次回はにごり酒が登場。
おいしいおつまみもあわせてご紹介します。
市民の特に若者たちの社会参加が注目されている現代。
今から70年前に「アンガジュマン」「社会参加せよ」と高らかに唱えた哲学者がいました。
人間は社会や状況に既に巻き込まれている。
だから何らかの選択をせねばならない。
実存主義の代名詞ともなったアンガジュマンの思想です。
この思想は行動する哲学者サルトルの活躍とともに世界に強い影響を与えます。
人間とは何か生きるとは何か。
サルトルが最後にたどりついた境地に迫ります。
(テーマ音楽)「100分de名著」司会の…さあついに最終回でございますサルトル。
え〜自由は孤独で不安かといって地獄とは他者。
じゃあどうすりゃいいのと。
だんだん哲学分かってきたようなというところですけども。
さあ今回も講師にフランス文学者の海老坂武さんをお迎えしています。
どうぞよろしくお願いいたします。
海老坂さん今回のテーマは「アンガジュマン」。
これは社会参加という事になるんでしょうか?という意味でもあるんですがそれだけではなくて他者との関係でもあるし……という事が原点ですね。
何か最初に僕が言った疑問を解決してくれそうなまとまっていきそうな感じの雰囲気ですね。
ではまずこちらをご覧下さい。
生きる事の不条理や無意味性を繰り返し描いていた戦前のサルトル。
政治とは距離を置き哲学や文学の世界に没頭していたサルトルのもとにも戦争の足音が近づいてきます。
第二次世界大戦に招集されたのです。
1940年サルトルは前線に出ないままドイツ軍の捕虜となり収容所に入れられました。
彼はここでさまざまな階級の人々と集団生活を送り個人主義的な哲学から人間の行動や連帯を重視する哲学に目覚めてゆきます。
やがて収容所を抜け出したサルトルはパリでレジスタンス活動に身を投じるのです。
「むろん人間の定義としての自由は他人に依拠するものではないが」。
自由は自分一人のものではない。
自分自身が置かれた状況のもとで…彼はこの考えを「アンガジュマンの思想」として結実させてゆきます。
サルトルは大きく政治へとかじを切りメルロ=ポンティボーヴォワールらと雑誌「現代」を創刊すると編集長として政治的発言を積極的に行っていきます。
その「アンガジュマン」という言葉が出てきましたがもともとはこちら「アンガジェ」というフランス語動詞なんですね。
「拘束する」とか「巻き込む」とか「参加させる」という意味があるんですがこれが名詞になると「アンガジュマン」という事になると。
当時作家の責任についてこれは1945年10月に創刊した”LesTempsModernes”「現代」誌という雑誌なんですけどこの中で…何をしてもその中に巻き込まれていると。
…というような事を彼は語っていますね。
へ〜…逃れる事ができない。
その沈黙何も言わない事も意味を持ってしまうというのは非常に重い言葉ですね。
そうですね。
サルトルはですからそういう何もしない何も選ばないという…やっぱりその時代その時代がそうサルトルをさせていったというところがあるんでしょうか。
それは大きいですね。
特にこの時代というのは第二次大戦は終わった。
しかしその第二次大戦というのは何を引き起こしたか。
何千万人の人間が死んだわけですよね。
そこから先の時代についても見通しが明るいわけではないと。
そういう中で言論に関わる人間は責任を取らなきゃいけないという強い態度表明だったんですね。
そこ本当に重いと思うのは今先生がおっしゃった言論に関わる人間は言論にあなた関わってるという以上はしゃべらないという選択にもうそれは意味があるわけだからという事ですよね。
しゃべらなければ大きな声でしゃべった人間のままになるという事です。
それに委ねましたという意味合いを持っちゃっているんならあなたはこういう意見だとちゃんと言わなきゃ駄目だって事ですよね。
さあそれではその後のサルトルの活躍についてご覧頂きましょう。
戦後実存主義の名は高まり闘う知識人としてサルトルは時代の寵児となります。
世界各地で紛争は絶え間なく続いていました。
原水爆実験東西冷戦インドシナ戦争アルジェリア戦争ベトナム戦争…。
