オフィシャルサイト
やはりPSHの遺作は劇場で見届けようとこのシリーズを初めて劇場で鑑賞したのだけれど、おさらいした前3作を含めこれほどデリケートに作られた物語だとは思っていなかったのが正直なところで、ジャンヌ・ダルクと革命の覚書とするには破壊への耽溺も自由の昂揚もない、どちらかといえば焦燥と混乱に終止していたのは、これがカットニス(ジェニファー・ローレンス)とシステムの闘いというよりも、破壊と殺戮の中で彼女が自身のイノセンスを守りつづける極めて内向きの闘いであったからなのだろう。それは戦場を通過儀礼として“成長”してしまったゲイル(リアム・ヘムズワース)と前線の忌避者ピータ(ジョシュ・ハッチャーソン)との対照によっても補足されるばかりか予期せぬ理解者としてのスノー(ドナルド・サザーランド)との憎しみが媒介する共鳴によっても裏付けられ、革命など幻想にすぎない、勝つのは自分だけの闘いを遂行している者だけなのだという真理が謳われるラストにおける処刑シーンの腑に落ち方はいっそ爽快ですらある。表向きはすべて撮影が終了していたことになっているけれど、手紙で語られたあのシーンは本来プルターク(フィリップ・シーモア・ホフマン)とカットニスの対話が用意されていたのではなかろうか。ドナルド・サザーランドがあの晴れやかに笑う一瞬のためにシリーズを支配したように、すべてを俯瞰していたはずの男がカットニスに跪いて告解ともつかぬ懺悔を小さく微笑みながら果たす瞬間のためのキャスティングであったとしか思えないからである。そしてジェニファー・ローレンスがあんな風にデーモンの宿った歌声を持っているのなら、いつしか漆黒の『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』とでもいうカレン・ダルトンのバイオグラフィーをものにしてもらいたいとあらためて惚れ込んだのであった。また、キャピトルの支配的で威圧的な建物がことごとく東京都庁を思わせる建築デザインになっていた点でも、このシリーズへの親和性が知らず高まったのだろう気がした。