高度に進化したロボット社会では、あなたがロボットに働く!

進化したロボットが人間の仕事を奪うとかいう、まことしやかな話が2015年にもなって盛り上がりを見せている。NRIによれば、労働人口の49%がロボットに代替可能になるとのこと(実際に代替されるとは言っていない、念のため)。元シンクタンクの研究員としては、こういうレポート書き業務こそロボットに置き換えられそうだなと思うが、それはさておき、今になってロボット恐怖症とでも言うべき言説が流行りはじめているのはなぜだろうか。

言うまでもなく、ロボットは、あるいは機械は、これまでも仕事を奪いつづけてきた。ロボットの語源はチェコ語の「労働」だと言われている。労働をするからには、それは誰かの仕事だったわけであり、その誰かは次の仕事を見つけなければいけないのである。

仕事なくなった話の中には、パソコンが発達して写植ってなくなったよね、みたいな直接的なものもあれば、倉庫でロボットが働き回るオンラインショッピングが普及することで街の小売店が潰れている、みたいな間接的なものもある。プリンターのせいで代筆屋がいなくなった話と、ドローンが発達したら配送業がなくなるという話、あるいは人工知能と手術ロボットがあれば医者っていらなくねという話は、違う筋だと考える人もいるかもしれないけど、私に言わせれば同じである。

技術は進歩し、人間の労働はロボットの労働に置き換えられていく。このあたり巷の言説を見ても、ファクトリーオートメーション、ロボット、人工知能がいっしょくたになっているが、まあ実際のところ一緒なのである。

仕事は奪われていく。むしろ考えるべきは、なぜ面倒な人間の仕事をロボットがやってくれるというのに、我々はそれを歓迎しないのか、だ。まあ社会として技術が発達することはみんな歓迎しても、自分の仕事がなくなるのは誰だって嫌なものなので、昨日今日に限らず「ロボットの脅威」はずっと言われてきたのだろう。ラッダイトである。各国の雇用市場における強い閉塞感が、「『いま』失業したら困る!」というリアルな声を浮かびあがらせているのかもしれない。

別の見方としては、技術は発達したけどなんでか仕事って相変わらず忙しいよね! という不満もあるだろう。スマートフォンもある、テレビ会議もある、メールもある、なのになんでこんなに仕事って忙しいんだろう、と。これは言い換えれば、技術は発達してもブラック企業は残るのでしょ、ロボットは格差社会の解消には繋がらず、むしろ金持ちの搾取の道具になるんでしょ、という未来予想図が暗黙的に我々の中に刷り込まれているということでもある。

余談ではあるが、平均寿命も伸びて、殺人事件も減って、世界旅行にも行けるようになって、世の中はまず間違いなく良くなっているのに、あるいはだからこそ、人々が明るい未来を予想できなくなっているというのは、面白い問題かもしれない。

いずれにせよ、いわゆるホワイトカラーの会社人が今後20年や30年でロボットに置き換えられるとは私は思わない。20年後、30年後、ホワイトカラーの会社人は今とはだいぶ違う仕事をしているだろうが、それでも人間は人間で、営業をして、社内で根回しして、ブレインストーミングと称して雑談をして、出世を争ったりするのだろう。

その一方で、ここからが本題なのだが、もしかするとマネジメントはロボットに置き換えられていくのかもしれない。ロボットはなにしろ金がかかる。メンテナンスもいる。だから例えば、コンビニのアルバイトがロボットになることはたぶんない。悲しいかな、人間のほうが安いのだ。

だが、良いマネージャーは金がかかる。人と仕事を管理することに、なぜこれだけのコストがかかるのか? マネージャーロボットを作り出して、そして社員の働きぶりを定量・定性的に分析し、公平公正に評価することはできないのか、と考えてもおかしくはない。

ロボットのマネージャーといっても、MBA帰りのエリートがそのままロボットに置き換わるわけではない(そういうショートショートも面白いかと思って書いたけど)。どちらかというと、ホワイトカラーの仕事ぶりを計測するツールが高度化していくと言うべきかもしれない。あなたは今日何本のメールを書きました。何枚のスライドを作り、何件の案件をまとめ、何千万円の貢献をしました。あなたの作った資料が他の部署にもシェアされました。あなたの同僚があなたの仕事ぶりを「やるね!」と言っています。

実際、仕事をする人間と、それを評価するロボットという構図は、ブルーカラーではすでにお馴染みのものである。製造業の現場では、誰がどの仕事を何秒で実施するかということが細部まで決められ、人間は「ファクトリー」の一部として働く。同じことがサラリーマンにも起きるというだけである。

私は広告業界にいるので、特にこの流れを肌身で感じる。かつてマス広告といえばテレビで、テレビ広告の効果測定は難しいが、とりあえず視聴率という近似値で満足することにして、なにか賞でもとれば自慢できたものであった。いまのデジタル広告にはあらゆる数字が付随し、リーチ、コスト・パー・コンバージョン、ライフタイムバリューなど、その優劣が一目瞭然なのである。

野球を見れば「このバッターは打率が低い」とか「チャンスに弱い」とかいうデータが出てくるけれど、「あのクリエイターは自動車業界では弱い」とか「あのプランナーはターゲティング精度を稼ぐのがうまい」とかいうことが定量的に計測できてしまうのが広告業界人の近未来像なのだ。そして、それはすぐ他の業界にも広まっていくだろう。

そういう「業務成績」が明示的になれば、もう人を評価する意味でのマネージャーはいらない。業務の大半がデジタル上で起きるようになれば、プロジェクトマネジメントやコミュニケーションのマネジメントだって、ロボットには簡単なものである。「今朝はこのメールにお礼の返信をしておきましょう。そうすることで次回の営業で成功する確率が30%上がります。ドラフトはすでに作っておきました。加えて先方はゴルフ好きなので、必ずゴルフの話題に触れてください」そして私達はロボットの求めるとおり働くのだ。

さて、そんなロボット社会は明るい未来だろうか、暗い未来だろうか。いっそのこと、ロボットに仕事を奪われたほうが良かったと思うかもしれない。でも個人的には、無能なマネージャーやブラック企業がはびこる社会よりは、ずっといいかも。ロボット、法律守りそうだし。

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