何か大きな事件があると人々はサルトルの発言に注目しました。
彼は常に抑圧された人々の側に立って自らの態度を表明し続けたのです。
これが第1夜の時に言ってたサルトルというのはあらゆる事にコメントをしてサルトルが何て言うのかを世界中が注目してたっていうそういう事ですね。
世界的ご意見番みたいな。
実は66年1966年にもボーヴォワールと一緒に日本に来てるんですよね。
その時の映像があります。
羽田空港に着いて羽田空港でもみくちゃ状態だったんですって。
そんなに大勢が待ってたんだね。
取材陣もすごいわ。
日比谷公会堂での講演とかあったんですけど2,000人の定員のところ3万人が応募がありほんとたくさんの人がサルトルの話を聞きたかった。
そのころサルトル全集が日本では300万部以上。
サルトル哲学というのが日本でも受け入れられたというのはどうしてだったんでしょう?人間とは何かとかあるいは人間と世界との関係人間と人間との関係そういう事を根本的に考えたという事があるでしょうね。
日本の戦後というのはやはり非常に混乱した不安な時代でどういう方向でみんなが生きていってよいのか分からない。
その中で人間は自由であると。
自分で自分の道を選ばなければいけないというそういうメッセージが強く受けたんだと思いますね。
少なくとも戦前戦中ぐらいまで日本人とはこうだ人間とはこうだという教育のもとそれを信じて突き進んできた日本人とその敗戦から後さあどうやって生きていけばという時に人間って自由だ。
人間ってそもそもこうじゃなきゃいけないなんてものはないところから考え方を作ってる人だからそれはちょっと頼りになったというかぐっときたでしょうね。
人間中心主義ヒューマニズムという言葉で言えるその思想が人々に勇気を与えたという事があったかもしれませんね。
でもそのヒューマニズム人間中心主義と言いますとまず第1回で登場した「嘔吐」の中の独学者という人がヒューマニストで。
そうそうそうだ。
大嫌いだったじゃないですか。
熱く人間を語るのはね。
独学者という人は多少心を開いてた相手だったのに何か相談したら人間はすばらしいみたいになってたのにうわ吐き気するわって。
そうそう吐き気してた。
そこがサルトルの一筋縄ではいかないところなんですね。
皆様思い出されました?ちょっと思い出してみます?戦前のサルトルの小説「嘔吐」。
そこにはヒューマニズムを熱っぽく語る男「独学者」が登場しました。
(独学者)あなたは人間を愛しておられるのでしょ。
私と同じく愛しておられる。
「人間か」。
その男のヒューマニズムによって主人公ロカンタンは吐き気をもよおす事になるのですが…。
戦後「実存主義とは何か」ではサルトルは逆に「実存主義はヒューマニズムである」と高らかに宣言しているのです。
そこにはどのような変化があったのでしょうか。
確かにちょっと聞きだとかなり矛盾してるようには聞こえますね。
そうなんですが38年その「嘔吐」の中でサルトルは独学者に「実存主義とは何か」の中で言ってるようなセリフを言わせてるんですね。
こちらでございます。
「アンガジェ」という言葉ももう出てるんだ。
既にここで出てるんです。
サルトルの戦後の思想そのものが実は。
なぜ独学者がそんな事をしゃべってるのかって非常に不思議なところなんですこれは。
いろんな解釈があるんです。
私自身はその当時に2つの考えがあったというふうに思うんです。
一つは若きサルトル。
これはとにかく芸術作品を作る事であってヒューマニズムはどうでもいいんですよ。
ですから独学者を批判する。
ロカンタンが徹底的に批判する。
しかしもしかすると芸術というのはヒューマニズムに通じるものではないかという思考の芽生えみたいなものがサルトルの中にあったんではないかと。
それを今度は独学者の中に投影して独学者に言わせてるんではないかというふうに。
つまり反・人間の考えと今度は人間的な考えと。
対話してる。
自分の中で2人が対話してるというような。
サルトルは常にそういう人なんですね。
いつも誰かに反して考える。
更には自分に反して考えるという。
それがサルトルの特徴だと。
