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いまは「産業革命」の真っ只中! それに気づかない限り日本企業は負け続ける!

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いまは「産業革命」の真っ只中! それに気づかない限り日本企業は負け続ける!

ノウリス代表の佐伯です。
日頃から社内で話している内容をまとめる必要ができたので、ブログ記事に書き起こしました。

目次

「あさが来た」に見る、時流を見る視野の重要性

いま、私が毎朝楽しみにしているのが、朝ドラ「あさが来た」です。

このドラマは、江戸後期、幕末から明治にかけて活躍した実在の女性実業家、広岡浅子さんをモデルにしたドラマです。朝ドラとしては初めての時代劇ということでも話題となりました。

ストーリー、役者さんの演技、時代考証、どれもクオリティが高くて本当に面白いのですが、1人の新米経営者としては、なかなか気楽には見ていられない部分もあります。

というのも、ドラマの中では3つの両替商(現在の銀行)が、幕末から明治にかけての激動の時代にどのような選択をしたのか、その顛末が対比されて描かれているからです。

主人公の実家である今井屋(モデルは三井家。後の三井銀行、三越呉服店)は、誰よりも早く時代の流れを察知して、明治新政府と結びつき、信頼を得て、ますます発展していきます。

主人公の嫁ぎ先である加野屋(モデルは加島屋。後の大同生命、尼崎紡績、加島銀行)は、時代の変化に翻弄されてピンチの陥りながらも、なんとか新しい時代に適応できるよう努力を続けていきます。

主人公の姉が嫁いだ、山王寺屋(モデルは天王寺屋)は、「淀川の水が無くなっても、山王寺屋の金銀はなくならない」と豪語していましたが、江戸幕府が倒れたことによって経営が悪化し、旧来の因習から脱却できないまま没落し、潰れてしまいます。

今井屋加野屋は発展したが、山王寺屋は潰れてしまった。この差を生み出したのは、経営者が「これから新しい時代になる」という認識を持っていたかどうかという一点でした。

大きな変化を見定めるための広い視野

幕末から明治維新、そして産業革命は、およそ50年の年月をかけた大変革の時代でした。

後世の私たちが歴史として見れば激しい変化ですが、当時の平均寿命がおよそ45歳程度だったというので、50年といえば人の一生分の時間です。その只中で暮らした人たちにとっては、終わりの見えない、ひたすら変わり続けた時代だったのでしょう。

このような、数十年かけて起こる大きな変化の流れの中にいて、時流を見定めるためには、広い視野が必要です。狭い視野しか持たなければ、目前の波に翻弄されるばかりで、流れを掴むことができません。そして、山王寺屋一家のように、時代の波に乗りきれなかった者は、波に飲み込まれることになります。

「あさが来た」で描かれる幕末・明治の人たちを、他人事のようにはまったく思えないんです。常に登場人物たちと自分を比べ、考えてしまいます。

なぜなら、私たちが生きているこの現代も、過去の産業革命と比べても遜色のない、大きな変革の時代だからです。

20年前から始まった「インターネット」による大変革の時代

現在、ドイツが進めているプロジェクト Industry4.0 (第4次産業革命) によると、過去の産業革命は次のように説明されています。

第1次産業革命は「蒸気機関による機械化」
第2次産業革命は「電力による大量生産」
第3次産業革命は「コンピューターによる自動化」

そして現在、新たな大変革をもたらした要因は、間違いなく「インターネット」です。

今から20年前、1995年のWindows95登場によってPCとインターネットが爆発的に普及を始め、10年後の2005年にはインターネットの人口普及率が70%を超えました。

インターネットは情報の革命

インターネットは「情報」の技術です。

インターネットは「情報」と「人」の関係に革命を起こしました。

この20年で、インターネットはあらゆる「答え」が詰まった巨大なデータベースへと成長し、誰でも気軽にアクセスできるようになりました。

その結果、今では「調べれば分かる」という環境が当たり前になりました。難解な数学も、宇宙の神秘も、ゲームの攻略法も、ケーキの作り方も、たいていの「答え」はインターネットの中にあるので、「答え」は、考えて導き出すものから、探して見つけるものになりました。

インターネットのおかげで、私たちはとても賢くなりました。自分の知能や記憶を使わなくても、様々な問題を解決できるようになりました。日常から失敗することが減り、生活は効率的になりました。その結果、試行錯誤や努力の必要性は激減しました。

