遊星王子の青春歌謡つれづれ

歌謡曲(青春歌謡)がわかり、ついでに文学と思想と歴史もわかってしまう、とてもためになる(?)ブログ。青春歌謡で考える1960年代論。こうなったらもう、目指すは「青春歌謡百科全書」。(ホンキ!?)

万里村ゆき子

 「遊星王子」は遠い星からやってきました。ふだんは東京の街角の靴磨き青年に身をやつしています。アメリカの大都会の新聞記者になりすましているスーパーマンに比べると貧乏くさいけれど、これが日本、これが戦後です。
 宇宙から日本にやって来た正義の味方としては、スーパー・ジャイアンツには遅れましたが、ナショナルキッドよりは先輩です。
(またの名を落日の独り狼・拝牛刀とも申します。牛刀をもって鶏を割くのが仕事の、公儀介錯人ならぬ個人営業の「解釈人」です。)

 「青春歌謡」の定義や時代区分については2011年9月5日&12月31日をお読みください。暫定的な「結論」は2012年3月30日に書きました。
 この時代のレコードの発売月は資料によってすこし異なる場合があることをご承知ください。
 画像も音源もネット上からの無断借用です。upされた方々に多謝。不都合があればすぐ削除しますのでお申し出下さい。
 リンク先が消滅している場合は、ご自分で検索してみてください。youtubeの動画はアカウントを変えて「不死鳥のごとく」(!)よみがえっている場合が多いので。
 お探しの曲名や歌手名・作詞家名があれば、右の「記事検索」でどうぞ。
 なお、以前の記事にも時々加筆修正しています。
 *2015年2月23日
 「人気記事」を表示しました。直近一週間分の集計結果だそうです。なんだかむかしなつかしい人気投票「ベストテン」みたいです(笑)。(一週間じゃなく5日間じゃないのかな?)
 *2015年7月25日
 記事に投稿番号を振ってみました。ブログ開始から3年と11か月。投稿記事数426。一回に数曲取り上げた記事もあるので曲数は500曲ぐらいになるでしょう。我ながら驚きます。

437 酒井和歌子「花と走ろう/青春通り」 遅れてきた青春歌手たち(5) 付・青春映画の終焉

 もう一度酒井和歌子。2枚目のレコード「花と走ろう/青春通り」。
 まず「青春通り」。こちらで聴きながらお読みください。nobu nobuさんに感謝しつつ無断リンクします。
 (ジャケット画像の下はこの時期おなじみだった「ハイシーA」のCM。「女性自身」昭和43年4月8日号から。)

酒井和歌子「青春通り」
  昭和43年6月発売
  作詞:万里村ゆき子 作曲:戸塚三博 編曲:大西修
酒井和歌子・青春通り 一 幸せが通る 恋人が通る
   ときどき 悩みも通る 青春通り
   プラタナス 淡く芽を吹けば
   朝の街 あのひとまだ来ない
   さびしさが通る ひとりで通る
   若い道だよ ラララ 青春通り
 二 たのしさが通る 悲しみが通る
   いつかは別れも通る 青春通り
   カフェテラス ひとり 君を待つ
酒井和歌子43-4-8女性自身   昼の街 水色かすむ空
   誰かが通る ほほえんで通る
   明日へ続くよ ラララ 青春通り
 三 きみたちが通る 肩よせて通る
   不思議な涙も通る 青春通り
   君だけと 愛をたしかめて
   夜の街 星くず拾おうよ
   愛しさが通る 夢をみて通る
   ふたりの道だよ ラララ 青春通り  

