しばき隊とは何か - 予備的考察としてのスターリンの人格形成
新潟日報記者の事件を、辺見庸はどう思って見ただろうか。同業の人間が起こした事件であり、関心を持たないはずがないと思われる。おそらく、内容を知って絶句したことだろうし、辺見庸が考えるファシズム論に新たな地平を拓く材料になったというか、確証となる一撃を与えたに違いない。事件を起こした坂本秀樹は地方紙の記者である。朝日や読売など大新聞の記者ほどには腐って崩れてないと想定されるところの、地方紙の記者であり、しかも政治的な立ち位置は辺見庸とほぼ同じ、反安倍の、すなわち左翼リベラルに属する一員だ。しかし、暴言のおぞまじさは2chに跋扈するネット右翼以上に狂暴かつ凶悪で、気が滅入るほどグロテスクで、病的な狂気と錯乱に満ちている。精神に異常を来しているとしか言いようがない。地方紙の報道部長の要職にあった左翼の新聞記者が、匿名Twで何年もこんなことを書いていたという事実を、辺見庸がどう論評するか興味深い。辺見庸にとって、衝撃というか憤激や落胆をそそるのは、この男の狂乱の罵倒ツイート群よりも、事件について何も真実を報道せず、本人の酔ったはずみでの不祥事に解消し、動機と背景を隠蔽しているマスコミの姿勢であり、事件について正しく調査検証して説明責任を果たすこともせず、当人を懲戒解雇の厳罰処分にもせず、記者は実名でTwするべきなどと話をスリカエてゴマカシている新潟日報だろう。
しばき隊とは何かを政治学の問題として考えるに当たって、一つの素描的仮説を前回の記事で問題提起した。G.オーウェルと丸山真男の方法的支援を受けて、しばき隊の運動の意味を分析した試論を提示した。しばき隊をずっと近くで観察してきた者として、対象としてのしばき隊のストラクチャーとメカニズムの理解と把握に私は自信を持っている。それは、一言で総括すれば、ファシズムの時代に咲いたあだ花だ。そして、日本の政治に40年ぶりに復活し再登場した左翼の暴力である。前回示したところの、「グライヒシャルトゥングの壁のこちら側における強制的同質化」こそ、この政治現象の本質的契機であり、しばき隊とは何かの設問への社会科学的正答に他ならない。だが、その洞察をより説得的で立体的な報告と結論として構成するためには、さらに重要な二つの問題を説明しないといけないだろう。しばき隊とは何かを解明するためには、二つのクリティカルなイシューにメスを入れ、オペのチャレンジを成功させて有効な認識と概念を得る必要がある。二つの問題とは、一つは野間易通の人格という問題であり、もう一つは在日の政治という問題である。しばき隊の周辺には在日の影が色濃い。特に、尊師である野間易通の玉体に近い親衛隊とおぼしき部分にはその気配が強く、そのこととしばき隊の暴力性とが密接に関連して独特の面妖な表象を形作っている。
何やら、立ち入りを憚られる禁忌的な表象となり、ストレートな思考と言論を躊躇させられるリスクの高い問題系となっている。しばき隊と在日(マイノリティ)の問題を論ずるのは社会科学の勇気と覚悟が要る。一歩踏み外すと地雷に触れる。ひとまず、先にリーダーの野間易通の人格の問題を考えたい。この男のキャラクターなしにしばき隊はあり得ない。仮説を探り当てる前に、予備的作業としてスターリンの人格形成について考えよう。スターリニズムの問題については様々な研究があり、議論がされてきているが、その謎に迫る上で、何といってもスターリンの人格が最も決定的で重要な要素であり、そこから立論して政治思想史を組み立てて成果を得るべきだというのが私の立場である。手元に、1989年に出たアレクス・ド・ジョンジュの『スターリン』(心交社)という伝記がある。長くなるが、どれも眼前の問題を検討する上で膝を打つ記述ばかりであるため、煩を厭わず引用したい。「スターリンの父(略)は、靴職人でゴリの小さな店で働いていた。その町で彼はエカテリーナ(略)と出会い、結婚した。(略)ヨシフ・ウィサリオノビッチ・ジュガシビリは1879年12月21日に生まれた。(略)彼の少年時代は父親にたいする激しい憎悪を特徴としていた。父親は酔っては彼をよく叩き、彼はナイフで自衛せざるを得なかったという。母親は大いに期待をかけていた息子をできるかぎり庇った」(P.18)。