しかし、つい20年前まで、人にとって「分からないこと」があることは当たり前だったのです。

情報とは貴重なものだったし、個人が入手できる情報は限られていました。経験は個人の中に蓄積され、その多くが共有されることはありませんでした。何をするにも、試行錯誤と努力が必要で、失敗がつきものでした。

じわじわと20年かけて、インターネットの利便性は当たり前になりましたが、これほど気軽に、誰もが「答え」を得られるという状態は、人類の歴史の中で見ると、あきらかに異常な事態です。

インターネットが生んだ「平等」と「正義」

インターネットは、「人」と「人」の関係にも変化を与えました。

インターネットは、すべての人々に対して平等に「情報を発信する手段」を与えました。その結果、それまで孤立していた個人の「意見」や「思い」が、多くの他人と繋がることができるようになったのです。

インターネットが普及するまで、情報は、ごく一部の人や企業、マスメディアなどによって発信されるもので、大多数の一般人は、発信された情報を受け取ることしかできませんでした。

また、社会的な強者ほど自由に発言や意思表示ができ、社会的弱者が意見を発信するのは難しいことでした。

しかし、インターネットの持つ匿名性は、社会的地位に左右されず、自由に発言できる環境を生み出しました。「自分だけではない」「同じ考えの人がいる」という事実は、孤立していた個人の意思に自信を与え、同様に、自分の発言も他人の意思決定に影響を与えられることを知りました。

「正義」の強要と「炎上」

この20年の間に、インターネットへの情報発信はどんどんと手軽になっていきました。そして、手軽になればなるほど、人々は簡単に連鎖するようになっていきました。

小さな声が多数集まると、だんだん大きな影響力を持つようになり、やがて、多くの一般人が構成する「巨大な意思」は、社会に対して大きな支配力を持つようになってきました。

その結果、「正義」や「常識」の強要が起こり始めました。

大多数の人々が「こうあるべき」と思うカタチであることが強く求められ、それに反するものは糾弾の対象となり「炎上」するようになりました。

社会の主導権が、一部の社会的強者から、大多数の一般人へと移り、これまで、社会のピラミッド構造のトップにいた企業や人であっても、一般人の描く「正義」や「常識」に逆らうことはできなくなりました。

成功よりも、平等が尊ばれるようになり、ブラック企業、異物混入、バイトテロなど、以前は見過ごされていたような「正義に反するもの」が許されない、厳格な世の中になりました。

変化の波は終わらず、まだまだ変わり続ける

あらためてこの20年を振り返ると、インターネットの影響によって社会は大きく変化してきました。この時代は、後世になれば「革命」と呼ばれるほどの、人類の歴史の中でも特別な変革の時代になるのだと思います。

20年前の私は、インターネットが秘める可能性こそ強烈に感じてはいましたが、インターネットが普及することによって、社会が現在のような形に変化するとは想像もできませんでした。

では、これから先の世界は、どのように変化していくのでしょうか?

私は、20年後の世界について自信を持って予言することはできませんが、一つだけ断言できることがあります。

それは、インターネットによる大変革の波は収まらず、世界は「まだまだ変わり続ける」ということです。

インターネットが秘める可能性は、まだまだ尽きることはありません。

いろいろな制約によって実現化できていない、新しい可能性の「芽」や「種」は、まだまだ無数に存在していて、いま現在も、新しい変化は起こり続けています。

「スマホ」が変えた人とインターネットの関係

スマートフォンの登場は、ただガラケーと世代交代しただけでなく、人とインターネットの関係を大きく進化させました。

スマホが登場するまで、インターネット端末の主役は「パソコン」でした。

スマホの登場以前より、国内ではネット接続機能を持ったガラケーが普及していましたが、ガラケーの主機能は、あくまで「電話」でした。処理能力や画面サイズ、通信速度など、インターネット端末として満足できる能力はなく、ネット端末の主役はパソコンのままでした。

この時代、人がインターネットを利用するためには、まずパソコンが必要で、人はパソコンが使える場所へ移動し、パソコンを起動する必要がありました。人にとって、インターネットの利用は、パソコンを使って行う作業の1つだったのです。

