時は日露戦争前後。矢野竜子は肥後熊本の博徒の娘で小太刀の名手。堅気の男に嫁ぐはずが、父親を闇討ちされた仇を討つため、緋牡丹の刺青を入れて旅に出るのが第一作。見事仇を討って矢野組二代目を襲名しても、彼女の修行の旅は続きます。
橋幸夫「残侠小唄」の項で書いたように、1960年代半ばから、時代劇の東映は任侠映画の東映へと路線転換します。中村錦之助や大川橋蔵に代わって、高倉健や鶴田浩二が着流しやくざで主役を張ります。
しかし、時代劇にせよ任侠映画にせよ、活劇(アクション)の中心が人間を殺傷する暴力であることに変わりはありません。女性は暴力をこうむる客体にはなっても、暴力を行使する主体=主役にはなりにくい。だから時代劇では女優は添え物です。東映では丘さとみ、桜町弘子、大川恵子の「東映城の三人娘」が町娘やお姫様を演じました。大映では山本富士子が「人肌孔雀」(昭33)「人肌牡丹」(昭33)などで男装美剣士を主演しましたが、東映では、美空ひばりを別にすれば、大川恵子が「姫君一刀流」(昭34)で主演したぐらいのものでしょう。その「姫君一刀流」も残念ながらモノクロでした。
60年代初頭までのチャンバラは、アクションというより、まだ日本舞踊的な型=様式のチャンバラでした。つづく集団抗争時代劇はヒーローも消し様式も壊しました。任侠映画は再びヒーローと様式を回復させましたが、それでも時代は60年代後半、立ちまわりでは肉を斬る効果音も使えば血糊もふんだんに使います。リアリズムです。しかもどんなに美しくとも、ヒロインは「姫君」どころか、やくざなアウトロー。彼女が歩くのも無法者らがたむろする裏街道。そういう設定のなかで、あくまで女としての慎みと気品を失わない藤純子の小太刀の舞いは見事でした。
(「緋牡丹博徒」シリーズの大ヒットにあやかって、大映では江波杏子や安田道代が、日活では扇ひろ子が、女賭博師や女渡世人を演じました。しかし、この気品を出せないために、彼女らの世界はどうしても「汚れ」が目立ちます。なお、日活では松原智恵子主演で「侠花列伝」(昭44)を作ったりしましたが、松原智恵子では無理がありました。)
では、藤純子が歌う主題歌「緋牡丹博徒」。こちらで聴きながらお読みください。wins2routerさんに感謝しつつ無断リンクします。
昭和43年発売
作詞・作曲:渡辺岳夫 編曲:薊けいじ
一 娘盛りを 渡世にかけて
張った体に 緋牡丹燃える
女の 女の 女の意気地
旅の夜空に 恋も散る
二 鉄火意気地も 所詮は女
濡れた黒髪 緋牡丹ゆれる
女の 女の 女の未練
更けて夜空に 星も散る
三 男衣裳に 飾っていても
さしたかんざし 緋牡丹化粧
女の 女の 女の運命(さだめ)
捨てた夜空に 一人行く
作詞作曲した渡辺岳夫はテレビドラマやテレビアニメ、映画などの音楽や主題歌を多く手掛けました。作詞もしています。
(なお、渡辺岳夫が担当したのは主題歌ではなく、あくまでドラマの音楽担当。「♪赤い帽子に黒マスク」でおなじみの「まぼろし探偵」の主題歌の歌詞は、一般公募で2418通の応募の中から選ばれた「岩手県花巻小学校六年生の照井範夫君」の作詞。山本流行が補作詞しました。その二番、「♪親にしんぱいかけまいと/あっというまの早がわり」。牧歌的な昭和30年代のよい子たちのヒーローでした。作曲したのが渡辺浦人。渡辺浦人は岳夫の父親でした。)
さて、「緋牡丹博徒」。歌詞は、サビで「女」を繰り返し、女でありながら切った張ったの渡世の道を歩むせつなさを強調します。藤純子の音程は少し不安定ですが、それが聴き手をちょっとハラハラさせて、緋牡丹お竜の危うい道行きを見守るときの心理にも似て、魅力です。
「一人行く」渡世の旅ですが、彼女は独力で暴力の世界を制圧するわけではありません。それでは「女」でなくなります。いざという時には、必ず、高倉健や菅原文太が、お竜を助けるために登場します。お竜はひそかに彼らに心を寄せ、彼らもまたお竜に心魅かれもします。しかし、お竜が彼らと結ばれることはありません。殴り込みのすさまじい血の嵐のなかで、お竜が心を寄せた男たちは必ず死ななければなりません。死ねなかった男はお竜の分まで殺傷の罪をかぶって獄に入らなければなりません。お竜は性的にも法的にも「汚れ」てはならないからです。しかし、そのために、お竜の「恋」は必ず「散る」のです。それが映画の文法であり、ヒロイン・お竜の「運命(さだめ)」というものです。
古代ギリシャには、狩猟の女神として弓矢を使う処女神アルテミスがいました。小太刀を使う緋牡丹お竜は、いわばアルテミスのごとき「永遠の処女神」でした。高倉健も菅原文太も鶴田浩二も、さらには不死身の藤松(待田京介)もシルクハットの熊虎親分(若山富三郎)も、男たちはみな、この「永遠の処女神」を守るために命を賭けたのでした。
