もう一度酒井和歌子。2枚目のレコード「花と走ろう/青春通り」。
まず「青春通り」。こちらで聴きながらお読みください。nobu nobuさんに感謝しつつ無断リンクします。
(ジャケット画像の下はこの時期おなじみだった「ハイシーA」のCM。「女性自身」昭和43年4月8日号から。)
酒井和歌子「青春通り」
昭和43年6月発売
作詞:万里村ゆき子 作曲:戸塚三博 編曲:大西修
一 幸せが通る 恋人が通る
ときどき 悩みも通る 青春通り
プラタナス 淡く芽を吹けば
朝の街 あのひとまだ来ない
さびしさが通る ひとりで通る
若い道だよ ラララ 青春通り
二 たのしさが通る 悲しみが通る
いつかは別れも通る 青春通り
カフェテラス ひとり 君を待つ
昼の街 水色かすむ空
誰かが通る ほほえんで通る
明日へ続くよ ラララ 青春通り
三 きみたちが通る 肩よせて通る
不思議な涙も通る 青春通り
君だけと 愛をたしかめて
夜の街 星くず拾おうよ
愛しさが通る 夢をみて通る
ふたりの道だよ ラララ 青春通り
「青春通り」を通る「幸せ」「恋人」「(ときどきは)悩み」「さびしさ」「たのしさ」「悲しみ」「(いつかは)別れ」……歌詞はちょっと、「♪悩みがあるなら語り明かそう」と歌い出して「♪だれでも一度は通りすぎてく/愛して恋する若い街角」と歌った舟木一夫「雨の中に消えて」(s41-8)を思い出させます。コロムビア青春抒情詩の良き伝統というべきでしょうか。
ジャケットには「花と走ろう」とともに「東京映画・東宝配給作品「大都会の恋人たち」挿入歌」とあります。歌手デビュー曲「大都会の恋人たち」(s43-3)がよほど好評だった証拠です。しかし、残念ながらこの映画企画は流れてしまったようです。
「大都会の恋人たち」はしっとりと大人びたムードの曲でしたが、「挿入歌」になるはずだったこちらの2曲は明朗で軽快な青春歌謡の本道です。
それにしても、こういう明朗な曲を挿入歌に出来る青春映画、一年前ならきっと実現していたでしょうに。もう昭和43年=1968年の夏、青春映画の時代も終わったのです。
ちなみに、青春映画や青春歌謡映画を作りつづけてきた日活の昭和43年の青春(歌謡)映画をリストアップすれば、以下の通り。
1月 「花の恋人たち」 (「ザ・スパイダースの大進撃」)
2月 「星影の波止場」 「恋人と呼んでみたい」
3月 「残雪」 「青春の風」
4月 (「いろいろあらァな田舎ッぺ」)
5月 (「ザ・スパイダースの大騒動」) 「娘の季節」
8月 (「ザ・スパイダースのバリ島珍道中」)
これだけ。9月以後は任侠映画などばかり。
春先までは堅調でやはり日活の主流の一つは青春映画かと思わせていたのに、昭和43年夏、突然の終わりです。
( )に入れたのは青春(歌謡)映画と呼んでいいかどうかちょっと疑問な作品。「いろいろあらァな田舎ッぺ」は人気絶頂コメディアン東京ぼん太のヒット曲にあやかったコメディ。ザ・スパイダース主演映画はまぎれもない青春歌謡映画ながら「青春歌謡」の映画とは言えないので( )に入れました。そのスパイダース映画が3本あるのがグループ・サウンズ全盛期の証拠。(なお、「星影の波止場」は「新御三家」候補の一人ともいわれていた阿木譲をゲストに迎えたアクションもの。)
そういうちょっと疑問な作品を入れてもこれだけなのです。映画においても舟木一夫の「残雪」が終りを画しているのにお気づきでしょう。(3月30日、同時封切の「青春の風」は吉永小百合主演で和泉雅子&山本陽子共演。)また、ヒット曲に頼らない純然たる青春映画は5月の和泉雅子主演「娘の季節」で終ったといってよいでしょう。
昭和43年初夏、青春歌謡の終りが突然やってきたのと同じく、青春歌謡を傍らで支えつづけてきた日活青春映画の終りも突然やってきたのでした。
なお、そもそも経営が傾いていた日活とちがって、東宝の場合は加山雄三の若大将シリーズもあって、もう少し続きます。それでも若大将が大学生なのはやっぱり昭和43年の夏、「リオの若大将」(s43-7)が最後でした。以前「青春をぶっつけろ」の項で書いたとおり、「政治の季節」で荒れる学園(大学)がもう牧歌的な青春謳歌の場でなくなったからです。