ところが、スマホの登場によって、インターネットは急激に身近な存在となりました。

インターネットは「作業」から「生活」へ

スマホは「電話」というよりも、小型の「インターネット端末」でした。

インターネットを楽しむのに充分なスペックを持っていて、場合によってはパソコンより快適だったし、スマホはずっとポケットの中に入っていて、レストランでも、電車でも、トイレでも、寝室でも、いつでもどこでもインターネットを利用できるようになりました。

ここ数年で、インターネット端末の主役が、パソコンからスマホへと変わり、人にとってのインターネットは、パソコンを使った「作業」から、ずっと身近にある「生活」の一部になりました。

人は、いつでもどこでもインターネットを利用できることが日常となり、1日の生活の中で、インターネット利用が占める割合は、どんどん大きくなっています。
【参考】10代のメディア接触時間、スマホがテレビを上回る  2014年06月17日

「ウェアラブルデバイス」にるインターネットの身体化

スマートフォンの登場によって、人は常にインターネットに繋がり続けるようになりましたが、この現象は、Apple Watchなどの身に着ける端末、ウェアラブルデバイスの登場によって、さらに明確になってきています。

私はApple Watchを使っていますが、実は、Apple Watchを身につけることによって、特に何かが便利になったり、生活が激変したということはありません。

知らない人に説明すると、よく驚かれるのですが、Apple Watchなどの時計型デバイスは、単独でのインターネット通信機能を持っていないため、近くにスマホがないと、ほとんど何もできないのです。単なるスマホの拡張ディスプレイのようなものです。

つまり、Apple Watchを着けている以上、手元には必ずiPhoneがあるわけです。それなら、何か作業するときに、わざわざWatchの小さな画面を操作しなくても、ポケットからiPhoneを取り出して操作した方が断然早くて便利なわけです。

しかし、特に役に立たないApple Watchですが、1つだけ、これを着けて生活することで大きく変わった点があります。

それは「自分がインターネットに繋がり続けている」という感覚を強く感じるようになったことです。

情報を「確認する」から「感じる」へ

もともと、スマホはポケットの中にいる時も、ずっとインターネットに繋がり続けて、LINEやFacebookなどの様々なインターネット上の変化を受信しています。通常、それらの情報を確認するためは、自分の意思で、自分の好きなタイミングで、スマホを手に取って画面を見る必要があります。

つまり、そこには必ず「情報を確認しよう」という人の意思と行動がありました。

しかし、Apple Watchは、インターネット上の変化を受信すると、すぐに手首への振動で知らせて、人体の中で最も目にしやすい手首という位置で情報を表示してくれます。

つまり、スマホを取り出す動作も、「情報を確認しよう」という人の意思すら必要なくなり、インターネット上の変化は「確認する」ものから、「感じる」ものになってきたのです。

これは、「自分の身体がインターネットに接続されている」ような気分です。

インターネットの「身体化」

さらに、私は通勤時の電車で音楽を聞くために、Blue Toothイヤホンを使っているのですが、このイヤホンにタッチすることで、電話に出たり、音楽の再生・停止などの簡単な操作をすることができます。

このイヤホンやApple Watchを使っていると、インターネットを利用するために「スマホをポケットから取り出す」という動作が無くなって、手首や耳をタッチして操作が完結できるようになってきたため、自分の身体がインターネット端末になってしまったかのような感覚になることがあります。

このような「インターネットの身体化」は、今後、Google Glassのようなメガネ型デバイスが登場すれば、ますます進んでいくでしょう。

今の時点で、「情報を確認しよう」という意思や、「スマホをポケットから取り出す」という動作が必要なくなってしまいましたが、メガネ型デバイスが登場すれば、いよいよ、視覚に直接、情報が届けられるようになります。

スマホの登場によって、インターネットは「生活の一部」となりましたが、攻殻機動隊やマトリックスのような、インターネットが「身体の一部」になる世界はすぐそこまで来ているように感じます。

「IoT」がもたらすであろうインターネットの透明化

最近、IoT(Internet of Things: モノのインターネット)関連の製品開発が活発になってきています。

私自身も、つい最近まで、とある有名国内メーカーのIoT製品のためのアプリ開発に携わっていました。

実際に開発に参加してみた感触では、IoT製品、つまりインターネット接続機能を持った家電、家具、雑貨、建造物などが普及していく土台はすでに整っているように思います。

