そして、その「怒り」が「怒る」という行為につながることもまた、よくあることではないでしょうか。
ただ、ここでひとつ思い返して欲しいのです。怒るという行為によって、得をすることが本当にあるのかどうか。私は、怒るという行為には損しか伴わないと思うのです。
もちろん、人生がすべて損得勘定で動くものではないということは重々承知していますが。なるべく損は避けて通るに越したことはないでしょう。
ここで一つ例を挙げてみることにします。
待ち合わせの相手が大幅に遅刻をしてきたとしましょう。さらに遅れるという連絡もなかったということにしましょう。
あなたは怒るでしょうか。怒るのも無理のないことだと思います。
「おい、遅いんじゃないのか」「遅れるなら連絡くらいよこせよ」
こういった言葉が思わず口をついたとします。その後の展開はどうなるのでしょうか。
待ち合わせをしていたくらいですから、これから数時間はともに過ごすものとします。
すると、怒られた相手はその間中、申し訳無さやいたたまれなさを抱えながらあなたと接することになるでしょう。
そしてあなたも、苛立ちや居心地の悪さを感じながらその日の予定を消化することになると思います。
せっかくの楽しい休日も、怒ったことによって気分のいいものではなくなってしまうのです。これを私は損だと思うのです。
もちろん、直接の原因は無断で遅刻をした相手にあるのですが、あなたがその後の予定を楽しみたいのなら怒るべきではありません。
遅刻をするというのは、信用を失う最も簡単な方法のひとつです。
わざわざ怒らなくても、相手は遅刻をしたことであなたからの信用を失うという代償を払っているのです。
その場ではさっと水に流して、家に帰ってから今後の付き合い方を考える方があなたにとっては得となることでしょう。
この例でも損や得という言葉を多く用いている通り、私は何をされてもニコニコと笑って許すのがよいと述べているのではありません。
あくまでも自分の利益を考えて行動することで、結果的に怒るという選択肢が消えるというのが私の考え方です。
それは世間では偽善と呼ばれるものなのかもしれませんが、結果的に誰も得をしない状況を作るよりはよいと思うのです。
赦してやったという優越感に浸っていい気分になればよいと、そう思うのです。