あと何か僕はちょっと朗読の中で思ったんですけど独学者とサルトルの似て非なる部分で言うと「人間を愛さなければいけない」みたいな事を言うじゃないですか独学者って。
でもサルトルは人間にはそこに関して必然的な事は何もなくて今後自分の意思で愛そうと思うのはいいしサルトルは愛そうとするわけでって考えていくと別に完全矛盾してるわけでもないなという気はして。
その「嘔吐」の中にここに「企ての中に身を投じるべし」とあるんですがこれは後の「実存主義とは何か」の中でやっぱり同じような言葉。
こういう言葉で。
初めて聞いた言葉です。
「投企」。
これはどういう意味でしょう?「投企」というのはフランス語ではプロジェ英語で言えばプロジェクト。
前に向かって自分を投げる事という意味ですね。
企てに向かって自分の将来に向かって自分の身を投げるという意味ですね。
「project」の「pro」というのは「前」という意味だし「ject」というのは「投げる」という意味ですから自分を前に向かって投げていく。
人間が自分の責任において…ここすごい大事な気がする。
何か生まれた時から運命が決まって責任を負わされて縛られてるわけではなくて人間が自ら投企をしてその投企をした責任のもとえ〜と何でしたっけアン…。
アンガジェ。
アンガジェされていく感じというか。
サルトルは結婚の例を挙げてるんですよ。
結婚?結婚だって結局投企でしょ。
未来の幸せに向けて。
ある価値観を選んで結婚をする。
投企ですよ。
そうだ。
それも自由にやってるわけでしょ。
しかし責任は伴ってくる。
アンガジェってエンゲージリングのエンゲージ?そのとおりです。
エンゲージリングのあのエンゲージですか。
まさしく結婚のエンゲージ。
何かすごいね。
エンゲージだ。
あくまでも自分主体で作っていくんだ未来に投げていくんだっていう力強い言葉ですね。
現代の私たちにとって投企とかアンガジェというのはどういう事がありますか?やっぱり今の時代の中でどうやって生きるかという事の態度表明だと思いますよ。
今の日本ではどういう問題が起こってるかと考えてみたって例えば原発の問題がありますよね。
それから今度の安保法案の問題がありますよね。
将来憲法改正の問題があるかもしれない。
その時にあなたはどういう態度をとるのですかと問いかけられた時に何らかの態度表明をそれぞれがしていく。
まあ僕は時々デモに行くんですけどもね。
特に表現者はって言ってましたよね。
そうです。
沈黙で中途半端に態度表明した事にされちゃうぐらいならちゃんと表明を投企をしなさいという事ですね。
はい。
晩年のサルトルは失明して執筆を断念。
それでも時代に対するメッセージは発信し続けました。
「いま希望とは」と題された最後の対話ではこんな言葉を語っています。
サルトルは最後まで絶望ではなく希望を語り続けたのです。
5万人もの市民が参列したその葬儀の様子に彼が常に市井の人々と共にあった哲学者だった事が表れています。
すごいな。
愛された人だったんですね最後までね。
最後まで本当に市民に愛された人だったんですね。
愛された事は事実です。
しかし他方では右翼に何度もうちを爆破されたり。
つまり旗印を鮮明にすればそうだと言う人もいるし違うと言う人も同時に出てくる。
同時に愛されもし同時に憎まれもしたというのが現実ですね。
しかし1968年の五月革命の世代の若者たちはですねもう一人別に常に傍観者であろうとした哲学者のレイモン・アロンという人がいるんですが…そういう若者たちもいたわけですね。
ましてサルトルほどの優れた表現者にとって沈黙って選択肢はないんでしょうね。
ほんとにぐっときますね。
これが葬儀の時のパリの写真。
すごいです。
ものすごい人たちが。
葬儀屋さんがやって来てさあご家族の方は前へ出て下さいと言うわけです。
そうすると一つの声が上がった。
女性の声だったらしい。
それは「私たちみんなが家族です」と言ったんですね。
何か涙出ますね。
すごいね。
サルトルのメッセージというのはひと言で言えば人間の運命は人間の手中にある。
手の中にあると。
人間は自由なんだというそういうメッセージですね。
