12月に入りましたが、このまま「秋は月」で押し通して、「新感覚」の月をつづけます。
今日はジュディ・オング「たそがれの赤い月」。こちらで聴きながらお読みください。「おいしゃん」さんに感謝しつつ無断リンクします。
ジュディ・オング「たそがれの赤い月」
昭和42年7月発売
作詞:白鳥朝詠 作曲:市川昭介 編曲:河村利夫

たそがれ染める 真赤な月を
見つめて ひとり歌う
誰も知らない 誰にも言えぬ
乙女の胸の 悩み
恋に苦しみ さまよう夜は
涙に濡れる瞳
たそがれ染める 真赤な月よ
いとしい人に 逢わせて
いつかはきっと 逢えると願う
小さな夢を 抱く
何にも言えず 何にも聞けず
悲しく胸は 痛む
もしもこのまゝ 別れたならば
想い出さえも嘆く
たそがれ染める 真赤な月よ
いとしい人に 逢わせて

もしもこのまゝ 逢えないならば
わたしの恋は 終る
たそがれ染める 真赤な月よ
いとしい人に 逢わせて
一年前に「星に恋したい/恋ってどんなもの」(昭41-5)で歌手デビューしたジュディ・オングの最初の大きなヒット曲。多重録音などを使った、近年いわゆる「ひとりGS」系の曲。
中村晃子「虹色の湖」の項での「ひとりGS史」で、映画まで含めた場合、もしかすると、映画「青春ア・ゴーゴー」(昭41-3公開)の中のジュディ・オングが最初のGS女性ヴォーカルだったかもしれない、と書きました。その彼女にふさわしい曲調だったかもしれません。とはいえこれはリズム中心ではなくメロディ中心ですが。
ちょうど日本テレビの石坂洋次郎ドラマシリーズ「あいつと私」(昭42-2~42-7)で松原智恵子の妹役、明るくて活発でちょっとこまっしゃくれた女子高生を演じていた頃でした。(上の画像二枚はそのドラマから。ジュディの隣はボーイフレンド役の松山省二。)
「あいつと私」の屈託のない役柄とは違って、この歌の中のジュディは苦しい恋の悩みを胸に抱いた娘です。ジュディの歌唱も、かぼそく透明感のある高音でかわいらしさを演出したデビュー曲とはがらりと変えて、低音中心に大人っぽさを前面に出しました。
「いとしい人に逢わせて」と月に祈るのは歌謡曲の定型です。男声歌手が歌った藤島桓夫「お月さん今晩は」だって守屋浩「月のエレジー」だってそうでした。若い娘が祈るのに何の不思議もありません。
しかし、「乙女」の祈る対象が「真赤な月」となるとかなり珍しい。ひょっとして歌謡曲史上初めて?
たそがれ時の月が赤味を帯びて見えることはたしかにあります。しかしそれは何か常と異なるなまなましさ、不吉さの印象を伴うもの。通常は「乙女」が願いを掛ける対象ではありません。
よりにもよって「赤い月」に祈るとは。ここにはちょっと異様なものがあります。ヒロインが異様なまでに思いつめているのでしょうか。たしかに彼女は失恋の危機的状況の中で不安な心理状態にいます。異常な心理状態がこの異常な「赤い月」を求めるということでしょうか。しかし歌謡曲なので、その異様さに立ち止まることなく、純真な「乙女」のごく「自然な」祈りであるかのように歌っています。「ふつう」でないことを「ふつう」であるかのように歌う。そこがかえって異様なのです。「新感覚」というよりむしろ「異常感覚」の月といいいたくなります。
なぜ定型通りの「夕月」への祈りではいけなかったのでしょうか。
たぶん、定型的な「夕月」への祈りでは物足りない、詞にインパクトが足りない、聴き手の感覚を驚かせる刺激がほしい、と作詞家が判断したのです。「時代」の感覚が微妙に、しかし決定的に、切り替わりつつある、もう昭和の歌謡曲の定型ではアピールできない時代が来たのだ、という判断です。白鳥朝詠の作詞家としての直感、敏感な嗅覚みたいなものです。例によって私の深読みかもしれませんが、私はその嗅覚に青春歌謡終焉期の感受性の変質を見るのです。
ところで、「赤い月」はこの二年前にも歌われていました。
三船和子のデビュー曲「ベトナムの赤い月」。こちら、masaenkaさんのチャンネルで聴けます。
三船和子「ベトナムの赤い月」
昭和40年9月発売
作詞:中山正男 作曲:遠藤実
一 あゝ みておくれ ベトナムの
ベトナムてらす お日さま黒い
みんなの胸が まっくらだから
きらきらと 緑に映える
金色の 南の空は
いつ もどる いつ もどる
二 あゝ みておくれ ベトナムの
ベトナム救う 僧侶の悲願
いくさ やめよと 身を焼く祈り
花ささげ たたえる 弥陀の
信心の お寺まいりは
いつ できる いつ できる
三 あゝ みておくれ ベトナムの
ベトナムつつむ 月かげ赤い
戦火の炎 天まで焦がす
風かおる 南十字の
星のもと あの娘の歌は