「彼女はお針子をして働き、内職に洗濯を引き受けて息子を学校にやり、夫が1890年に酔って喧嘩しナイフで刺されて殺された後もそうして働き続けた。(略)スターリンがかつて誰かを愛したという証拠はないのだ。後年、彼は母親を何ともひどい言い方で呼んでいる-たとえば『あの老いた売女』とか。スターリンは母親の葬式に参列せず、また母親は敬虔なクリスチャンとして死んだが、彼は母親の墓に十字架を置くことを許さなかった。(略)スターリンは乱暴な情容赦のない家庭に育った。彼は両親から叩かれた。(略)彼が厳しく無情な少年時代を送ったことは明らかで、ここから自分以外の一切の権威にたいする憎悪が生まれたのであり、この憎悪は彼の一生を貫くことになるのである。肉体的要素も彼の敵愾心や劣等感を助長した。若いころのスターリンは醜かった。(略)身長は162センチで成長が止まってしまった。(略)イレマシビリ(註:亡命して回想録を書いた教区小学校の同期生)が描く若きスターリンの肖像は、ぞっとするようなものである。『何かを得ようとしたり、何かをやり遂げようと決心すると、彼は不安定な、自制を失った、激情的性格になった。彼は自然を愛したが、生き物を愛したことは決してなかった。彼は人間や動物にあわれみを感じることができなかったのだ。子供のころでさえ、彼は学友たちの喜びや悲しみにたいし皮肉な笑いを浮かべて応じていた』)(P.18-19」。
「15歳の神学生スターリンは、冷淡で、自己をたのんだ、意地悪な少年で、辛辣な物言いに支えられた独特の権威によって学友たちに己れの意思を押しつけた。『ライフ』誌1939年12月2日号にレオン・トロツキーは神学生スターリンの素顔を簡単に紹介している。『(略)すでに彼の仲間たちは、ヨシフが他人の悪い性質しか見ようとせず、私心のない動機にたいしては不信の態度を示す傾向があることに気づいていた。彼は敵の弱みにつけ込む方法や敵同士を反目させる術を心得ていた。彼に反抗しようとする者や彼が理解していないことを説明しようとする者にたいしては、彼は冷酷な敵意を抱いた』。若きスターリンはすでに憎悪の仕方を心得ていた。最初の相手は自分の父親で、次いで自分より権威ある地位にいる者へと及んだ。(略)神学校では、スターリンは当初は模範生であったが、やがて権威にたいする持ち前の反抗心と過激思想にたいする興味のため、学業から遠ざかった。(略)一部の神学生は研究討論会をつくり、スターリンもそれに加わった(略)。研究討論会でのスターリンの振る舞いは印象的なもので、その後の彼の全政治生活を通じて不変のパターンを確立している。自分と意見の違うことに耐えられないスターリンは、自分のみが正しいと主張し、勝つためには卑劣な手段も辞さず、その結果、間もなくそのグループは異議なくスターリンに従う者と彼に我慢できない者とに分裂した」(P.23-24)。
伝記によると、スターリンは神学校を放校となった後、地下活動に入って革命家としての人生を本格的に歩み始める。「1904年にシベリアから戻ったスターリンは、何らかの組織や支持を求めてバツーミに赴いた。当時の党員で後に亡命したV.・アルスニーゼはこのときスターリンに会っており、その青年にたいする貴重な目撃記録を残している。『彼の目的は依然として戦闘的労働者を自分の味方につけて、彼らの指導者になることであり、必要とあれば、彼らの支持を頼りに委員会を支配することであった。(略)明らかに彼はナンバーワンになって、管理し、支配し、独裁的な命令を出したかったのだ。彼の仲間は、彼に従い、あらゆる点で彼の権威に屈する者たちだけであった。彼はそれ以外の者には我慢がならなかったが、そうした者たち以外の人々は誰も、ボリシェビキの仲間でさえ、彼には我慢ができなかったのである。私は彼に会うたびに苦痛を感じた。彼の言葉や立ち居振る舞いには、何か普通でない独特のものがあった。この男は一体どういう人間なのかと私はしばしば自問した。(略)彼は弁才もなしに演説した。彼には内に燃えるものを何ら感じさせず、心の温かさや誠実さや善良さをみじんも感じさせなかった。その話し方は粗野で下品であり、そのがさつさには活力や力強さやしつこさが感じられた。彼はしばしば皮肉や当てこすりを言って、下劣な冗談で相手をやっつけたが、それはしばしば限度を超えた猛攻撃となった」(P.40-42)。
