電波犯罪と超科学

世評の歪みを正す。左派リベラリズムをしりぞける。社会問題の解決を示す。世界の先端思想がここに。私は電波犯罪の被害者。

記事のタイトルを入力してください(必須)

2015-12-04 11:25:45 | 社会思想の終焉

大阪は晴れ

 こちらにも載せておく。私は首都直下地震を予知している。約10日後の12/14頃にそれは起きる。東京から仙台までは、今から関西や東海に移動したら安全。

大野地震研究所 http://tasuku43.seesaa.net/

 ニュース23が潰れる理由
 私は、電波犯罪を2001年頃、筑紫哲也がいたそこに訴えていた。結局、報道しなかった。今も報道しない。それが、左翼系犯罪組織を擁護する行為となっている。私はこれが原因でこの番組はつぶれると信じている。
 調査力がなく、裏がとれなかったからかもしれない。それなら、この番組が責任をとらされることはないだろう。反社会勢力に恐れをなしたのかもしれない。それなら自称左翼ジャーナリスト失格である。

 もし知っているのに、告発しないなら? 私はその可能性を疑っている。だから、みんなこの番組から逃げ出すタイミングを計っているのである。

 来年4月には、電波犯罪が告発される。私にとって、それは真実である。日本の右派のたいていもこのことは知っている。電波犯罪をメディアが隠蔽していることを。それもわからない裏世間知らずな人は、これは東京地震が発生するのと同じくらい確度が高い情報と思ってほしい。

 筑紫哲也は『TBSは死んだ。』と言った。彼によると今のTBSは生きてないのだろう。人間ではないのだろう。人間に非ず=非人間、いや非国民なのかもしれない。

 哲学の話 共産主義は古い経営学の亜流2
 左翼活動家は労働者の職場環境の改善や高い賃金を経営者に要求する。つまり、経営に口出しすることを、半職業とする。それは労務の仕事を一部代行する。

 これは経営学の一分野なのだ。会社の経営についての専門的な見地は、すべて経営学といってよい。労働者の待遇などもそうである。まれに法律も関係するが、それは経営の一部の法務となる。共産主義は、経営学の古い古い一つの一側面なのだ。労働者のあり方に関する規定なのだから。労働者とは、工場や会社があってはじめて成立する概念である。労働は経営の一部なのだ。マルクスが作り、以後ほとんど改善されなかった出来の悪い理論なのだ。

 経営者はこういう労働団体の要求には、経営学の一範ちゅうであるからして、知識もたくさんあり、冷静に対処できる。共産主義者は、経営を理解できないか、外側におく。それに対して、経営学では、共産主義も亜流の理論として、内部に取り込める。これが、経営学とマルクス主義の学問としての差だ。

 マルクス主義は、労働者のあり方に特化された経営の一分野の古典的な邪論である。経営学と同等なものでも、経営学と対峙するような特別なものではない。経営学の一分野で、しょうもない理論なのだ。

 経営学は、はるかに共産主義を上回り、巨大な体系になった。社会学の一分野として確立した。それを学ぶ者には、共産主義などはガキのたわごとのようである。

 よって、アルバイトしか知らないような経営にも無知な若者は、マルクス主義から会社を見る目を見出すかもしれない。が、経営学を学んだ者は、そんな使えない理論を今更・・と、蔑視することになる。これが現実だ。

 私はだから、経営学を小学生にも学ばせたいと思う。人間関係を作るのが下手になった。友達つくり程度のことしか言えない子供が多い。もっと人間をグループ化して、どう扱うとよいか、広く学ぶべきなのだ。それに経営学がうってつけだ。

 経営学ではなく、株の売買を学ばせるという試みはある。これはお金の扱いなど学ぶので、数学で足りる。人間を知ることができない。株ごっこは子供にはふさわしくない。

 が、経営はそうではない。組織作りは、社会秩序である。それを守る方法や維持する方法を学べる。会社に就職しても、基礎知識があるから、会社の人間関係などにすぐになじめるだろう。実学でもある。

  
  本日の被害
 本日、目がひどくさされたようだ。音声送信で、目に刺さって、(針が)折れたと恐ろしいことを言う。左目外側がひどく切られたようだ。目の中だから、外から見えないとしても、アカがそれで慌てていた。左目下も切られていて、痛む。見た目ではわかりづらい。

 以上

 

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

正論1月号の感想1、哲学の話--共産主義は経営学の亜流

2015-12-03 11:48:13 | 社会思想の終焉

大阪は晴れ 

 立ち直った。私が右派の戦術家の若手で、すでに裏側で強い影響力を誇ると知っている人は知っている。

 韓国の朴政権は国定教科書に (産経ニュースより)
 正論1月号を立ち読みする。朴政権は日本で評判が悪い。外交が大人ではないことは韓国びいきの私も認める。が、久々によいことをしたので、報告する。日本の右派は、この件に関して鈍い。が、正論が特集を組んでとりあげるくらいだから、とても素晴らしいことだ。
 彼女は、教科書を国定にした。韓国はこれまで左翼の教科書が14くらいあって、右のが1つ。日本と同じようないびつな状況だ。その内容もかなり左に傾いていた。
 例えば、朝鮮戦争は北朝鮮の一方的な侵攻が事実だが、韓国にも責任があるような書き方があるという。北朝鮮のシンパを育成するような内容だ。また左傾教科書は、共産主義かつ、主体思想の浸透を狙い、韓国文化の破壊を目指す。それは許容できなくなったようだ。韓国には日本の日教組のような左の教職員組合が2つある。立ち読みなので、覚えてないが。

 私は韓国のこれまでの教科書は、北朝鮮の影響が濃いと考えた。韓国が反日なのは、こういうことに原因があるのではないだろうか。韓国は教科書を自ら変える必要があった。朴うねはそれをやってのけた。賞賛すべきことだ。反日も少しはやわらぐだろう。新しい教科書で育つ子供は、世界観・歴史館がすこしはましになるだろう。

 この国定強化書は、韓国の左傾化にストップをかけ、反日教育に終止符をうつきっかけとなりうる。実にいい政策である。日本の文部省も、あまりに日本の教科書が左になったら、国定化することも検討してはいかがだろうか。

 トルコとロシアの情勢は面白い展開だ。
 ロシアの戦闘機をトルコが撃ち落とした。報復でロシアは、シリアで石油を運ぶトルコのトラックを爆撃した。ISの石油を買うという疑惑をもたれたトルコの大統領は、それら取引に関与していない、と言った。彼の息子がそれをしているというのは有名な話だが。
 ISの石油をトルコが買うことは、今まで誰も止められなかった。ひょんなことから、ロシアがそれを世界的なニュースにしてくれた。プーチンは策謀家としては、見事だと褒めるべきか。それとも、ロシア機撃墜からはじまりる一連の流れそのものが、こういう帰結になることが必然だったのか。
 ISの資金源の一つが、追求されることになった。もう一つは湾岸諸国からの支援だが、それはいつ終わらせるよう圧力がかかるのだろうか。

 水木しげるは、反戦活動家で、左翼が好んでとりあげた
 別にいいと思う。ゲゲゲの鬼太郎も、彼のラバウルの漫画も。得たいの知れない薄気味悪さが満載で。左翼の世界そのものだ。彼らは革命のためには暴力闘争、地下アングラな世界の中に住む。ふつうの市民生活を送りながら、彼らはゲゲゲの鬼太郎と同じく、貧困や差別、内ゲバ、暴力革命、無秩序、人権侵害など社会の暗い暗い側面ばかり見て、暮らす。しかも、普段読むのは、19世紀のマルクスが書いたような古典。
 彼らは、現代の先進的な世界や考え方とは無縁。だから、水木しげるに左翼が親近感を感じるのだろう。妖怪ウォッチをみる子供には、もうわからない世界なのだが。
 ただ、私は日本昔話のアニメを見たほうだから、妖怪やもののけの世界も、美しく人間的で、平和でのんびりしたものが本当だと思う。ゲゲゲには変な現代性があり違和感があった。鬼太郎や耳なし法一のような怪談じみたものは、あまり健康的ではない。左翼好みだとしても。

 哲学の話 -- 共産主義は経営学の亜流
 共産主義とはいったい何なのか? ずっとわかりにくいものだったが、やっと最近わかった。それは、工場経営の理論なのだ。農民から町に仕事に来て、工場で働く。18-19世紀のことだ。それら工場労働者が町に大勢現れる。そんな彼らが豊かな暮らしをするための、歪んだ方法論なのだ。

