朝日新聞(9月25日朝刊)は、「保育園児の声は騒音?…35%が『同感』」 厚労省調査」と題し、次のような記事を掲載しています。
「保育園児の声を『騒音』と思うことに35%の人が同感である――。厚生労働省の調査で、こんな結果が出た。待機児童解消へ都市部を中心に保育所の整備は急務だが、近隣住民の理解を得ることも一定の壁となりそうだ。近く閣議決定される2015年版の厚生労働白書に盛り込まれる。
調査は人口減少に関する意識を探る目的で、3月にインターネットで実施。3千人から回答を得た。
保育園児の声を騒音のように思い、保育所の立地に反対する住民の立場に同感できるか尋ねたところ、『ある程度』が29・7%、『とても』が5・4%で、計35・1%が同感だった。逆に『全く同感できない』は26・4%、『あまりできない』は38・5%で、同感できない人は64・9%だった。」
保育所を整備する上で近隣住民の理解が必要不可欠であることは、杉並区でも重要な課題となっています。
しかし、私は疑問に思うのです。この35%の方々は、果たして子供の声そのものを騒音と感じておられるのでしょうか。人は誰しも、かつて自分が幼かった頃、大きな声であたりを走り回りながら、地域の大人達に見守られて育ったのではないでしょうか。
そのことを思えば、私は、この35%の方々は子供の声そのものを騒音と感じているのではなく、実際はもっと別のものを騒がしい、わずらわしいと感じているのではないかと考えるのです。
この問題について、産経新聞(9月4日朝刊)は次のような記事を掲載しています。
「騒音トラブルの解決法などを研究している八戸工業大の橋本典久教授によると、ここ1〜2年で子供の声に関する相談が急増しており、『音の感じ方には個人差がある。トラブルになるかどうかは、園と良好な関係を築いているかも関係する。園は反対意見にも誠意をもって耳を傾け、対応策を話し合う中で、地域住民と信頼関係を築く努力も必要』と話している。」
保育施設整備に当たって、地域との信頼関係を築くにあたり、保育施設整備を求める保護者達の言動が世間に与えるインパクトの大きさを改めて思います。
先の35%の方々は、子供の声そのものではなく、実際は、「子供は社会が育てて当然」と主張する一部の保護者の態度に不安を覚えているのではないか。私はそう考えるのです。
私は一昨年の2月、杉並区役所前で一部の保護者によって開かれた抗議集会を目の当たりにして、違和感を禁じ得ず、このブログに次のような趣旨を述べました。
「女性力を思い切って爆発させることは必要だと考える。仕事と子育てを真に両立できる社会を創らねばならないと願う。だが、それゆえにこそ、『子育ては本来は家庭で行うもの』という基本中の基本を忘れるべきではない。一抹の遠慮も忸怩の念もなく、声高に居丈高に『子供を持つなということか』『現状のおかしさに気付いて』などと世を恨むかのような態度は、どこかおかしい。『私達の子育てをどうか手伝って下さい』、これが待機親(待機児童の親)に求められる人としてのマナー、エチケットというものではないか。」
私のこのブログは、かなりの反響を呼びました。コメント欄には数多くの擁護論が寄せられる一方、「女の敵」「杉並の悪魔」といったわけのわからない中傷から、殺害予告とも受け取れるものまで、罵詈雑言が殺到しました。ご丁寧にも朝日新聞が2回にわたって紹介したほどです。
確かに、一部の方々には、いささかきつい物の言い方ではあったかも知れません。しかし、「謝罪しろ」というお声には、私は一切応じませんでした。
保護者側に最低限のマナーやエチケットがなければ、地域住民がそれを快く思うはずがなく、肝心要の保育所整備にも支障をきたすであろうことは、目に見えている。私は、一貫してそう考えてきたからです。
先の産経新聞の記事は、「一部の人が保育園を目の敵にしている感じもする」「ご近所の方が怖い。子供への危害がないか心配」といった母親の声を紹介しています。
その一方で、雑誌アエラ(9月28日号)は「保育園に入れないのは憲法違反だ」という趣旨の記事の中で、相変わらず街頭で抗議活動を行う子連れの母親達の写真を掲載しています。