 「青春通り」を通る「幸せ」「恋人」「(ときどきは)悩み」「さびしさ」「たのしさ」「悲しみ」「(いつかは)別れ」……歌詞はちょっと、「♪悩みがあるなら語り明かそう」と歌い出して「♪だれでも一度は通りすぎてく/愛して恋する若い街角」と歌った舟木一夫「雨の中に消えて」(s41-8)を思い出させます。コロムビア青春抒情詩の良き伝統というべきでしょうか。
 ジャケットには「花と走ろう」とともに「東京映画・東宝配給作品「大都会の恋人たち」挿入歌」とあります。歌手デビュー曲「大都会の恋人たち」(s43-3)がよほど好評だった証拠です。しかし、残念ながらこの映画企画は流れてしまったようです。
 「大都会の恋人たち」はしっとりと大人びたムードの曲でしたが、「挿入歌」になるはずだったこちらの2曲は明朗で軽快な青春歌謡の本道です。
 それにしても、こういう明朗な曲を挿入歌に出来る青春映画、一年前ならきっと実現していたでしょうに。もう昭和43年=1968年の夏、青春映画の時代も終わったのです。
 ちなみに、青春映画や青春歌謡映画を作りつづけてきた日活の昭和43年の青春(歌謡)映画をリストアップすれば、以下の通り。
  1月 「花の恋人たち」 (「ザ・スパイダースの大進撃」)
  2月 「星影の波止場」 「恋人と呼んでみたい」
  3月 「残雪」 「青春の風」
  4月 (「いろいろあらァな田舎ッぺ」)
  5月 (「ザ・スパイダースの大騒動」) 「娘の季節」
  8月 (「ザ・スパイダースのバリ島珍道中」)
 これだけ。9月以後は任侠映画などばかり。
 春先までは堅調でやはり日活の主流の一つは青春映画かと思わせていたのに、昭和43年夏、突然の終わりです。
 ( )に入れたのは青春(歌謡)映画と呼んでいいかどうかちょっと疑問な作品。「いろいろあらァな田舎ッぺ」は人気絶頂コメディアン東京ぼん太のヒット曲にあやかったコメディ。ザ・スパイダース主演映画はまぎれもない青春歌謡映画ながら「青春歌謡」の映画とは言えないので( )に入れました。そのスパイダース映画が3本あるのがグループ・サウンズ全盛期の証拠。(なお、「星影の波止場」は「新御三家」候補の一人ともいわれていた阿木譲をゲストに迎えたアクションもの。)
 そういうちょっと疑問な作品を入れてもこれだけなのです。映画においても舟木一夫の「残雪」が終りを画しているのにお気づきでしょう。(3月30日、同時封切の「青春の風」は吉永小百合主演で和泉雅子&山本陽子共演。)また、ヒット曲に頼らない純然たる青春映画は5月の和泉雅子主演「娘の季節」で終ったといってよいでしょう。
 昭和43年初夏、青春歌謡の終りが突然やってきたのと同じく、青春歌謡を傍らで支えつづけてきた日活青春映画の終りも突然やってきたのでした。
 なお、そもそも経営が傾いていた日活とちがって、東宝の場合は加山雄三の若大将シリーズもあって、もう少し続きます。それでも若大将が大学生なのはやっぱり昭和43年の夏、「リオの若大将」(s43-7)が最後でした。以前「青春をぶっつけろ」の項で書いたとおり、「政治の季節」で荒れる学園(大学)がもう牧歌的な青春謳歌の場でなくなったからです。
 翌昭和44年=1969年の年頭、若大将は社会人になって「フレッシュマン若大将」(s44-1)として復活。そしてこの映画から星由里子のあとを継いで酒井和歌子が若大将の相手役に抜擢されることになります。日活の吉永小百合&松原智恵子&和泉雅子らが青春映画を「卒業」したりテレビへと移行したりするなか(東宝のライバル・内藤洋子は引退)、酒井和歌子は60年代末から70年代へと「清純派」のまま生き延びたほとんど唯一の青春女優でした。
 それにしても、デュエット「大都会の恋人たち」では江夏圭介に助けられていた酒井和歌子の歌唱、ソロになったらちょっと心細くて頼りない。しかし、この頼りなげな歌唱を愛せなければ青春歌謡ファンとはいえません。浅丘ルリ子だって松原智恵子だって頼りなげではかなげで、そこがスクリーン上の彼女らのイメージとダブって魅力だったのです。

 それでは、この機会にもう一曲、やっぱりまぼろしの青春映画の挿入歌になるはずだったレコード片面の「花と走ろう」の方も紹介しておきましょう。「青春通り」よりもこの曲の方がやわらかみがあって酒井和歌子のイメージにもふさわしく、私は好きなのですが、いまyoutubeにはありません。
 (ジャケット画像の下は「平凡」昭和43年5月号から。酒井和歌子短大入学です。しかし、ちょうどこのころから人気急上昇、売れっ子になったせいでしょう、卒業できず中退します。)

酒井和歌子「花と走ろう」
  昭和43年6月発売
  作詞:万里村ゆき子 作曲:戸塚三博 編曲:大西修
酒井和歌子・花と走ろう
   花をかざして走ろう
   いじわる雨なんか
   ぬれてもいいの 気にしない
   花をかざして走ろう
   星を見上げて歩こう
   小さな星だけど
   夜空のすみで見つけたの
   星を見上げて歩こう
酒井和歌子43-5平凡より   とても淋しくて 泣きたい日もある
   そのとき涙を 空に向けて散らそう

   肩を寄せあい歩こう
   言葉はいらないの
   心がかよう 信じあう
   肩を寄せあい歩こう
   髪をなびかせ走ろう
   明るい風だから
   はずんで若い黒い髪
   髪をなびかせ走ろう
  *いつかめぐりあう やさしい人なら
   そのとき目と目で 明日の愛を誓おう

