しょうゆとしょうがの風味の飽きのこない味です。
人類が後世に語り継ぐべき貴重な宝世界遺産。
日本では現在19か所が世界遺産に登録されています。
豊かな自然や文化そして歴史を物語る貴重な証言者たち。
その建造物や風景を旅してみると日本の歴史を読み解く事ができます。
世界遺産は日本史のタイムカプセル。
世界遺産を巡る旅は日本の歴史の再発見の旅。
さあ出かけましょう!旅の案内人はなぜかこの人。
本村さん実は世界遺産検定マイスターに認定されているんですよ。
日本史タイムカプセルを抱えてマイスター本村の登場です。
案内人の本村健太郎で〜す。
世界遺産をタイムカプセルにして日本の歴史を旅しようという新シリーズなんです。
さあお二人とも歴史がお好きだと聞いてます。
興味はあるんですよ。
で父はほんとに歴史が大好きでいろいろ話してくれるんですけれどもすぐ忘れちゃうんですよね私。
(大木)ハハハ!もったいない。
なのでマイスターにいろいろ教えて頂きたいなと。
任せて下さい!大木さんはね日本史は得意ですもんね。
僕幕末なんで専攻が。
幕末専門ですか。
そうなんですよ!だからそれ以外の事になるとちょっとよく分かんなかったりするんですよ。
じゃあ一緒に勉強しましょう。
はい!勉強させて下さい。
「日本史タイムカプセルの旅」いよいよ出発です。
シリーズ第1回は奈良の法隆寺と東大寺を訪ねます。
今回の旅でははるか1,400年前に日本が世界と強く結び付いた国際国家だった事が読み取れます。
果たして古代日本は世界とどんなつながりがあったのでしょうか?さあ皆さんこちらの日本地図をご覧下さい。
今日本にある世界遺産…この黄色いマークがついた箇所。
それって多いんですか?少ないんですか?世界の中でも日本は多い方です。
ベスト10にはギリギリ入ってないけど11位ぐらいかな?確か。
4か所のうち2つは自然遺産。
青森と秋田にまたがる白神山地と九州の南に浮かぶ屋久島です。
残る2つは日本の歴史を語る上で重要な文化遺産です。
果たしてどこでしょうか?一つはお城です。
お城。
じゃああそこだ。
姫路城。
正解です!もう国宝にもなってます。
別名「白鷺城」といいます。
ではもう一つの文化遺産。
「柿くへば鐘が鳴るなり…」?「法隆寺」!正解です!そっか〜。
こちらですね。
奈良の法隆寺です。
では…日本史タイムカプセル!奈良市から南西におよそ10キロ。
斑鳩の里に世界遺産法隆寺があります。
およそ1,400年前仏教が日本に伝えられて間もない飛鳥時代から続く伝統ある寺院です。
法隆寺は木造建築の世界最古の姿を今に伝えています。
法隆寺の建築様式を見ると中国朝鮮更に遠くヨーロッパからもたらされたさまざまな技術や装飾美を見る事ができます。
中国や朝鮮半島ではこの時代の木造建築は戦乱や天災で既に失われています。
法隆寺の西院伽藍です。
講堂に五重塔と金堂。
その配置は古代中国の仏教寺院の伽藍を模したものです。
大きく張り出した屋根を支えるのは「雲形組物」と呼ばれるものです。
複雑な曲線を描くこの装飾技術は古代中国から伝わりました。
柱の中ほどの膨らみは古代ギリシャの神殿などの柱に用いられた「エンタシス」の技法と似ていてヨーロッパから伝わった技術ではないかと言われています。
天高くそそり立つ塔は現存する世界最古の木造の五重塔です。
釈の遺骨を祭るためのものでインドの丸いストゥーパがその起源です。
それが中国で高い塔に発展しその高度な建築技術が日本にもたらされました。
法隆寺は古代日本の世界とのつながりを示す貴重な遺産なのです。
ではいきなりですが皆さんクイズです!うわっいきなり?急!法隆寺が1993年世界遺産に選ばれたときに実は法隆寺のあることがちょっとした議論になりました。
あること?何を見て議論が出るんだろうあれで。
いやすばらしい建物だという事は分かったんですけれども議論っていうのと全く結び付かないんですけれども。
さすがに難しかったかな?では正解を発表します。
それは法隆寺が…ああ〜。
えっ?何で?ここで世界遺産検定を主催する世界遺産アカデミーの目黒正武主任研究員に解説して頂きます。
テーマは「世界遺産と木造建築について」。
世界遺産の…特に文化遺産の価値の考え方はヨーロッパの考え方が基本にあるんです。
でヨーロッパの建物は石でできてますね。
石とか岩は永遠です。
で79年に登録された有名なあのピラミッド。
5,000年近く前の建物がその当時の部材をそのままに残して残っている。
これがすごいっていうのが彼らの価値観です。
すごいですよね。
でも木はそのまま残んないだろうと。
燃えちゃうだろうしっていう意識があった。
先生これ世界遺産検定の勉強をする時に最初に出てくるキーワードで「真正性」っていう言葉があるんですよね。