「彼はうそをつき、そして厚かましくも自分の敵対者をうそつきと非難した。どんな動議を出しても、・・・必ずスターリンから直ちに異議を差し挟まれ、彼は動議の提出者をうそつき呼ばわりしたり、動議の意味を変えて正直な聴衆を欺いたりした。(略)次の会合で彼は、自分が前に申し立てて、すでに却下された異議を蒸し返すのであった。自分が故意に厚かましいうそをついていることを聴衆にはっきり悟られるまで、彼はいつも自分の言い分を押し通した。(略)彼はいつも口汚く罵り、せいぜい野卑な暴言しか吐けなかった」(『スターリン』 P.40-41)。この記述を読んで念頭に浮かぶのは、左側の野間易通と右側の橋下徹である。二人はよく似ている。ところで、事件を起こした新潟日報の坂本秀樹について、野間易通は11/24のTwで、本人について、「『仲間』っつっても(略)ふだんどんな発言をしてるか知らない人ですよ」と無関係を強調している。ところが、その直後、右翼によって坂本秀樹のFBの友達リストの中に本人が登録されている事実が暴露され、衆目の前で赤恥をかく始末となった。決定的な証拠を突きつけられるまではうそを通してしらばっくれるという点は、橋下徹にも顕著に見られる共通の特性であり、スターリンがまさにそうだった。アレクス・ド・ジョンジュは、地下活動時代のスターリンについてこんなことも書いている。「数年にわたって同志や対抗者たちは、スターリンが自分たちを警察に売り渡したのではないかと何度か疑惑を表明している」(P.39)。
「スターリンは利益よりも忠誠を重んじるような人間ではなかったから、内部抗争を処理させるために警察を利用することくらいやりかねなかったのである。実際、彼が自分の昇進や復讐の手段として警察を利用しなかったとは到底考えられないのである」(同 P.40)。次回に続く。
しばき隊とは何かを政治学の問題として考えるに当たって、一つの素描的仮説を前回の記事で問題提起した。G.オーウェルと丸山真男の方法的支援を受けて、しばき隊の運動の意味を分析した試論を提示した。しばき隊をずっと近くで観察してきた者として、対象としてのしばき隊のストラクチャーとメカニズムの理解と把握に私は自信を持っている。それは、一言で総括すれば、ファシズムの時代に咲いたあだ花だ。そして、日本の政治に40年ぶりに復活し再登場した左翼の暴力である。前回示したところの、「グライヒシャルトゥングの壁のこちら側における強制的同質化」こそ、この政治現象の本質的契機であり、しばき隊とは何かの設問への社会科学的正答に他ならない。だが、その洞察をより説得的で立体的な報告と結論として構成するためには、さらに重要な二つの問題を説明しないといけないだろう。しばき隊とは何かを解明するためには、二つのクリティカルなイシューにメスを入れ、オペのチャレンジを成功させて有効な認識と概念を得る必要がある。二つの問題とは、一つは野間易通の人格という問題であり、もう一つは在日の政治という問題である。しばき隊の周辺には在日の影が色濃い。特に、尊師である野間易通の玉体に近い親衛隊とおぼしき部分にはその気配が強く、そのこととしばき隊の暴力性とが密接に関連して独特の面妖な表象を形作っている。