  *くりかえし

 この歌については、以前、和泉雅子、ジュディ・オング、本間千代子、高田美和、内藤洋子ら、青春女優たちの歌手デビューにおける「清純派宣言」の一例として、ちょっと言及しました。あらためて付け加えることはほとんどありません。
 「花をかざして走ろう」「星を見上げて歩こう」。愛の「花」と希望の「星」、1968年半ば、青春歌謡&青春映画の突然の死期に溌剌と歌われたまぎれもない「星菫派」宣言の歌でした。

436 酒井和歌子&江夏圭介「大都会の恋人たち」 遅れてきた青春歌手たち(4)

 学園ソングで青春歌謡全盛期を作り出した舟木一夫が、昭和43年3月、「残雪」で自ら青春歌謡の時代の終焉を告知したのだ、と以前書きました。
 今日はその「残雪」とほぼ同時に、つまりはそれと知らずに青春歌謡終焉期に、発売された青春歌謡を。
 酒井和歌子&江夏圭介「大都会の恋人たち」。こちらで聴きながらお読みください。「恋のフーガ」さんに感謝しつつ無断リンクします。 

酒井和歌子&江夏圭介「大都会の恋人たち」
酒井和歌子・大都会の恋人たち・江夏圭介  昭和43年3月発売
  作詞:万里村ゆき子 作曲:戸塚三博

    「たのしいかい」
    「とっても」
    「歩こうか」
    「歩きたい」
 一 ふたつならんで 寄り添って
   ビルのかどゆく 影がある
酒井和歌子・大都会の恋人たち・江夏圭介・裏   愛しているよ 今はそれだけ
   愛していてね 今はそれだけ
   ふたつでひとつの 心なら
   むすぶ瞳に ゆれてさく
     淡いテラスの 窓灯り
     愛のことばで 踊ろう
 二 ペーブメントに 雨が降る
   白くおしゃれな 雨が降る
   寒くはないかい コートをあげる
酒井和歌子&内藤洋子s43年カレンダー   寒くはないのよ あなたといれば
   ふたりでひとつの コート着て
   甘い小走り にわか雨
     待てばすぐやむ 雨なのに
     愛の時間が 惜しい
 三 ひとり帰って みたとこで
   ふたり一緒の 夢をみる
   今夜はぼくに ついておいでよ
   今夜は時計を 忘れてきたの
   ふたりでひとつの 夜ならば
   それと知っての まわり道
     すでに夜更けの 街並木
     愛の灯影が 歌う

 酒井和歌子はこの時期、同じ東宝所属の清純派女優として、内藤洋子と人気を二分していましたが、これが歌手としてのデビュー曲。19才でした。
 酒井の方が内藤より1歳年長。内藤の方はすでに前年、「白馬のルンナ/雨の日には」(s42-7)で歌手デビューしていました。内藤の後を追うように、同じコロムビアからデビューしたことになります。
 (上は昭和43年の東宝の年賀状。酒井和歌子と内藤洋子が晴れ着姿で。翌44年と45年の年賀状でもこの二人が並んでいます。その45年=1970年に内藤洋子は突然結婚引退してしまうのでした。)
酒井和歌子&江夏圭介・女学生の友43-2 江夏圭介の方もこれがデビュー曲。
 フレッシュなふたりが歌うしっとりと落ち着いたムードの青春ラブソング。詞も曲も、寄り添い歩く恋人同士のささやくようなやり取りをうまく生かしています。「甘い小走り」とか「ひとり帰ってみたとこで/ふたり一緒の夢をみる」とか、万里村ゆき子の歌詞には感心します。
 右に掲げた二枚の画像は「女学生の友」43年2月号から。2月号なので発売は1月。レコード発売に二カ月近くも先立っての前宣伝。「ワコちゃん」(酒井和歌子)が同年代の少女たちからも絶大な支持を受けていた証拠です。
 ところで、デュエット相手に選ばれた江夏圭介。やわらかくて深みもある甘い歌酒井和歌子&江夏圭介・女学生の友43-2 (2)声でていねいな歌唱。けれどもネット上にはほとんどデータがありません。
 人気者「ワコちゃん」とのデュエットを成功させて幸運なデビューだったはずですが、このあとコロムビアでソロで「恋人は夕陽の海で/夜のコンチェルト」(s43-8?)「葡萄実る丘/恋人の世界」(s43-10?)とレコードを二枚出した後、年末にはこの年3月に発足したCBSソニーに移籍しています。CBSソニーでの最初の曲「新初恋」(s43-12?)は寺山修司の作詞だったそうで、曲調も青春歌謡系のコロムビアとはがらりと変わったはずですが、ヒットとはいきませんでした。
 江夏の声質はムード歌謡の時代にも適応できたはずだと思うので、CBSソニーへの移籍がよかったのかどうか、ちょっと疑問です。
 というのは、酒井和歌子は翌44年6月に「大都会の夜」を歌うのですが、タイトルも歌詞の世界も「大都会の恋人たち」を連想させるこの曲、同じ戸塚三博の作曲ながら、もう完全にムード歌謡仕立てなのです。しかしデュエット相手だった江夏圭介はもうおらず、ムードコーラス・グループ(久保内茂幸とロマネスク・セブン)と組んでの歌唱。というより、酒井和歌子がムードコーラス・グループの女性ボーカルに雇われたかのごとき印象になってしまいました。これもまた青春歌謡の時代終焉の余波の一つかもしれません。 