坂本九「上を向いて歩こう」の項で、映画「上を向いて歩こう」で混乱したドラマにたった一声で大団円をもたらす吉永小百合は古代ギリシャ劇の「機械仕掛けの神」にも比すべき女神なのだ、と書きました。
吉永小百合も女神なら、藤純子も女神です。戦後日本映画の女神はこの二人だけです。
(藤純子は昭和20年12月生まれ。吉永小百合と同年で一学年下。お竜さんがスクリーンに登場した時、藤純子は23歳でした。)
「緋牡丹博徒」シリーズは藤純子が昭和47年(1972)に引退するまで、全8作が作られました。
藤純子の引退は、NHK大河ドラマ「源義経」での共演が縁で梨園の御曹司・尾上菊之助と結婚するためです。
その引退記念映画「関東緋桜一家」は、無声映画時代からの娯楽映画の巨匠、任侠映画でも高倉健主演「昭和残侠伝・死んで貰います」(1970公開)などの名作を撮ったマキノ雅弘がメガホンを取り、高倉健や菅原文太、鶴田浩二はもちろん、御大・片岡千恵蔵まで、オールスター映画として作られました。そのラストシーン、片岡千恵蔵に促された藤純子が「みなさん、お世話になりました」と深々と頭を下げて、高倉健と所帯を持つために立ち去っていきます。もちろん彼女はスクリーンの中の町衆に礼を述べると同時にスクリーンの外の観客にも別れを告げたのです。マキノ雅弘の心にくい演出でした。好きな男と結ばれるとき、「処女神」は消えるのです。
「関東緋桜一家」で藤純子が引退したのが1972年3月。その5カ月後の1972年8月には、さらに殺伐とした現代に舞台を移して、梶芽衣子主演の「女囚701号さそり」が封切られます。血しぶきの中でも汚れることのない気品を保っていた藤純子の時代は去り、凄まじい修羅の世界を生きる「汚れた」ヒロインの登場です。(梶芽衣子はすでに1970年からチンピラ・アウトローもの「野良猫ロック」シリーズに主演していました。さらに1973年には映画「修羅雪姫」にも主演します。)
ともあれ、女性の「自立」によって青春歌謡が終わった昭和43年(1968)、暴力の世界を「ひとり」生きるヒロインが誕生したのでした。「彼女たちの旅路」テーマの番外として、「緋牡丹博徒」を取りあげた理由です。
(ついでに、暴力(アクション)の主体としての強い女たち、ということで付け加えれば、テレビでお色気アクション物「プレイガール」が始まるのは1969年の4月でした。藤純子の慎みと気品などかけらもなく、ミニスカートでパンツをちらつかせるこちらは、女性の「自立」に伴う身体(=性)の解放の延長上に登場したものです。
さらにもう一つ、1969年には松山容子の映画「めくらのお市」も封切られています。これは、この映画が縁で松山が結婚することになる棚下照生原作の劇画の映画化でした。梶芽衣子の「修羅雪姫」の原作が上村一夫の劇画だったこととも合わせて、劇画的過激描写による新しいリアリズムの時代、つまり劇画的リアリズムの時代の到来を象徴するものです。劇画的リアリズムもまた、舟木一夫「花の応援」の項などで書いたとおり、感覚刺激を増幅しつづける60年代末の身体の解放の現れの一つです。
リアリズムとは現実そのもののことではありません。現実の再現の仕方、認識の仕方のことです。だからそれは時代によって変わります。一般的には、感覚刺激を強化する方向に変わるのが普通です。
私は、60年代末のいわゆる新左翼過激派の世界認識を支えた感受性も劇画的リアリズムみたいなものだったと思っています。彼らはバリケードの中で劇画中心になった少年漫画雑誌を回し読みしていたし、とりわけ、1970年3月31日、日本航空機「よど号」をハイジャックして北朝鮮に渡った赤軍派メンバーたちは「われわれは明日のジョーである」という子供じみた声明を残していました。もちろん、高森朝雄(梶原一騎)原作、ちばてつや画で「少年マガジン」に連載された「あしたのジョー」(68年連載開始)です。
それはもう「リアリズム」というより「ロマン主義」です。それも、「革命的ロマン主義」などと御大層な言葉を使うよりは、劇画的想像力とでもいった方が実態に近いようなものだったでしょう。
(ハイジャック事件発生の翌日4月1日、韓国金浦空港での犯人グループとの交渉が続くさなかに、テレビアニメ「あしたのジョー」の第1回の放送が始まりました。皮肉にも、寺山修司が作詞し尾藤イサオが歌ったその主題歌の最後のフレーズは「あしたはどっちだ」。世界革命戦争という「あした」のための拠点作りを目指したはずの彼ら9人でしたが、結局は「あした」の方角を見失って迷走しただけだったようです。彼らの中には日本人拉致に手を貸した者もいます。北朝鮮の「赤軍化」を掲げながら、北朝鮮体制に取り込まれただけ。矢吹丈のように「燃え尽きる」まで闘ったとは、とても思えません。)