何やら、立ち入りを憚られる禁忌的な表象となり、ストレートな思考と言論を躊躇させられるリスクの高い問題系となっている。しばき隊と在日(マイノリティ)の問題を論ずるのは社会科学の勇気と覚悟が要る。一歩踏み外すと地雷に触れる。ひとまず、先にリーダーの野間易通の人格の問題を考えたい。この男のキャラクターなしにしばき隊はあり得ない。仮説を探り当てる前に、予備的作業としてスターリンの人格形成について考えよう。スターリニズムの問題については様々な研究があり、議論がされてきているが、その謎に迫る上で、何といってもスターリンの人格が最も決定的で重要な要素であり、そこから立論して政治思想史を組み立てて成果を得るべきだというのが私の立場である。手元に、1989年に出たアレクス・ド・ジョンジュの『スターリン』(心交社)という伝記がある。長くなるが、どれも眼前の問題を検討する上で膝を打つ記述ばかりであるため、煩を厭わず引用したい。「スターリンの父(略)は、靴職人でゴリの小さな店で働いていた。その町で彼はエカテリーナ(略)と出会い、結婚した。(略)ヨシフ・ウィサリオノビッチ・ジュガシビリは1879年12月21日に生まれた。(略)彼の少年時代は父親にたいする激しい憎悪を特徴としていた。父親は酔っては彼をよく叩き、彼はナイフで自衛せざるを得なかったという。母親は大いに期待をかけていた息子をできるかぎり庇った」(P.18)。
「彼女はお針子をして働き、内職に洗濯を引き受けて息子を学校にやり、夫が1890年に酔って喧嘩しナイフで刺されて殺された後もそうして働き続けた。(略)スターリンがかつて誰かを愛したという証拠はないのだ。後年、彼は母親を何ともひどい言い方で呼んでいる-たとえば『あの老いた売女』とか。スターリンは母親の葬式に参列せず、また母親は敬虔なクリスチャンとして死んだが、彼は母親の墓に十字架を置くことを許さなかった。(略)スターリンは乱暴な情容赦のない家庭に育った。彼は両親から叩かれた。(略)彼が厳しく無情な少年時代を送ったことは明らかで、ここから自分以外の一切の権威にたいする憎悪が生まれたのであり、この憎悪は彼の一生を貫くことになるのである。肉体的要素も彼の敵愾心や劣等感を助長した。若いころのスターリンは醜かった。(略)身長は162センチで成長が止まってしまった。(略)イレマシビリ(註:亡命して回想録を書いた教区小学校の同期生)が描く若きスターリンの肖像は、ぞっとするようなものである。『何かを得ようとしたり、何かをやり遂げようと決心すると、彼は不安定な、自制を失った、激情的性格になった。彼は自然を愛したが、生き物を愛したことは決してなかった。彼は人間や動物にあわれみを感じることができなかったのだ。子供のころでさえ、彼は学友たちの喜びや悲しみにたいし皮肉な笑いを浮かべて応じていた』)(P.18-19」。
「15歳の神学生スターリンは、冷淡で、自己をたのんだ、意地悪な少年で、辛辣な物言いに支えられた独特の権威によって学友たちに己れの意思を押しつけた。『ライフ』誌1939年12月2日号にレオン・トロツキーは神学生スターリンの素顔を簡単に紹介している。『(略)すでに彼の仲間たちは、ヨシフが他人の悪い性質しか見ようとせず、私心のない動機にたいしては不信の態度を示す傾向があることに気づいていた。彼は敵の弱みにつけ込む方法や敵同士を反目させる術を心得ていた。彼に反抗しようとする者や彼が理解していないことを説明しようとする者にたいしては、彼は冷酷な敵意を抱いた』。若きスターリンはすでに憎悪の仕方を心得ていた。最初の相手は自分の父親で、次いで自分より権威ある地位にいる者へと及んだ。(略)神学校では、スターリンは当初は模範生であったが、やがて権威にたいする持ち前の反抗心と過激思想にたいする興味のため、学業から遠ざかった。(略)一部の神学生は研究討論会をつくり、スターリンもそれに加わった(略)。研究討論会でのスターリンの振る舞いは印象的なもので、その後の彼の全政治生活を通じて不変のパターンを確立している。自分と意見の違うことに耐えられないスターリンは、自分のみが正しいと主張し、勝つためには卑劣な手段も辞さず、その結果、間もなくそのグループは異議なくスターリンに従う者と彼に我慢できない者とに分裂した」(P.23-24)。