舟木一夫「くちなしのバラード」 青春歌謡は花ざかり(13) くちなしの詩学

 舟木一夫の花の名のタイトルの歌、「あゝりんどうの花咲けど」(昭40-6)「さんざしの花咲けば」(昭42-8)につづく3曲目は「くちなしのバラード」。
 こちらで聴きながらお読みください。kazuyan679さんに感謝しつつ無断リンクします。(画像下は映画「花の恋人たち」(昭43-1公開)での「くちなしのバラード」歌唱シーンから。)

舟木一夫「くちなしのバラード」
  昭和43年1月発売
  作詞・作曲:万里村ゆき子 編曲:河村利夫
舟木一夫・くちなしのバラード 一 ひそやかなためいき 小さくひとつ
   ひそやかな花の香に 小さく消えた
   君のその手は とてもつめたいけど
   なにもいわずに ぼくにあずけて
   見つめていようよ 白いくちなしの花
 二 ひそやかなはじらい かすかにひとつ
   ひそやかな花かげに かすかにだいた
   ぼくの心に 鐘が鳴ってる
   なにもいわずに いついつまでも
   見つめていようよ 白いくちなしの花
 三 ひそやかなまなざし やさしくひとつ
舟木・くちなしのバラードin花の恋人たち   ひそやかな花びらに やさしくゆれた
   君のその目は 夜霧にぬれたけど
   なにもいわずに そっとよりそい
   見つめていようよ 白いくちなしの花

 後年、渡哲也が歌った「くちなしの花」が大ヒットしますが、舟木のこの歌以前には、くちなしの花をテーマにした歌謡曲は思い浮かびません。
 「くちなし」という名の由来は、その実が熟しても栗や石榴のように口を開かない(開裂しない)から「口無し」なのだ、といいます。他の語源説もあるようですが、一般にはこの語源で知られ、くちなしの実で染めた「くちなし色」には「云わぬ色」という異名もあるそうです。口が無いから「云わぬ」です。
 和歌ではもっぱら、花の色でも香りでもなく、「くちなし色」に「口無し」の意味を含ませた掛詞として詠まれたようです。
 山吹の花色衣主(ぬし)や誰問へどこたへずくちなしにして  『古今集』素性法師
   (山吹色のこの衣は誰の衣?と問うても誰も答えない。「くちなし=口無し」で染めてあるからか?)
 くちなしで染めると山吹の花のような色になるからです。しかし、「口無し」だから問うても答えない、というわけです。
 耳成の山のくちなし得てしがな思ひの色の下染めにせむ  『古今集』詠人知らず
   (耳成山のくちなしを手に入れたいものだ。わが恋心の燃え立つ緋の色の下染めにしたい。)
 緋色を染める際の下染めにくちなし色を用いたからだと言いますが、ここでも、表には出ない、心の内に秘めた「下染め」の色であることが重要です。この恋、いまだ言葉に出して言わない秘めたる恋だと解してよいでしょう。
 近代になると、正岡子規「写生」説に基づく革新によって、掛詞などの言葉遊びは短歌からも俳句からも排除されます。
 くちなしの花は眼前の実景ですが、「口無し=もの云わぬ」は概念的な遊戯にすぎません。遊戯性の排除は俳句や短歌を「近代の詩」として自立させるために重要な革新でした。その結果、くちなしの花の色の白さとその芳香が中心主題になります。
 薄月夜花くちなしの匂ひけり  正岡子規
 くちなしの夕となればまた白く  山口青邨
 夏ちかく君見むきはにわづらひて小床に嗅げるくちなしの花  与謝野晶子
 たましひのよろこびのごと宵闇の庭にくちなしの花暮れのこる  上田三四二
 ちなみに、樋口一葉はくちなしについてこんな歌を詠んでいます。
 誰もかくあらまほしけれこの花のいはぬにひとのなほもめづらん
   (人は誰もこのようにありたいものだ。この花(くちなしの花)は何も言わないのに人々が誉めたたえる。)
 おもふ事いはねば知らじ口なしの花のいろよきもとのこゝろも
   (心に思うことを口に出さなければ誰も知るまい。くちなしの花のように美しい本当の心も。)
 二首とも「写生」ではなく概念的・教訓的です。そして二首とも、『古今集』の歌と同様、「くちなし」に「口無し=云わぬ」の意味が掛っています。樋口一葉が中島歌子の塾で学んだのは旧派の歌、つまり、子規の短歌革新以前の歌だったからです。
 さて、万里村ゆき子の詞も「ひそやかな」「なにもいわずに」 をくりかえします。しかし旧派のように「口無し」という意味に掛けたわけではなく、だまって二人だけの時をいとしんでいる恋人たちの姿の描写です。しかもその描写が、白く匂いやかなくちなしの花のイメージとおのずから重なり合っています。花のイメージはあくまで、「花の香」「白いくちなしの花」、つまり近代の俳句や短歌が詠んできた香りと白さ。それでいて、恋人たちとくちなしの花との二重イメージは、理に落ちることなく、「くちなし=口無し」という和歌の伝統的な語義とも合致しているのです。
 実は、上掲の俳句と短歌でお分かりのように、「くちなし=口無し」の掛詞を捨てて花そのものの描写を心がけた近代の俳句・短歌でも、くちなしの花のイメージの中心には、無言のままに匂い立つ「ひそやかな」「云わぬ」花という語義がひっそりと息づいています。詩(短歌や俳句)は、言葉の響きもリズムも意味の連想も、すべての効果を生かすもの。「くちなし」という言葉から「口無し」という意味の連想だけを排除することなどほんとうはできないし、してはいけないことだからです。
 そう思えば、この詞は万里村ゆき子の名作です。
 万里村は作曲もしました。このブログの初期に、夭折した作詞家・安部幸子の作品に触れて書いたように、60年代、青春歌謡の時代は女性作詞家の進出の時代でもありました。代表は岩谷時子でしょう。しかし、作曲もした女性はまだまだ珍しかったように思います。万里村ゆき子は、60年代末、女性の才能の進出を実証した先駆者だったと言えるでしょう。