かつてはヨーロッパの石の建造物のように形や材料が昔のままで維持・保存されているものが「本物」とされていました。
日本が法隆寺などの木造建築を世界遺産に申請する際この真正性が議論されました。
その結果日本の風土や歴史の中で培われた技術によって修復・再建された遺産も真正性を持つと認められました。
じゃあ法隆寺が世界遺産になる時の考え方を…世界を変えたっていう事ですね。
(目黒)そうですね。
例えば日本は木ですけどもアフリカは土です。
土も壊れやすい。
だからアフリカのそういった建造物もなかなか登録されなかったんだけどもそういった事も含めてもっと幅広くいろんな文化に対応していこうっていう事のきっかけはある意味「日本が参加した事によって」と言ってもいいんじゃないですかね。
ところでこれまでに…福沢諭吉さん?う〜ん!違う…。
福沢諭吉さんは今一万円札ですけどね。
僕が…多分子供の頃はまだその方でした。
僕も子供の頃は一万円札はこの人でした。
あっ聖徳太子!正解です!聖徳太子はなんと7回も…。
えっ!?そんなに!?7回!?7回もお札になってるという。
聖徳太子はですね法隆寺と深い関わり合いがある人なんですね。
世界の最先端の技術で建てられた法隆寺。
創建したのは…仏教に帰依し仏教による国造りを目指した人物です。
現在の法隆寺で最も古い建物金堂。
本尊の…銅で鋳造され表面に金を施した金銅仏です。
当時はまばゆいばかりに輝いていました。
仏教が伝わる前は日本では神を祭っていましたが仏を目に見える形にして祭る仏像の文化が仏教とともにもたらされたのです。
実はこの釈像は太子の身の丈を写してつくったと伝えられています。
その証拠が釈像の裏側に漢字で記されていました。
太子に似せて仏像をつくったいきさつがつづられています。
漢字も仏教とともに持ち込まれた新しい文化でした。
聖徳太子が生きた飛鳥時代は豪族たちが互いに争った時代でした。
中でも外来の文化である仏教を取り入れるか否かを巡り推進派の蘇我氏と保守派の物部氏が激しく対立し戦いが起こります。
太子は国を一つにまとめるために仏教が政治にも役立つと考え反対派を退け仏教を取り入れます。
太子は「仏法僧を大事にしなさい」と宣言しました。
「仏」はほとけ「法」はお経「僧」は僧侶を表します。
聖徳太子は仏教を敬うよう定め最新の文化や技術を幅広く取り入れ新しい国の礎をつくろうとしたのです。
さてでは仏教は一体どのようにして日本に伝わったんでしょうか。
仏教は紀元前5世紀ごろインドで誕生しました。
そしてインドからガンダーラ地方…今のアフガニスタンやパキスタンあの辺りを通ってそしてシルクロードを通って中国大陸朝鮮半島の文化を取り入れながら6世紀日本奈良にたどりついたわけなんですね。
そのころ日本に渡ってきた仏像はこんな感じでした。
意外とちっちゃいですね。
えっこれ実物大ですか?実物大なんですよ。
30センチぐらいしかない。
これ「渡来人」と呼ばれる中国大陸や朝鮮半島から日本に移り住んできた人たちがこれを自分の家に置いてこれに向かって拝んでいたという仏像なんですね。
それから200年ぐらいたちますとこの小さかったものがビッグ!え?ビッグ!何ですか?急に。
ビッグな仏像!
(大木高橋)奈良の大仏?正解!「万葉集」にも詠まれました奈良の都平城京の時代に日本史タイムカプセル!聖徳太子の時代からおよそ1世紀余り。
西暦710年唐の都長安をモデルにした平城京が今の奈良市に築かれます。
碁盤の目のように整然と区画された本格的な都です。
中央北側に大内裏を置き天皇を中心とする中央集権国家の基礎が形づくられた時代です。
都の東に位置する…本尊…高さ15メートル重さは推定250トン。
出来た当時金属製の仏像としては世界最大級のものでした。
この時代は地震や疫病が続き人々は不安にさいなまれていました。
天皇は巨大な盧舎那仏をつくりそのパワーで国を救おうと考えたのです。
確かに言われてみると安心できるしもしかしたらお祈りがかなうかもって思いますね。
国家プロジェクトですねこれ。
まさに。
でもそのプロジェクトに実は1人重要な役割を果たしたキーパーソンがいるんです。
へえ〜。
1人?この人です。
銅像になってます。
これだけでは分からないかな?ピンとこないかな?いや分かんないな〜。
もう一枚見せましょうかね。
こういうふうに…近鉄奈良駅前です。
近鉄奈良駅前?近鉄奈良駅前にある銅像なんです。
なんか少年が休憩してますよもう。
奈良では待ち合わせ場所になってるんですね。
奈良の待ち合わせ場所として有名なのが行基という僧侶の銅像です。
渡来人の末裔で民衆に仏の教えを説き絶大な人気がありました。
実は行基は土木建築技術者としても第一人者でした。
瓦葺きの寺院の建設にも数多く関わっています。
世界遺産元興寺の屋根に赤く見えるのが日本最古の瓦。