 労働者の理論というが、本当のところは、工場経営の一面である。工場で働く労働者の給料や待遇、地位などを書いたものだ。つまり、共産主義とは、18-19世紀の経営システム(労働者の管理を書いた)なのだ。共産主義は経営学の一分野、というのは驚くかもしれない。が、妥当なところだ。古い工場労働の腐った教科書みたいなものだ。18-19世紀の工場の労務管理。

 19世紀や20世紀には工場は花型の職場だった。その経営論は、知識人でも輝いて見えたのだろう。それを少し改善したような体裁の共産主義(一種の経営論)はなおさらだろう。それで、多くの人々が労働者の暮らしがよくなると騙された。

 現代の経営学からすると、ひどい質ではあるが。誰も見向きもしないのだが。

 共産主義は、古臭い経営管理論だとはわかっただろうか? 古いできの悪い経営管理論だ。しかし、19世紀には新鮮に見えたのだろう。その共産のシステムで、国家そのものを運営できると革命を起こしたのもいる。しかし、所詮、経営の実務経験すらないマルクスが考えたもの。国家に適用できるほどの一般性もなく、そのシステムの国家は次々と破綻に追い込まれる。かろうじて体裁は保っていたが、1992年にはつぶれた。

 結局、共産主義者がしていたことは、古典的な経営システム(労務管理主体の論)で、社会、国家を統治することだった。それで失敗する。当たり前である。彼らは、経営ごっこをしていたのだから。

 経営をブルジョワジーの学問として、否定したから、彼らはこの真実にいまだに気づいていない。そこが、愚かである。

 共産主義は経営学ではない、というのには、反論しておく。経営のよしあしを論じるのは、すべて経営の範ちゅうである。それは、経営という分野におさめることができる。つまり、経営学である。共産主義は、経営学の亜流だったのである。本流が成功して、亜流は行き詰まる。これこそ歴史の必然である。

  本日の被害
 本日、昨日と似た症状はあり、白いもやもや感はあるが弱い。左目の下側が痛む。音声送信はある。

 以上

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

頭痛のため休養

2015-12-02 20:37:37 | 社会思想の終焉

大阪は晴れ 

 本日 頭痛のため寝込む

 これはアカによる私の言論活動の妨害だと思う。


  本日の被害
 本日、軽い頭痛が続き、ついに寝こむ。意外と症状は重かった。午後に目覚めてからは、回復した。

 ついでに聞いた話
 あるグループは電波犯罪の証拠を集めて、会員に提供した。その会員は警察に訴えた。電波犯罪があり、日常的に犯罪者が電波で近所から嫌がらせしたり、集団ストーカーしていたことを、その被害者の家族も、認めた。もちろん、犯罪組織も家族で理解した。

 これら会員は孤独な闘いからはようやく解放された。家族は認められたわけだ。また警察も取り締まりを行った。中には、警察の捜査が早く、犯人が捕まったところもあるようだ。
 これは未確認情報である。岡山が今はこの件で先行する。


 以上


 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

日本の新しい課題 職安と生活保護の改善 哲学の話-2016年の文明の対立は小規模に

2015-12-01 11:51:05 | 社会思想の終焉

大阪は晴れ

 左翼の扇動は裏ほどきつくなる。それにのせられては、日本を立ち直らせることはできない。アベノミクスで日本の社会問題は大方片付いた。今後の課題がそろそろみつかりつつある。それを並べてみた。

 不可解な共産党
 選挙ごとに倍増。怒涛の勢いの共産党。そこの山下議員が、自民の衆参ダブル選挙を批判(共産・山下氏、自民党幹部の「衆参ダブル選挙」への言及に不快感)。衆参ダブルに一番乗り気なはずの共産党が反対する。実に不可解。どうも、共産党は次の選挙で負ける予定らしい。私は共産党が大負けするなら、衆参タブル選挙もよいと考える。憲法改正も近づく。

日本の課題3つ

 日本の歳入があがらないこと
 各国の歳入のグラフを見た。先進各国は10年で1.5-2倍になっている。が、日本だけはまったく伸びてなかった。これは税収の増加がないことを意味する。ここから改革しなくてはいけない。資料も探して、原因と対策について、また今後考えてみたい。日本だけ、どうして税収があがらないのか。

 日本の株価があがらないこと
 これも日本の特異性だ。ヨーロッパは1992年以後に、3-4倍にあがった。が、日本はその頃から2倍も上がってないと思う。円高も解消されつつある。が、どうして上がらないのだろうか。ここもまだまだ経済政策でなんとかしなくてはいけない課題だ。やがて詳しい分析をしたい。

 労働者不足が深刻と危惧されるが、一方で収入なく貧困が目立つ
 ニュース23の貧困特集を見ると、みな家持ちである。老人や母子家庭が多い。以前は、浮浪者の貧困が目立った。が、それはなくなった。日本の社会保障の向上がみられる。
 それら給料がない。収入がない、と貧困家庭者はいう。が、一方で医療関係では看護婦や医者不足が深刻。介護する人も不足する。日本は労働者不足だ。働くと金が入る。仕事が余っているのに、かたや仕事ができずに貧困である。これはどうしたことか。
 仕事があるのにできないのは、就職の斡旋がよくないからだろう。仕事紹介(職業安定所)が、どうもお役所すぎるきらいがある。貧困者など緊急を要する者には、特別にもっと親身で手厚いものを提供する必要がある。

 彼らが生活保護を受けない者もいる。そうなのは、車を持てなくなるからだとか、自宅を手放さなくなるからだとか、何か生活上必要なものがなくなるからという。生活保護の生活保護の条件が厳しすぎるのがよくないのだろう。それを緩和することが求められる。アメリカのように収入と財産で審査するのが一法。他に、貧困での所持品をゆるくするのが2法。

 生活保護や職安を改良すると、貧困はますます減ると思った方はここをクリック。↓↓ 


にほんブログ村

 哲学の話 文明の対立とは?
 2016年は再び、文明の対立だ。パリテロで、ヨーロッパとイスラム過激派の対立は鮮明になった。ヨーロッパはシリア難民など外部の脅威という認識は一致させつつある。今後それは加速するだろう。

 で、今は、ヨーロッパ対西アジアという構図が出来た。ヨーロッパ対中東という構図には至ってない。なぜなら、シリア難民とヨーロッパだからだ。イスラム諸国のイランやサウジは遠く、蚊帳の外。

 このペースでは文明の対立にいたる。あの悪夢の繰り返しだろうか。いや、懇意はそれほど大規模ではない。911は、テロリスト集団イスラムのアルカイダとアメリカの戦争だった。その頃は、集団主義(地域主義の)段階だ。テロも集団的になる。が、今は、個人主義の段階。テロも個人の集まり。パリテロのように個別化したテロリストと戦う。これは七面倒だが、脅威としては小さい。

 分散化しすぎるために、911のような同時爆破テロも、規模が小さくなる。戦争自体も、アメリカが国家の威信をかけて、アフガンやイラクをつぶしにかかることにはなりにくい。なにしろ、IS自体がそれほど大きくならないからだ。個人を主体とする組織だから、トップの個人を叩くと、解決するという側面もある。

 2016年からの文明の対立は、大きな戦争にはなりにくい、といえるだろう。

  本日の被害
 目の下側が痛くなる。これは睡眠中に刺された傷に、電波があたった時の痛み。アカに。他にも、顔は刺される。
 以上

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

12月の安倍政権の課題-大震災

2015-11-30 11:32:43 | 社会思想の終焉

大阪は晴れ 
 もう12月。東京大震災に警鐘を鳴らすことで忙しくなってきた。

 このブログには私は、安倍政権のこれまでと今後の課題を発表してきた。

 これまで、1,量的緩和(アベノミクス) 2,消費増税 3, 集団安保と3つの壁をクリアした。次が、4, 12月半ばの大震災だ。ちなみに、5,は来年4月過ぎから巨大組織犯罪の摘発である。