私はこうした写真を見るたびに、マイクで絶叫する母親達の怒号を耳元で浴びせかけられる幼い子供達が気の毒でなりません。
お母さんのイライラした顔や声に触れたいと願う子供がどこにいるでしょうか。
子供の聴覚や精神に取り返しのつかない傷がつくのではないかと、私は真剣に案じているのです。
そして、保育園建設予定地の近隣住民がこの光景を見たら、一体どう感じるでしょうか。
こうした親達のために周辺の閑静な住環境が破壊されるのではないか。そう恐れる声があがるのも、私は無理からぬことと考えます。
少子化を食い止め、将来の日本を確かなものとするために、各家庭の子育てをサポートする必要があること。そのためには、どうしても保育施設が必要であること。そして子供の声は騒音といったネガティブな面だけではなく、世代間交流など町の活気や潤いにもつながるポジティブな面もあることを、地域の方々には丁寧に説明し、理解を得なけれななりません。
「一部の人が保育園を目の敵にしている感じもする」「ご近所の方が怖い。子供への危害がないか心配」というような状況では、せっかく保育園を作れたとしても、それでひと安心というわけには行きません。地域の方々が温かく見守って下さるかどうか、そのことが子供達の育ちにいかに影響するかということを考えなければなりません。
一部の左翼政党や左翼政治家、それに連なるいかがわしい学者や評論家、マスコミ等に利用されて、周りの迷惑も顧みず、街中で大音声を張り上げているようでは、地域の真の理解など得られるはずもなく、保育施設整備にも支障をきたすことは明らかでしょう。
子供の声を騒音と思われないために親が取るべき態度というものを、一部の保護者にはしっかりとわきまえて頂きたいと思います。
「この寒空の下、泣き叫ぶ赤ん坊を片手に区庁舎前でマイクを握るのも結構だが、もしも私が親ならそんな残酷なことはしたくない。家で子供に暖を取らせつつ、待機児解消のためあらゆる施策を講ずべき旨、区に陳情書でもしたためるであろう。」
私は先のブログでそう述べました。これも一部の方々にはきつい書き方だったかもしれません。しかし間違ったことを書いたつもりはありません。
今、杉並区は全力で待機児童解消に取り組んでいます。そして、保育施設整備にあたり、何とか地域住民のご理解を頂けるよう努めているところです。
そういった極めてセンシティブな時期にあるにもかかわらず、一部の保護者が左翼系のマスコミに登場し、保育所不足は違憲違憲と言い立てています。しかし、これが果たして保育所増設を望む保護者にとってベストな選択なのでしょうか。
私は率直に言って疑問に思います。むしろまったくの逆効果というものではないでしょうか。
今現在、杉並区がこの課題に直面しているからこそ、あえて声を大にして申し上げるのです。
他人の子育てにあまりに無理解で不寛容な人も、中には存在することも確かです。ただし、先の35%の方々の大部分は、そうではないはずです。
保育施設が、子供達にとって、社会性や種々の能力を身につけるための貴重な場であることは、多くの方々が理解していることではないでしょうか。
また、保育施設に子供を通わせている、また通わせたいと願っているほとんどの親御さんは、子育てと仕事の両立に奔走しながらも、周りへの気遣いを忘れない良識ある方々であることを、私自身、保育園の理事を務める中で十分に理解しています。
声の大きな一部の人々のために、地域と保育施設との間に要らざる軋轢を生む恐れがあることは、残念でなりません。
2015年10月01日
子供の声を騒音と思われないために
posted by 田中ゆうたろう at 11:09| Comment(7)
| 日記
2015年09月23日
大宮八幡宮の神前に祈る
私事で恐縮ですが、先月末に二番目の子供が生まれました。
昨年生まれた第一子とあわせて、父親として子育てには精一杯参加しているつもりですが、それでもやはり妻の苦労には及びません。本当に母親は偉大だと思います。
そのような次第で、このブログの更新も久しぶりとなってしまいました。
