東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。
黄金伝説展開催中 10/16-1/11 【動画】古代地中海世界の秘宝 国立西洋美術館で「黄金伝説展」

トップ > 社会 > おくやみ一覧 > 記事

ここから本文

【おくやみ】

水木しげるさん死去 伝説の妖怪に息吹

戦争体験について本紙に語る水木しげるさん=2011年10月7日、東京都調布市で

写真

 「ゲゲゲの鬼太郎」「悪魔くん」などで親しまれた漫画家の水木しげる(みずき・しげる、本名武良茂=むら・しげる)さんが三十日午前七時ごろ、心筋梗塞のため東京都内の病院で死去した。九十三歳。鳥取県境港市出身。自宅は東京都調布市。葬儀・告別式の日取り、喪主は未定。 

 水木さんが入院していた杏林大付属病院(東京都三鷹市)によると、水木さんは今月十一日に自宅で転倒し、頭を強く打って都内の別の病院に搬送された。同日、杏林大付属病院で緊急手術を受けた。二十八日に呼吸状態が悪化し、三十日午前に死亡が確認された。

 武蔵野美術学校(現武蔵野美術大)中退。太平洋戦争下の一九四三年に応召。激戦地ニューブリテン島ラバウルで、左腕を失う。復員後、紙芝居作家をへて上京し、貸本漫画家に。五八年、「ロケットマン」でデビュー。「墓場鬼太郎」「河童の三平」など、人間世界の不条理に切り込むユーモラスな妖怪もので人気を集めた。

 漫画誌「ガロ」や少年誌にも多くの作品を連載。「ゲゲゲの鬼太郎」は何度もテレビアニメや映画になり、幅広く愛された。九死に一生を得た戦争体験をもとにした「総員玉砕せよ!」などの戦記漫画も多い。

 一九六五年の「テレビくん」で講談社児童漫画賞。九六年、日本漫画家協会賞文部大臣賞を受賞。二〇〇七年には自伝漫画「のんのんばあとオレ」で仏アングレーム国際漫画フェスティバル最優秀賞を日本人で初めて受けた。

 九一年に紫綬褒章、〇三年に旭日小綬章を受章。妻布枝(ぬのえ)さんの自伝をもとにしたNHKドラマ「ゲゲゲの女房」がヒットした二〇一〇年、文化功労者に選ばれた。

 今年五月には、水木さんがラバウルに出征する前年の二十歳のころに書いた手記が発見され、七月に文芸誌に掲載された。「毎日五萬(まん)も十萬も戦死する時代だ。芸術が何んだ哲学が何んだ。今は考へる事すらゆるされない時代だ」などの混乱する感情がつづられていた。

◆戦争体験 原動力に

 <評伝> 漫画家の水木しげるさんは、日本に古くから伝わる妖怪を描き続け、一つの文化をつくり上げた。子泣き爺(じじい)や、砂かけ婆(ばばあ)、一反木綿…。伝説の妖怪は、水木さんの手で生き生きとよみがえり、人々の心に焼き付いている。

 幼いころ、手伝いで家に来ていた「のんのんばあ」から聞かされた話で妖怪に興味を持った。二〇一〇年に取材したとき、「頭がいいもんだから小さいころ聞いた話をみんな覚えていてね」と頭を指さし、いたずらっぽく笑ってみせた。

 戦争体験を投影した漫画も印象深い。二十一歳で故郷の鳥取連隊に入営し、ニューブリテン島へ。空襲や銃撃に加え、飢えに苦しみ、ワニやマラリア蚊におびえた。さらに玉砕命令が水木さんら兵隊を追い詰めた。戦記漫画「総員玉砕せよ!」に書いたことの九割近くが「本当です」。そう言った時の真剣なまなざしは、戦争への深い怒りに満ちているように見えた。

 一九六五年の「テレビくん」が評価されるころまでは貧乏時代。そのころ描いた鬼太郎やねずみ男は、自分と同じく「しょっちゅうおなかがすいてるの」。

 二〇一〇年、柳田国男の名著を漫画化した「水木しげるの遠野物語」を刊行したころ、「昔は、ランプだったから。妖怪話には都合がいい」と繰り返していた。物質的に豊かになるのと裏腹に、目にみえるものばかりを信じがちになる時代の流れを、嘆くかのようだった。 (岩岡千景)

 

この記事を印刷する

PR情報