グスタフ・クリムト
1862年ウィーンにクリムトは生まれます。クリムトの父は彫刻家でした。14歳の時奨学金を受け、ウィーン美術工芸学校に入学します。クリムトの弟であるエルンスト(父の名も同じエルンスト)も後に同校に入学します。1879年クリムトは弟エルンストと、友人の3人で仕事を始めます。美術史館の装飾などを手掛けます。1883年には3人で芸術家商会を設立します。仕事は順調に進み、大きな仕事をも受けました。仕事の成果を評価され美術アカデミー教授への推薦も受けますが、残念ながら任命には至りませんでした。1894年ウィーン大学大講堂の天井画の作成を依頼させますが、この作品をきっかけに論争が勃発。この事件をきっかけに保守的な芸術組合に対抗しウィーン分離派が結成、クリムトが初代会長を務めます。ウィーン分離派も成果をあげましたが、同団体によって開催されたベートーヴェン展にクリムトが出品した作品などをきっかけに分裂してしまいます。1905年クリムトとその同志はウィーン分離派を脱退、翌年オーストリア芸術家連盟を結成します。その後名声を獲得します。一時クリムトの人気に陰りが見えましたが、東洋的表現を取り入れ独自の作風を確立します。
クリムトは生涯独身ではありましたが多くの愛人関係で知られています。多くの女性が裸婦モデルを勤め、中には妊娠した者もいました。クリムトの作品は女性が非常に多いです。
作品紹介
牧歌
「寓意と象徴」という書籍の挿絵として描かれた作品。ギリシャ神話の女神、ミューズが卵が入った巣を子供に見せています。両端の男性は羊飼いです。
愛
若い男女が口づけを交わそうとしている場面。上部の顔は諸説ありますが、幼少期から死までの時間経過を表しています。両端が金地になっていますが、これはジャポニズムの影響です。
ヘレネ・クリムトの肖像
弟エルンストの妻、ヘレネを描いた作品。
パラス・アテネ
ギリシャ神話の女神、アテネを描いたものです。黄金の甲冑に描かれている舌を出した顔は、見たものを石に変えてしまうゴルゴンです。このゴルゴンは保守的な伝統主義者たちへの侮蔑だと言われています。
ユディト I
旧約聖書ユディト記(ユダヤ教、プロテスタントでは外典)に登場するユディトを描いた作品です。ユディトは敵将の首をとった美女です。このモデルは有名な銀行家の妻と考えられているのですが、クリムトと愛人関係にあったとかなかったとか。
接吻
最も有名なクリムトの作品『接吻』です。当時接吻というテーマは禁止されていましたが、検閲を逃れ、さらには国が買い上げるというドラマを生みました。男の衣服には四角が、女の衣服には丸が描かれています。これはお互いを補完するという意味があり、更にお互いに敵対しあうという意味でもあります。2人は崖のすぐそばで抱き合っていますが、この崖は愛に潜む悲劇を表しています。この先この2人はどうなるのでしょう。
生と死
男と女、子供と大人、若者と老人。様々な人々が合わさりあい、生として死に対抗しているかのような作品。
アダムとエヴァ
旧約聖書、創造記に記されるアダムとエヴァを描いたもの。
メーダ・プリマヴェージの肖像
クリムトの友人、オットー・プリマヴェージの娘を描いたもの。
座っている若い女性
ピアノを弾くシューベルト
シューベルトはクリムトが生まれる30年前に亡くなりました。そのため2人はあっていません。またこの作品は第二次世界大戦で消失しました。非常に残念です。
「悲劇」の寓意
「彫刻」の寓意
「彫刻」の寓意 最終
水蛇 I
水蛇Ⅱ
以上クリムトでした。
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