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163 オクトロール、中編
オクトロール。
巨体から八本の触手を、まるで大蛇の様に伸ばした軟体の魔物である。
本体は海底に潜み、島の浅瀬に長い触手を這わせ、海面に近づいた獲物を捕まえて海底に引きずり込むのだ。まるで釣りのような狩りの仕方から、フィッシィングパスとも呼ばれている。
(こんなところで時間を食っている暇はないというのに……!)
とにかく海上に出ねば。海中でまともな戦闘なぞ出来るはずもない
水を蹴って海中からの脱出を試みるが、ワシを逃さぬようオクトロールが触手を伸ばしてきた。
(このっ!)
襲い掛かる触手に向けて、ブラッククラッシュを念じると、海中で爆風が巻き起こり、ワシの身体が海上へ向けて巻き上げられる。
が、しかしオクトロールの触手は一瞬怯んだ後も、すぐにこちらへ突き進んできた。
水中での魔導の攻撃力は極端に落ちる。よほどの至近距離で当てねば効果は薄い。
(……っ!? だが息が……)
出来るだけ息を吐かぬよう、もう一度ブラッククラッシュを念じる。しかし先ほどよりも浮きが少なく、かなり威力が弱まっているのを感じた。息が出来ない為、まともに魔導を使える精神状態を維持できていないからだ。焦るワシの脚に突如、ぬめぬめとした感触が巻き付いてくる。
オクトロールの触手。それは脚を伝い徐々に腰まで巻き付き、腕に、胴に絡み付き――――直後、一気に海底へと引き込まれた。
脳を揺さぶられるほどの衝撃がワシの内臓をかき混ぜる。
「ごほ……っ!」
その衝撃でごぼりと腹の中にため込んだ空気を吐き出してしまった。
マズい。身体が動かない、あまりの苦しさに目の前がぼやけていく。
海底に引き込まれたワシを喰らおうと、オクトロールが大きな口を開ける――――のを、ワシは見逃さない。
(タイム……スクエア……っ)
残った力を振り絞り、タイムスクエアを念じる。
時間停止中に念じるのはレッドクラッシュとブルークラッシュ、ワシの眼前で間抜けにも大口を開けたオクトロール目がけて、時間が動き出すと同時に魔導を解き放つ。
――――バーストクラッシュ!
轟音と共に海中に発生した凄まじい衝撃波、それによりワシの身体も海上に向けて一気に押し流されていく。
オクトロールは眼下でもがき苦しんでいるようだ。今が脱出のチャンス。
(くそ……だが距離が……っ!)
バーストクラッシュによる衝撃も海中では効果が薄く、ワシへのダメージもなかった代わりに海面まで吹き飛ばすことも敵わなかったようだ。
これ以上は身体が動かない。海面に降り注ぐ光が弱まっていくのを感じながら、切れそうな意識の中でワシは唇に柔らかい感触を感じた。
そこから流し込まれる、空気。
(もっと……っ!)
足りない。
柔らかい感触を通してワシの身体に空気が満ちていく。
しかし、抱きしめたそれはワシから逃げようと必死に暴れているようだ。逃がさぬようしっかりつかんで、思うさま柔らかい感触を貪っていく。
(こ、コラ! そろそろいいでしょっ!?)