いつ きける いつ きける
遠藤実が独立して立ち上げた「ミノルフォンレコード」のレコード番号1番(ジャケット画像で確認できると思いますがMA001)の曲として知られます。何枚か一斉に発売したレコードの中で、実質的オーナーだった太平住宅の社長の意向でこの社会的メッセージ性を含んだ曲が栄えある1番を獲得したのだとか。しかし孤立無援状態のミノルフォンのこと、メディアへの露出の機会も少なく、私も当時1,2回聴いた記憶がある程度です。
ベトナムでは昭和40年=1965年2月からアメリカ軍の大規模な北爆が始まりました。戦争のエスカレーションは、一方で反戦運動をも世界規模で拡大していきました。日本でも4月24日には「べ平連」が発足しています。
「ベトナムの赤い月」は日本の歌謡曲がベトナム戦争の悲惨を歌ったおそらく最初のレコードのはずです。しかも演歌系の三船和子が歌ったのが貴重です。(いわゆる「反戦フォーク」などが広まるかなり前のことです。)
一番は「ベトナムてらすお日さま黒い」。もちろんこの「黒い」太陽は「みんなの胸がまっくらだから」。心理的な絶望の暗さのメタファー(比喩)です。しかし、心理的な理由が説明されてメタファーとして納得される以前に、文字どおりの宇宙論的な暗黒状態のイメージが一瞬、読者=聴き手の心によぎるはずです。
二番で当時世界に衝撃を与えたベトナム僧侶たちの相次ぐ抗議の焼身自殺を歌い込み、三番でふたたび、「お日さま黒い」に対応させて「ベトナムつつむ月かげ赤い」。この「赤い月」は現実には「天まで焦がす」「戦火の炎」の色の反映、ひいてはメタファーとして、悲劇的な民族が戦争で流す血の色でもあるでしょう。しかし、これもまた、文字どおりには、宇宙論的な異常状態なのです。
つまり、三船和子「ベトナムの赤い月」の「赤い月」はあくまで異常な自然現象のイメージ。この異常さは戦争という異常事態に、絶望という異常心理に、「正常に」、また正確に、対応して釣り合いが取れています。その意味で、表現に「不自然さ=異常さ」はありません。
しかし、ジュディ・オング「たそがれの赤い月」は、詞が自然現象の異常さに立ち止まらないために、歌われている事態や心理とうまく釣り合いがとれていません。そのため、意味不明な謎のように、奇妙な違和感、ちょっと異様な感触が残るのです。
今日はジュディ・オング「たそがれの赤い月」。こちらで聴きながらお読みください。「おいしゃん」さんに感謝しつつ無断リンクします。
ジュディ・オング「たそがれの赤い月」
昭和42年7月発売
作詞:白鳥朝詠 作曲:市川昭介 編曲:河村利夫
たそがれ染める 真赤な月を
見つめて ひとり歌う
誰も知らない 誰にも言えぬ
乙女の胸の 悩み
恋に苦しみ さまよう夜は
涙に濡れる瞳
たそがれ染める 真赤な月よ
いとしい人に 逢わせて
いつかはきっと 逢えると願う
何にも言えず 何にも聞けず
悲しく胸は 痛む
もしもこのまゝ 別れたならば
想い出さえも嘆く
たそがれ染める 真赤な月よ
いとしい人に 逢わせて
もしもこのまゝ 逢えないならば
わたしの恋は 終る
たそがれ染める 真赤な月よ
いとしい人に 逢わせて
一年前に「星に恋したい/恋ってどんなもの」(昭41-5)で歌手デビューしたジュディ・オングの最初の大きなヒット曲。多重録音などを使った、近年いわゆる「ひとりGS」系の曲。
中村晃子「虹色の湖」の項での「ひとりGS史」で、映画まで含めた場合、もしかすると、映画「青春ア・ゴーゴー」(昭41-3公開)の中のジュディ・オングが最初のGS女性ヴォーカルだったかもしれない、と書きました。その彼女にふさわしい曲調だったかもしれません。とはいえこれはリズム中心ではなくメロディ中心ですが。
ちょうど日本テレビの石坂洋次郎ドラマシリーズ「あいつと私」(昭42-2~42-7)で松原智恵子の妹役、明るくて活発でちょっとこまっしゃくれた女子高生を演じていた頃でした。(上の画像二枚はそのドラマから。ジュディの隣はボーイフレンド役の松山省二。)
「あいつと私」の屈託のない役柄とは違って、この歌の中のジュディは苦しい恋の悩みを胸に抱いた娘です。ジュディの歌唱も、かぼそく透明感のある高音でかわいらしさを演出したデビュー曲とはがらりと変えて、低音中心に大人っぽさを前面に出しました。
「いとしい人に逢わせて」と月に祈るのは歌謡曲の定型です。男声歌手が歌った藤島桓夫「お月さん今晩は」だって守屋浩「月のエレジー」だってそうでした。若い娘が祈るのに何の不思議もありません。
しかし、「乙女」の祈る対象が「真赤な月」となるとかなり珍しい。ひょっとして歌謡曲史上初めて?
