朴裕河氏の在宅起訴問題について――『ハンギョレ』インタビューの補足

 先月18日、ソウル東部地方検察庁刑事第1部は、名誉毀損の罪で朴裕河を在宅起訴したと発表した。この事件を朝日・読売・毎日・産経など在京の全国紙はこぞって社説でとりあげ、韓国の検察による言論弾圧だとして批判した(朴裕河は全国紙を「和解」させた)。11月26日には日米の学者ら54人(*1)が「朴裕河氏の起訴に対する抗議声明」を発表し「検察庁という公権力が特定の歴史観をもとに学問や言論の自由を封圧する挙」に出たことに抗議した。さらに、12月2日、韓国の学者ら191人が起訴に反対する声明を出した。朴裕河が「言論弾圧の被害者」であるとの主張で、日韓のマスコミが塗りつぶされている。

 だが私は問題をそのように捉えるべきではないと考える。具体的には韓国の日刊紙『ハンギョレ』のインタビューで説明したので参照していただきたいが、事件に直接関係する主張を要約すれば、(1)日本の「学者」声明は「言論弾圧」のフレームで理解しているが、これは問題の単純化である、(2)声明は「この本によって元慰安婦の方々の名誉が傷ついたとは思えず」と断定しているが、到底そのようには判断できないことを説明した。後者についてはこのブログでも繰り返し書いてきたので再論は避けるが、前者については紙幅の都合上説明しきれなかったことがあるため、急ぎ指摘すべきことを以下に記しておきたい。

 「発表によって苦痛をこうむる人間の異議申し立てが、あくまでも尊重されねばなりません。それなしでは、言論の自由、出版の自由の人間的な基盤がゆらぐことになりかねません」――これは柳美里「石に泳ぐ魚」の出版禁止事件に際しての大江健三郎のコメントである(『朝日新聞』2002年9月25日付・朝刊)。大江もまた呼びかけ人となっている今般の日本の「学者」たちの声明に決定的に欠落しているのは、この認識、すなわち、今回の在宅起訴が「発表によって苦痛をこうむる人間の異議申し立て」から始まっているという認識である。

 声明は、今回の問題を韓国検察による言論弾圧事件とみている。だがそれはあまりに事態を単純化している。繰り返しになるが、そもそもこの事件は「ナヌムの家」に暮らす元日本軍「慰安婦」女性らの告訴から始まったものだ。国家保安法違反事件のように国家権力が国家的/社会的法益保護の観点から特定の歴史観や主張を取り締まろうとしたものではなく、あくまで被害者女性たちの名誉、すなわち個人的法益が侵害されたとの訴えを出発点としている。各紙の社説や学者らの声明はこの点を全く看過しているばかりか、あたかも国家権力が率先して朴裕河の「歴史観」を取り締まろうとしたかのように書き、争点を誤導している。『帝国の慰安婦』が被害者女性たちの名誉を毀損したかどうか、これが問題となっているのである。

 確かに現在韓国の市民的自由は危機的な状況にあるといってよい。統合進歩党解散問題に代表されるように集会・結社の自由の根幹が揺らいでいる。民事・刑事を問わず名誉毀損法制が権力者による言論弾圧の道具として用いられているのも事実である(産経新聞の事件は確かに「言論弾圧」の側面がある)。そうした意味で、今回の事件が「言論弾圧」のフレームで語られてしまう一因を作り出したのは、政権の手先となり検察への不信感を生み続けている韓国検察にあることは間違いない。実際、今般の在宅起訴という判断に何らかの政治的・外交的意図(巷間で語られているような単純なものではなく)があっても不思議ではない。

 だが以上の状況は、今回の在宅起訴をただちに検察による「特定の歴史観」への弾圧だとみなす根拠にはならない。繰り返しになるが、今回の事件の出発点はあくまで女性たちの告訴から出発していることを忘れてはならない。「ナヌムの家」の女性たちは適法的な手続きを経て告訴したにもかかわらず、論点を(おそらくはあえて)誤導する日本のメディアや学者と、正義を果たさない検察のために「言論弾圧」への加担者の汚名を着せられているのである。女性たちは二重の被害にあっているといえよう。

 そもそも女性たちはなぜ刑事告訴したのだろうか。もちろん『帝国の慰安婦』により名誉を傷つけられたと考えたからであるが、既報の通り、今年2月17日、ソウル東部地方裁判所民事21部(裁判長コ・チュンジョン)は名誉毀損に関する民事上の責任を認め「著書内容のうち34カ所を削除しなければ出版、販売、配布、広告などをできない」との判決を下している。この段階で刑事告訴を取り下げる可能性はなかったのだろうか。

 朴裕河の説明によれば、刑事告訴取り下げの可能性はゼロではなかったようである。検察の報道資料によれば、民事の判決が出た後の4月から10月にかけて「刑事調停」が行われた。この制度は日本にはない韓国独特の制度で、民事上の争いの性質を持つ刑事事件について、告訴人と被告訴人が和解に至るよう各分野の専門家らが検察庁に設置されている「刑事調停委員会」で調停を行う制度である。調停が成立すれば不起訴処分または軽い処罰を受けるようになる。

 だが調停による「和解」は成立しなかった。「ナヌムの家」側の資料を私は知らないので、ひとまず朴裕河の説明によれば、「和解」のために女性たちが求めたのは下記の三つであったという(「渦中日記 10/22-2」)。