吉永小百合「わたしは毬藻」 春を待つ青春(3)

 東京近辺、すっかり春めきました。
 しかし、北海道、マリモで有名な阿寒湖では氷が消えて遊覧船が運航するのは5月1日から。今日はそのマリモの歌。
 吉永小百合の「わたしは毬藻」。こちらで聴きながらお読みください。1950murasakiさんに感謝しつつ無断リンクします。

吉永小百合・わたしは毬藻吉永小百合「わたしは毬藻」
  昭和42年2月発売
  作詞:万里村ゆき子 作曲・編曲:大野正雄

  春待つ日には 昔を想う
  北のみずうみ わたしはマリモ
  ある日コタンでやさしいひとに
  乙女心を ささげたの
  風が運んだ ユーカラきいて
  糸をかぞえて アッシを織って
  アイヌメノコの ちいさな恋は
  まるくはずんで しあわせでした
    火祭りもすんださびしい夜
    やさしい人は去りました
    待っても待っても戻らないあの人
    わたしは悲しい恋のむくろを抱いて湖の底に沈んだの
    そしてわたしは……マリモになった
  春が来るたび 昔を想う
  北のみずうみ わたしはマリモ
  いつかコタンに 黒百合咲けば
  ピリカピリカも 聞こえます
  風が流れて 三日月落ちて
  恋しい人の 帰りを待って
  今年もマリモは 湖深く
  めぐり逢う日を 夢見ているの

