JR紀勢本線の紀伊田辺駅に下り列車が到着すると、リュックサックを背負った外国人が、一人また一人とホームに降りてくる。改札を出てほぼ全員が向かうのが、駅舎の隣にある一般社団法人「田辺市熊野ツーリズムビューロー」だ。世界文化遺産の「熊野古道」の入り口として知られるこの場所で、外国人観光客向けの情報提供や宿泊の手配を行っている。
オランダから来たという男性の一人客は、バスの乗り方やホテルの場所をスタッフに教えてもらい、安心した表情で目的地に向かっていった。
田辺市熊野ツーリズムビューローは、全国各地の観光担当者が視察に訪れる「先進地」でもある。それは、外国人の視点を取り入れて受け入れの体制を築いてきたからだ。キーパーソンになったのは、カナダ生まれのプロモーション事業部長、ブラッド・トウル氏だ。
同氏は、ALT(外国語指導助手)として地元の公立学校で働き、熊野古道に魅せられて観光に携わるようになった。当時の田辺市観光振興課の担当者が、トウル氏をスカウトし、外国人観光客の視点を取り入れようとした。
トウル氏のアイデアで始めたことは数多くあるが、真っ先に取り組んだのが、名所の英語表記の統一だった。観光案内所で配っている地図や、実際の看板などを、それぞれが英訳していたため、多いものでは19種類の表記があった。
「これでは同じ場所だと分からない。自分も熊野古道を歩くときに混乱したので、変えなければいけないと思った」
同氏はこう振り返る。関係者の協力を仰いで主要な名所はすべて、表記を合わせてもらった。
民宿や土産物店を営む地元の住民に対して、接客に関するアドバイスもしている。外国人が困りがちなことをあらかじめ把握してもらったり、実際に地元の人がどう対応していいのか迷った事例などを共有したりしている。
民宿の人などをサポートするため、24時間体制の問い合わせ電話も用意している。
「外国人観光客にいかに安心して旅行してもらうかに主眼を置いて、事業をしている」と田辺市熊野ツーリズムビューローの竹本昌人事務局長は話す。
熊野古道が世界遺産に認定された2004年のころから、田辺市では外国人観光客を受け入れる体制を築いてきた。その際、やみくもに広く海外にアピールするのではなく、熊野古道の歴史観や自然崇拝のストーリーに興味を持つと思われる欧米豪の個人客にターゲットを絞って売り込むようにした。そのため、個人で安心して旅ができるように整える必要があった。
「世界遺産の寿命は3年といわれる。何もしなくてもその期間なら観光客は来るが、努力しなければその後が続かないという意味だ。そうした“危機感”もあり、何年もかけて体制を徐々に築いてきた」(竹本事務局長)。
熊野古道は、外国人観光客のベストセラーである『ロンリープラネット日本版』にも掲載されている。「以前は高野山の“おまけ”のように掲載されていた熊野古道だったが、今では4ページくらい紹介されるほどになった。これまでの努力の成果だといえる」と竹本事務局長は手応えを感じている。