1.謝罪
2.削除要求部分を○○○と表示した韓国語削除版を他の形態で出すこと(○○○表示が削除された内容を「間接的に」表現している、というのが彼らの主張だった)
3.第三国で出す本も韓国で削除された部分を削除すること

 だが、1と2はともかく3は受け入れがたいということで朴は拒否し、結果として調停は不成立となった。「日本語版は翻訳でもなく、独自に出した本であるから権利もないのみならず、こうした要求を私が受容し日本側出版社に要求すれば笑いものになるだけだと考えたため」拒否したとのことである。「第三国で出す本」とは、いうまでもなく日本語版を指す。女性たちが告訴したのは2014年6月、日本語版の出版は同年11月である。朝日新聞出版が名誉毀損で訴えられている本を、それと知りながら日本で出版してしまったがために問題は複雑化したのである。このような意味でも、今回の事件における朝日新聞出版の責任は大きいと考える。

 また、当事者たちが納得しなかった背景には、34ヶ所伏せ字版の問題も関わっていると思われる(2の要求)。私は伏せ字版が出版された直後に韓国から同書を取り寄せたが、本の帯をみて少なからぬ衝撃を受けた。削除指定箇所を「○○○」と日帝時代を連想させる伏せ字にしており、帯には「21世紀の禁書!」「私は、心から○○○○○○○○○○○○を望む!」(この表現は本文にはない。帯のみの宣伝文句である)と書かれてあったからだ。朴裕河を言論弾圧(禁書!)の被害者とみなし、あえて帯に挑発的な惹句を記している。韓国の書店の様子を知人に聞いたところ、伏せ字版は平積みであったという。これでは民事で勝訴したといえども、被害者たちの気持ちが晴れることはないのではないか。それどころか、言論弾圧の加害者扱いをされている。民事で終わっては名誉毀損状態が終わらないと考えたとしても仕方がない状況と考える。

 国家権力による「歴史観」の取締事件として単純化できないことは、以上からも明らかであろう。刑事調停の和解が成立せず、かつ被害者たちが刑事告訴を取り下げなかった背景として、最低限以上のような民事の判決後の状況は共有されるべきであると考える。もちろん、『帝国の慰安婦』による名誉毀損が刑事罰をもって制裁すべき程度のものかどうかという論点は残っており、この点についてはその他の争点も含めて韓国の司法が判断するであろう。本日の記者会見での朴裕河の自著についての「説明」や各紙の社説の問題点など、まだまだ指摘すべきことはあるが、これらについては日を改めて論じることにする。

 最後に一点だけ指摘しておきたい。『帝国の慰安婦』が出版されて以降、内心は問題があると考えていたであろう研究者たちも含めて、この本への適切な論評は極めて少なかった。日本の「知識人」たちが褒め続けたのは、彼らの政治的欲望ゆえであるから、ある意味理解できる。問題は韓国である。『和解のために』以来、徐京植や金富子らがまさに孤軍奮闘して朴裕河の問題点を指摘し続けてきたにもかかわらず、韓国の研究者たちの反応は極めて冷淡だった。だからこそ朴裕河は、私を批判するのは在日朝鮮人だけだ、という愚劣なレッテル貼りをくり返すことができたのだ。もちろん朴裕河を批判した韓国の研究者がいないわけではないが本当に少数だった。こうした事態に至った責任の一端は『帝国の慰安婦』のようなエセ学問を許す韓国の学術界にあるといわねばならない。

 もちろん、今般の事態の最大の責任は、日本軍慰安婦制度を戦争犯罪と認めない日本政府と、こうした政府の姿勢を前提に「解決」しようとする虫のいい「リベラル」たちを褒める役割を期待して朴裕河を持ち上げ続けた日本の学術・言論界にある。これは何度でもくり返し主張すべきであろう。だが、韓国で出版された際に『帝国の慰安婦』が学問的論争以前の著作であることを適確に識者たちが指摘し、公の言論の場から退けていれば、私も含めた研究者たちがまっとうな社会的責任を果たしていれば、元「慰安婦」女性たちが自ら立ち上がり訴訟を起こす必要などなかったのではないか。この点を度外視して、いざ起訴に至ると突如として踊り出て「言論の場で議論すべき」などと言い出すのは、私にはあまりに破廉恥かつ傲慢な態度であるように思える。女性たちの告訴を云々する前に、韓国の学術界全体の反省をすべきではないだろうか(もちろん日本もである)。

*1 賛同人の氏名は以下の通りである。

浅野豊美、蘭信三、石川好、入江昭、岩崎稔、上野千鶴子、大河原昭夫、大沼保昭、大江健三郎、ウイリアム・グライムス、小倉紀蔵、小此木政夫、アンドルー・ゴードン、加藤千香子、加納実紀代、川村湊、木宮正史、栗栖薫子、グレゴリー・クラーク、河野洋平、古城佳子、小針進、小森陽一、酒井直樹、島田雅彦、千田有紀、添谷芳秀、高橋源一郎、竹内栄美子、田中明彦、茅野裕城子、津島佑子、東郷和彦、中川成美、中沢けい、中島岳志、成田龍一、西成彦、西川祐子、トマス・バーガー、波多野澄雄、馬場公彦、平井久志、藤井貞和、藤原帰一、星野智幸、村山富市、マイク・モチズキ、本橋哲也、安尾芳典、山田孝男、四方田犬彦、李相哲、若宮啓文(計54名、五十音順)

(鄭栄桓)


by kscykscy | 2015-12-03 00:00 | 歴史と人民の屑箱
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