頭に直接響く鈴の鳴るような声。目の前にいたのは顔を赤らめた白い羽の生えた天使……ではなくアインであった。
アインが口に含んだ空気を、海中に引き込まれたワシへと届けてくれたのだ。
(はぁ……もうおじいったら……)
真っ赤な顔で目を伏せた後、少し不機嫌そうに唇を離したアインは、顔を背けてワシの手を取る。そしてそのまま、羽根を器用に動かして水中ではばたかせ、ワシを海上へと導いていく。
きらめく海面がどんどん近づいていき、ざぱぁと水の牢を破る。
「ぷはーっ!」
「げほっ、ごほっ……」
「大丈夫? おじい」
「あぁ……すまないな、アイ……げほっ」
「こらこら、無理しないの」
咳き込み、息を切らせるワシの背をアインが優しく撫でてくれた。
ふらふら泳ぎつつも何とか海岸に辿り着く。
「よい……しょっと」
「ありがとう、アイン」
「お礼ならごはんでいいわ。いっぱい食べさせなさいよねっ!」
「はは、わかったわかった……」
海岸の岩へばりつきながら、アインと軽口を叩きあう。
岩の上でぶるると羽根を震わせて海水を散らすアインの様は、まるで犬のようだ。
それでも髪や服がぺっとりと張り付き、白い薄手のドレスからはアインの身体のラインがくっきりと浮き出て見える。
「ちょ……何見てるのよ! おじいっ!」
ワシの視線に気づいたアインが、真っ赤になって両手で胸を隠した。
小さい頃から手をかけて育てたアインが、こんなに大きくなってワシを助けてくれるようになるとは、中々に感慨深いものがある。後ろを向いてもじもじしているアインをじっと見ていると、後ろから波立つ音が聞こえてきた。
「アインっ!」
「きゃっ!? お、おじいっ!?」
咄嗟にアインを地面に押し倒すと、ワシは背後の海中から大量の海水を浴びせられた。すぐに立ち上がり後ろを振り向くと、海面から突き出した何本もの傷ついた触手。怒り狂ったオクトロールが、ワシを逃がすまいと追ってきたのだろう。周りを見ると、浅瀬に這わせた触手がワシらを囲っている。
「……簡単には逃がしてくれんと言うワケか」
「も~しつこいなぁ~っ!」
「駆け抜けるぞ、アイン」
オクトロールは水棲の魔物、海岸から離れてしまえば追ってくる事はないだろう。触手の一本や二本、斬り倒して踏み抜ければいい。アインの手を掴み、魔力を込めていく。
「剣になれ、アイン!」
「おっけぇーっ!」
返事と共に光を発し、剣の形をとった神剣アインベルを一振りする。幸い広い海岸に出たらしく、このまま沖から遠くまで行けばオクトロールを巻けそうだ。しかし海岸に走る幾つもの水路から、ワシの逃走を防ぐ為、長い触手が飛び出してくる。
「邪魔だ」
神剣アインベルにレッドクラッシュを込め、更にタイムスクエアを念じる。
時間停止中にブラッククラッシュとグリーンクラッシュを追加して、発動。
――――ヴォルカノンクラッシュ!
轟音と共に溶岩が爆ぜ、目の前の触手をぶち切った。
半分に千切れた触手を横切って走ると、二本目の触手があらわれた。
もう一度っ!
ヴォルカノンクラッシュでまたも触手を断ち切る。
くそっ! しつこい!
だが流石に追撃も終わったようだ。
濡れた岩場を走るワシを阻むものはもう何もなく、海岸からも相当離れた。
逃げ切った、そう思った瞬間、急に空が暗くなる。
(おじいっ! 上っ!)
「っ!?」
ずざぁとブレーキをかけ、何とか立ち止まったその直後、ワシの前方に巨大な物体が落ちてきた。
濡れた岩に器用に着地したのはオクトロール。
オクトロールは長い脚を使い、短い距離なら海面からジャンプしてくると聞いた事がある。
しかしこんな離れた場所まで飛び跳ねてくるとは思いもよらなかった。
本体から伸びた触手はワシを囲むように配置されている。もはや戦闘は必至であろう。
「やるぞ、アイン」
「わかってるっ!」
神剣アインベルを握り直し、スカウトスコープを念じる。
オクトロール
レベル74
魔力値182124/258647
思ったよりは削れていないな。ワシの魔力残量は5割程度、あれだけの魔力値を削り取るとなるとかなり効率よくやらなければならないだろう。
(……アレを試してみるか)
オクトロールが大きく息を吸い込み、その体内に魔力を集中させていく。
大きく膨らんだ身体から吐き出されたのは巨大な竜巻――――ブルーゲイルである。
「貰ったっ!」
神剣アインベルを構え、ブルーゲイルを受け止めるとその刀身に蒼い光が宿る。
ブルーゲイルを吸収したのだ。
単独で合成魔導を使うのは現状の魔力量では少々しんどい、幸いオクトロールは水に住む魔物。地上では動きも鈍く、魔導に頼らざるを得ないだろう。そこを狙う。
「あまねく精霊よ、嵐のごとく叫び、雷のごとく鳴け、天に仇なす我が眼前の敵を消し去らん!」
――――空系統大魔導、ブラックサンダー。
それをブルーゲイルを吸収した神剣アインベルを振るうと共に解き放つ。
オクトロールを中心に巨大な竜巻が発生し、曇天から降り注ぐ轟雷が鳴り響く。
稲光が、氷岩が竜巻の合間から時折零れ、周囲に破壊をまき散らしていく。
(わーお……えらいことになってるね……おじい)
(サンダーゲイルとでも名付けておくか)
ブラックサンダー自体、長い詠唱があるので合成には組み込みにくいのが欠点だが。

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