(C)柴田英里
前回は、レズビアンフォビアと「性的消費」への潔癖性とも言える近年の文化批判やジェンダースタディーズの傾向の一つについて書きました。今回は、ヘテロ男性視聴者へのお色気サービスシーン満載という、「女性身体の性的消費」視点から見たら色々怒られそうではありつつも、素晴らしい百合作品である、テレビアニメ『クロスアンジュ 天使と竜の輪舞』について考察していこうと思います。
『クロスアンジュ』の舞台は、人類が進化によって得た「マナ」というパワー(画期的な情報伝達・物質精製技術)により、戦争や環境などの諸問題がなくなり、平和で差別がない豊かな世界です。人々は遺伝子操作を受けて新人類になり、「マナ」を使いこなしています。ただし、それはあくまで、「マナ」の力を持つ“多数派”にとっての平和。この世界には遺伝子操作前の旧人類の因子を持つ突然変異種が一定数生まれており、彼らは「マナ」を使えない上、「マナ」の力を無効化してしまう性質を持っています。「マナ」を使えない人間は“人間”ではなく“ノーマ”いう俗称で呼ばれ、「暴力的で反社会的な化け物」として社会から隔離され、“人間”社会の平和とインフラのために酷使されていました。
「ミスルギ皇国」の第一皇女で、民衆から絶大な支持を受けていたアンジュリーゼ・斑鳩・ミスルギもまた、「戦争・格差・貧困、全ての闇が消え去った平穏で完璧な世界」と、「マナ」と“人間”の世界を心酔し、「世界平和のためのノーマ根絶」を理想と掲げ、“ノーマ”であればどれだけ小さな赤ん坊に対しても蔑み、“ノーマ”であった我が子を守ろうとする母親にも「早く忘れて、ノーマではない“正しい子”を産みなさい」と言ってのけるような無自覚かつ悪質な差別主義者でした。
しかし、彼女が16歳を迎え、洗礼の儀を行った際に、兄によって、実は彼女が“ノーマ”であるという事実が暴かれてしまいます。彼女を慕っていた民衆は掌を返し、混乱がおきます。アンジュリーゼ自身、自分が“ノーマ”であるとは思いも寄りませんでした。16年間、親の権力によって隠されていたからです。事実を受け入れられず困惑するアンジュリーゼを庇い、母は殺されました。アンジュリーゼは皇族の“人間”ではなく「廃棄物」として、辺境の軍事基地「アルゼナル」に送られ、名前を奪われてしまいます。
辺境の軍事基地「アルゼナル」では女性ばかりの“ノーマ”(“ノーマ”は女性だけなのです)が「パラメイル」という人型機動兵器に乗り、人類の敵「ドラゴン」と戦うことが義務付けられています。完全に“人間社会”から隔離された女だけの軍事基地は、絶対的な上下関係が形成され、セクハラパワハラは当たり前、服を破る、椅子に画鋲を置く、など、昭和のバレエ漫画のような古典的ないじめも横行する、労働基準法的には完璧にアウトな環境でした。
協調性がなく自らが“ノーマ”であることが受け入れられない元アンジュリーゼこと“ノーマ”の「アンジュ」は、陰湿ないじめやセクハラを受けながらも、たくましくふてぶてしくゲスく、目的のためなら金で解決も厭わないという、子ども向け変身ヒロインが裸足で逃げ出すような豪傑に成長し、次第に「“人間”社会の平和が“ノーマ”という非差別階級を虐げることでつくられている事実」に気付きますが、やはり、かつて自らが祝福され、信頼し、当たり前に安らいでいた“人間”の世界を忘れることができません。