「行基葺き」と呼ばれる古い葺き方を残し今も使われています。
瓦の技術は仏教とともに大陸から伝わってきた最先端の寺院建築の一つでした。
行基は僧侶でありながら高度な知識を持った技術者でもあったのです。
聖武天皇は民衆の支持を受けている行基の実力や技術を認め協力を求めました。
行基の参加によって大仏造立プロジェクトは大きく前進します。
行基のもとで働く事は徳を積む事につながる。
人々は自主的に工事に参加しました。
のべ260万人。
幅広い階層の人々が関わり9年の歳月を費やして大仏は完成します。
しかし行基は大仏の完成を見る事なく81歳の生涯を終えました。
民衆に「菩薩」と慕われていた行基。
駅前に立つ行基像の視線の先にあるのは完成をその目で見る事はなかった東大寺の大仏です。
というわけで行基。
奈良の大仏をつくるのに人生をささげた方。
でも自分は大仏の完成を見届ける事はできなかったという。
切な〜い。
見てほしかったな〜。
さあそうしてやっとこさ完成が近づきました。
ここで大きなイベントが開かれます。
さて問題です。
「どんな人」?時の天皇?例えばね!例えば聖武天皇ですよまさに。
でも聖武天皇ではなかった。
でもやっぱり仏教に精通してる人じゃないとできないから…。
はい。
という事は?僧侶?いいですね!僧侶です確かに。
じゃあどんな僧侶?「どんな僧侶」って何ですか?ただの僧侶では問題になりませんから。
どんな僧侶でしょうか?元気な僧侶。
元気な人。
まあ元気だったと思います。
じゃあ…どっか海外から呼んだ。
ああ〜!きた〜!どこ!?どこ…中国!例えばそう!でも違う!インド!せいか〜い!やった〜!イエーイ!ええ〜!インド人僧侶。
よく正解できましたすばらしい。
インド人僧侶です。
菩提僊那という方です。
菩提僊那というインド人の僧侶。
というわけで開眼法要に日本史タイムカプセル!8世紀半ば奈良の都の輝かしい隆盛を示す一大イベントが開かれました。
「盧舎那仏」のお披露目開眼供養会です。
2002年東大寺で営まれた大仏開眼1250年を祝う式典は当時の華やぎをしのばせるものでした。
聖武天皇をはじめ貴族や僧侶など1万人以上の人々が見守る中開眼供養を執り行ったのは…。
32歳で来日し仏教を広めていた菩提僊那は48歳の時に開眼供養の大役を果たしたのです。
大仏の完成を祝う華やかな式典には中国朝鮮半島ベトナムからも大勢の人々が招かれたといいます。
大仏の前でインドやペルシャを源流とする仮面劇伎楽が演じられました。
1,200年以上前の奈良の都はアジアや中東ともつながった国際的な都市でもあったのです。
すごいですね。
いや〜何だかとんでもないプロジェクトがもう1,000年以上前にあったんだね。
この開眼法要いろんな国からゲストをお招きして非常にインターナショナルな雰囲気だったわけですね。
はぁ〜すごいわ。
今日いかがでしたでしょうか?いや〜その世界遺産の背景を…歴史を知るとより興味が湧きますし実際見に行った時に多分見る目線も変わってくるなと。
すごく勉強になりました。
壮大ですね世界遺産選ばれるには。
というわけで「開け!世界遺産」また次回お会いしましょう!2015/12/01(火) 21:30〜21:55
NHKEテレ1大阪
趣味どきっ! 開け!世界遺産[新]<全9回> 第1回「法隆寺・東大寺」[解][字]
日本の世界遺産は現在19か所。法隆寺・東大寺をはじめ、金閣寺・銀閣寺、富士山など各地の見どころを美しい映像でたどり、日本史の魅力を再発見!クイズにも挑戦です!
詳細情報
番組内容
第1回は、古代から国際国家として栄えた日本の中心地、奈良の二つの寺院をピックアップ。世界最古の木造建築で知られる法隆寺と、大仏造立の東大寺。いかに二つの寺院が国際色豊かだったのか。NHKの豊富な映像資料から、時代ごとにツボを押さえて日本史の魅力を再発見していく。番組の案内役は「世界遺産検定マイスター」で弁護士の本村健太郎。日本史好きのビビる大木、高橋真麻にクイズを出題、身ぶり手ぶりで解き明かす。
出演者
【出演】本村健太郎,高橋真麻,ビビる大木,世界遺産アカデミー主任研究員…目黒正武,【語り】河野多紀
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
趣味/教育 – 生涯教育・資格
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
2/0モード(ステレオ)
日本語(解説)
サンプリングレート : 48kHz
OriginalNetworkID:32721(0x7FD1)
TransportStreamID:32721(0x7FD1)
ServiceID:2056(0x0808)
EventID:15896(0x3E18)