 ジャケットにあるように、NHK-TV「若い民謡」の企画曲。「若い民謡」は既存の民謡を同時代の若者の感受性にふさわしいアレンジと演出で若手歌手たちに歌わせる番組。時々新作曲も企画していました。この歌の前月には西郷輝彦「ハイヤング節」(昭42-1)もありました。
 吉永小百合はもちろん日活の青春映画のヒロインとして「青春映画の時代」の中心にいたスターでしたが、「青春歌謡の時代」の女性歌手の代表でもあったのだ、と以前書きました。青春歌謡の時代は吉永小百合の時代でもあったわけです。
 「寒い朝」(昭37-4)でのデビュー以来、彼女のヒット曲は「青春歌謡の時代」の全期間を覆い、橋幸夫や三田明と何曲もデュエットし、オーソドックスな青春応援歌や恋歌からエレキに乗ってミニスカートで踊る「恋の歓び」(昭42-9)まで曲調の幅も広く、昭和40年の紅白歌合戦ではわらべ歌風な情緒を生かした「天満橋から」(昭40-9)を歌いました。もちろん、「草を刈る娘」(昭37-7)「波浮の港」(昭38-10)「小百合おけさ」(昭40-6)といった民謡調もありました。
 けれども、「わたしは毬藻」は特に民謡調というわけではありません。万里村ゆき子の詞はむしろバラード(物語詩)風。悲恋のために湖に身を投じてマリモになったアイヌの娘が自分の身の上を語る、というスタイル。「ユーカラ」「アッシ」「火祭り」「黒百合」「ピリカピリカ」など、随所にアイヌ風俗をあしらって、台詞も入ります。その台詞部分の背景に、大野正雄は吉永の歌うアイヌ民謡「ピリカ・ピリカ」を多重録音で流しました。
 歌謡曲史なら「火祭り」は伊藤久男が歌った「イヨマンテの夜」(昭24)や「オロチョンの火祭り」(昭27)を、「黒百合」は織井茂子の「黒百合の歌」(昭28)などを思い出させますが、たぶん、万里村ゆき子の念頭には、阿寒湖のマリモ伝説があったでしょう。
 たとえば阿寒湖の観光ではたいがい耳にすることになる「毬藻の唄」(昭28-4 いわせひろし作詞/八洲秀章作曲)。
九条万里子・マリモの唄 阿寒湖のマリモが特別天然記念物に指定されたのが昭和27年。ちょうどその年にコロムビアが行った全国歌謡コンクール課題曲歌詞募集に当選したのがこの詞。作曲した八洲秀章はこれ以前にも「高原の旅愁」(昭15-6)や「さくら貝の歌」(昭25-1)「あざみの歌」(昭26-8)など、抒情曲の名曲を作曲していました。
 その歌詞は以下の通り。(ここではオリジナルの安藤まり子ではなく、昭和39年に九条万里子がリバイバルした「マリモの唄」に、CAROLINE CRUGERさんに感謝しつつ無断リンクしておきます。)
 水面(みずも)をわたる風さみし/阿寒の山の湖に/浮かぶマリモよなに思う/マリモよマリモ緑のマリモ
 晴れれば浮かぶ水の上/曇れば沈む水の底/恋は悲しと嘆きあう/マリモよマリモ涙のマリモ
 アイヌの村にいまもなお/悲しくのこるロマンスを/歌うマリモの影さみし/マリモよマリモ緑のマリモ

 この三番、「アイヌの村にいまもなお/悲しくのこるロマンス」を、緑のマリモが自ら「歌う」といいます。そして、「わたしは毬藻」も、まさしく、いまは緑のマリモとなったヒロイン自身が悲しいロマンスを歌います。
 この「悲しく残るロマンス」も、阿寒観光では、観光バスのガイドなどが語ってくれるようです。
 「阿寒湖畔のアイヌの村に、酋長の娘でセトナというピリカメノコ(美しい娘)がいた。セトナは副酋長の息子と縁組が決まったが、実はセトナは下男のマニペと相思相愛。セトナとマニペの逢い引きを見つけた副酋長の息子は怒って襲いかかり、防戦のさなかでマニペは副酋長の息子を殺してしまう。マニペは阿寒湖に身を投げ、セトナも後を追って入水した。二人の魂が美しいマリモになった。」
 ところがこの「悲しく残るロマンス」、こちらのページによると、アイヌ古来の伝説ではなく、大正時代に朝日新聞の青木という記者が創作したものだそうです。いわれてみれば、これは命をかけたロマン主義的恋愛の悲劇、しかも身分違いの恋、嫉妬、殺人、自殺と、華々しい道具立て、たしかに近代人好み、観光客好みの「悲しいロマンス」のようです。
 「わたしは毬藻」の物語内容はそれとは異なり、恋に破れた娘が一人湖に身を投げて、魂はマリモになってなおも恋人を待つのです。(「火祭り」のすんだ夜に去ってしまったという「やさしい人」が「和人」の観光客だったと解すれば、ずいぶん切ない「現代的な」悲劇になります。)それでも、青木記者の創作伝説と「毬藻の唄」があったればこその新たなマリモ伝説、新たな「若い民謡」といえるでしょう。
 (なお、この時期、やはりアイヌの悲恋伝説や野生的な祭りをモチーフとした歌に、舟木一夫の「ピリカ・メノコ」(丘灯至夫作詞/戸塚三博作編曲)と「ユーカラ祭り」(同前)があることも付記しておきます。どちらもシングル発売ではなく、昭和41年9月のLP「舟木一夫の花のステージ(第5集)」に収録された曲です。)

