(英エコノミスト誌 2015年11月28日号)

ベルギーは政治的に分裂しており、テロに対して脆弱だ。欧州も同じである。

ベルギー首都、最高水準のテロ警戒1週間維持へ

ベルギーの首都ブリュッセルのグランプラス広場に止められた装甲兵員輸送車のそばを歩く女性〔AFPBB News

 ブリュッセルは「近代都市でおかしくなりかねないすべてのものの象徴だ」とトニー・ジャット氏は書いた。今は亡き歴史学者は1999年にこの一文を著した時、大半の欧州連合(EU)機関の本拠地になっているベルギーの首都の大部分に道路工事とコンクリートの見苦しい光景と欧州最悪の交通渋滞をもたらした、市民生活の軽視に言及していた。

 だが、彼の言葉は、ブリュッセルをはじめとしたベルギーのいくつかの都市に、ジハード(聖戦)のイデオロギーの培養器、そして法執行能力の欠如の見本という悲惨な評判を与えた一連のテロリストの陰謀と襲撃にも全く同じように当てはまるだろう。

 ベルギーは主に機能不全の政治のせいで、ずっと欧州の冗談の的になってきた。2010~11年には、ブリュッセル郊外のフラマン語圏の人々の権利を巡る論争によって、政権樹立が589日間妨げられた。これは世界記録である。

 だが、テロの脅威は、まとまりのない治安体制やモレンベーク――イスラム教徒が大多数を占めるブリュッセル西部のみずぼらしいコミューン――のような、なおざりにされた地区といった形で、ベルギーの悪政の影の部分を露呈している。

ベルギーの悪政の暗い影

 パリのテロ攻撃の後、フランスの当局者は犯人のうち数人がブリュッセルで陰謀を企てていたことを知って、ベルギーの当局者をこき下ろした。そのうち2人は今年、ベルギーの警察に聴取を受けていた。その1人であるサラ・アブデスラムは、パリの自爆犯3人を車で目的地まで送った後、ブリュッセルに逃亡していた。

 ブリュッセルは今、自分自身の脅威に耐え忍んでいる。ベルギー当局は11月21日、パリのような襲撃の恐れが複数あるとして、首都のテロ警戒レベルを最高度に引き上げた。「封鎖」は一部の外国メディアで描かれた外出禁止令に近いものではなかった。それでも、学校、店舗、地下鉄が数日間閉鎖され、コンサートやスポーツイベントが中止され、武装した兵士が街頭をパトロールした。

 欧州におけるこのような市民生活の停止の先例はなかなか思い浮かばないし、まだ終わってもいない。一連の警察の強制捜査はアブデスラム容疑者を捕えるのに失敗し、ブリュッセルでは少なくとも11月30日まで厳戒態勢が続く見込みだった。