歴史秘話ヒストリア「あなたはボクの女神様!〜文豪・谷崎潤一郎と女たち〜」 2015.12.02


昨晩あなた様の夢を見ました。
いろいろとお話ししたい事がございます。
男性の皆さん女の人からこう言われたらどうしますか?今宵は妖艶な女性の虜となったある大作家のお話です。
今年没後50年を迎えた文豪谷崎潤一郎。
大正から昭和にかけて活躍した日本を代表する作家の一人です。
そんな文豪が描き出したのは官能の世界。
私生活もまた小説以上のスキャンダルに満ちていました。
ある時は義理の妹と。
そしてまたある時は美しき人妻と。
常識では考えられない「いけない恋」ばかり。
何でも言う事を聞くか?うん!聞く!異端の小説家の素顔を伝える資料が去年見つかりました。
その中には谷崎がある女性に宛てて書いた恋文が…。
「私の持つもの全てをあなた様に捧げます」。
なんと愛の告白というより家来の誓約書。
しかし太平洋戦争が始まると文芸活動は大きく制限されます。
谷崎はこれに反発。
取り締まりをかいくぐり艶やかな女性の姿を書き続けました。
今宵は女性の美に魅せられた文豪の物語。
妖しくも激しい恋の世界へ御案内します。
大正時代の初め東京の下町。
一日中机の前でため息ばかりついている男性がいました。
何やら文章を書こうとしているようですが筆は止まったまま。
心の声あぁ…こんな事では駄目だ。
これまでにない斬新な小説を書かなくては…。
彼の名は谷崎潤一郎。
洗練された文章と都会的な作風が評価され…しかしもう三十路というこの時期スランプに陥ってしまったのです。
心の声刺激だ。
何か新しい刺激が欲しい。
そして行き詰まっていたのは仕事だけではありません。
つい最近結婚したばかりの家庭でも…。
妻の千代は従順な性格で働き者でしたが…。
ちょっと行ってくる。
(千代)あらお出かけ?じゃあ支度しますね。
そうした妻との暮らしが退屈で物足りなく感じられてきたのです。
(ため息)心の声結婚とはこれほど刺激のない退屈なものなのか。
僕はこんな人生を望んでいるのか?仕事の不調と結婚生活への失望。
谷崎は人生の迷路に迷い込んでいました。
苦悩が続いていたある日。
思いがけない出会いが訪れます。
(谷崎)ただいま。
(千代)あらあなた。
今日は妹が遊びに来てるの。
はじめまして。
心の声
(谷崎)千代とはまるで違う。
この子はまるで西洋人のようだ…。
谷崎の前に座っていたのは13歳になる千代の妹せい子。
姉の千代と違って彫りの深い顔だちをしていました。
千代が言うにはせい子は小学校を出ただけで十分な教育を受けていないとか。
そこで…
(谷崎)おせいちゃんこの家では気兼ねせず好きなようにしていいからね。
ところが一緒に暮らしてみるとせい子はとんでもない女の子でした。
家事は姉に任せっきりでたとえ暇でも一切手伝いません。
一方で賭け事が大好き。
谷崎たち大人を巻き込んで花札にトランプ。
それに飽きると窓辺に立ち大きな声で歌を歌ったりしました。
通りかかった人がびっくりしてもおかまいなし。
何をしでかすか分からないまさに自由奔放な少女だったのです。
家に帰る時間も日に日に遅くなりました。
(谷崎)おいおせい。
ただいま。
何時だと思ってるんだ。
何時ってまだ6時よ。
この家ではお前の好きにしていいって兄さんが言ったんじゃない。
せい子は謝るどころか口答え。
これにはさすがの谷崎も…。
おや?何だかちょっとうれしそう。
心の声ほお…この僕に言い返すなんてなかなか面白い子だ。
(谷崎)おせいといると毎日飽きない。
僕が望んでいたのはこれだ。
この刺激なんだ。
せい子の行動は以前にも増して勝手気ままでした。
谷崎の作家仲間と遊び歩くようになったのです。
それを見ても谷崎は叱りません。
むしろ…。
あれは猛獣だよ。
わがままで生き生きしている。
同じ獣なら僕は家畜より猛獣を選ぶね。
たとえかみ殺される恐れがあってもね。
ところが甘やかすうちに…相手の男性を取っ替え引っ替え。
その様子はまるで男を従える女王様。
心の声今度はあんな連中と…。
このままほっといたらおせいはもううちには戻らないかもしれない。