ブルー・コメッツ「何処へ」 青春の石坂洋次郎(5) 青春歌謡とグループ・サウンズ

何処へ・ブルー・コメッツ日本テレビ石坂洋次郎原作ドラマ主題歌、今日は「雨の中に消えて」につづく「何処へ」(昭41-11~42-2)。
 タイトルは「いずこへ」と読みます。(自然主義作家・正宗白鳥の「何処へ」は「どこへ」。)
 原作は昭和14年の作品。大学を卒業して東北の小さな町に教師として赴任した青年がさまざまな小事件に遭遇する、という設定。
 この設定は、鰐淵晴子「素敵な明日」の項で書いたと同じく、一面では「異人」もののパターンです。主人公は、田舎町の人々に対しては外の世界から訪れた「よそ者=異人」ですから。逆に、主人公にとってはその田舎町こそが異なる価値観とルールが支配する「異界」です。彼は「異界」での経験・試練を通じて成長します。つまり教養小説(ビルドゥングス・ロマン)です。
 青春歌謡の時代、設定を現代に変えて、日活は高橋英樹主演で映画化し(「何処へ」昭39-6公開)、東宝も加山雄三主演で二本(「何処へ」昭41-3&「続・何処へ」昭42-3)作りました。
 その後の映画化はありません。テレビドラマも1973年が最後だったようです。
 「異人」もので教養小説なので、設定はいつの時代にも通用する普遍性をそなえているはずですが、70年代前半で耐用年数が切れました。たぶん、70年代から日本全国が均質化し始めたからでしょう。世界が均質化してしまえば「異人」も「異界」も消滅します。
 日本テレビの連続ドラマは勝呂誉が主人公を演じました。
 主題歌はブルー・コメッツが歌いました。このブログでグループ・サウンズの曲を取りあげるのはこれが初めてです。
 では、ジャッキー吉川とブルー・コメッツの「何処へ」。こちらで聴きながらお読みください。gsiloveyou2011さんに感謝しつつ無断リンクします。
 なお、ドラマ「何処へ」の中でブルー・コメッツが「青い瞳」を歌っている貴重な映像がこちら、yokosukawasakiさんのチャンネルで観られます。高校の文化祭、という設定のようです。勝呂誉の他に、長内美那子、山田太郎、中村晃子らの顔も見えます。深く感謝して無断リンクしておきます。
 テレビドラマ画像はそこで見てもらうことにして、高橋英樹と加山雄三の映画のポスターを掲げておきます。

高橋英樹・何処へジャッキー吉川とブルー・コメッツ「何処へ」
  昭和41年12月発売
  作詞・作曲・編曲:万里村ゆき子
 一 いつものことのように 人はほほえみ
   いつものことのように 人は涙ぐむ
   こんな小さな街にも きっとあるだろう
   喜び悲しみ 明日の幸せ
   僕はそれを 探しに来た
 二 いつものことのように 人は知り合い
   いつものことのように 人は愛し合う
   こんな小さな街にも きっとあるだろう
   二人で育てる 本当の恋が
   僕はそれを 探しに来た
 三 いつものことのように 人は訪れ
何処へ・東宝ポスター   いつものことのように 人は去りゆく
   こんな小さな街にも きっとあるだろう
   会って別れて めぐり逢う日が
   僕はそれを 探しに来た
   僕はそれを 探しに来た

