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「婚活10項目」総括

mephistopheles.hatenablog.com

みなさま,昨日の記事をご覧くださいましてまことにありがとうございます。予想を超える反響に,私も友人も大変驚いています。ブックマークコメントおよびコメント,どれもひとつひとつ興味深く拝読いたしました。賛否両論あれど,それがあるべき姿かなと思います。むしろ私はもっとバッシングされることを覚悟していたのですが,思ったより少なかったことに安堵しているくらいです。コメントを拝読して気づいたことを,改めてこちらで書かせていただこうと思います。

まず,好意的なコメントについて。私にとって最も興味深かったのは,数名の男性の方から寄せられた「私が妻と結婚するときも○○は重視した」とか,「これは男性が配偶者を選ぶときにもあてはまる」という旨のコメントでした。そう,言外の条件*1をほかにすれば,このリスト,本当にユニセックスなんですよね。特に「5.」でしょうか。「婚活をする女は働きたくないと思っているのが多い」みたいなコメントもいただきましたが,いやいや,そんなことはまったくないと思います(もちろん,中には根強い専業主婦志向の女性もいるでしょうが)。あと,「2. ある程度は料理ができる」というのも,たとえば配偶者が病気になった時や不在の時,それだけで何もできなくなるようではやはり困ります。最低限の生活力は,男女ともに身に着けておかなければならないのだろうと思います。そしてこういうリストに納得してくださる男性が多くいらしたあたり,大変安心しました。

次に,批判的なコメントについて。私個人に対する誹謗中傷はまあいいとして,*2こちらで非常に興味深かったのは,主要なご批判に一定のナラティヴの型とでもいうべきものが見られたことです(私は修士論文の頃から言説分析を主な研究手法としていますもので,腕が鳴ります)。そのナラティヴとはつまり,「婚活パーティーに行ったり婚活サイトを見たりしなければいけない人間(女)は売れ残り」であり,その売れ残りが「贅沢を言うな」という主旨のものであるように思いました。こちらでコメントを引用させていただきますと,

「結局こうやって相手の条件ばかり求めるような人間が婚活サイトや婚活パーティに行くわけで,第一に除外したいタイプだわ,自分を相対評価できない女」

「女はこうやって婚期が遅れていく」

「婚活パーティに行かざるをえないような状況になってることからも明らか」

「やはり,こういう人が婚活に参加するのだなということが分かった」

 と,ぱっと目についたものだけでこんな感じなのですが,こうした先入観や偏見がいまだ根強く残っていることは,私にはとても意外に思われました。「婚活」という言葉が人口に膾炙するきっかけとなった,山田昌弘白河桃子『「婚活」時代』が世に出てから来年で8年になろうとしています。最初こそ,「出会い系サイト」などというとセックスだけを目的としたいかがわしいもののように考えられていましたが,今は婚活サイトもかなり健全に運用されている印象があります。属しているコミュニティの中でなければ相手を見つけることがほぼ不可能だった時代と異なり,インターネットやSNSの普及した今の時代,効率的に多くの人と出会いたければその手段をとるというのは,いたって普通の思考回路のように考えられます。また,確かに数十年前は結婚相談所というと「最後の手段」のような目で見られていた節がありますが,今や婚活パーティー,街コン,結婚相談所といったところに出向いてパートナーを探しに行くやり方は,だいぶ市民権を得てきたのではないでしょうか。私はそう思っていました。私自身,これまで1度婚活パーティーに参加したことがありますが,思っていたよりずいぶん「普通」で驚いたものです。むしろ,普段話すきっかけがないような人といろいろなお話ができたのは,とても楽しい経験でした。同じことは婚活サイトにも言えて,半信半疑で登録してみたら予想をはるか超えて素敵な男性がたくさんいらっしゃったので,驚きのあまり友人たちにも勧めたほどです。

私が婚活を始めたのは,最初はほとんど興味本位です。もちろん,学生時代から付き合っていた恋人とそのまま付き合って結婚,ということができれば幸せでしょうが,私の場合は残念ながら別れてしまいました。さらに26歳からは留学でこちらに来てしまったため,単純に日本の男性と知り合うきっかけが欲しかったのです。結婚したければ,どうせ本帰国したら本腰を入れなければならないのだから,早いうちに婚活がどんなものか体験しておきたいと思ったのもあります。それに,私はジェンダー史をかじっている人間として,自ら「婚活」を体験できているのはむしろ幸運くらいに考えている節があります。上のコメントをくださった方,もしくは同じような考えの方,もし独身でいらっしゃるのなら,ぜひ一度婚活の場に足を運んでご覧になってはいかがでしょう。それこそ,女の私から見ても「えっ,婚活しなくても十分出会いがあるでしょう!?」と言いたくなるような若くて可愛い/綺麗な女性が大勢参加していますし(サクラには見えませんでしたよ),私自身書いたように,なかなか話す機会のない人と話すのはそれだけで楽しいものです。男女ともに,結婚したければ贅沢を言うな,受け入れてくれる人と黙ってありがたく結婚しろ,というようなステレオタイプは過去のものと思えるのではないでしょうか。そして,ぜひ,『「婚活」時代』も読んでみてください。Kindle版もありますよ。