駄目だ。
それだけは絶対に駄目だ。
焦った谷崎はついにある事を決心しせい子を呼び出します。
(せい子)なあに?兄さん。
おせい話があるんだ。
僕と一緒にならないか?なんと妻の妹に向かって…せい子の返事は…。
フッ何言ってるの?兄さんと結婚なんてできないわ。
せい子は谷崎に恋愛感情など少しも持っていませんでした。
禁断の恋はあっけなく終わります。
惨めな失恋から3年後谷崎はせい子との体験を元にした作品を書き上げます。
ある男性の告白から始まる物語です。
主人公はサラリーマンの譲治。
15歳の少女ナオミと出会い彼女を理想的な女性に育てて妻にしようと同居生活を始めます。
ところがナオミは譲治の言う事など聞かない奔放な娘に成長。
しかし…ナオミ…ナオミ!何でもお前の言う事を聞く。
(ナオミ)これから何でも言う事を聞くか?うん!聞く!うん!聞く!「痴人」とは愚か者の事。
少女に振り回され踏みつけられる事に喜びを見いだす哀れな男の恋物語でした。
そんな時期に出されたこの小説は話題を呼びます。
更に「ナオミズム」という言葉まで流行し社会現象を巻き起こしました。
この作品を機に谷崎潤一郎は官能を描く作家として新たな道を歩み始めたのです。
ようこそ「歴史秘話ヒストリア」へ。
谷崎は生涯で何度も激しい恋に落ちその体験が新たな小説を生み出す源となりました。
恋に身を焦がし創作の力とした作家は他にもいます。
彼らの赤裸々な心がうかがえるもの。
それは大好きな人に送った恋文です。
いくつか見てみましょう。
手紙の端にたったひと言「コヒシイ」。
これは何人もの女性と恋愛を重ねた太宰治。
キャッチコピーの名人とも言われる太宰らしい恋文です。
次はこちら。
これは芥川龍之介が結婚前の妻・文に宛てて書いたもの。
お堅いイメージの文豪芥川にもこんな一面があったんですねえ。
それでは谷崎の恋文は…というと書かれていたのは谷崎の秘めたる思い。
そこから新たな世界が開かれていきます。
大正12年これまで日本の誰も経験した事のない大災害が起こります。
10万人以上の犠牲者を出した関東大震災。
谷崎は火災で家を失い…住まいを転々とした末ようやく落ち着いたのは神戸。
そしてある女性と運命的に出会います。
関西で暮らすようになって5年目の事。
小説の中に筋というものはなくてもいいんですよ。
谷崎は大阪で人気作家・芥川龍之介と酒を酌み交わしていました。
きちんとあれば構成がなくても…。
そこへ…。
失礼いたします。
今日は芥川先生にお会いしたいいう人がいますねん。
松子さん。
失礼いたします。
はじめまして。
根津松子と申します。
現れたのは大阪で木綿問屋を営む商人の妻根津松子。
大の文学好きでした。
芥川先生が大阪にいらっしゃるとお聞きしまして失礼を承知で女将に無理を言ってお会いしに参りました。
心の声ほう…美しい。
あっ…すいません。
あら…空になりましたわね。
どうぞ。
心の声
(谷崎)なんて気品のある人だろう。
そしてなんというあでやかさ…。
これまで出会ったどの女性とも違う松子の気高い美しさに谷崎は夢中になります。
(谷崎)僕が本当に必要としているのはもしかすると彼女のような女性ではないのか…。
しかし松子は格式ある家の奥様。
そして谷崎もまた妻のいる身です。
恋愛など許されるはずもありませんでした。
心の声決して遂げられぬ思いだろうが忘れるなんて到底無理だ。
そこでまず谷崎は松子と友人としての関係を深めようとします。
妻を連れて松子の家を訪ね一緒に食事などするうちにすっかり打ち解けた間柄に。
次は松子と同じ町に引っ越します。
更に親しくなるとまた引っ越し。
今度の家はなんと松子の自宅の隣でした。
そんな時…。
松子は家で一人じっとさみしさに耐えていました。
谷崎は彼女に手紙をしたためます。
自分も相手も家庭があるのにこんな恋文を送るとはなんて大胆!谷崎は松子に毎日のように手紙を送りました。
その情熱はやがて松子の心を動かします。
ついに谷崎の願いは通じ…憧れの女性を得て谷崎の中にふつふつと創作意欲が湧いてきました。
