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江戸・明治の石橋が熊本に 海外から技術、石工が伝承

2015/12/5 6:00
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 九州には江戸時代後期から明治時代に建設された石橋が数多く残る。この時期に国内で架けられたアーチ型の石橋の9割以上が九州に分布し、その約半分が熊本に集中する。熊本県の緑川流域は石橋の宝庫だ。用途は往来橋だけでなく、農業用水を山間部に運ぶ水路橋もある。3世紀まで欧州各地で建設された古代ローマ帝国の水道に似た石橋がなぜ九州、とりわけ熊本に多いのか。その謎を探った。

観光名所の通潤橋は今も山間部の水田を潤す現役の用水路だ(熊本県山都町)
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観光名所の通潤橋は今も山間部の水田を潤す現役の用水路だ(熊本県山都町)

 全国でも知られる観光名所の大型石橋、熊本県山都町の通潤橋を訪ねた。完成したのは嘉永7年(1854年)。米海軍のペリー提督が黒船で嘉永6年(1853年)に浦賀に来航し、開国を迫った翌年だ。

 熊本に残る石橋では最大規模の全長75.6メートル、幅6.3メートル。橋は今も現役で、水に恵まれない白糸台地に農業用水を3本の通水管で流し込んで約118ヘクタールの棚田を潤している。

 末吉・歴史文化研究所(熊本市)によると、熊本で江戸時代後期から明治時代に建設された石橋は約270橋に及び、全国の約半数に当たる。建設した年代が分かっている77橋が江戸時代に、80余りの橋が明治期に架けられた。幕末に完成した通潤橋もその一つだ。

 「熊本に眼鏡橋(二重アーチの石橋)や単一アーチの石橋が多いのは、江戸時代に石橋を建造する高度な技術を持った石工の技術者集団がいたのが第1の理由」。同研究所の末吉駿一社長(86)はこう指摘する。

 熊本には「肥後(種山)の石工」と呼ばれる石橋造りのプロ集団が存在した。そのルーツは林七という人物。林七は長崎奉行所に勤めていたが、武士から石工に身分を移した。

 江戸時代に幕府が唯一、出島で国際貿易を認めた長崎では中国やオランダの技術者が建設した眼鏡橋や石橋があった。長崎で最初に建設された眼鏡橋は寛永11年(1634年)の中国人技術者の手によるものだった。秘伝の技術で当時の日本人には造れなかった。

 「古代ローマ帝国で完成した石橋や水路建設の高度な技術は1300年以上の歴史を経て、中国やオランダから九州の長崎に伝わった」と末吉社長はみる。

 林七は柱がなくても落ちない長崎の石橋の秘密がアーチの円周率にあると知り、その計算方法を学んだ。肥後の種山村(現在の熊本県八代市)へ移住。種山では農業に従事する傍ら、石橋の研究に没頭した。末裔(まつえい)は肥後・種山の石工として江戸時代後期に石橋建設の最高の技術者集団に成長する。

熊本は石橋の原材料になる溶結凝灰岩が豊富だ(通潤橋史料館ガイドの石山信次郎さん)
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熊本は石橋の原材料になる溶結凝灰岩が豊富だ(通潤橋史料館ガイドの石山信次郎さん)

 通潤橋の建設にも林七の孫である卯助、宇市、丈八らが携わる。橋は肥後細川藩が建設したものではない。「細川藩の手永(てなが)という独自の行政制度の下、武士の身分で庄屋(村長)を束ねた惣庄屋の布田保之助や農民、丈八ら石工兄弟が民間の力で通潤橋を完成させた」。通潤橋史料館ガイドの石山信次郎さん(72)が解説する。

 石山さんはジオラマ模型を示しながら「原材料が豊富だったのが熊本に石橋の多いもう一つの理由」と教えてくれた。阿蘇山の大噴火で地上に流れ込んだ火砕流が冷却してできた溶結凝灰岩が石材に適していた。

 さらに「熊本藩54万石は九州最大の稲作産地だった。山間部の棚田に農業用水を引いてコメを増産する必要があったのも水路橋建設につながった」との見方を末吉社長は示す。

 通潤橋より7年前の弘化4年(1847年)建設の霊台橋(熊本県美里町)は卯助、宇市、丈八兄弟の最高傑作とされる。江戸後期に造られた単一アーチ型の石橋では最大規模だ。

 霊台橋のたもとには昨年5月にオープンしたカフェ「ザ・キーストーン・ガーデン」がある。店名は石橋の最後に積み上げる要石(キーストーン)に由来する。「熊本には豊かな湧き水や農産物、そして美しい石橋がある」。店の代表、田中真由美さん(56)は東京から移り住んだ魅力をたたえてほほ笑んだ。

(熊本支局長 松沢巌)


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