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【社会】

水木しげるさん死去 戦争 鎮魂ゲゲゲの伝言

昨年5月、「水木しげる漫画大全集」を持つ水木しげるさん=東京都調布市で

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 「ゲゲゲの鬼太郎」「悪魔くん」などで親しまれた漫画家の水木(みずき)しげる(本名武良茂(むらしげる))さんが三十日、九十三歳で死去した。妖怪とともに描いたのは戦争体験をもとにした戦記物。出征した激戦地ラバウル(現パプアニューギニア)で飢えに苦しみ爆撃で左腕を失った。親交が厚かった評論家で日本マンガ学会前会長の呉智英(くれともふさ)さんは戦後七十年に世を去った大漫画家をしのんだ。 

 私は学生だった一九七〇年代、資料整理や原作スタッフとして水木プロに出入りしていた。そのころの水木さんは、連載を何本も抱えていたので、こうした制作助手が必要だった。

 会ってすぐに、私はざっくばらんで明るい水木さんに魅了されてしまった。作家の京極夏彦さんや荒俣宏さんなどほかにもそういう人はいて、自分たちで「水木信者」とか「水木ウイルス感染者」とか呼んでいるのだが、水木さんにはその人柄にほれ込ませてしまう魅力があった。

 初めて会ったその日に、自分が描いた漫画を部屋の奥から持ってきて「あげます」とプレゼントしてくれたり、マネジャーが出前の丼飯を取ってくれて、それを食べ終わった私たちに、「ヨーグルトです」と瓶を持ってきてくれたり。普通、「大先生」がそんなことをしてくれることはなくて、ざっくばらんだし、話は面白いし、その性格に周りにいた人はみんな引きつけられてしまっていた。

 水木さんには、司令部のメンツのため玉砕を命じられる兵士の悲劇が胸を打つ「総員玉砕せよ!」などの戦記漫画があるが、そこに描かれていることの九割以上は、自ら見聞きした体験や戦後に出た戦記本などをもとに描いた本当のこと。

 自らの口からも、食事のときなどにふっと、応召された太平洋戦争の体験談がよく出てきた。最下層の一兵卒として送られた南太平洋・ラバウルで、補給が途絶えて自給自足の生活が大変だったこと、食えるものは何でも食ったこと…。川があれば魚を捕ったし、蛇やトカゲ、魚、カタツムリなどをとって「火であぶって食べた」「それでもおなかがすいてひもじかった」「水もやすやすと飲めなかった」などと話していた。

 戦火の中で失った左腕は現地で応急手当てのような処置しかしなかったため、日本へ帰ってきてからも手術し直したそうだ。マラリアにもかかったため、のちのちまで保健所から連絡が来ていたことなども、何かの折にふっと話していた。

 戦場で弾が当たる者と当たらない者を分けるのは、一瞬の何か。作品にも描いているが、そうした人知を超えた運命が生死を分けるということについてもよく語っていた。そうした「人知を超えた力」の体感は、後に妖怪を描くことにもつながっただろう。「昨今、勇壮に戦争を語る者がいるが、戦争なんてそんな簡単なものじゃない」「戦争しろとはいえない」とも、よく言っていた。

 この春に一度体調を崩されたと聞き心配していたのだが、とうとう不帰の客となられた。偉大な方だった。 (談)

     ◇

 水木プロダクションは三十日、水木さんの死因を訂正し、多臓器不全と発表した。死亡日時は三十日午前七時十八分で、葬儀は近親者で行い、後日、お別れの会を開く。喪主は妻の武良布枝(むらぬのえ)さん。

 

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