個人的な願望としては、外出時に庫内の写真が見られる冷蔵庫があれば、ウチの奥さんは喜ぶでしょうし、室内の映像が見られるカメラ機能の付いたLED電球があれば、娘や猫の様子が見れるので、私も大喜びです。

しかし、きっと、IoTがもたらす最大の変化は、そんな上っ面のものではないのだと思います。

インターネットの「透明化」

いまや、コンピューターは「気配り」や「親切」を体得しはじめています。

SiriやGoogle Nowなどのバーチャルアシスタントは、人の要求をかなり正確に理解できるようになってきていますし、時にはジョークも使います。Facebookを使っていると、こちらが入力していない情報まで予測・入力してくれるので驚くことがあります。

近頃は、ディープラーニングを中心とした人工知能開発や、ビッグデータの活用が流行ってきています。これからますます、コンピューターが人の心情を理解して、人が命令しなくとも、要求を満たしてくれるように進化していくのでしょう。

そうなると、IoT技術によってインターネットに繋がった身の回りのモノ、人が生活する空間そのものが自ら考えて、人に最適な生活を与えてくれるようになるでしょう。そして、人が「インターネットを利用している」と意識することすらなくなった、インターネットが「透明化」した世界がやってくるのだろうと考えています。

インターネットは、人が「使うもの」から、スマホやウェアラブルデバイスの登場により、「生活の一部」「身体の一部」となりました。

次は、IoT技術と人工知能の発展によって、インターネットは人を取り囲む「世界の一部」へと融け込んでいくのではないでしょうか。

「ハード」から「ソフト」へという波に乗りそこねた日本企業

この大変革の時代の中で、日本企業は苦戦しています。

例えば、パソコン事業。日本メーカーは、ことごとく大敗しました。日本メーカーの大半がパソコン事業から撤退し、数少ない生き残りも青息吐息です。

そして、まったく同じ失敗を、スマホ事業でも繰り返しています。日本メーカーは次々とスマホ事業から撤退していき、生き残ったメーカーは、やっぱり青息吐息です。

一方で、この変化の時代の中で、圧倒的な勝率を誇っている企業がAppleです。

パソコンならiMacやMacbook、スマホならiPhone、タブレットではiPad、音楽プレーヤーではiPod、ウェアラブルデバイスではApple Watchと、各分野で抜群の競争力を持った製品を持ち、今やAppleは世界1位の時価総額を誇っています。

ちなみに、時価総額世界2位の企業はGoogleです。

日本のスマホメーカーはGoogle側の一兵卒

そういえば、よく、iOSとAndroidのシェアを比較して「世界的に見るとAndroidの方が優勢」なんて記事を見ると、日本メーカーにも良い風が吹いているような気になりますが、
このシェア争いは、あくまでAppleとGoogleの戦いなので勘違いしてはいけません。

優勢なのはGoogleであって日本メーカーではありませんし、Android端末が売れることで、主に恩恵を受けられるのはGoogleであって、日本メーカーではありません。日本メーカーはGoogle側の一兵卒に過ぎないのです。さらに、Android OSは無料なので、つねに海外製の安価な製品が投入され続けるため、日本メーカーはAndroid陣営の中でも、生き残りを賭けて厳しい戦いを続けなければいけません。

また、確かに端末の台数で比べるとAndroidが優勢ですが、利益で見ると、スマホ産業の利益の94%はAppleが独占しているのだそうです。
【参考】Apple is taking 94% of profits in the entire smartphone industry

日本企業最大の弱点「ソフトウェア」

さて、これらのAppleやGoogleといった時代の勝者と比べて、日本企業はなぜ、この時代の敗者となったのでしょうか?

明確な違いの1つに、「ハードウェア」「ソフトウェア」に対するスタンスがあります。

AppleやGoogleは、「ソフトウェア」を内製して、「ハードウェア」を外注しました。
かたや、日本の企業は、「ハードウェア」を内製して、「ソフトウェア」を外注しています。

この逆転現象は、スマホやパソコンに限った話ではなく、日本企業全体に言えることです。アメリカでは、IT技術者の7割が一般企業に所属していますが、日本では、一般企業に所属するIT技術者は3割しかいないそうです。日本の企業は、自社のハードウェアに搭載するためのソフトウェアを開発する能力を持っていないのです。

内製するということは、自社の中で試行錯誤を繰り返して、品質を改善し、経験や技術を蓄積していけるということですが、それに対して、外注するということは、他社の技術力に依存して、技術や経験は蓄積できず、自社の能力は成長しないということです。

