書評が苦手です。
今まで何度かチャレンジしてきましたし、いくつかの記事は反響がありましたが...
目次
書評にトライするも...
ついさきほど、とある書評を試みたのです。「最近は全然書けてないし、ここはいっちょ、頑張るかな」なんて気持ちでね。
500文字程度打ち込んでいた頃でしょうか。50記事に1回くらいこれが起きます。
「書けない」
途中破棄
マラソンで走っていてゴールに辿り着けそうもないドロップとはまた違うのです。なんというか、遊戯中に面白さを見出せなくて「やーめた」という感情に近かったです。
ですが、不思議と挫折感のようなものは感じませんでしたね。自分がここで止めることは、「自分にとって必要なことだ」という確信があったのです
自分に嘘はつけないからこそ、決断を自ら受け入れた、といったところでしょうか。
なぜ書けなかった?
書評が苦手というのも原因でしょうが、「書きたくない」と感じたのでしょうね。
今回の書評。私は「私に書かされた」のです。「私が書きたくて書いた」のではなくです。
では書きたい時に書けば?
と言われると、これまた難しい。
というのは、自分の性格上、書きたいタイミングを待っていても一向に「書かない」ケースが多い(笑)なので今回のように自分で自分を無理やり動かすことも必要なのです。
その結果、今回のように「たっぱり駄目だね」って時もあれば、「お、案外ノリが良いじゃないか」という具合に1記事書き上げることもある。
なので、これは必要なドロップだったのです。「今回は駄目だった」ということを自覚するためのイニシエーションだったのですね。
途中破棄しても自信を無くさないでね
前述までの話をご覧になって、おわかりでしょう。記事を書きあげようとしても、途中で止めてしまうケースは私にもたくさんあるのです。
だけど、それは「駄目だった」ということを知るためには必要なことだったのですよ。
良かったじゃないですか、トライもせずに「書けるかな、書けないかな」なんて考えながら足踏みする時間が減りましたよ。
書けるかどうか自信がないなら、まず書き始めましょう。で、駄目ならやめましょうよ。そういうことですね。
記事を書きあげられなかった場合の考え方!
- 書けなかったときは自分の気持ちに素直になる。
- 書けなかった自分を責めない。
- 書けないということを知る必要なことだった。
- 書いた分だけ、文章力は上がっている。
- 今回は気持ちが乗らなかっただけかもしれない。
- そうだ、これで記事を書こう(応用編)
以上、記事を途中で破棄した場合の心の持ち方でした!