「婚活」時代 (ディスカヴァー携書)

「婚活」時代 (ディスカヴァー携書)

 

 あと,「自分が選ぶことしか考えていない」との誤解を招いてしまったようなのですが,当然ながら私がこの10項目を厳しくチェックするとするなら,お相手もまた私を厳しくチェックなさるわけで,そこは重々承知しております。「全てが自分中心」「自分に都合のいい人」とのお叱りも受けましたが,もちろん私もまた,お相手の好みに合わなければ除外されるわけです。たとえばご自身の重視なさる条件について,「かわいい・顔・おっぱい」と大変明るいコメントをくださった方が2人ほどいて,素直に笑ってしまったのですが(こういうの割と好きです),その基準で行けば,私は圧倒的に弱者です。そしてこういう基準は,冒頭にも少し書いた通り「言外の基準」として持たれている例が多いから,私に対して「おっぱいが足りないから」などと断りのお言葉をくださる男性はいらっしゃらないでしょう(いたらちょっと逆に好きかもしれない)。いずれにせよ,これはまぎれもない「市場」ですから,需要と供給が一致した時初めて縁談がまとまるわけです。そして,これは婚活市場に参入する以前より,恋愛市場で散々体験してきたことですから,そのシビアさはもちろん承知の上です。「項目」「チェックリスト」というと確かにすべて当てはまっていなければならないような印象がありますが,当該記事にも述べています通り,「パーフェクトな人はいないと思うので,参考程度に」すべきものです。結局こういうリストに関係なく,当てはまっていないけれどこの人がいい,と思える人に出会えるのが一番なんだろうなとも思います(それが一番難しいでしょうけど……)。それに,あくまでもこれらは友人と母から提示されたものであって,私自身の考えで作成したら,これと似てはいても,また違ったものができるでしょう。たとえば私は「勤務地」と「甘えん坊キャラか否か」には,それほどこだわりはありません。

それから,「そもそも結婚しなくていいじゃないか」というコメントも数名からいただきました。結婚制度はそもそもが女性の権利を無視したものであると。そのお考えには半分賛成,半分反対といったところです。いろいろな考え方はあるでしょうが,私はやっぱり,結婚制度に絶望するよりは夢を持っていたいのだと思います。それこそこのリストを提示してくれた友人もそうですが,コメントをくださった方の中にも,「うちの夫婦は全部当てはまる」「うちの旦那はパーフェクト」など,素敵な惚気を披露してくださった方々も多くいらっしゃいました。一番素敵だと思ったのは,「ウチの母ちゃんは、ケーキを分ける時に大きい方をあげたくなる人にするといいって言ってたな。」というコメントです。こういう人と家族になれたら,本当に素敵なことだろうなと思います。コメントにもいただいた通り,心から信頼できる人と人生をともにするということや,またそうした人とお互いに選び選ばれるというのは,どれほど精神的に満たされることでしょう。出産のリミットが迫ってくるとか,いろいろな現実的理由もあるにはありますが,やはり私が結婚したいのは,結局は結婚に夢を見ているからなのでしょうね。

せっかくたくさんコメントをいただいたので,まとめてみましたが,やはりなかなか結婚というのは奥深いものに違いないようですね。今回のリストも,またこれまでの婚活も,自分が本当に求めるものは何なのか,客観的に考えるのにとても役立ったと思っています。それに,婚活をしていて何より強く感じたのは,「まずは一人でも十分充実していると思えるようになろう」「これらのリストは,まず自分が満たさなければならない」ということでした。健全な結婚は共依存ではありませんから,独立した人間同士の結びつきとなるのが理想的ですよね。自分が求めるもののほかに,自分自身を顧みるきっかけもくれて,友人には本当に感謝しています。結婚ができるのかできないのかを含めて私の人生が今後どうなっていくのか,はなはだ先行き不透明ではありますが,本人はその浮き沈みも含めて,とても楽しみにしています。

それから最後にひとつ,「[博士課程の学業において]金の援助を受けた人間が結局何者にもならないということは,それを教唆した人物は日本とアイルランドのエネミー・オブ・ネイション(ズ)になる可能性がある」という言葉について不愉快に思われた方が数名いらしたようですが,これは確かに,誤解を招いて仕方なかったと思います。これはもともと,私が自分自身を揶揄するためによく使っていた表現なのですが(「これで博論が完成できなかったりしたら私日本とアイルランド出入り禁止になるわ」とか),それを人に当てはめるのは,鼻持ちならないと思われて当然だったと思います。不愉快な思いをなさった方々には,心からお詫び申し上げます。

*1:男性なら「胸が大きいほうがいい」とか,女性なら「背が高い人がいい」とか,いちいち言わない本音的なもの。

*2:ただ,私に対する「留年して29の文系博士だよ?30歳F欄語学非常勤講師年収100万」というお言葉,それはほぼすべての若手文系博士を敵に回したと言って過言ではないですよ!