つまり、「内製」と「外注」の選択は、企業として「重要視」するものと「軽視」するものを選択し、企業が成長する方向性を決めていることになります。

この、「ハードウェア重視・ソフトウェア軽視」という日本企業に根付いた文化こそが、この変革の中で敗北を続けている大きな要因となっています。

事実、Appleのスティーブ・ジョブズは「iPodもMacもソフトウェアだ」と言っていて、iPodが日本製品に勝利できたのは、日本企業にはそのソフトウェアが作れなかったからだと語っています。

以前にもお話しましたが、iPodが存在する理由は、ポータブルミュージックプレイヤーの市場を造って独占していた日本の企業が、ソフトウェアを作れなかったからです。iPodはただのソフトウェアですから。 それをつなげるコンピュータもMacもソフトウェアだし、クラウドストアもソフトです。MacもOS Xが美しい器に入ったものですし、iPhoneもそうなるはずです。Appleは自身をソフトウェア会社と思っています。

【参考】ジョブズ氏が語ったiPod誕生の理由「あの日本企業がソフトウェアを作れなかったから」

結局、「ソフトウェア」という苦手分野を苦手分野にしたまま、「ハードウェア」という得意分野でなんとか挽回しようと試みて、失敗し続けているのが日本企業連敗の実情であろうと思います。

さらに今後、3Dプリンター技術が日に日に発達してきており、複雑な機能も集積回路1つで実現できるようになってきていることを考えれば「ハードウェア」による勝負はますます厳しくなるのでしょう。

今の日本産業に、本当に必要なものは、ハードウェアの価値を最大化させることのできる、「最高のソフトウェア」を生み出す能力なのです。

「スペック」から「体験価値」へという波に乗りそこねた日本企業

日本の企業が、iPhoneやiPodのような魅力を持った製品を生み出せない、もう1つの要因が、「高性能・高機能なものを作れば売れる」という「ものづくり信仰」です。

しかし、高性能・高機能を追求する「スペック指向」では、現在の消費者のニーズを満たせなくなりました。

そもそも、消費者が製品に求めているものは「高性能」や「高機能」ではなく、製品を利用した結果に「満足」できることです。性能や機能は、そのために必要な1つの条件に過ぎません。

例えば、昔のパソコンは性能が低く、「遅い」「重い」という不満が大きかったため、よりハイスペックなパソコンを求める人は多くいましたが、パソコンの性能が上がり、安価なパソコンでも充分快適に使えるようになると、さらにハイスペックなパソコンを求める人はいなくなりました。

消費者が求めているものは「体験価値」

人は低レベルの欲求が満たされると、さらに高レベルの欲求を持つものです。

もう、性能や機能というレベルの価値では、消費者を満足させることはできなくなりました。現代の消費者を満足させるためには、「楽しさ」「使い心地」「分かりやすさ」「美しさ」といった、「体験価値」を総合的に演出する必要があります。

この「体験価値」を演出することに長けていたのが、Appleです。

例えば、iPhoneは他のスマホと比べると、相当に高いスペックを持っています。しかし、iPhoneの高スペックは、快適な操作性や、美しい画像処理など、高い体験価値を生みだすために必要なものであって、スペックを「売り」にするためのものではありません。

私は元々、日本メーカーのAndroidスマホを使っていましたが、初めてiPhoneを使った時は、その使い心地に感動しました。

ガラス製ディスプレイの指ざわりの滑らかさ、シンプルで直感的な操作感と安心感、表示の美しさなど、少々オーバースペックだと思っていた高性能は、利用者を満足させるために、すべてが精密に計算され、演出された結果なのだと感じることができました。

Androidスマホを使っている時は、どうしても「小型パソコン」を使っているような気分で不満を感じていたのですが、iPhoneに乗り換えて、初めて「スマホ」という新しいデバイスを使っていると感じられるようになりました。

「体験価値」の重要性を理解していたのはAppleだけではありません。GoogleやMicrosoftなど、時代の勝者となった先進企業はみな、高い体験価値を生み出すための研鑽を重ね、ガイドラインを整備していました。

「体験価値」を生み出せない日本企業

一方で、日本の企業は「機能」を生み出すことは得意でも、「体験価値」を生み出すことは下手くそでした。なぜなら、素晴らしい体験価値を生み出すためには、ソフトウェアの力が不可欠だからです。