先週には、私の地元の氏神様である大宮八幡宮の秋のお祭りがありました。
妻の安産を感謝しながら、私もお神輿を担がせて頂きました。
そのお神輿の支度をしているときのことです。同じ氏子のIさんからこんなご質問を頂きました。
「ゆうたろう君、安保、大丈夫なの?70年前に戻っちゃうんじゃないの?天皇陛下も反対してるんだよね?」
これに対し、私は、陛下は安保関連法案に反対なのではなく、8月15日の全国戦没者追悼式でのお言葉で初めて「さきの大戦に対する深い反省」に言及されたのだという旨をお伝えしました。
すると、Iさんはこうおっしゃいました。
「うーん。つまり、反対なんじゃないの?」
私は、それ以上反論できませんでした。
Iさんが抱かれるようなお気持ちこそが、今のところ、多くの国民の率直な感情というものではないでしょうか。
天皇は、「国民統合の象徴」(日本国憲法第1条)です。
天皇皇后両陛下は、おそれながら国民の混乱を招くような言動を厳にお慎み頂きたいと思います。
特に、国民の間で意見が分かれているようなテーマで、いずれか一方の側に立っておられるかのような誤解を与えるご発言は、ご自重の上にもご自重頂きたいと思います。
例えば、天皇陛下はご結婚50年に際して、「大日本帝国憲法下の天皇の在り方と日本国憲法下の天皇の在り方を比べれば,日本国憲法下の天皇の在り方の方が天皇の長い歴史で見た場合,伝統的な天皇の在り方に沿うものと思います。」と述べられました。
また、皇后陛下は一昨年、護憲のシンボルとなっている「五日市憲法草案」を称賛されました。
いずれも、あたかも護憲派の政治的主張のように受け取られておかしくない、相当に危ういご発言であり、私などは憂慮に耐えません。
このままでは、いつの日か両陛下は「国民統合の象徴」の一線を踏み越えてしまわれるのではないでしょうか。
両陛下ご自身が憲法違反を犯してしまわれるとすれば、皮肉という他ありません。
私はお祭りの間ずっと、大宮八幡宮の神前に、皇室の弥栄を祈り続けました。
くれぐれも誤解がないように申し上げますが、皇室の弥栄を祈るからこそ、両陛下が一線を踏み越えてしまわれないか、特に今夏の全国戦没者追悼式でのお言葉が、内容、タイミング、ともに果たして妥当なものであったかどうか、深く憂えるのです。
八幡様は、両陛下のご先祖様でいらっしゃいます。これからはきっと、私のつたない祈りもお聞き届けくださることでしょう。
宮内庁も、皇室と政治の距離について、熟慮すべき時に来ていると思います。
昨年生まれた第一子とあわせて、父親として子育てには精一杯参加しているつもりですが、それでもやはり妻の苦労には及びません。本当に母親は偉大だと思います。
そのような次第で、このブログの更新も久しぶりとなってしまいました。
先週には、私の地元の氏神様である大宮八幡宮の秋のお祭りがありました。
妻の安産を感謝しながら、私もお神輿を担がせて頂きました。
そのお神輿の支度をしているときのことです。同じ氏子のIさんからこんなご質問を頂きました。
「ゆうたろう君、安保、大丈夫なの?70年前に戻っちゃうんじゃないの?天皇陛下も反対してるんだよね?」
これに対し、私は、陛下は安保関連法案に反対なのではなく、8月15日の全国戦没者追悼式でのお言葉で初めて「さきの大戦に対する深い反省」に言及されたのだという旨をお伝えしました。
すると、Iさんはこうおっしゃいました。
「うーん。つまり、反対なんじゃないの?」
私は、それ以上反論できませんでした。
Iさんが抱かれるようなお気持ちこそが、今のところ、多くの国民の率直な感情というものではないでしょうか。
天皇は、「国民統合の象徴」(日本国憲法第1条)です。
天皇皇后両陛下は、おそれながら国民の混乱を招くような言動を厳にお慎み頂きたいと思います。
特に、国民の間で意見が分かれているようなテーマで、いずれか一方の側に立っておられるかのような誤解を与えるご発言は、ご自重の上にもご自重頂きたいと思います。