伝記によると、スターリンは神学校を放校となった後、地下活動に入って革命家としての人生を本格的に歩み始める。「1904年にシベリアから戻ったスターリンは、何らかの組織や支持を求めてバツーミに赴いた。当時の党員で後に亡命したV.・アルスニーゼはこのときスターリンに会っており、その青年にたいする貴重な目撃記録を残している。『彼の目的は依然として戦闘的労働者を自分の味方につけて、彼らの指導者になることであり、必要とあれば、彼らの支持を頼りに委員会を支配することであった。(略)明らかに彼はナンバーワンになって、管理し、支配し、独裁的な命令を出したかったのだ。彼の仲間は、彼に従い、あらゆる点で彼の権威に屈する者たちだけであった。彼はそれ以外の者には我慢がならなかったが、そうした者たち以外の人々は誰も、ボリシェビキの仲間でさえ、彼には我慢ができなかったのである。私は彼に会うたびに苦痛を感じた。彼の言葉や立ち居振る舞いには、何か普通でない独特のものがあった。この男は一体どういう人間なのかと私はしばしば自問した。(略)彼は弁才もなしに演説した。彼には内に燃えるものを何ら感じさせず、心の温かさや誠実さや善良さをみじんも感じさせなかった。その話し方は粗野で下品であり、そのがさつさには活力や力強さやしつこさが感じられた。彼はしばしば皮肉や当てこすりを言って、下劣な冗談で相手をやっつけたが、それはしばしば限度を超えた猛攻撃となった」(P.40-42)。
「彼はうそをつき、そして厚かましくも自分の敵対者をうそつきと非難した。どんな動議を出しても、・・・必ずスターリンから直ちに異議を差し挟まれ、彼は動議の提出者をうそつき呼ばわりしたり、動議の意味を変えて正直な聴衆を欺いたりした。(略)次の会合で彼は、自分が前に申し立てて、すでに却下された異議を蒸し返すのであった。自分が故意に厚かましいうそをついていることを聴衆にはっきり悟られるまで、彼はいつも自分の言い分を押し通した。(略)彼はいつも口汚く罵り、せいぜい野卑な暴言しか吐けなかった」(『スターリン』 P.40-41)。この記述を読んで念頭に浮かぶのは、左側の野間易通と右側の橋下徹である。二人はよく似ている。ところで、事件を起こした新潟日報の坂本秀樹について、野間易通は11/24のTwで、本人について、「『仲間』っつっても(略)ふだんどんな発言をしてるか知らない人ですよ」と無関係を強調している。ところが、その直後、右翼によって坂本秀樹のFBの友達リストの中に本人が登録されている事実が暴露され、衆目の前で赤恥をかく始末となった。決定的な証拠を突きつけられるまではうそを通してしらばっくれるという点は、橋下徹にも顕著に見られる共通の特性であり、スターリンがまさにそうだった。アレクス・ド・ジョンジュは、地下活動時代のスターリンについてこんなことも書いている。「数年にわたって同志や対抗者たちは、スターリンが自分たちを警察に売り渡したのではないかと何度か疑惑を表明している」(P.39)。
「スターリンは利益よりも忠誠を重んじるような人間ではなかったから、内部抗争を処理させるために警察を利用することくらいやりかねなかったのである。実際、彼が自分の昇進や復讐の手段として警察を利用しなかったとは到底考えられないのである」(同 P.40)。次回に続く。
by yoniumuhibi | 2015-11-29 23:30 | Trackback | Comments(4)
Commented by 愛知 at 2015-11-30 01:20 x
かつてはデリケートと、昨今ではセンシティブと表される禁忌への解明に感謝します。一連の、そして今回また始められた解析に懐旧の念を強くします。大袈裟ではなく、貴下記事にクロード・シャノンの影を見る思いです。窮屈極まりない情報エントロピーの最小化を願います。
一連貴下論評の対立はRAIDの一種と感じておりましたが、不勉強な吾身の念には政治学的論証が必要だと感じていた矢先でした。次回のご教授に大いに期待いたします。