 万里村ゆき子が作詞・作曲・編曲のすべてをこなしました。才女です。万里村の初期の作品でしょう。青春歌謡では、舟木一夫「くちなしのバラード」(昭43-1)の作詞作曲、酒井和歌子の「大都会の恋人たち」(昭43-3/江夏圭介とのデュエット)や「青春通り/花と走ろう」(昭43-6)の作詞などがあります。
 時にほほえみ時に涙ぐむささやかな人生のドラマはどこにでもある「いつものこと」、という認識が鮮やかで、また、青春歌謡としてはとても新鮮です。
 東京オリンピック以後、青春歌謡は東京中心になったのだ、と何度も書きましたが、ここには、どんな「小さな街」をも平等に扱う、東京中心主義とは異なる態度があります。
 どんな「小さな街」にもあるはずのそのささやかな人生の哀歓のドラマを彼は探しに来ました。気ままな旅人が初めての土地の心魅かれる風景をカメラに収めるように、彼は訪れた街の人生ドラマを収集するのだ、といえそうです。
 あたかも、カメラのまだなかった時代、夏目漱石『草枕』の主人公が画家、つまり風景の収集家であったように、といってもよいかもしれません。
 『草枕』の主人公も、滞在した山間の温泉場で、「那美さん」をめぐる人生の哀歓のドラマに立ちあいます。しかし、その末尾、日露戦争に出征する弟と落魄して満州に渡る元亭主とを乗せた汽車を見送る彼女の姿に「憐れ」を見た彼は、これで「画(え)になる」、と云うのです。
 余が胸中の画面はこの咄嗟の間に成就したのである。
 つまり、この旅人=画家にとっては、人生のドラマさえも風景なのです。彼はあくまで旅人、一時的な通過者であって、ドラマの当事者にはならないからです。
 しかし、「何処へ」の主人公はただの気ままな旅人ではなく、学校教師です。彼はしばらくその土地に滞在し、生活します。つまり彼は滞在者。旅人と定住者の中間です。
 その中間性が、「本当の恋」を探しに来た、という二番の歌詞に現れています。「本当の恋」をもし彼自身が発見し獲得したら、彼にはこの土地の定住者になるという選択もありうるわけです。
 三番は、やはり彼が一時的な滞在者・通過者であって、最後には立ち去ることを示しています。しかし、訪れ、去り行く、出会いと別れは、やはり、この人生の「いつものこと」、どんな「小さな街」にもある人生というものの普遍のドラマだというのです。
 井伏鱒二なら、さばさばと、
  さよならだけが人生だ
と歌うところかもしれません。(『厄除け詩集』)
 ところで、この主題歌、当初は舟木一夫が歌う予定だったがブルー・コメッツに変わったのだ、という話をどこかで誰かが書いていたように思います。真偽のほどは知りません。
 ただ、青春歌手が占有していた場所にグループ・サウンズが入って来たのだ、と考えるとちょっと象徴的かもしれません。 万里村の曲はエレキ音やドラム音を控えめにして、歌謡曲に接近するように作られています。
 「素敵な明日」の項にリストアップしたこの石坂洋次郎原作ドラマシリーズの主題歌を歌った歌手名をご確認ください。
 ここまで、鰐淵晴子(「風と樹と空と」)舟木一夫(「山のかなたに」)梶光夫(「青い山脈」)舟木一夫(「雨の中に消えて」)と、青春歌手が歌いつづけて来た主題歌に、初めてグループ・サウンズが参入したのです。
 この後も、舟木一夫(「あいつと私」)再び鰐淵晴子(「続風と樹と空と」)をはさんで、「ある日わたしは」(昭42-10~43-4)の主題歌もブルー・コメッツが歌います。つづく「花と果実」(昭43-5~43-10)はヴィレッジ・シンガーズ、その次の「若い川の流れ」(昭43-10~44-2)はパープルシャドウズ、とグループ・サウンズの主題歌が三作つづいて、そこでこのシリーズが終わるのです。(この三作の主題歌はレコード化はされていないようです。)まさに青春歌謡の場所をグループ・サウンズが占拠したわけです。
 「青春歌謡の時代」は昭和37年から昭和42年までだった、という私の定義の正しさを傍証するものです。
 (こちら、ft24651さんのチャンネルで「ある日わたしは」のオープニングで流れるブルー・コメッツの主題歌を聴くことができます。)
 ヴィレッジ・シンガーズもパープルシャドウズも歌謡曲に親和的なグループでした。ブルー・コメッツはもっと幅広く高度な音楽性を持っていましたが、「こころの虹」(昭43-1)からはっきりと歌謡曲志向を前面に出し始めます。この「何処へ」は、そういうブルー・コメッツの歌謡曲志向の先駆作品という一面もあります。
 短いGSブームが去った後、60年代末からのグループ・サウンズは、ソフトな歌謡曲志向とハードなロック志向とに分極化していくことになります。グループ・サウンズが青春歌手の地位を侵食し始めたことは、逆にいえば、彼らの歌謡曲志向の現れと見ることもできるでしょう。
 これも何度も書いたとおり、60年代末は「みんな」の(想像的な)統合性が壊れて社会や文化の諸領域で解体・分裂が進行していく時代でした。グループ・サウンズの分極化もその表れのひとつです。
 (なお、「素敵な明日」の項のリストに挙げておいたように、日本テレビ石坂洋次郎原作ドラマには、「若い川の流れ」の後、半年おいて、曜日も変わって、松原智恵子主演の「颱風とざくろ」(昭44-7~44-9)がありました。シリーズからは外れますが、日本テレビの石坂洋次郎原作ドラマとしては、これがほんとうの最後でした。事実、「テレビドラマデータベース」で検索しても、これ以後現在まで、日本テレビでは石坂洋次郎原作ドラマは一本も作られていないようです。
 1969年の後半です。まぎれもない60年代末でした。
 その主題歌は森山良子が歌う「並木よ」と「あこがれ」。
 つまり、グループ・サウンズの後にはフォークソングが来たのです。)
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