 東日本の皆様、12月14日頃に東北と首都直下地震があります。よくよく備えますように。安倍政権は経済を立て直すことに、そんなに時間を費やしていられない。

 大震災は、サミット・会議の後としていた。それらトルコやAPECはもう終わった。というわけで、次の政治課題が大震災だ。

 とうとう再震の12月である。なお、次は東京地震で、国会議事堂も一部損壊する。とてもじゃないが、その期間に国会など開けられない。大勢の議員が石の落下で負傷するからだ。
 民主党など野党の国会を開くという要求に対して、政府は時期がふさわしくないと来年に延ばした。首相の外交優先という理由だが、実に賢明な判断である。
 強運男の安倍首相がそうしたのだから、間違いないだろう。アベノミクスで得た利益は、半分は復興に使用することになるだろう。前途多難である。

 詳しくは地震予知ブログに。

 東京や東北の太平洋側の皆さん、くれぐれも準備怠らず、油断なきようにしてください。もう2週間後である。余裕はない。
 
 東京地震は、1923年の関東大震災から92年発生していない。江戸時代は大地震は70年周期だった。そろそろあるのではと思った方はここをクリック。↓↓


にほんブログ村

 哲学の話 個人主義ではナショナリズム、民族主義がはやる理由
 20世紀は、社会観を形成する時代だ。そして、個人主義の段階では、個人の社会に対する考え方がテーマとなる。それは家族と自分、友達と自分、学校と自分、会社と自分など。それで、ナショナリズムだけでなく、国際主義や、世界共通化(哲学ブーム)も起きる。

 だんだんと対象とする社会は広がる。個人はより大きな組織に所属することを考える。地域社会と自分、国家と自分ということを考える。この時に、ナショナリズムとなる。

 純粋に社会を考える時は、それ以外の要素を排除する。つまり、国家人たる自己を考える時は、外国の面は排除する。なぜなら、外国らしさや外国文化は、日本人としての自己を考える時には不要なものだからだ。それで、この時期には、排外主義に陥りやすい。

 国家主義は1年ほどテーマとなる。が、長い間ではなく、すぐにより大きな社会を意識する。それは民族的な自己や国際主義的な自己だ。日本民族文化としての自己。日本は単一民族だから、民族主゛気は一刻と思いがちだが、諸外国ではそうではない。一つの民族が多くの国を統治することもある。グローバルな自己、地域主義の自己を意識する。

 日本人は、中華文化圏の一員としての自己だ。この時、韓国と中国、台湾と土俵を同じくする。これら国々と友好関係を回復する。2015年の流れである。さらにアジアの一員と関係はひろがり、それら地域と良好な国際関係も形成される。それは、この段階は、アイデンテティの形成だけではない。そのレベルの社会を形成することがもっとも重要だ。個人の社会観は、それら社会を形成する時に、生じるのである。

 最終的には、先進国としての自己、西洋科学文明の面をもつ自己ときて、地球社会のい一員としての自己で完結する。いわゆる地球人、地球市民という意識で、この流れ終わる。

 国家主義や民族主義は、三番目くらいの位置づけで、2013-2014年の課題だった。国際主義が4番めくらいで、共産主義は低品質の国際主義でこの段階に属するから、2015年は左翼、またグローバリストが台頭した。文明を意識するのが5番目。最後の地球人としての自覚が6番めである。

 よって、来年からは文明の対立が、2001年頃にあったものが再び、起きる。それはISが西洋文明と戦争を仕掛けたことで、表面化しつつある。イスラムと西洋という対立はしだいに強まっている。2016年は、文明の対立の年になるだろう。これも、個人主義における流れである。
 


  本日の被害
 目の下側が痛くなる。これは睡眠中に刺された傷に、電波があたった時の痛み。アカに。
 以上

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

世論はここ3-4年に急速に健全化(保守化)した、それは右傾化とはいわない。

2015-11-28 12:07:33 | 社会思想の終焉

大阪は晴れ もう冬のよう。

 昨日はセーフだった。室内は寒くて、ついに暖房をつけた。

 日本人はここ3-4年で大きく意識を変えた。左は特に。
 ベンジャミンフルフォードの本「サイオプス」を立ち読みして、気づいた。五年くらい前と今の日本人と比べると、かなり主義主張が違うらしい。

 かつて、今では信じられないことに日本人の左だけでなく、その多くは親中だった。海上保安庁の船に中国漁船が尖閣でぶつかるまでは。が、反日デモで日本の中国工場、日本の商店が襲われ、日本車が焼かれた。それ以降、中国の反日教育が目に余り、また中国の南沙での侵略が著しく、日本人は反中に転じた。

 一昔前は、韓国ブームで韓国ドラマを見て、韓国アイドルを追いかけた。が、慰安婦騒動や韓国での反日教育があり、朴大統領の日本叩きが続き、なんだか知らないうちに今は、嫌韓。もはや少数派の親韓派は、私など大きな顔もできない。

 少し前までは、空想平和主義で、中国の尖閣諸島のガス施設や侵攻準備などあっても気づかないふりをしていたのに、今や南沙諸島の中国軍基地を不安げにみつめる毎日。それら中国の侵攻の脅威が増す中、自衛隊に万が一を託すしかないのが、日本人の心境である。集団的自衛権も最初は突飛と思えたが、今では、国民の多くが納得する。

 憲法で禁じるのは「侵略戦争」と侵略軍の保持。自衛戦争とそれら軍備は合憲。それが多数に理解される。政府見解はやや揺れるが、そこにはとらわれない。なぜなら、政府見解を違憲の根拠にする反論では、政府が合憲といえば、それを受け入れるしかないからだ。今は集団的自衛権まで政府が合憲とする。

 護憲派がかつては多数に見えた。憲法改正派は少数だった。が、今や憲法改正が堂々と主張できる時代になった。左派面が消え、日本人は大きく様がわりしたと感じる人もいるだろう。

 この変化についてゆけない左派は一部、テレビ・新聞に残る。集団的自衛権で、いまだに憲法違反とか、平和、平和と叫ぶ。が、実際はこれら空想平和主義は、非現実的と思われ、少数派になりつつある。

 かわって保守が広く国民に支持された。政党は、自民、民主、維新と保守系(民主は保守が抜けた分左派が大きな顔をしているが)が増えた。社民党などは消えゆく政党で、左派の支持はもっとも過激な共産党に集まりつつあるが、日々減少する。

 雑誌は、書店は保守ものが、目立つ所に置かれる。正論、WIll、中央公論、SAPIO、文藝春秋など。左派系の「世界」は町の本屋になく、図書館か大手書店でしかみつからない。「新潮45」は左派や保守といったりきたりするが、今は保守的になる。左派の雑誌で、どの書店でも読めるのは、AERAや子供向け扇動雑誌のAERAジュニアくらいだ。他の左は過激な「紙の爆弾」、広告関係のものくらいしかない。それらは一部の書店にしか置かれてない。買う人がいないのだろう。

 ネットは、保守が全盛で、ブログランキングで、保守が上位を独占する。左派のブログは少ない上に、読者が半分以下。

 ここ3-4年の左翼消失という日本世論の変化に驚くのは、海外在住の日本人と外国人のようだ。日本人の大方は、納得して受け入れる。この日本人全体の保守(コンサバティブ)化に、私は日本が健全化しつつある、と感じる。これらは右傾化とは言わない。世論の正常化である。

 私の中で、日本の世論は何もかわってない。従来から、自民など保守の日本の主流は、ここ数年何も変わってないからだ。自衛隊の合憲、日米安保、TPP、改憲、テロへの戦い。かつてから同じ主張だ。それらが今は大勢に支持される。変化はそれのみ。喜ぶべきことだ。

 戦後日本を支えてきた日本の良識を国民の多くの層も理解するようになったと思うと感慨もひとしお。だから、私には、ここ数年の日本人の意志の変化が早くても、そう気づくことはなかった。外国人の本を読んで、はじめてその点を強く意識した。

 ようやく世論から赤い影が1/3ほど抜けたのだろう。日本人は、世界(アメリカの自由主義)の常識に近づいた。これら変化をアメリカの陰謀とするのには同意しない。日本人の保守の日頃の努力、啓発運動の賜物である。

 ネット空間で、日本人が発信するようになった。良い言論、質の高い論を放ち、発言力が強い保守派が力をもちはじめた。それに感化された日本人が増えた。そう私は考える。

 左派は外来であり、ソ連のお金でベトナム反戦運動などは盛り上がったこともある。冷戦後に、共産主義への失望が広がった。それら共産独裁国家の支援が低迷して、急速に左派も衰えた。それは歴史の必然。海外の邪悪な力によって、左傾化した世論が、やっと是正されたのである。日本人の本来の意識が戻ってきたのである。それを右傾化とは認識しない。

 ここ数年で、反中共・北への警戒など日本の良識が庶民にも一気に浸透したと思った方は、ここをクリック ↓↓
  


にほんブログ村

 哲学の話 お休み

  本日の被害
 頭が痛くなり、執筆を休むことがしばしば。強烈な痛みではなく、だるくなる。これは頭部に針刺しされた被害だ。アカに。
 以上

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ISと対話したいなら自らシリアに行け(報ステは第二の後藤謙次氏を募集?) 、哲学の話-今は個人主義の時代

2015-11-27 11:43:13 | 社会思想の終焉

大阪は晴れ かなり冷えた

 今日は、交通事故の予感だ。ダイエーの駐車場の出口近くで。気をつけようっと。またカルトか?