例えば、天皇陛下はご結婚50年に際して、「大日本帝国憲法下の天皇の在り方と日本国憲法下の天皇の在り方を比べれば,日本国憲法下の天皇の在り方の方が天皇の長い歴史で見た場合,伝統的な天皇の在り方に沿うものと思います。」と述べられました。
また、皇后陛下は一昨年、護憲のシンボルとなっている「五日市憲法草案」を称賛されました。
いずれも、あたかも護憲派の政治的主張のように受け取られておかしくない、相当に危ういご発言であり、私などは憂慮に耐えません。
このままでは、いつの日か両陛下は「国民統合の象徴」の一線を踏み越えてしまわれるのではないでしょうか。
両陛下ご自身が憲法違反を犯してしまわれるとすれば、皮肉という他ありません。
私はお祭りの間ずっと、大宮八幡宮の神前に、皇室の弥栄を祈り続けました。
くれぐれも誤解がないように申し上げますが、皇室の弥栄を祈るからこそ、両陛下が一線を踏み越えてしまわれないか、特に今夏の全国戦没者追悼式でのお言葉が、内容、タイミング、ともに果たして妥当なものであったかどうか、深く憂えるのです。
八幡様は、両陛下のご先祖様でいらっしゃいます。これからはきっと、私のつたない祈りもお聞き届けくださることでしょう。
宮内庁も、皇室と政治の距離について、熟慮すべき時に来ていると思います。
posted by 田中ゆうたろう at 18:36| Comment(4)
| 日記
2015年06月29日
同性パートナーについて考える
最近の報道から、気になったものを2つご紹介します。
まずは今月26日12時5分配信の毎日新聞より。
(引用はじめ)
「兵庫県宝塚市がLGBT(性的少数者)を支援する条例を検討していることに関し、大河内茂太議員(自民)は26日、市議会本会議で行った『宝塚に同性愛者が集まり、HIV(エイズウイルス)感染の中心になったらどうするのか、という議論が市民から出る』などとした発言の取り消しを議会運営委員会で申し出て承認された。発言は24日にあり、『人権侵害だ』と問題化していた。
同性カップルを結婚に相当する関係と認めて証明書を発行する条例が東京都渋谷区で施行されたことを受け、宝塚市は今年4月、同様の条例制定などを検討する部会を設置。大河内議員の今回の発言は一般質問の中で行われた。北野聡子議員(市民ネット宝塚)が途中で遮り、発言の取り消しを求めて議論が紛糾。議会は中断した。
北野議員は『宝塚に同性愛者が集まるというのは根拠がない。同性愛者やHIV感染者への人権侵害だ』と批判していた。大河内議員は当初『同性愛者を差別する意図はない』などと述べていたが、議会運営委の終了後、取材に『同性愛者とHIVには、密接に関わりがあるという誤解を与えかねない。申し訳ない』と話した。」
(引用おわり)
この報道が事実とすれば、北野聡子議員の批判の方こそ根拠にとぼしいといわざるを得ません。宝塚市に同性パートナー条例が制定されれば、同市に同性愛者が集まることは容易に想定されるでしょう。事実、渋谷区でも同様の事態が起きています。
そして何より、大河内茂太議員の態度が解せません。同議員は本会議でちゃんと
「という議論が市民から出る」
と発言したそうではありませんか。様々な議論が市民から出ることは当然で、むしろ健全なことだと思います。
謝罪の弁の中で「同性愛者とHIVには、密接に関わりがあるという誤解を与えかねない」と話したというのですが、これも疑問です。男性同性間の性的接触がHIV感染の大きな原因の1つであることはまぎれもない事実です。厚労省の最新の調査によると、男性のHIV感染者のうち、同性間の性行為で感染した比率が約72%、異性間の性行為で感染した比率が約17%、それ以外が約11%となっています。
要するに私は、大河内議員は謝罪する必要などまったくなかったと思います。
それにしても、渋谷区の同性パートナー条例がこうして他自治体に悪影響を及ぼしつつあることを深く憂慮せざるを得ません。くれぐれも渋谷区の轍を踏まぬよう、宝塚市の賢明な判断を期待したいと思います。
次に、今月24日12時0分配信のスポニチアネックスより。
タレントのマツコ・デラックス氏が「爆弾発言」をしたというのです。
タブロイド紙だからといって侮ってはいけません。概略は以下の通り。