そこで谷崎は奇妙な事を始めます。
御寮人様締め具合はいかがでございましょうか?え?「御寮人様」とは「若奥様」あるいは「お嬢様」という意味で女性を敬って呼ぶ時に使う言葉。
実は当時谷崎は女主人とその奉公人の物語を小説にしようと考えていました。
創作の参考にするため松子を主人に見立て自らは奉公人として振る舞おうとしたのです。
初めは戸惑っていた松子も…。
心の声
(松子)この人きっとご自分のお仕事のためにやってはるんやわ。
それやったら私も協力せんと。
緩い。
何べん言うたら覚えるんや。
はい!すいません!更に谷崎はこんな事も手紙で相談しています。
「従順」な奉公人にふさわしくなんと名前を「順市」にしたい!?もう完全に入り込んじゃってます。
松子との疑似的な主従関係から次の作品が生まれました。
恋愛小説の傑作…何者かに熱湯を浴びせられ…そして春琴の部屋へ向かいます。
「究極の愛」の物語は一般の読者はもちろん作家仲間からも絶賛されます。
谷崎にとって「春琴抄」は松子がいたからこそ書き上げる事のできた作品でした。
松子に深く感謝し永遠の愛を誓った手紙があります。
去年新たに発見されたものです。
そこには…全てを松子に捧げると書かれています。
更に谷崎は彼女を自分の創作をより高めてくれる「芸術の神様」だとたたえました。
谷崎は前の妻と別れ松子と結婚します。
「女神」を妻に迎え谷崎の小説は更なる厚みを増していきました。
関東大震災で被災し関西へ引っ越した谷崎。
初めは復興が進めば戻るつもりでしたが関西が持つ奥深い魅力に引かれ結局20年ほど暮らす事になります。
当時グルメだった谷崎がまず魅せられたのは「関西の食」。
エッセーには関西では魚がおいしく野菜やきのこなどの種類も豊富だと高く評価しています。
特に好物だったのが鱧。
関東ではあまり知られていない食材でしたが谷崎はすっかり気に入り年を取ってからも周囲がびっくりするほどの早さでペロリと平らげたそうです。
更に谷崎は松子と出会ってから関西の女性のとりことなります。
「声の裏に必ず潤いがありつやがありあたたかみがある」。
「『女』として見る時は大阪の方が色気があり魅惑的である」と大絶賛。
こうした関西の土地柄や人情を肌で感じた事から谷崎の代表作とも言われる小説が生まれます。
昭和10年この町で谷崎と松子の新婚生活が始まりました。
新居では松子と前の夫の間に生まれた娘そして松子の妹2人も一緒でした。
両親が亡くなり姉を頼って谷崎家にやって来たのです。
今年もお花見楽しみやね。
きれいやろうなあ。
あっそろそろ着物も用意せな。
うん。
姉妹にせがまれ谷崎は一家全員で京都・平安神宮へ毎年花見に出かけました。
当時谷崎が自分で撮影した写真です。
見事な桜に歓声を上げる姉妹とそれをカメラ越しに温かく見守る谷崎。
松子たち姉妹との日常は谷崎が今まで味わった事のない華やかなものでした。
ところが…次第に食料は配給となり生活必需品を手に入れる事も難しくなっていきました。
街を覆う「ぜいたくは敵だ!」のスローガン。
かつて妻や義理の妹たちと行った…みるみる失われていくかつてのきらびやかな暮らし。
谷崎は危機感を抱きます。
(谷崎)このままでは松子たちとの大切な思い出まで消えうせてしまう。
そうだあの華やかな日々を小説に書こう。
谷崎は執筆を始めました。
作品のタイトルは…手のひらに受けるとすぐ解けてしまう細かい雪の事です。
愛する松子とその姉妹たちとの日々を美しくもはかない細雪に重ねていたのかもしれません。
文芸雑誌で谷崎こん身の作「細雪」の連載が始まりました。
「こいさん頼むわ」。
物語は生き生きとした関西弁から始まります。
花見や蛍狩りなど風情豊かな伝統行事をちりばめながら物語は進んでいくはずでした。
ところが第2回が発表されると…「贅沢な暮らしを取り上げた小説は時局にふさわしくない」と見なされたのです。
しかし谷崎は「細雪」執筆を諦めませんでした。
ひそかに書き進め一区切りつくと自費で印刷。
親しい知人に配ります。
しかし…。
実はうちに刑事が来はったんです。
え?刑事が来たのか?