 今日は短く。


 報道ステーションがISとの対話を主張したことが、空想平和主義とネット上でよく非難される。
 そんなにISと対話したいならば、報道ステーションのキャスターが自らシリアに行け。代わりの戦場ジャーナリストを後藤謙次氏のように使い捨てにするようなことは考えるな。

 対話はまず、相手の話を聞くことから始まる。戦場カメラマンかつジャーナリストの後藤氏は、シリアの被災者の声を伝えるが、戦場ジャーナリスト達は、ISの声も聞こうと試みた。こういうのはメディア業界の常識。

 報道ステーションはIS対話をする用意がある、と公言することで、IS地域にゆく戦場ジャーナリストを募っている。つまり、第二の後藤謙次を作ろうとしている。

 確か、私の記憶では、そもそも、彼をシリアにゆくことを後押ししたのは、報道ステーションだ。後藤氏の戦場写真は、報道ステーションでとりあげていた。また同じことをしようとしている。懲りないやつらだ。報道ステーションは実に、フリー記者を大事にしない。戦争が何もわかってない。

 報ステがISと対話したいなら、自らシリアに行ってこいと感じた方は、ここをクリック ↓↓
  


にほんブログ村

 哲学の話 個人主義の時代

 2015年現在、グループ活動が日本を救うという話はきかない。そのブームは終わった。20世紀は、QC活動(品質向上)や分社化こそが、会社活性化の切り札とよく言われたが。
 今は、もっぱらコラボレーションである。2004年くらいから、アーチストがやり始めて、ネットのコラボと広がった。個人個人が自立して、それらが集まって、何かする。集団から解き放たれた自由な個人がたくさん誕生したからできたことだ。そのコラボが新たなブームとなった。

 哲学的には、集団主義が終わって、個人主義が台頭した、という。自立した個人とは、何か? あらゆることは自分1人でできなくてはいけない。各自が経営者(資本家)という立場だ。その上で、個人同士がつながる。そんな最も組織に縛られない自由な人間関係が社会を活性化するのがここ10年続く流れだ。

 今は、個人主義の時代である。ISはネットの宣伝で世界各国から戦闘員を個別に集める。これも一種のコラボレーションである。これはプロジェクト型組織ともいう。コラボは仕事ごとに集まり解散する。プロジェクトも、テーマごとにそうする。2つは同じ組織型である。

 さて、個人主義が発達した西洋がこの時期、伸びてくると私は思っていたが、そうはならなかった。かわりに、中国が目立ってきた。中国も個人主義の国である。みなが労働者に満足せずに、資本家になりたがる。集団主義の日本は、個人の自由な活動が伸びず、停滞気味である。

 個人主義では、個人がすべて社会的に兼ね揃えた人間、誰もが個人経営者であり、資本家なのである。労働者は、専門的な技能者である。それは官僚組織という2段階前で求められる人間の才能だ。さらに進んだ集団主義や個人主義の社会では、マルチな才能や資本家的な自立した才能が必要とされる。よって、最終的に労働者の社会になるというのは間違いなのだ。最後には、経営者(自立した個人・資本家)の個人主義社会となるのが、普遍の社会法則である。

 労働者よりも、マルチな人間や資本家がより優れていることが、わかっただろうか? 人々は歴史の必然で、一介の労働者を超えて、ジェエネラリストや経営者になる。それに満ちた社会になる。21世紀、社会はそういう個人主義社会の基盤を形成中だ。それが現在の潮流である。

  本日の被害
 左目の内側が痛む。刺されている。今日は左手甲や指先が痛む。電波だろう。一時痛くなって止まり、違う指が痛みまた止まり、と移動する奇妙な痛みなので。そこが刺された場所らしい。アカが近所にいる。
 以上

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ネットは韓国のように匿名禁止に、哲学の話--グループ組織とは

2015-11-26 11:35:51 | 社会思想の終焉

大阪は曇り

 

 朝、ユーチューブでラジオ体操を見てする。この体操は、胸を広げる動作が多い。それで、中年の工場労働者は朝にラジオ体操する人は、皆胸が広がっている。姿勢がよくなるが、もっとスマートな体格になるいい運動はないかな。

 ネットは韓国のように匿名禁止にしたらよい
 ネットの荒らしは匿名で、中傷誹謗を繰り返す。これは匿名を容認する社会がいけない。韓国は確か、実名でないといけないらしい。おそらく匿名の集団がネットをあらしまくったからだろう。日本も同じにしたらよい。
 左翼の過激な活動家、しばき隊のメンバーは実名(正体)が発覚すると、おとなしくなった。それを見て、日本のネットを健全化するのには、匿名禁止にするしかない、と思った。ネットの嫌がらせの半分以上はなくなると思う。
 日本人はネットの「いじめ」からかなり解放される。日本は明るい社会になると思う。地下のアングラ連中が、一般市民と横に並んで、悪口罵詈雑言をののしりあうネットの下品な日常は、それで終わる。
 匿名禁止でネットから「暴言野郎」や「ネスト(ネットストーカー)」がいなくなり、「ネットのいじめ」がなくなると感じた方は、ここをクリック ↓↓


にほんブログ村

 哲学の話 小集団グループとは?
 官僚組織が破綻すると、分社化して、小さな集団がたくさんできる。会社はそんな形態へとかわる。専門家の地位は下がって、ジェネラリスト、マルチな人間、総合的な才能をもつ者が、この段階では評価される。1990-2010年のブームである。

 哲学的には、単独の才能では、複数の才能には勝てないというごくごく単純な話となる。専門家の権威の失墜。先生や既存の権威が、通用しない時代である。
 世界的には、この時期、地域主義が起きた。EU経済圏や、アジア経済圏。小さなものでは、日本海経済圏などが構想された。それが拡大して、東洋と西洋の対立、南北の対立だとか、しまいには西欧とイスラムなどの文明の衝突が起きると騒がれた。
 グループ単位で、それがくっつて、組織が発展する期間だ。ビジネスではM&Bが脅威とか本格的に始まった。

が、文明の衝突もなく、いつのまにかこの段階は終わった。何が残っただろう? EUだ。アメリカの協力関係だ。

本日の被害
 左目の内側が痛む。刺されている。また首筋もだるい。アカが近所にいる。
 以上

 

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

医者不足解消のための診療報酬の引き上げに違和感、哲学の話--官僚から小集団体制へ

2015-11-25 11:55:52 | 社会思想の終焉

大阪は少雨

 寒くなってきたし、雨が降るし。

 左翼の過激運動家(しばき隊)が崩れてゆく。まだ当面続くだろう。次は、もっと過激な連中へと矛先が伸びる。これは、時代の潮流であって、誰にも止められない。2013年は右派が台頭。2014-15年は左派が台頭して、朝日新聞の虚偽報道からつぶれだした。来年、2016年はこの流れから、左派が一斉に浄化されるのではないだろうか。

 社会保障費は削減せよ 医者不足は診療報酬をあげても解決しない
 毎年一兆円ずつ増える社会保障費。医療費にもたくさん使われる。医者は、毎年毎年、儲けがふくらむ。それだのに、医者不足、医者の過労といって、診療報酬の引き上げを求める。需要増大で、大儲け。さらに診療報酬をあげよう、とする。これは世間や国民が許すはずもない。