たそがれ時の月が赤味を帯びて見えることはたしかにあります。しかしそれは何か常と異なるなまなましさ、不吉さの印象を伴うもの。通常は「乙女」が願いを掛ける対象ではありません。
よりにもよって「赤い月」に祈るとは。ここにはちょっと異様なものがあります。ヒロインが異様なまでに思いつめているのでしょうか。たしかに彼女は失恋の危機的状況の中で不安な心理状態にいます。異常な心理状態がこの異常な「赤い月」を求めるということでしょうか。しかし歌謡曲なので、その異様さに立ち止まることなく、純真な「乙女」のごく「自然な」祈りであるかのように歌っています。「ふつう」でないことを「ふつう」であるかのように歌う。そこがかえって異様なのです。「新感覚」というよりむしろ「異常感覚」の月といいいたくなります。
なぜ定型通りの「夕月」への祈りではいけなかったのでしょうか。
たぶん、定型的な「夕月」への祈りでは物足りない、詞にインパクトが足りない、聴き手の感覚を驚かせる刺激がほしい、と作詞家が判断したのです。「時代」の感覚が微妙に、しかし決定的に、切り替わりつつある、もう昭和の歌謡曲の定型ではアピールできない時代が来たのだ、という判断です。白鳥朝詠の作詞家としての直感、敏感な嗅覚みたいなものです。例によって私の深読みかもしれませんが、私はその嗅覚に青春歌謡終焉期の感受性の変質を見るのです。
ところで、「赤い月」はこの二年前にも歌われていました。
三船和子のデビュー曲「ベトナムの赤い月」。こちら、masaenkaさんのチャンネルで聴けます。
三船和子「ベトナムの赤い月」
作詞:中山正男 作曲:遠藤実
一 あゝ みておくれ ベトナムの
ベトナムてらす お日さま黒い
みんなの胸が まっくらだから
きらきらと 緑に映える
金色の 南の空は
いつ もどる いつ もどる
二 あゝ みておくれ ベトナムの
ベトナム救う 僧侶の悲願
いくさ やめよと 身を焼く祈り
花ささげ たたえる 弥陀の
信心の お寺まいりは
いつ できる いつ できる
三 あゝ みておくれ ベトナムの
ベトナムつつむ 月かげ赤い
戦火の炎 天まで焦がす
風かおる 南十字の
星のもと あの娘の歌は
いつ きける いつ きける
遠藤実が独立して立ち上げた「ミノルフォンレコード」のレコード番号1番(ジャケット画像で確認できると思いますがMA001)の曲として知られます。何枚か一斉に発売したレコードの中で、実質的オーナーだった太平住宅の社長の意向でこの社会的メッセージ性を含んだ曲が栄えある1番を獲得したのだとか。しかし孤立無援状態のミノルフォンのこと、メディアへの露出の機会も少なく、私も当時1,2回聴いた記憶がある程度です。
ベトナムでは昭和40年=1965年2月からアメリカ軍の大規模な北爆が始まりました。戦争のエスカレーションは、一方で反戦運動をも世界規模で拡大していきました。日本でも4月24日には「べ平連」が発足しています。
「ベトナムの赤い月」は日本の歌謡曲がベトナム戦争の悲惨を歌ったおそらく最初のレコードのはずです。しかも演歌系の三船和子が歌ったのが貴重です。(いわゆる「反戦フォーク」などが広まるかなり前のことです。)
一番は「ベトナムてらすお日さま黒い」。もちろんこの「黒い」太陽は「みんなの胸がまっくらだから」。心理的な絶望の暗さのメタファー(比喩)です。しかし、心理的な理由が説明されてメタファーとして納得される以前に、文字どおりの宇宙論的な暗黒状態のイメージが一瞬、読者=聴き手の心によぎるはずです。
二番で当時世界に衝撃を与えたベトナム僧侶たちの相次ぐ抗議の焼身自殺を歌い込み、三番でふたたび、「お日さま黒い」に対応させて「ベトナムつつむ月かげ赤い」。この「赤い月」は現実には「天まで焦がす」「戦火の炎」の色の反映、ひいてはメタファーとして、悲劇的な民族が戦争で流す血の色でもあるでしょう。しかし、これもまた、文字どおりには、宇宙論的な異常状態なのです。
つまり、三船和子「ベトナムの赤い月」の「赤い月」はあくまで異常な自然現象のイメージ。この異常さは戦争という異常事態に、絶望という異常心理に、「正常に」、また正確に、対応して釣り合いが取れています。その意味で、表現に「不自然さ=異常さ」はありません。
しかし、ジュディ・オング「たそがれの赤い月」は、詞が自然現象の異常さに立ち止まらないために、歌われている事態や心理とうまく釣り合いがとれていません。そのため、意味不明な謎のように、奇妙な違和感、ちょっと異様な感触が残るのです。