■経営者、目立つ北陸出身 「気分楽しむ」客おおらか
大阪の街を歩いていると時折、「○○温泉」と看板を掲げた建物に出くわす。街中にこんなに温泉が湧くのかと思って調べてみると、実は普通の銭湯。「○○湯」が一般的なほかの地域と異なり、大阪には天然温泉ではなくても、温泉を名乗る銭湯が多いらしい。なぜ独特の屋号が広がったのか。
銭湯の組合である大阪府公衆浴場業生活衛生同業組合のサイトを見ると、大阪市内の350の銭湯のうち186が「○○温泉」だ。一方、東京の組合のサイトが掲載する都内627の銭湯のうち、「温泉」がつくのは18だけ。そのほとんどは天然温泉だった。
多くの銭湯をまわり、銭湯本も著した編集者の松本康治さんに聞くと「全国的に○○湯が一般的。関西でも京都などでは○○温泉は少ない」。
なぜ、こうした風習が生まれたのか。老舗の源ケ橋温泉(大阪市生野区)を訪れた。玄関を見上げれば、屋根に一対の小さな自由の女神像。1937年築の建物は、国の登録有形文化財に指定されている。「創業時からこの屋号」という経営者の中島弘さんに疑問をぶつけると、「明確な理由は誰にもわからないと思う」という返事だった。
中島さんも様々な文献を調べてみたが、「江戸時代や戦後の銭湯の資料は多いが、明治から戦前にかけてのものがほとんどない」。監督官庁が時代ごとに代わった影響があると中島さんは見る。
限られた情報から、中島さんは一つの現象に注目した。それは「石川県出身の銭湯経営者が多いこと」。銭湯業界は東阪とも北陸出身者が多く、新潟、富山からは東京へ、石川からは大阪へ行く人が多かったという。
「大阪に出て銭湯で成功した人を見て、同郷の人や親戚が続き、銭湯で修業した」。源ケ橋温泉を創業した中島さんの父親も「片道の汽車賃だけ渡されて、決死の覚悟で大阪に出てきた」。修業した人が独立した際に「普通の屋号では物足りない。石川の有名温泉にちなんで温泉と名付け、誇りにしたのだと思う」。
ほかの銭湯に聞いても、同様の答えが返ってきた。ルーツが石川といういりふね温泉(阿倍野区)の前川優さんも、「独立時に同郷の親方や親戚から銭湯経営のノウハウも受け継いだはず。その中に屋号もあって、広がったのでは」と推察する。
銭湯側が温泉と名乗っても大阪の消費者が受け入れなければ、温泉屋号は広まらなかっただろう。利用者はどう受け止めたのか。
再び松本さんに聞くと、「大阪はあまり天然温泉がないから、利用者も本当は温泉ではないとすぐにわかる。気分を楽しめればいいという発想だろう」。日本銭湯文化協会の理事、町田忍さんも「東京なら絶対にクレームがつく。大阪のおおらかさが屋号を支えた」と見る。法律上、銭湯の屋号に「温泉」を使うことに制限はない。大阪だからこそ根付いた文化といえそうだ。
「加えて大阪の銭湯は顧客本位。銭湯同士が競争してサービスを向上させてきた」と町田さん。東京では業界内での規制や取り決めで実現が難しかった朝風呂や露天風呂も、大阪はいち早く取り入れた。めがね温泉(生野区)を営む宮前博一さんは「温泉を名乗るからには、それに見合った設備を整えようという意識がある」と自負を語る。
屋号以外にも大阪らしさがある。浴室に入ると、湯船が奥ではなく中央にあることに気づく。その周りには腰掛けられる段がある。段に座って浴槽から湯をすくい、体を洗う習慣があったからだが、湯船の周りに人が集まり、コミュニケーションもしやすい。そういえば、源ケ橋温泉の自由の女神は「入浴とニューヨークをかけたのだろう」(中島さん)。ルーツは石川でも、ここはやはり大阪なのだ。
(大阪・運動担当 関根慶太郎)