翌昭和44年=1969年の年頭、若大将は社会人になって「フレッシュマン若大将」(s44-1)として復活。そしてこの映画から星由里子のあとを継いで酒井和歌子が若大将の相手役に抜擢されることになります。日活の吉永小百合&松原智恵子&和泉雅子らが青春映画を「卒業」したりテレビへと移行したりするなか(東宝のライバル・内藤洋子は引退)、酒井和歌子は60年代末から70年代へと「清純派」のまま生き延びたほとんど唯一の青春女優でした。
それにしても、デュエット「大都会の恋人たち」では江夏圭介に助けられていた酒井和歌子の歌唱、ソロになったらちょっと心細くて頼りない。しかし、この頼りなげな歌唱を愛せなければ青春歌謡ファンとはいえません。浅丘ルリ子だって松原智恵子だって頼りなげではかなげで、そこがスクリーン上の彼女らのイメージとダブって魅力だったのです。
それでは、この機会にもう一曲、やっぱりまぼろしの青春映画の挿入歌になるはずだったレコード片面の「花と走ろう」の方も紹介しておきましょう。「青春通り」よりもこの曲の方がやわらかみがあって酒井和歌子のイメージにもふさわしく、私は好きなのですが、いまyoutubeにはありません。
(ジャケット画像の下は「平凡」昭和43年5月号から。酒井和歌子短大入学です。しかし、ちょうどこのころから人気急上昇、売れっ子になったせいでしょう、卒業できず中退します。)
酒井和歌子「花と走ろう」
昭和43年6月発売
作詞:万里村ゆき子 作曲:戸塚三博 編曲:大西修

花をかざして走ろう
いじわる雨なんか
ぬれてもいいの 気にしない
花をかざして走ろう
星を見上げて歩こう
小さな星だけど
夜空のすみで見つけたの
星を見上げて歩こう
とても淋しくて 泣きたい日もある
そのとき涙を 空に向けて散らそう
肩を寄せあい歩こう
言葉はいらないの
心がかよう 信じあう
肩を寄せあい歩こう
髪をなびかせ走ろう
明るい風だから
はずんで若い黒い髪
髪をなびかせ走ろう
*いつかめぐりあう やさしい人なら
そのとき目と目で 明日の愛を誓おう
*くりかえし
この歌については、以前、和泉雅子、ジュディ・オング、本間千代子、高田美和、内藤洋子ら、青春女優たちの歌手デビューにおける「清純派宣言」の一例として、ちょっと言及しました。あらためて付け加えることはほとんどありません。
「花をかざして走ろう」「星を見上げて歩こう」。愛の「花」と希望の「星」、1968年半ば、青春歌謡&青春映画の突然の死期に溌剌と歌われたまぎれもない「星菫派」宣言の歌でした。
まず「青春通り」。こちらで聴きながらお読みください。nobu nobuさんに感謝しつつ無断リンクします。
(ジャケット画像の下はこの時期おなじみだった「ハイシーA」のCM。「女性自身」昭和43年4月8日号から。)
酒井和歌子「青春通り」
昭和43年6月発売
作詞:万里村ゆき子 作曲:戸塚三博 編曲:大西修
ときどき 悩みも通る 青春通り
プラタナス 淡く芽を吹けば
朝の街 あのひとまだ来ない
さびしさが通る ひとりで通る
若い道だよ ラララ 青春通り
二 たのしさが通る 悲しみが通る
いつかは別れも通る 青春通り
カフェテラス ひとり 君を待つ
誰かが通る ほほえんで通る
明日へ続くよ ラララ 青春通り
三 きみたちが通る 肩よせて通る
不思議な涙も通る 青春通り
君だけと 愛をたしかめて
夜の街 星くず拾おうよ
愛しさが通る 夢をみて通る
ふたりの道だよ ラララ 青春通り
「青春通り」を通る「幸せ」「恋人」「(ときどきは)悩み」「さびしさ」「たのしさ」「悲しみ」「(いつかは)別れ」……歌詞はちょっと、「♪悩みがあるなら語り明かそう」と歌い出して「♪だれでも一度は通りすぎてく/愛して恋する若い街角」と歌った舟木一夫「雨の中に消えて」(s41-8)を思い出させます。コロムビア青春抒情詩の良き伝統というべきでしょうか。
ジャケットには「花と走ろう」とともに「東京映画・東宝配給作品「大都会の恋人たち」挿入歌」とあります。歌手デビュー曲「大都会の恋人たち」(s43-3)がよほど好評だった証拠です。しかし、残念ながらこの映画企画は流れてしまったようです。
「大都会の恋人たち」はしっとりと大人びたムードの曲でしたが、「挿入歌」になるはずだったこちらの2曲は明朗で軽快な青春歌謡の本道です。
それにしても、こういう明朗な曲を挿入歌に出来る青春映画、一年前ならきっと実現していたでしょうに。もう昭和43年=1968年の夏、青春映画の時代も終わったのです。
ちなみに、青春映画や青春歌謡映画を作りつづけてきた日活の昭和43年の青春(歌謡)映画をリストアップすれば、以下の通り。