スマホ市場では、AppleとGoogleがしのぎを削り、新しい「体験価値」を生み出し続けている頃、日本製スマホといえば、「電池長持ち」「防水」「軽量」「ワンセグ」と、相変わらずハードウェア寄りの「性能」「機能」で勝負を挑んでいました。

実は、私が今のノウリスという会社を立ち上げたキッカケも、こういった日本企業の性質を目にしたことです。

それは、2013年の末頃、TVで流れていた新しいウォークマンのCM。

キャッチコピーは、

「ハンパな音じゃ感じない」
「オンガクには、オンガクの音」

つまりは「スマホのようなマルチデバイスで音楽を聴くのをやめて、音質の良い専用デバイスで音楽を聴きましょう」と言いたいのでしょう。

私は、このCMを初めて見た時に涙が出ました。

「日本の企業は、ここまで時代が見えていないのか」と、心底情けなくなりました。私はカセットテープの時代からSONY製品のファンでしたが、これではAppleやGoogleに敵うわけがないと、絶望的な気分になりました。

だいたい、カセットテープのウォークマンが世界を席巻できたのは「音楽を持ち歩く」という新しい「体験価値」を提供できたからでしょう。

それが、今ではスマホ1台があれば何でもできて、音楽プレイヤーもカメラも地図も持ち歩く必要がなくなった現在になって、さらにAppleやGoogleが世界をみるみる進化させている中で、日本を代表する企業は「新しい体験や利便性より、少々不便でも音質の良いデバイスを選ぼう!」と言っていたのです。

ちなみに今年の3月、本気なのか笑いを取りに行ったのか分かりませんが、SONYは音質の上がる高級SDカードというものを発売しました。
【参考】ソニー、“音の良い”microSDカードを発売 - ウォークマンなどハイレゾDAP向け

ともかく、私はこのCMを見たことがキッカケで、「誰かが何とかしなければ」という危機感を強烈に感じ、このノウリスという会社を立ち上げたのでした。

山王寺屋になるか?加野屋になるか?今井屋になるか?

未来のことを予測するのは難しいことですが、1つだけ確実なことは「時代は決して戻らない」ということです。

インターネットはなくならないし、人がインターネットから情報を得ることもなくなりません。人の意思がインターネットを通じて連鎖することもなくならないし、人がインターネットを使う時間は増える一方です。

メディアが情報を統制できる時代には戻らないし、性能や機能だけで製品を選んでもらえる時代は戻ってきません。

ラピュタが人類の夢だから滅びないのと同じで、人が一度手に入れたインターネットを手放すことはありません。

「そのうち元に戻るだろう」という考え方では、ドラマの中の山王寺屋と同じく、変化の波に飲まれてしまうだけです。

加野屋のように変化の波を乗り切るためには、今井屋のように大変革の中で成功を収めるためには、大きな変化の流れを読む、広い視野を持つ必要があります。

時代は進む一方なのですから、私たちは変化を受け入れて、乗り越えていくという覚悟を決めなければいけないのです。

─ おわり ─

以下余談

視野を広げるために、イケてるフォロー対象を見つけよう

時流を読む広い視野を持つためには、広い視野を持っていそうな他の誰を追っかけておくのが、一番てっとり早い方法だと思います。

ありがたいことに、今では多くの知識人がTwitterやブログで、惜しげもなく知識や考えを発信してくれていますので、イケてるなーと思える人を見つけたら、その人が日頃から何を想い、どんな話題に反応しているのか、その発言を追いかけているだけも、自分では見えなかったような時代の流れや波を知ることができます。

いまの時代、良いフォロー対象を見つけるということは、大海原を航海するための羅針盤や地図を手に入れるようなもんです。

おすすめフォロー対象

そこで、私がオススメするフォロー対象を紹介しておきます。ちなみに、まったくお知り合いではないです。

私の勝手な印象で恐縮ですが、ここでオススメするお二人には、共通点があると思っています。

時代の最先端の、さらにその先を常に予測しようとしていることや、新たな変化を生み出しそうな情報を見逃さないアンテナの高さはもちろんなんですが、私が、この時代にとても重要で貴重だと思う特別な能力が、「ネット内での影響力」「炎上しないスキル」です。