 医者不足は現実としてある。が、なぜ診療報酬を引き上げたら、医者不足が解消するのか? そこがおかしい。看護婦や医者を雇えるからだろうか? 医者はもう余剰人員はいない。給料を高くしても、収入をあげても、医者の数は増えない。医者はそもそも、給料が安くない。給料が安いから医者をやめたという話はきいたことがない。収入をさらにあげることが医者不足の解消につながるのは嘘である。ここが診療報酬を引き上げようと画策する連中のトリック、騙しの論理なのだ。診療報酬をあげても、医者不足は直接的に、解決しない。

 しかし、それで医者不足が解決するかのようにのたまう。そんなのにころっと騙されてはいけない。

 医者不足は、弁護士不足を解消したのと同じ方法しか解決しない。医大を増やす。医者になる者のハードルを低くする。医大の授業料を低くする。学生への助成金を充実させる。医者の資格試験の基準をやや甘くする。すると、医者は大量に増員できるだろう。医者も満足に揃う。これが王道である。

 政府はそちらに重点をおくべきだ。

 社会保障費は年額一兆円増える。その何割かが医療費となる。医者は激しく儲かる。さらに儲けさせるために、診療報酬を引き上げる。それは、医療費を高くして、生活者を苦しめる政策だ。国民のお金で医者を肥やすような政策は、もうやめよう。

 診療報酬を引き上げると医者不足が解消する、というのは嘘だとわかった方はここを↓↓ クリック。


にほんブログ村

 哲学の話 官僚組織は、専門バカの集まり?
 官僚は優秀で日本最高の頭脳と一時は思われていた。が、今は、専門バカの集まりのように言われる。なぜそのように時代が変わったのだろうか?

 哲学的には、どうか? 単一の才能では、複数の才能をもつ人より劣ることが、はっきりしてきたからだ。少し前までは専門家といえば、その道の最高の権威だった。学者、医者。誰もが尊敬した。それが、しだいに専門家では役立たないと言われるようになった。

 なぜか? これは官僚組織の問題点が知られたことが原因だ。専門家がたくさん集まると、視野の狭いことを言う。全体的にまとまりのあることが言えない。日本では、菅直人首相が学者の会議を開いたが、何も大事なことは決められなかった。政治家の判断より劣ったことが決定的だった。そこから専門家は、社会的な判断、総合的な判断では使えないと思われるようになった。

 官僚組織は、ゆきづまり分解する。組織が巨大しすぎて硬直した反省からだ。すると、組織は分割される。それは権限委譲ではない。組織の単位を小さくして、小さな集団を作る。ほぼ独立した組織を作る。分社化というものだ。事業ごとに小さな会社をたくさんつくる。すると、决定も早くなり、物事に対処できるようになった。大きな組織は危機を脱して、グループ会社となり存続する。

 この頃、スペシャリスト(単一工)よりも、ゼネラリスト(多能工)が求められる。専門家ではなく、様々な見地から判断できるような人材が求められだした。

 これが、1990-2010年頃の流れである。ソ連は分割され、東欧諸国は独立した。EUという小さな国が集まった体制もできた。地域主義の始まりである。世界構造は、企業で新しい組織改革手法を5-10年遅れて、採り入れそれで改革する。企業社会と世界構造はそのようにリンクする。

 哲学的に、この変化を語れるか? これは本人の能力の広がりとして説明される。また専門家のグループが、ジェネラリストの集まりになった時の組織構造の変化とみなせる。結局、社会組織論で語るしかないのだが、このあたりを哲学者がうまく語ると、時代の寵児になれた。
 
  本日の被害
 左目の内側が痛む。刺されている。また首筋もだるい。アカが近所にいる。
 以上

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

共産党の矛盾--人を職種で差別する党が差別に反対? 大紀元のサイト、哲学--官僚組織の本質

2015-11-24 11:32:36 | 社会思想の終焉

大阪は薄い曇り

 なんだか、さえない一日。政治の話題もなく・・・

 日本人の意識が、ここ数年大きく変わった、という本を読んでいた。私はかなりよくなったと思う。私が思う正しい日本に一歩ずつ近づく。左翼の偏向から抜けだしている。その本に紹介されていた。中国を批判する『大紀元』というサイトをみつけた。日本語で読める。左翼の親中の嘘を感じ取れる。
  
 共産党の矛盾--職種で人を差別するイデオロギーが、差別反対?
 あらゆる差別に反対するデモ『東京大行進』が22日にあった。その写真の先頭に、横断幕を掲げた共産党の茶髪議員吉良よし子が写る。共産党が強く関与していることを伺わせる。私は違和感をもった。

 共産党は人権を守らない。人を差別することが主義の団体。まずは職業差別が甚だしい。資本家をブルジョワジーと呼び、日夜傷めつけることが彼らの革命だ。社長や管理職は、打倒する。

 次に宗教差別がひどい。宗教は麻薬ということから来ているらしいが、これは本当で、宗教家や信徒を常に尾行する。噂を流し、近所中で中傷する。これを差別といわなくてなんと言う?

 また、保守系の人も差別される。あれはネトウヨとか、軍国主義者で日本を再び戦争に導く連中と言い、近所中にいやなやつと噂する。政党や党員は全員は敵視する。

 これほど、組織的に人を露骨に区別して、人の信条や職種で異なる対応をするのは、他にないほどだ。共産党は差別のかたまりである。

 それが顕著になったのは北朝鮮で、共産党員でないと、元教師や知識人だったら二級市民に落とされる。共産党員だけが特権階級と国家的に差別する。人権侵害もひどいものだ。

 こんなに人権無視の共産党が、差別廃止とよく恥ずかしげもなく叫ぶものだ。共産主義は差別丸出し。革命のための方便としての"差別反対"。この2つが大きく矛盾する。

 そもそもブルジョワジーを敵視してそれをつぶす団体が、どうして、差別なくそれらの人々と人間関係を保てるかという話。こんなにも共産党の矛盾は目立つ。職業差別の共産党が、差別反対という行進をするのは、まったく筋が通らないと思った方はここ↓↓をクリック


にほんブログ村


 
 哲学の話 官僚組織の本質とは何だ?

 官僚組織は今は、専門バカの集まりみたいに言われているけれども、1990年頃は、日本の官僚は優秀な者達と思われた。大阪では元官僚は国の手先としか思われない。が、関東でも東のほうにゆくと、東大に行って、官僚になることがエリートコースだといまだに思われる。

 この官僚組織とは本来何なのか? 国家が官庁を作る体制と思っているのではないだろうか? それは結果である。国家の官僚組織は、最終形態といってよい。それ以上に改善できないからだ。今はよりよい組織があるが、以前は、それこそが最も優れた組織と思われたものだった。その本質とは何か?

 要は、ある分野は専門家が担当する。分野ごと、専門家ごとの組織である。職業別組織みたいなものである。

 前回は、分権で組織は成長したことを成長した。中間管理職が威張り、末端も自主的に行動する。組織としての統制がとれなくなった。そこで、経理、技術、営業、法務など分野ごとに組織を作り上げて、組織をまとめた。その果てに、官僚組織がある。

 1970年頃に、市民運動が始まった。市民がそれぞれの問題で意見を言うようになった。これは市民運動だが、市民が特定分野の問題を解決する活動である。これも官僚組織の末端の現れではある。上だけ見ていては市民運動が生じた理由がわからないのである。

 官僚組織の問題点は何だろうか? 何もかもが専門家の判断を待たないとできないことだ。家を建てようとすると、金銭(経理)、技術、法律(法務)などいろんな専門家の了承を得ないとゴーサインが出ない。七面倒である。だんだんとガチガチに固まってしまい、組織としての柔軟性が低下する。動きづらくなる。官僚組織は硬直して、状況に対処できなくなる。これが官僚組織の最後である。

 哲学っぽくないが、官僚組織は、専門家による組織とおぼえよう。その問題点は、物事を細分化しすぎること。この官僚組織がもてはやされた時代は、1970-1990年だ。が、この時、専門家さえいたら、何もかも解決できるという風潮が生じた。一昔前だ。今では、専門家は全体的なことがみえないと思われてる。どうしてそう変わったのだろうか? それはまた後の話。

