る。

何か閃き次第、再開しよう。




つづく