堀江貴文さん @takapon_jp
言わずと知れたホリエモン。人によって好き嫌いが大きく別れる方だけど、鋭い話題の斬り方とか、容赦のない発言は、見ようによっては、色んな分野に対してアイデアやアドバイスを発信してくれている方でもある。

Twitterのフォロワー数が142万人以上と凄い数なんですけど、この方の場合、ファンの数が多いというよりは、その発言が注目されている証拠だと思うんですよ。だからこそ、何か言うたびにYahooニュースのトップに出てきたりする。

で、話題の斬り方が鋭くて、発言も容赦ないわりに、ホリエモン氏にはなぜか炎上するイメージがありません。まぁ、日本中のニュースを独り占めして大炎上してきた方ですから、今さらTwitterやブログ程度ではボヤ騒ぎにすら値しないのかもしれませんが。

ただ、やっぱり、この方の発言は、ネット内で反感を買うことよりも、好意的に受け止められていることの方が多いように思います。話に説得力があることは重要なんでしょうけれど、それ以上に、大多数の人がぼんやりと思っている想いや不満を、上手に代弁してくれているからなのかな、とも思います。

深津貴之さん @fladdict
深津さんは「UX」という分野での有名人です。UX(User Experience:ユーザー体験)というのは、前述した製品やサービスの「体験価値」を設計しようという分野で、弊社の主業務でもあります。

深津さんのTwitterは、一部では「fladdict砲」なんて呼ばれていて、この方が新サービスについて発言すると、アクセスが殺到しすぎて、そのサービスが落ちてしまうことがあるぐらい、1つのつぶやきに影響力があります。

そして、深津さんは、先日のオリンピックロゴ事件の際、この記事を書いて話題になった方でもあります。
【参考】よくわかる、なぜ「五輪とリエージュのロゴは似てない」と考えるデザイナーが多いのか?

当時、デザイン関係者が佐野デザインを擁護しようものなら、もれなく大炎上する、という流れが出来上がっていた真っ只中で、上の記事を書かれて、やっぱりネット上の反応は荒れに荒れたのですが、深津さんは大量のコメントに1つずつ対応していって、結局、炎上という感じにはならず乗り切ってしまいました。

インターネットを乗りこなす能力

個人の、たった1つの発言が、ネットの中を伝播して大きな波になる。

しっかりと自分の意見を発言しながらも、炎上させない。

これは、インターネットの特性と、インターネットで繋がった人たちの特性、両方をよく知っていなければできない芸当だと思います。このスキルこそ、現代のインターネット社会の中で、最も重要なスキルではないでしょうか。

おすすめ書籍

また、インターネット時代について視野を広げるという意味では、「融けるデザイン」という書籍も強くオススメします。

この本、弊社では学習必須図書に指定しています。

私たちが、どのような時代に生きていて、これからどのような製品が求められていくのか、ハードウェア、ソフトウェア、インターネット、体験価値、これらをどのように捉えていくべきなのか、とても分かりやすく明快に示してくれていて、デザインやUXに関わりのない人にも一度は読んで欲しい一冊です。

未だに、iPhoneとAndroidスマホを、単純なスペックでしか比較できていない人には、なおオススメです。

「あさが来た」に感じたテレビの底力

最初に、「あさが来た」について、経営者としては気楽には見ていられない、と書きましたが、個人としては純粋に楽しんでいます。視聴率も好調なんだそうで、いちファンとして嬉しい限りです。

特に今井のお父さんが大好きです。

実は、ドラマの放送が始まるちょっと前に「あさが来た」の撮影スタッフさん達のBBQ大会に参加させてもらったことがありまして。

そこで驚いたのは、スタッフさんの数と、人種のカオス具合でした。

若いイケイケのお姉さんから、大工の棟梁みたいなシブい年配の人まで。ADさん、大道具さん、小道具さん、ヘアメイクさん、床山さん、衣装さんなどなど、色んな種類の人が数十人。

たった1つのコンテンツを、これほど多くのクリエイターや職人たちが集まって作っているのかと、圧倒されてしまいました。また、その場の雰囲気がとても良くて、それを見ているだけで「いい現場なんだろうなぁ」と想像できて、羨ましくもなりました。

そんな想い入れがあったもので、今回初めて朝ドラというものを見始めたのですが、今では「やっぱりテレビって面白いんだなぁ」と思っています。

テレビとネットが融合するのはいつ頃?