  本日の被害
 朝から、頭がやや痛む。軽い頭痛がある。注射された。音声送信では、頭部に3箇所は刺して、薬物を注入したという。
 以上

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

大阪府W選挙の結果、テロへの感情、哲学の話-分権から官僚組織に

2015-11-23 11:46:03 | 社会思想の終焉

大阪は薄い曇り
 
 大阪府知事、大阪市長のダブル選挙で、府知事は松井氏(大阪維新)、市長は吉村氏(同)が大差で当選。自民候補を斥けた。自民の対抗馬は、府は格下を擁しており、戦う気がなかったよう。大阪市長候補は若手でまだ有能で、勝ちにいってないものの、認知度アップかハプニングの補欠狙いのよう。転んでもただでは起きない作戦か。

  大阪人は政治に興味がない。選挙では、話題性がある人物を選ぶ。単なる人気投票である。政治家としての実力ではなく、知名度である。維新のほうが何か世間を騒がすことをやってくれそうだ。あとは、実利をとる。老人のパスの有料化、地下鉄の料金などで候補者を比べた。そんなところだろう。

 府庁舎が、南港にある不便さは、役所で勝手に適切にすることで、市民がどうのこうの言うことではない。本当は役所の手続きで南港まで足を運ぶのはアホらしく、移転が必須である。どの候補でも移転すると思っている節はある。よほど気が利かない限り。あんな所に、いつまでも庁舎を置くのは論外であるが、さりとてそれは役所がすること。大阪人は政治に、口出しはしない。それで、争点になりにくい。

 大阪の人間は政治家が何をやっても、市民とは関係ないと考える。統治者もそれほど下手でないとつとまらなくて、そこそこは来る。それで特段、市政が悪化しないかぎり、政治家に何かを託すということは、考えない。公約そのものが、意味をなさない伝統が強い。なにしろ、政府に頼らずに自ら商人が集まって、打開することをずっと続けてきた土地柄。政府は奥のほうで、適切にやればよい。誰がやっても同じなのである。

 だから、投票率も低く、盛り上がらなかった。よほどの失政と危機感がないと、大塩平八郎は現れないのである。

 テロに対する感情
 まずテロで大勢が死ぬと悲しむ。次に、それで肉親などが失われるとつらく感じる。自分を不幸にした原因がテロリストだと気づくと、テロリストを恨む。その恨みが強くなると、憎しみにかわる。そして、テロリストの壊滅へと行動する。

 フランスはまだテロ直後だ。悲しさに包まれている。やがて、つらくなる。恨みも起きる。しだいに、フランスをこうも不幸のどん底に落としたテロリストを憎む。だいたい2週間から4週間かかるのではないだろうか。

 現時点、まだ悲しみが大きい。まだテロリストへの憎しみは生じていない。そういう今回の打撃の大きさ、喪失感の大きさをよく飲み込めていない被害者の親族が、『テロリストに憎しみを贈らない(もたない)』と言ったとしても、真に受けるべきではない。きれいごとを言う人間ほど、激情に走りやすい。

 テロリストを許さない限り、彼らに憎しみをもたないと言っても嘘だからだ。被害者の多くはテロリストをけっして許さないと叫ぶだろう。まだ憎しみを自覚してない人は、テロリストがどんなに生活や人間関係や喜びをぶち壊してくれたかをわかっていないのである。やがて、テロリストが彼ら被害者にとって、どんなに悪いことをしたかを気づくと、それら気持ちは憎しみにかわる。

 フランスは首都が攻撃された。パリのメディアはこぞって、テロリスト打倒を掻き立てるだろう。それは、被災した福島県民の哀れな姿を見て、近くの東京メディアが、復興と過剰に言い立てるのと同じ心情である。テロがフランスの田舎だったなら、パリのメディアも、東京メディアの神戸地震の時のように強く感情移入しない。だが、事はパリで起きたのである。他所事ではすまされさない。

 フランス人は比較的、個人主義だ。地方のテロだったなら、テロリストの撲滅をそう強く願わないだろう。が、パリメディアは今回の件でそんな傍観者でいられなくなった。数週間でテロリストを壊滅する意志は固まる。それに向かって、フランスは突き進む。

 共産党の矛盾 孤立路線の放棄と民主党などとの共闘
 2015年9-10月に、党として大きな方針転換を怒った。長年の孤立路線をやめ、突然、野党の連合構想をイケシャーシャーとぶちあげた。共産党は、孤立をいつやめるといったのか? なぜ民主党との連立与党をめざすのか? これら党の戦略の転向にまっとうな説明がない。新しい方向は、共産党のこれまでの路線(孤立と共闘)とは矛盾する。まったく筋が通らないと思った方はここ↓↓をクリック


にほんブログ村

 最近、共産党の矛盾、筋が通らないことを追求するが、誰も関心を示さない。共産党が党の理念を変えても、矛盾をさらけ出しても、筋が通らないことをしても、世間はそれを気にもとめない。共産党みたいな怪しい政党は、めちゃくちゃなことをしても、世間はそれが当たり前と思っていたことが、わかった。そのくせ、『筋を通す』とかいう嘘はすぐにころっと信じて、騙される。無知も甚だしきなり。
 
 哲学の話 分権がゆきすぎると官僚制に
 統治とは何だろうか? 脳は体を支配する。暑いと感じたら、汗をかく、着物を脱ぐ。寒いと感じたら、震える、服を着こむ。お腹が減ったら、食べ物を食う。喉が乾いたら、飲む。体の統治とは、生物個体の生命維持である。
 社会においても同じで、政治とは大勢が生きる環境を整えることだ。快適な温度を保つように促す。食料は過度でも、不足もなく与える。衣服もだ。家もだ。知識もだ。そのようにして、人間の体、社会を維持・成長させる。
 理性では、頭の中のことだけ考えていたらよかった。が、これからは体全体、人類全体の面倒をみなくてはならない。とはいえ、主にテーマは人間関係で社会の充実ある。

 大きな組織は、トップの人が末端のことまで指令する。それでは、組織が動かなくなる。それで、権限(自由裁量)を下に与えることで、危機は乗り切った。分権で社会は発展する。

 しかし、組織は、トップと末端の二階層だったものが、権限の移譲で、中間の決定者をたくさんつくる。すると、中間管理層がどんどんたくさんできる。最初は、トップが強すぎることが問題になった。今度は、末端やち中間の連中が、力を持ちすぎるようになる。上部の命令に末端や中間がしだいに従わなくなる。

 哲学は、多分に精神的に語ることになる。これらを哲学的に語ると、分権した組織は、構造がどうのこうのという話になる。そこでの中間管理者の苦悩を語ることになるが、些細なテーマで、哲学たりえない。面倒だから省く。

 簡単には、分権化しすぎると、どうなるか。中間管理職が強くなる。トップの命令をきかなくなる。勝手に何かはじめる。組織はばらばらになりやすい。そこで、組織は統制をかける。専門分野ごとに、チームを立ち上げて、判断する体制を作る。経理、事務、人事部などなど。国家では、土木交通、財務、文化・教育、経済などの省庁が強まる。

 分権化して、ばらばらになったグループは、専門ごとに横断的な組織を作り、管理する。官僚組織が誕生する。

 これのどこが哲学? 哲学用語でこれらを論じると極めて難解になる。それで、今回はそれはしないことにした。哲学では、20世紀の社会を語れないのである。哲学風の考察の限界である。

  本日の被害
 朝から目が痛む。目の内側に、赤い腫れがある。今日もある。しつこくやってくる。この人権侵害はいつになったら終わる?