マツコ氏は「(子どもは)あたしが絶対に手に入れられないものじゃない。寂しいって思いがあるのよ。最初はそんなに(ナインティナイン矢部浩之氏の結婚で寂しいとは)思わなかったけど、よかった、おめでとうって思ったよ、普通に。でも、みんな、幸せになるんだなぁっていうね」と告白したところ、矢部氏が「子ども、作ったらええねん。産んでもらうのよ」と水を向けると、マツコ氏は「同じ話、このあいだ、ロケバスの中で(明石家)さんまさんとして。さんまさんもそう言うけど、手順を踏みたいの(笑い)。嫌なの、契約的なものは嫌なの。手順?分かんない。踏めないよ。だけど、踏みたいの。奇跡的に愛する女性とかに現れてほしいの。『えっ、あたし、女の人好きなの?』っていうね。それで、ちゃんと愛し合って、産んでもらいたい」と女性との恋愛結婚への願望を明かしたそうです。
矢部氏が「それ、あり得るんちゃう?」と言うと、マツコ氏は「いやー、今のところは全く想像すらできないけど。変なところ、道徳性が強いの。じゃあ、誰かあたしでもいいよっていう女の人がいたら、子どもつくろうよとかできるわけじゃない?何か嫌なの。そこに愛がなければ嫌なのよ。そしたら、気持ち悪いって、さんまさんに言われた」と愛に飢えている現状を語り、最後は「あたし、子どもできないかなぁ」と笑いを誘ったというのです。
いやいや、笑いを誘っている場合ではないでしょう。日本の、いや世界の将来にかかわる一大事です。
「環境的にやむをえない同性愛はもちろん環境の変化によって治るが、本質的倒錯は変わらない」と高良武久医師の名著『生きる知恵』にも記されています。「自分は本質的倒錯である」との自覚があれば、「奇跡的に愛する女性とかに現れてほしいの」などという言葉は、まず出てこないのではないでしょうか。
「自分は同性愛者だ」というのは、誤った固定観念である可能性があることを、先般このブログで述べました。マツコ氏も、明確な自覚がないだけで、実は両性愛者なのかもしれません。本人もそれをうすうす感じた上での先の発言なのではないでしょうか。
「変なところ、道徳性が強いの」というのは大変素晴らしいことです。(変なところじゃなくて肝心なところですよ、と言いたいところでもあります。)マツコ氏のような方が好きだという女性も、世の中には少なからずおられることでしょう。異性と結婚し、子供を授かることは夢でも何でもありません。ぜひ婚活にトライしてみてはいかがかと、勝手ながらエールを送る次第です。
マツコ氏は、日本を代表するオカマと言ってよいでしょう。ぜひ、先鞭をつけて頂き、世のオカマさんやオナベさん達に希望を与えて頂きたいと思います。
まずは今月26日12時5分配信の毎日新聞より。
(引用はじめ)
「兵庫県宝塚市がLGBT(性的少数者)を支援する条例を検討していることに関し、大河内茂太議員(自民)は26日、市議会本会議で行った『宝塚に同性愛者が集まり、HIV(エイズウイルス)感染の中心になったらどうするのか、という議論が市民から出る』などとした発言の取り消しを議会運営委員会で申し出て承認された。発言は24日にあり、『人権侵害だ』と問題化していた。
同性カップルを結婚に相当する関係と認めて証明書を発行する条例が東京都渋谷区で施行されたことを受け、宝塚市は今年4月、同様の条例制定などを検討する部会を設置。大河内議員の今回の発言は一般質問の中で行われた。北野聡子議員(市民ネット宝塚)が途中で遮り、発言の取り消しを求めて議論が紛糾。議会は中断した。
北野議員は『宝塚に同性愛者が集まるというのは根拠がない。同性愛者やHIV感染者への人権侵害だ』と批判していた。大河内議員は当初『同性愛者を差別する意図はない』などと述べていたが、議会運営委の終了後、取材に『同性愛者とHIVには、密接に関わりがあるという誤解を与えかねない。申し訳ない』と話した。」
(引用おわり)
この報道が事実とすれば、北野聡子議員の批判の方こそ根拠にとぼしいといわざるを得ません。宝塚市に同性パートナー条例が制定されれば、同市に同性愛者が集まることは容易に想定されるでしょう。事実、渋谷区でも同様の事態が起きています。