テレビ番組を作っている人たちを見て痛感したことが、人種の多様さが、生み出せるコンテンツの幅を決めるのだなということです。

私はIT系のクリエイターやエンジニアとはたくさん仕事をしてきましたが、テレビ制作の人たちと比べると、まだまだ幅が足りないのかなと感じます。

それは、コンテンツを生み出すために育てられた土壌の差、重ねてきた歴史の差でもあるのかもしれません。

昔、ホリエモンや楽天の三木谷さんが、立て続けにテレビ局を買収しようとして騒ぎになった時期がありました。

当時、このお二人はすっかり、テレビに対する「敵対者」として扱われていましたが、私には、新興メディアであるインターネットを代表した二人が、メディアの王様であるテレビに対して大きな憧れがあったからこそ、それを超えてやりたいと挑戦しているように見えていました。

もしもあの時、どちらかが成功していて、テレビのコンテンツ制作力がインターネットと融合していれば、どんなコンテンツが生まれていたのでしょうね。ちょっと見てみたかった気もします。

日本のソフトウェア産業の土壌を改善したい

先に書いた通り、「ソフトウェアの外注体質」は日本の産業の大きな弱点になっています。

そんな、「日本の産業の土壌を改善したい」という気持ちを込めて、nourish (土を肥やす, 滋養を与える, 心を育む) から、ノウリス(Nouris)という名前の会社を立ち上げました。

昨年の4月に立ち上げて以来、受託によるアプリ開発の他に、自社開発のアプリを2種類3本リリースしてきましたが、これらのアプリは、私たちなりに「体験価値」というものを真剣に考えた結果に生まれてきたアプリです。

カラオケの体験価値を改善するアプリ「マイ・レパートリー」

マイ・レパートリー画面

20年前と現在を比べて、「機能や性能は上がったけど、体験価値は下がったもの」を探した結果、浮かんできた候補が「カラオケ」でした。

20年前よりも、劇的に曲数が増え、うた本から電子端末になり、フリードリンクが一般的になり、料金も安くなりました。でも、昔の方が楽しかったのではないか、と感じたのです。

そして、カラオケの「体験価値」を低下させている原因を考えた結果、辿り着いた答えが、歌いたい曲の「選択」でした。

人にとって「選択」とは、とても心理的負荷の高い作業です。選択肢が多ければ多いほど、その負荷は高まっていきます。さらにカラオケの場で曲を選ぶ際には、順番、時間、人間関係、その場の空気など、心理的負荷を高める要素が無数にあります。

曲数が増え、電子端末になった結果、曲を選択するときの負荷が「楽しい」を超えてしまったのではないか、という結論に達し、その問題を解消するために生まれたアプリが、カラオケ持ち歌メモアプリ「マイ・レパートリー」です。

選択の心理的負荷を低くするために、色々と工夫をして楽曲データベースを作りこんでおり、見た目以上に手間とコストがかかった、絶讃大赤字のアプリです。

スマホでの文字入力のストレスから開放する「にゃんこフリック道場」

スマホはとても便利で、多くの可能性が詰まったデバイスですが、せっかくの高機能デバイスが、Web閲覧とゲームにしか使われていないことがあります。

多くの便利なアプリがあるのに、いまいち、それらが活用されていない要因が「文字入力のストレス」であると考えています。

PCキーボードや、ガラケーのボタン入力では苦もなくできる文字入力が、スマホではどうしても苦手だという人が未だ多くいます。

スマホには、フリック入力という、日本語入力を行うためには最適な入力方法が用意されているものの、今までにない入力方式なので、PCキーボードやガラケー入力に慣れた人ほど、フリック入力を習得することが難しいことがあります。

「スマホの体験価値を最大化するためには、ストレスなく文字入力できることが必須」という考えから、最短の期間でフリック入力を習得できるよう開発したアプリが、フリック入力特訓アプリ「にゃんこフリック道場」です。

土壌改善に貢献する新サービス

これまで「体験価値」を高めるためのアプリを開発してきましたが、ようやく、弊社の最大の目的である「日本のソフトウェア産業の土壌改善」に対して貢献するためのサービスを開始する目処が立ちました。年内には新サービスを開始できる予定ですので、ご期待くださいませ。

以上、ノウリスの佐伯がお送りしました。
私の個人的なTwitterアカウントはこちらです。お気軽にお声がけください。

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