 以上

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

大阪府は自共の共闘でなく、共産の勝手連、哲学の話--分権の意味

2015-11-21 11:55:25 | 社会思想の終焉

大阪は久々の晴れ
 朝から目が痛む。まいったな。いつものアカの嫌がらせだ。

 私は大阪に住む。共産党のビラが届く。維新対オール政党の対抗みたいな内容だ。それでは共産党が自民と共闘しているかのような印象を与える。しかし、自民党は共産党と組んでいるわけでなく、勝手に共産党が自民を応援しているのではなかったのだろうか。厚かましいにもほどがある。
 証拠として、『勝手連 民意の声』などの記事がある。共闘ではないことで安堵する。自民が共産党と共闘するなどしたら、堕落も甚だしい。そんな災いを招くようなことはしてないようだ。

 ただ、このように国政では、自民に反対して、地方では自民に賛成するという共産党の矛盾に、筋が通ってないと思う方は、こちらをクリック ↓↓


にほんブログ村

 

哲学の話 大きくなりすぎた組織は、分割される

 人は社会的動物である。理性は、他の理性と共感する。理性は、論理的に物事を判断して動く他の物体は操作できる対象と考えるから。自分の手足のように直接、動かせなくても、間接的に可能と考えるからだろう。理性は、体の外に目を向けると、自己と他を区別しない。理性は、自分という物体と、他人という物体に差はみつけないのである。

 理性が外を見て、自分と同じように合理的に判断して動く物体をみつける。それが、他の人間である。理性は、そういう同一の性質の存在と、共同して何かやりとげようとする。それが社会運動である。

 わかりにくく書くとこうなる。これからはわかりやすく書く。

 前回、大きな組織になるのは必然だと書いた。その時に、命令系統が出来る。大きくなりすぎると1人で何もかも統率する独裁国家となる。すると、その国家(組織)の危機が起きる。末端を管理できない。大きすぎて、状況に対処するには、判断する人員が不足するなど。

 そこで、頭のいい人は考える。1人で何もかもやってしまうのが無理なのだ。担当を作ろうと。頭の悪い人は、こう考える。組織のトップにいる人が馬鹿なのだ。神様のような叡智があれば、こんな巨大組織はどうってことなく運営できるのに。これが社会主義者の間違いの一つである。破綻の危機に瀕した独裁国家。それを立て直すのには、庶民(労働者)の心がわかる優秀な人材にかえればよいと。

 実は頭をすげかえればよい、という発想ではどうやっても失敗する。なぜなら、いくらトップが優秀でも、末端の情報がトップに流れても、中間や末端がダメならば、その組織はダメだからだ。この組織では、トップだけが判断する体制である。他は命令に従うだけなのだ。これでは、トップだけ優秀でも、組織全体が硬直しているため、組織の情報処理能力に限界がある。多くの物事が起きるようになると、たちまちにして機能不全になる。頭をかえればなんとかなる問題ではない。社会主義者は永遠にこのことに気づかない。

 それはさておき、頭のいい人は、トップの権限を下に委譲して、下のほうでも自立的に判断できるようにする。組織を分割はしない。組織は一つのままたくさんの部署を作り、責任者にやらせる。分権というものだ。もしくは、裁量権を広げ権限を与えると、自治権となる。

 独裁国家が隆盛した1930-1950年。ヒトラーや日本軍部、ソ連やスターリンの独裁帝国などが台頭した。それは巨大組織の行き過ぎである。一方、植民地体制もある。それらが体制を維持できなくなった。極端な独裁は敗戦で解体した。巨大植民地国家は1950年に分裂した。これは、巨大組織の限界に人々は気づいたからだ。

 民族主義が始まった。民族国家が乱立した。それは、巨大組織では、やっていけない。それぞ担当を作って、統治することが大事だと気づいたから、容認されたのである。

 これも経営学用語が多いからわかりにくい。簡単には、大きな組織は管理できなくなる。それで小さくして、責任者に任せる。すると、管理できない箇所がなくなり、うまく機能する。状況に対処できる組織となると考える。

 どこが哲学かって? 頭で考えよう。大きな社会をトップの1人で運営するのは不可能だ。地域ごとに担当者をつけるべき。彼らが地域を統治してくれるだろう。たったこれだけだ。今では常識である。しかし、これだけのことが、1950年まで大衆は理解しなかったのである。

 それまでは、大きな組織を1人で統治することが可能だと思われていたのだ。かつての王侯貴族のように。王と有能な大臣がいれば国はうまくゆく、と。今では、そんなことを思う人はいないが、それが社会観の進歩である。
 
  本日の被害
 朝から目が痛む。目の内側に、赤い腫れがある。時々こうなる。これをやる犯人は決っているようだ。正面から見えないところ。それが両目にの内側にある。悪質だ。これは、私の言論活動の妨害でもある。20年も続いている。正確には、91年から続いているからもっと長い。

 以上

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

フランステロ 首謀者死亡とその後のフランス、哲学の話--理性的に社会を作る第一の課題

2015-11-20 11:48:32 | 社会思想の終焉

大阪は久々の晴れ
 朝から軽い痛みが頭に。

 フランステロ 首謀者死亡
 パリの同時多発テロの主犯格とされるアブデルハミド・アバウド容疑者の死亡が19日フランス検察に確認された。(11/20ヤフーニュースより)
 主犯をあっさりと捕らえたフランスは、これで終了とはいかない。100余名の無辜の市民が一瞬で殺された悲しみ、怒りは強く、その矛先は遠くシリアのISへと向かう。このあたりも、仕組まれていると感じるのは私だけではないだろう。フランスの大衆の憎しみは、テロ首謀者を捕らえたくらいでは、止まらない。

 イスラムとの対話とは
 日本人は比較的、イスラムに寛容である。神道があり、すべての神々を認めるからだ。キリスト教徒にマホメットが預言者だと認めない者がいる。だから、彼ら西洋人の一部は、イスラムの神のアラーがヤハウェと同一と考えない。
 が、日本の学校でこのあたりは単純に教える。一神教はすべて同じヤハウェを崇拝する。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、同じ神を信仰する、と。
 また日本はアニミズムで先祖崇拝や様々な神を認める。アラーもヤハウェもその一つとして認める。だから、日本人はイスラム教徒に対して、敬意をもつ。ここが、西洋人と日本人との違いだ。日本にイスラム教徒を敵対者と考える伝統はない。イスラム教徒が日本に来て、迫害や敵対者として扱われないから、安心して住めるだろう。日本人という輪の中には溶け込みにくいとしても。

 日本人は、イスラムに対しては先入観なく、対話できる数少ない民族である。

 哲学の話 人間は最初にどんな社会を作る?
 人間は、社会的な動物だ。抑圧なく、自由にふるまえる社会にするにはどうしたらよいか。理性の探求を終えた19世紀からそれを探し求めた。20世紀には、自らそんな社会を作る。そんな人は、最初に何を考えたか?

 自由な社会、抑圧がない社会、合理的な社会を作ろうとした。いろんな人が意見を言い合う。それぞれが社会を作ろうとする。すると、小さないろんな組織やグループができる。20世紀初頭、そんな状況になった。

 社会学の本では、その様子が描かれれていた。20世紀はじめの英国では、退役軍人会、なんとかクラブ、政治クラブなど、あちこちで小さなグループが生じた、と。その頃、人々は、社会組織を誰もが作りはじめた。今では、多数のクラブや社会グループがある。それは20世紀になるまではなかった。

 そんな雑多な小さなグループが生じたら、人はどうするか? それでは大きな影響力がない。だから、一つにまとろうとする。組織を大きくする。自然なことだ。国家も政党が多数あると、意見がまとまらない。誰もがそう感じた。

 『大きなグループにしよう』、『権力を一つにまとめよう』。これは実に合理的な発想である。これがいわゆる権力集中、集権化の理屈である。権力闘争という人いるが部分的である。ここから新しいタイプの独裁国家や、権力を国家に委ねる体制ができた。

 それまでの独裁国家と20世紀以後は違う。新しいタイプの国家では、組織化が末端の隅々まで徹底したことだ。19世紀前にも独裁はあったが、農民や地方は国がやることとは関係なかった。自由きままにそれぞれ勝手に生活していた。が、20世紀からは、国家の中枢がそんな地方や最下層まで、組織編をはりめぐらしはじめたのだ。国民は、国家のすみずみまで、国家の命令を受け、管理されるようになった。それが強まった。

 ヒトラーやソ連の独裁国家、日本における権力集中も過度になった。それが2020年頃から、第二次大戦が終わる2045年まで続いた。

 人間は最初に、小さな社会を大きくする。その過程で、2つあった組織が合体させる。権力を一つにする。この流れは、集権化である。集権化自体は、合理的な選択である。なにしろ命令系統が一つでなければ、その組織は混乱してしまうからだ。その集権化の行き過ぎ、その失敗例が独裁国家だった。過剰な権力集中が招く弊害である。
 
  本日の被害
 昨日は後頭部が重い感じ。頭痛ほどではないが、体もだるい。毒を飲まされたようだ。

 以上

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

『(共産党が)駆除すべき害虫・・・』、テロ組織は軍事力でつぶすしかない、哲学の話--社会運動とは

2015-11-19 11:46:44 | 社会思想の終焉

大阪は雨
 窓からの風が冷たい。何か足元をぬくめるものはないものか。

 共産党について『駆除すべき害虫という意識はまったくない』
 前原誠司氏が共産党を『シロアリ』と発言したことについて、枝野氏がそう陳謝した。(ヤフーニュース11/18より)