(松子)黙って原稿を刷った事が分かってしもうて…。
えっ…。
「今度やったらただではおかん」言うて…。
そうか…。
それでも谷崎は筆を止めませんでした。
もはや世に出すすべのない「細雪」を自宅でひたすら推こうし書き続けます。
あなた!あなた!はよう防空壕へ!行きましょ。
なっ?警報が出ても谷崎はぎりぎりまで机から離れようとはしませんでした。
「細雪」の原稿をしっかり胸に抱えいつも家族の一番最後に防空壕に入ったといいます。
今年4月に公開された資料からは当時の谷崎の強い決意をうかがう事ができます。
「細雪」のストーリーを練るためにアイデアを書き留めた創作メモ。
もともと…この大事なメモの予備を谷崎は戦禍を避けて友人に預けていました。
なんとしてもこの作品を完成させる。
谷崎は必死の思いで「細雪」の原稿を書き進めました。
(玉音放送)昭和20年8月15日…その3年後小説「細雪」はついに完成します。
執筆に6年を費やした大作でした。
日本で戦前・戦中・戦後と書き継がれたこれほどの長編小説は他にはないと言われています。
三女の雪子は良縁に恵まれない独り身の女性です。
そんな妹になんとか結婚してもらおうと世話を焼くのが次女の幸子。
モデルは谷崎の妻・松子です。
実際の谷崎家と同じように小説中の姉妹も京都で花見を楽しみます。
過去の谷崎作品と違って「細雪」には刺激的な描写も官能的な場面もありません。
しかしそこには日々の暮らしの中で揺れ動く女性の心の内がこれまでのどの作品よりもこまやかに映し出されていました。
日本の女性のたおやかな強さ古き日本の美をうたう「細雪」は高い評価を受けます。
どのような逆境に見舞われようと自分が書きたいものだけを書く。
谷崎のかたくななまでの生き方が日本文学に輝く金字塔を打ち立てたのです。
今宵の「歴史秘話ヒストリア」最後は谷崎の創作への意欲は晩年になっても衰える事がなかった。
そんなお話でお別れです。
昭和31年70歳を越えた谷崎は新しい小説を発表します。
タイトルは…熟年夫婦の性の営みについて記した日記という形をとっています。
それまで誰もほとんど触れてこなかった「老人の性」がテーマでした。
「ワイセツか文学か」。
タブーに挑んだこの小説は社会で大きな議論を呼びます。
しかし谷崎は生きているかぎりついてまわる「性」の問題に取り組み小説に書く事を決してやめませんでした。
谷崎が変わらなかったものがもう一つ。
それは女性への関心。
昭和40年7月30日。
谷崎は病に倒れ79年の生涯を終えました。
死の間際でも何度も床から起きペンを握ろうとしていたといいます。
書斎に残された原稿用紙には次の小説の構想が走り書きされていました。
それは…誰であっても愛欲性に翻弄される。
谷崎は最後まで人間のありのままの姿をあぶり出そうとしていました。
自分の世界を原稿用紙に刻み続けた小説家谷崎潤一郎。
彼の小説は人生の不可思議人が生きる愚かしさや美しさを今もみずみずしく語りかけています。
2015/12/02(水) 16:05〜16:50
NHK総合1・神戸
歴史秘話ヒストリア「あなたはボクの女神様!〜文豪・谷崎潤一郎と女たち〜」[解][字][再]

官能の世界を描いた小説家・谷崎潤一郎。スキャンダラスで型破りな恋愛体験を元に数々の作品を生み出した。理想の女性を追い求めた文豪の恋物語と名作誕生の秘話を伝える。

詳細情報
番組内容
今年没後50年を迎えた小説家・谷崎潤一郎。大正から昭和にかけて活躍した、日本を代表する作家の一人だ。そんな文豪が描き続けたのは「官能の世界」。その私生活もまた、小説以上のスキャンダルに満ちていた。義理の妹や豪商の人妻との禁断の恋。そうした自分自身の破天荒な恋愛体験から、谷崎は数々の名作を生み出していく。近年存在が明らかとなった手紙などの貴重な資料を元に、女性の美に魅せられた文豪の素顔に迫る。
出演者
【出演】相島一之,壇蜜,【キャスター】渡邊あゆみ

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

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日本語
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