そして何より、大河内茂太議員の態度が解せません。同議員は本会議でちゃんと
「という議論が市民から出る」
と発言したそうではありませんか。様々な議論が市民から出ることは当然で、むしろ健全なことだと思います。
謝罪の弁の中で「同性愛者とHIVには、密接に関わりがあるという誤解を与えかねない」と話したというのですが、これも疑問です。男性同性間の性的接触がHIV感染の大きな原因の1つであることはまぎれもない事実です。厚労省の最新の調査によると、男性のHIV感染者のうち、同性間の性行為で感染した比率が約72%、異性間の性行為で感染した比率が約17%、それ以外が約11%となっています。
要するに私は、大河内議員は謝罪する必要などまったくなかったと思います。
それにしても、渋谷区の同性パートナー条例がこうして他自治体に悪影響を及ぼしつつあることを深く憂慮せざるを得ません。くれぐれも渋谷区の轍を踏まぬよう、宝塚市の賢明な判断を期待したいと思います。
次に、今月24日12時0分配信のスポニチアネックスより。
タレントのマツコ・デラックス氏が「爆弾発言」をしたというのです。
タブロイド紙だからといって侮ってはいけません。概略は以下の通り。
マツコ氏は「(子どもは)あたしが絶対に手に入れられないものじゃない。寂しいって思いがあるのよ。最初はそんなに(ナインティナイン矢部浩之氏の結婚で寂しいとは)思わなかったけど、よかった、おめでとうって思ったよ、普通に。でも、みんな、幸せになるんだなぁっていうね」と告白したところ、矢部氏が「子ども、作ったらええねん。産んでもらうのよ」と水を向けると、マツコ氏は「同じ話、このあいだ、ロケバスの中で(明石家)さんまさんとして。さんまさんもそう言うけど、手順を踏みたいの(笑い)。嫌なの、契約的なものは嫌なの。手順?分かんない。踏めないよ。だけど、踏みたいの。奇跡的に愛する女性とかに現れてほしいの。『えっ、あたし、女の人好きなの?』っていうね。それで、ちゃんと愛し合って、産んでもらいたい」と女性との恋愛結婚への願望を明かしたそうです。
矢部氏が「それ、あり得るんちゃう?」と言うと、マツコ氏は「いやー、今のところは全く想像すらできないけど。変なところ、道徳性が強いの。じゃあ、誰かあたしでもいいよっていう女の人がいたら、子どもつくろうよとかできるわけじゃない?何か嫌なの。そこに愛がなければ嫌なのよ。そしたら、気持ち悪いって、さんまさんに言われた」と愛に飢えている現状を語り、最後は「あたし、子どもできないかなぁ」と笑いを誘ったというのです。
いやいや、笑いを誘っている場合ではないでしょう。日本の、いや世界の将来にかかわる一大事です。
「環境的にやむをえない同性愛はもちろん環境の変化によって治るが、本質的倒錯は変わらない」と高良武久医師の名著『生きる知恵』にも記されています。「自分は本質的倒錯である」との自覚があれば、「奇跡的に愛する女性とかに現れてほしいの」などという言葉は、まず出てこないのではないでしょうか。
「自分は同性愛者だ」というのは、誤った固定観念である可能性があることを、先般このブログで述べました。マツコ氏も、明確な自覚がないだけで、実は両性愛者なのかもしれません。本人もそれをうすうす感じた上での先の発言なのではないでしょうか。
「変なところ、道徳性が強いの」というのは大変素晴らしいことです。(変なところじゃなくて肝心なところですよ、と言いたいところでもあります。)マツコ氏のような方が好きだという女性も、世の中には少なからずおられることでしょう。異性と結婚し、子供を授かることは夢でも何でもありません。ぜひ婚活にトライしてみてはいかがかと、勝手ながらエールを送る次第です。
マツコ氏は、日本を代表するオカマと言ってよいでしょう。ぜひ、先鞭をつけて頂き、世のオカマさんやオナベさん達に希望を与えて頂きたいと思います。
posted by 田中ゆうたろう at 17:08| Comment(17)
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