自由を妨げるものというのはいくらもあるわけですね。
その自由を妨げるものに対して闘えという事も同時に彼は説き続けたんですよ。
最後の対話の「いま希望とは」何かちょっと朗読の文章は僕の中ですごく難しい響いてはいるものの難しくて。
先生はこのサルトルと希望に関してどう思われますか?このテキストを読むとこれは明らかに希望のない絶望の世界ですよね。
時代的にもこれはサルトルが死んだのが1980年ですね。
そうして既に彼が希望を寄せていた社会主義というのはもう破たんしてる。
そういう世界ですから彼自身は世界に対してそれほど大きな希望を持ってなかったでしょう恐らく。
でも最後は希望を作り出さなければいけないんだと割と力強い言葉になりますよね。
しかしどんな絶望的な状況の中でも人間は生きていくあるいは生きていかなければならない。
そういう時にどうするか。
全く希望のない未来に生きていく事はできないでしょう。
どんな病人であってもどんな状況に置かれていても何らかの希望を未来に見いださないかぎり生きられないわけですよ。
ここがすごいなと思うのは大知識人がどうやら今私は静かな絶望をして絶望だと思うって言いながらもさあ希望を作り出さなければいけないんだというのは何かちょっとぐっときますね。
これが最後のメッセージですよねサルトルの。
ある人に言わせると要するにサルトルは「認識」においてはペシミズム悲観的であると。
しかし「意志」においてはオプティミズムつまり楽観的であると。
こういう2つの面を持ってるんではないかという指摘がありますね。
僕はそのとおりだと思います。
すごく悲観してるけれどもでも意志として楽観的なものを作り出していかないといけないと。
世界の状況がどんなに暗くても人は生きていく。
この対話からどれぐらい後に亡くなるんですか?このあと2週間ほどで亡くなりましたね。
すごいな。
死ぬ2週間前にも自分の絶望よりも希望を持とうよという。
人間って希望がないと未来に投企できないできないよねっていう言葉を出すんですね。
なるほど。
それはすごいな。
どうでしたか?この4回。
いつもにまして哲学なんで難しかったは難しかったんですけどやっぱり響く言葉があるし。
何か少しだけ自分のものにできたような気はします。
海老坂さんはいかがでしたか?サルトルの話をこういう場でできた事は大変幸せですね。
今やすっかり忘れられた哲学者になってますから。
結構私日々哲子状態で。
実存についてちょっと考えた。
まだ分かんねえなとは思うんですけど考えるようになりました。
何か一人になると考える。
対話相手です。
対話相手ですね。
すごく面白かったです。
海老坂さん本当にありがとうございました。
ありがとうございました。
2015/12/02(水) 12:00〜12:25
NHKEテレ1大阪
100分de名著 サルトル“実存主義とは何か”[終] 第4回「希望の中で生きよ」[解][字]
「アンガージュマン」(参加・拘束)という概念を提唱し、社会へ積極的に参加して自由を自ら拘束していくことが自由を最も生かす方法だと主張するサルトル思想を読み解く。
詳細情報
番組内容
サルトルは「アンガージュマン」(参加・拘束)という概念を提唱し、人間は積極的状況へと自ら投企していくべきだと訴える。社会へ積極的に参加し、自由を自ら拘束していくことが、自由を最も生かす方法だと主張するのだ。それは、サルトルが生涯をかけて、身をもって実践した思想でもあった。第四回は、どんなに厳しい状況にあっても「自由」を生かし、「希望」を失わずに生きていく方法を学んでいく。
出演者
【講師】フランス文学者…海老坂武,【司会】伊集院光,武内陶子,【朗読】川口覚,【語り】小口貴子
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
趣味/教育 – 生涯教育・資格
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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