 共産党が『駆除すべき害虫』という認識とは、具体的にはどういうことだったのだろうか。もっと詳しく報道するべきだろう。どうして前原氏は考えるようになったのか。私だけでなく、共産党から何か不利益を被った者はそこが聞きたい。
 
 
 フランスはテロ組織を軍事力で叩くことが必要となった
 パリテロを受けて、フランスのオランド大統領がフランス国民によびかけた。団結して、テロ組織を壊滅に追い込もうと。
 まだ100人超という少ない犠牲で、シリアに大規模に軍隊を送り込み、地上戦を始めるとは思えない。が、航空爆撃は有効な手段だろう。
 テロ組織を軍事力でつぶせない、といった不可解な意見を日本に散見する。それは間違いである。中南米のゲリラは、政府の掃討作戦でかなり縮小した。それで治安は回復した。
 国家に戦争を挑む強大なテロ組織は、まずは軍事力でつぶす。これは、どんなに時代が変わってもかわらない悠久のセオリーである。
 イスラム諸国内でアルカイダなどそれは失敗しているというのは嘘である。完全につぶすことはできてないが、タリバンでも、イラクでも、彼らをほぼ壊滅まで追い込むことはできた。浅間山荘事件でも、機動隊の銃なく対処できなかったが、それ以後、現れてない。テロ組織は警察力(軍事力)でほぼつぶすことができる。

 ゲリラとなるとわずかに残る。が、一時は大勢に影響ないほどに縮小できた。それで十分であり、それこそがフランスの勝利である。完全に地上から消し去ることが必要ではない。そのように、ISを無害なほどに小さくできるかが、今後のフランスの課題である。

 なぜ、ロシアの南部地域では、治安が乱れるのか? 正義の戦争がうまくゆかないのか? ベトナム、北朝鮮、シリア、イラク、アフガン。ロシアの南に治安が乱れた地域が残る。背後にロシアが控えているからだ。こういう国際政治の常識は、もっていたほうがよい。

 哲学の話 社会を制度を正す
 人間はなぜ社会的な存在だろうか? 人間同志、関係をもとうとするのだろうか?
一つは本能がある。赤子は母親の母乳を教えられずに飲む。母親に特別な親近感をいだく。また男女もお互いが結ばれることを欲する。
 人は家族をもつことを何百万年と続けてきた。それで、家族をもつという生き方が慣れて、心地よいのだろう。
 このような本能や『慣れ』は哲学の言葉にしにくい。これは哲学の限界である。

 19世紀は社会を理解するため、『自由』、『経済』、『最大多数の幸福』、『抑圧』などの社会学の基礎概念が形成された。20世紀はそれらを実現する。つまり人間にとって自由である社会を作る時代となった。

 社会運動は、フランス革命頃は貴族や一部市民だけの運動だった。が、産業革命で工場労働者も現れて、市民が増加した20世紀初頭では、社会運動はしだいに大衆化した。日本では、自由民権運動が起きた。新聞も発行されるようになり、一部裕福な者だけでなく、下層にいたるまで政治への関心を強めた。皆、自由を求めた。

 社会運動は、実は狭い運動である。なぜなら、それをする人間は社会にしか興味をもたないからだ。自然との共生、動植物との関係、地球上で人類はどうあるべきか、といった空間的なことは考えない。ただただ社会の制度や、人間関係を問題にして、解決しようとする。それで社会と国家はよくなる。が、人間が住む地球、山野、都市といった生活空間自体は、ほとんど改善されない。その面は社会イデオロギーにとらわれる国ほど顕著に現れ、彼らが支配した都市部は荒廃した。

 社会イデオロギーに染まった人ほど、世界観が狭い。

  本日の被害
 昨日は、一日目の下側がいたかった。ひどい被害だ。今日もやや痛みは残る。睡眠中に目を刺される。家宅侵入される。これは1日10万円の補償ではすまされない。

 以上

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

フランスの報復爆撃はテロの連鎖を断ち切る、19世紀の哲学の対象は、『社会』

2015-11-18 11:53:40 | 社会思想の終焉

大阪は雨
 少し寒くなったが、玉ねぎの苗は植えた。あとは実るのを待つだけ。毎日水をやって。楽しみだ。

 フランスの報復爆撃はテロの連鎖を断ち切る
 日本はシリアから遠い。実感は薄い。フランスはテロに対する報復の爆撃を敢行した。宗教蔑視の漫画家襲撃テロ、今回のパリテロ。テロ組織の危険性を最も強く実感したフランスはヨーロッパの中でも、突出して、テロ対策に積極的になった。
 フランスはやられたらやり返す。フランスは昨日もこれまでの最大規模の空爆を行って、シリアの訓練基地などを破壊した。
 フランスは報復が早いという点で、イスラエルに似る。イスラエルはガザ地区からミサイルが飛んできたら、間髪入れずにミサイル発射地点に、イスラエルが爆撃する。
 イスラエルの場合は長年の経験から、テロ防止として最善の対策をする。フランスも、テロ対しては即時、爆撃が大切という考えである。どうやら、テロ対策には隠れたテロ犯の壊滅を迅速に行うことが大事なようだ。それが、テロの連鎖を断ち切る。

 報復の連鎖を断ち切ろう、などとと甘いことを言うのはお角違いだ。まずはテロを止める。そのために、相手の武力を奪う。テロ対策はそれしかない。

 これらを報復の連鎖ととらえるのは間違いである。単に、これら爆撃は、危険人物・組織を弱体化させる紛争解決の手法だからだ。危険なテロリストの軍事力を削ぐことを目指す。パリテロでISは西欧にとってもはや無視できないほど危険な力を蓄えたと判明した。

 なら西欧は軍事力を落とすしかない。フランス内やベルギーの取り締まりも強化しつつ、ISの本拠地も弱体化させる。仏はこれまでの手探り状態の攻撃をやめて、それを本格的に開始したのだ。テロに対する方針は変わらない。他がどこも腰がひけている中、仏はIS由来の紛争解決に本腰を入れたのである。

今回は、報復でIS支配地域にとらわれた市民を狙うものではない。

 フランスがこういう汚れ役を引き受けるはめに陥ったのは、政治の失敗である。が、それはフランスに原因がある。例えば、アメリカは移民にもある程度寛容で、日系三世やイタリア移民などが議員や企業家になれる。フランスにはそういう移民が社会で活躍する道筋がやや閉ざされているのではないか。それで鬱屈がたまるのではないか、と推測した。

 フランスは過度に政教分離を行い、学校でのイスラムのスカーフ禁止をしたのもよくなかった。日本の中学で制服にしているけども、あれもそろそろ終わりにしてはどうだろうか。移民に寛容な社会にするためにも。

 これら仏の移民に寛容なようで、ある意味、排除するかのような仏の態度がイスラム移民の反感を買ったのではないだろうか。

 プーチンはパリテロ後に、ロシアの航空機爆破はテロと発表した。彼は何もかも予定通りかのように、たんたんと冷静にこなす。策士だ。

 
 哲学の話 19世紀の哲学の対象は、『社会』
 昨日は、いきなり20世紀の哲学の話となった。19世紀の話を先にすべきだった。人々は、18世紀は理性を極めようとした。神のような叡智を獲得しようとした。
 が、19世紀にヘーゲルもいなくなると、人々はみな『自由』を求めだした。もちろん先端の思想家達だ。

 人々といっても、当時の先端の思想家、学者たちは何を思い、何を表したか?
 ジェレミ・ベンサムの功利主義はあった。『最大多数の最大幸福』。どうも幸福は人数や比率で数えられるという点が、面白い。
 ジョン・スチュアート・ミルは『自由論』を著した。国や社会ら命令されて動くのでは、自分らしくない。萎縮したり、歪まないためには、自分が自由に考え、行動できる状態が必要だという。社会な自由を提案した。
 他に、この頃、経済学を台頭した。

 というわけで、19世紀には、20世紀の社会論の基礎となる概念『自由』、『社会の幸福』などは形成された。もし、現在の社会論の詳しい意味を知りたいなら、19世紀の思想書を読むことをおすすめする。

  本日の被害
 目の痛む。目の内側がかなり白くふくらんでいる。その周辺が痛む。音声送信は毎日ある。執筆中に眠くさせられる。

 以上

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加