ボクの学生時代は恵まれていた。
少なくとも「いじめ」に関して、被害者になった経験も、主謀(加担)した経験もない。
おそらく多くの人が『いじめ』に対して何らかの関わりを持った経験があると思う。女性のほとんどは、1回くらいいじめの対象になったことがあるとも聞く。
しかし、いくらでも出てくる『いじめを受けた』経験談に対して『いじめを行っていた』という告白は少ない。
大人になり、いじめが恥ずかしい行為であることを理解したのか、いじめの加害者であった事実は隠そうとする。(もしくは忘れている)
いじめの本質を知るうえで、被害者側の話だけでは不十分だろう。いじめを行った側の経験談も重要なハズだ。
ボクが19歳の時、大学のサークルで同期だった男は知り合った人間の中で唯一、いじめの加害者であることを自己申告していた。
むしろ、自分が『いじめる側』であることを誇らしく思っていた。19歳になれば多くの人間がいじめの恥ずかしさに気付くはずだが、彼は現在進行形でいじめを行いながら、過去のいじめ経験を自慢げに語っていた。
その姿に『いじめの本質』が垣間見える。「いじめとは何か?」の答えが彼との対話の中で浮かび上がった。
いじめとは何か?
彼はサークルの同期をいじめ続けていた。これはボクが人生で初めて目の当たりにする本格的なイジメだった。
見かねたボクは、イジメを続ける彼に3つの忠告した。
- イジメは恥ずかしい好意であること
- ボクを含む周囲が(イジメ)を不快に思っていること
- イジメられている人間が可哀相だということ
真剣な話に彼の表情は一瞬くもったが、直後に「だってさ」と口を開く。
「おもしろいじゃん」
更に、平然と続ける。
「世の中にはいじめる側といじめられる側がいて、いじめられる側はいじめられるべき」
いじめは自然の摂理であるかのような言い分。衝撃的な答えに怒りを通り越し笑ってしまった。同時に「正直だ」とも思った。
「なぜイジメをするのか?」の答えは「おもしろいから」
あまりにシンプルだ。
彼にとってイジメは『遊び』だった。イジメられる側は、自分が「おもしろい」と感じる為だけにいじめられるべき。彼はそう主張した。
実はこれがイジメの本質なのかもしれない。「ムカつくから」「キモいから」と、イジメを行う人間は様々な理由付けをするが、結局は「おもしろいから」いじめをするのだろう。
いじめている当人達にとって、『いじめ』とは『遊び』なのだ。19歳にして気づかされた。
いじめは犯罪であるべき
いじめも度が過ぎれば、被害者を自殺に追い込むことがある。胸糞の悪いニュースは多くの人の心に怒りを覚えさせる。
「おもしろいから」という理由で、人を自殺に追い込んで良いのだろうか?
いじめで自殺に追い込んだ事実を「犯罪」と言わずに何と言うだろうか?
加害者側はいじめが犯罪に限りなく近いことを意識していない。
「おもしろいから」という理由で行う『遊び』だから、人命に関わる事件に繋がると考えることができない。
世の中はもっと「イジメは犯罪だ!!」と断定してしまえばいい。被害者の生死に関わらずイジメは犯罪であるとボクは断言する。いじめられることで被害者の心は間違いなく傷つくのだから当然だ。
イジメは戦争と同じで人間の本質に根付いた悪魔であり、撲滅は容易ではない。
しかし、『いじめ』がいじめる側の人間にとって『遊び』である限り、いじめの被害件数が減ることはないだろう。
犯罪にしてしまえば良い。いじめは犯罪だ。
「ダメ、絶対」でも「かっこ悪い」でもない「犯罪」であり、いじめる側は犯罪者。
そう決めてしまえば良い。
いじめを続けた彼は今・・・
『いじめ』を「おもしろい」と言った男は、大学を卒業するまでいじめを主謀し続けた。ボクはそのいじめを止めることができなかった。周囲の人間にはいじめに加担した者も少なくない。後輩の女子まで輪に加わっていた。
周りは皆、幼稚だったのだ。大学生にもなって『いじめ』という遊びから卒業できない人間ばかりだった。
いじめの被害者が自殺を行うことはなかったが、彼は最後までいじめに苦しんでいた。いじめに加担しないと確信できる人間はボクだけだったのかもしれない。彼はボクを「一番優しい人」と表現した。
優しくはない。ボクは普通だ。
いじめを首謀し、「おもしろい」と語った男も今年でボクと同じ28歳になる。もしかしたらまだ、いじめを行っているかもしれない。
自分が「おもしろい」という理由だけで「いじめられる側」の人間を当然のようにいじめているかもしれない。つまらない毎日の刺激として『遊び』を繰り返しているかもしれない。
そう思うと、胸が苦しい。ボクが殴ってでも彼の行いを正していたら……
できる距離にいたのだから、何もしなかったことは罪だ。今はただ、彼が改心していることを願う。