1月 「花の恋人たち」 (「ザ・スパイダースの大進撃」)
2月 「星影の波止場」 「恋人と呼んでみたい」
3月 「残雪」 「青春の風」
4月 (「いろいろあらァな田舎ッぺ」)
5月 (「ザ・スパイダースの大騒動」) 「娘の季節」
8月 (「ザ・スパイダースのバリ島珍道中」)
これだけ。9月以後は任侠映画などばかり。
春先までは堅調でやはり日活の主流の一つは青春映画かと思わせていたのに、昭和43年夏、突然の終わりです。
( )に入れたのは青春(歌謡)映画と呼んでいいかどうかちょっと疑問な作品。「いろいろあらァな田舎ッぺ」は人気絶頂コメディアン東京ぼん太のヒット曲にあやかったコメディ。ザ・スパイダース主演映画はまぎれもない青春歌謡映画ながら「青春歌謡」の映画とは言えないので( )に入れました。そのスパイダース映画が3本あるのがグループ・サウンズ全盛期の証拠。(なお、「星影の波止場」は「新御三家」候補の一人ともいわれていた阿木譲をゲストに迎えたアクションもの。)
そういうちょっと疑問な作品を入れてもこれだけなのです。映画においても舟木一夫の「残雪」が終りを画しているのにお気づきでしょう。(3月30日、同時封切の「青春の風」は吉永小百合主演で和泉雅子&山本陽子共演。)また、ヒット曲に頼らない純然たる青春映画は5月の和泉雅子主演「娘の季節」で終ったといってよいでしょう。
昭和43年初夏、青春歌謡の終りが突然やってきたのと同じく、青春歌謡を傍らで支えつづけてきた日活青春映画の終りも突然やってきたのでした。
なお、そもそも経営が傾いていた日活とちがって、東宝の場合は加山雄三の若大将シリーズもあって、もう少し続きます。それでも若大将が大学生なのはやっぱり昭和43年の夏、「リオの若大将」(s43-7)が最後でした。以前「青春をぶっつけろ」の項で書いたとおり、「政治の季節」で荒れる学園(大学)がもう牧歌的な青春謳歌の場でなくなったからです。
翌昭和44年=1969年の年頭、若大将は社会人になって「フレッシュマン若大将」(s44-1)として復活。そしてこの映画から星由里子のあとを継いで酒井和歌子が若大将の相手役に抜擢されることになります。日活の吉永小百合&松原智恵子&和泉雅子らが青春映画を「卒業」したりテレビへと移行したりするなか(東宝のライバル・内藤洋子は引退)、酒井和歌子は60年代末から70年代へと「清純派」のまま生き延びたほとんど唯一の青春女優でした。
それにしても、デュエット「大都会の恋人たち」では江夏圭介に助けられていた酒井和歌子の歌唱、ソロになったらちょっと心細くて頼りない。しかし、この頼りなげな歌唱を愛せなければ青春歌謡ファンとはいえません。浅丘ルリ子だって松原智恵子だって頼りなげではかなげで、そこがスクリーン上の彼女らのイメージとダブって魅力だったのです。
それでは、この機会にもう一曲、やっぱりまぼろしの青春映画の挿入歌になるはずだったレコード片面の「花と走ろう」の方も紹介しておきましょう。「青春通り」よりもこの曲の方がやわらかみがあって酒井和歌子のイメージにもふさわしく、私は好きなのですが、いまyoutubeにはありません。
(ジャケット画像の下は「平凡」昭和43年5月号から。酒井和歌子短大入学です。しかし、ちょうどこのころから人気急上昇、売れっ子になったせいでしょう、卒業できず中退します。)
酒井和歌子「花と走ろう」
昭和43年6月発売
作詞:万里村ゆき子 作曲:戸塚三博 編曲:大西修
花をかざして走ろう
いじわる雨なんか
ぬれてもいいの 気にしない
花をかざして走ろう
星を見上げて歩こう
小さな星だけど
夜空のすみで見つけたの
星を見上げて歩こう
そのとき涙を 空に向けて散らそう
肩を寄せあい歩こう
言葉はいらないの
心がかよう 信じあう
肩を寄せあい歩こう
髪をなびかせ走ろう
明るい風だから
はずんで若い黒い髪
髪をなびかせ走ろう
*いつかめぐりあう やさしい人なら
そのとき目と目で 明日の愛を誓おう
*くりかえし
この歌については、以前、和泉雅子、ジュディ・オング、本間千代子、高田美和、内藤洋子ら、青春女優たちの歌手デビューにおける「清純派宣言」の一例として、ちょっと言及しました。あらためて付け加えることはほとんどありません。
「花をかざして走ろう」「星を見上げて歩こう」。愛の「花」と希望の「星」、1968年半ば、青春歌謡&青春映画の突然の死期に溌剌と歌われたまぎれもない「星菫派」宣言の歌でした。