杉山匡史
2015年12月1日11時57分
11月30日に亡くなった水木しげるさんの献花台と記帳台が1日朝、出身地の鳥取県境港市にある水木しげる記念館前に設けられた。地元商店主らが白菊を手向け、手を合わせた後、観光客らが続々と訪れた。
水木さんの死去を知って訪れるファンの気持ちにこたえようと、記念館を運営する市と水木プロダクションが30日夜に協議し、設置を決めた。四十九日が明ける来年1月中旬まで設けられる予定。
献花台には水木さんがほほえむ写真と「ゲゲゲの鬼太郎」の鬼太郎のぬいぐるみが並べられた。記念館の職員約20人はこの日から喪章を着けた。
記念館周辺には鬼太郎らの妖怪ブロンズ像や商店が並ぶ水木しげるロードがある。花を手向けた「水木しげるロード振興会」の権田淳一会長(62)は「長い間、境港市のため私たち地元のために尽くして下さった。感謝の気持ちを込め、安らかに眠っていただきたく献花しました」と静かに語った。(杉山匡史)
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妻の布枝さんら家族のコメントが1日、水木プロダクションの公式サイト「げげげ通信」に公表された。全文は以下の通り。
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水木しげるの家族から皆様へ
「お父ちゃんが亡くなる」
信じられないことでした。
「100歳まではいくようだネ、いや120歳かな」と水木はいつも話していました。
これからも淡々と歳(とし)を重ねていつの間にか100歳を迎える、今後もずっと同じような日々が続いていく、と思っていました。
昨年暮れに心筋梗塞(こうそく)で倒れ2カ月入院して、今年2月には車いすでの退院でした。
すっかり体力が落ちたのですが、その後持ち前の強さを発揮して少しずつ歩けるようになりました。
家から会社までの1キロの道のりを歩けるまでに回復。食欲も戻って「何かうまいものはないの?」が口癖でした。
「最期は神様が決めることに従ったらええ」と言っていた水木。
苦しまず自然に最期を迎えられたことは良かったと思います。
家族に囲まれて穏やかに逝きました。
自宅で転倒したことがきっかけになったのはとても残念でしたがこれも神様が決めたことだったのかも知れません。
家族を一番大切に思ってくれたお父ちゃん。これからもきっと見守っていてくれると思います。
今は、亡き戦友との再会を喜んでいるかもしれないですね。
最後になりましたが、ファンの皆様、関係者の皆様、長い間、水木を応援していただきまして、ありがとうございました。