追いつく間もないほど、ヨーロッパ(支配者ら流に言えば世界)の戦乱が伝えられます。始められたオペが、医師言うところの「開け綴じ」ではなく、紀元前23世紀からシリアの地で続く、人類5000年の疫病の患部の摘出になればと願います。悪性腫瘍の早期摘出は、一般的医療科学の一意と思う立場です。
つづくの後、ヴロンスキー大尉の轍となられんことを信じてお待ちします。
一連貴下論評の対立はRAIDの一種と感じておりましたが、不勉強な吾身の念には政治学的論証が必要だと感じていた矢先でした。次回のご教授に大いに期待いたします。
追いつく間もないほど、ヨーロッパ(支配者ら流に言えば世界)の戦乱が伝えられます。始められたオペが、医師言うところの「開け綴じ」ではなく、紀元前23世紀からシリアの地で続く、人類5000年の疫病の患部の摘出になればと願います。悪性腫瘍の早期摘出は、一般的医療科学の一意と思う立場です。
つづくの後、ヴロンスキー大尉の轍となられんことを信じてお待ちします。
Commented by ライジングさん at 2015-11-30 08:05 x
右も左も関係無く。というか、右や左のイデオロギーを利用して、ただ暴力を行使したい。というのはイスラム国と同じです。
テロリストは、脅して、殴って黙らせる。それでも駄目なら殺す。最低です。
あと、「差別や憎しみを煽動増長するのは、平和の敵、社会悪」ですよね
欧米でイスラム教徒が、世間から嫌われるように工作してますよね。似たことを在日でやってる人がいます。
以前、池上彰か森田実か別の誰かが言ってましたが
「牢獄のような全体主義はいらない。
されど、欲望の暴走した獣の荒れ地のような個人主義もいらない
宇宙から地球全体を見渡すような人間主義を」
こんな思想が、今の世界に求められていると思います
テロリストは、脅して、殴って黙らせる。それでも駄目なら殺す。最低です。
あと、「差別や憎しみを煽動増長するのは、平和の敵、社会悪」ですよね
欧米でイスラム教徒が、世間から嫌われるように工作してますよね。似たことを在日でやってる人がいます。
以前、池上彰か森田実か別の誰かが言ってましたが
「牢獄のような全体主義はいらない。
されど、欲望の暴走した獣の荒れ地のような個人主義もいらない
宇宙から地球全体を見渡すような人間主義を」
こんな思想が、今の世界に求められていると思います
Commented by もりた at 2015-11-30 13:47 x
巻(?)を措く能わずという感じで読ませて頂きました。長くなるのかもしれませんが、続きが本当に待ち遠しい。2番目の点は確かに極めて微妙な問題ですが、なるほど色々と思い当たる面もあります。暴力性との関わりでいうと、周辺に「元右翼」が結構いる点も注意を引くところです。
Commented by mujinamiti at 2015-12-01 01:16
在日ヤクザと野間易道との関係性、地雷を踏む危険性は充分ご理致します。が、ここを避けてはの考察・論証は野間易道を安全地帯に停めてしまいます。
反在特会の義憤から自発参加したヤクザは極まれな一部でしょう。彼らの実体暴力が背景にあるからこそ、ネット言論での誹謗・中傷・罵声を浴びせる輩、尻馬に乗る連中が跋扈してるものと考えます。
野間のカリスマ性に惹かれて在日ヤクザが集った。
これは絶対にあり得ない事象だと考えております。
資金源の問題を抜きにして、しばき隊分析は不可能と考えております。
反在特会の義憤から自発参加したヤクザは極まれな一部でしょう。彼らの実体暴力が背景にあるからこそ、ネット言論での誹謗・中傷・罵声を浴びせる輩、尻馬に乗る連中が跋扈してるものと考えます。
野間のカリスマ性に惹かれて在日ヤクザが集った。
これは絶対にあり得ない事象だと考えております。
資金源の問題を抜きにして、しばき隊分析は不可能と考えております。
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