蹴球探訪
手倉森監督 リオへの道はベンゲル流
来年1月五輪アジア最終予選
(10月7日)
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【スポーツ】女子ラグビー サクラガール物語(上)2015年12月1日 紙面から
ラグビー女子たちが世界への挑戦権をつかんだ。11月28〜29日に東京・秩父宮ラグビー場で行われたラグビー7人制女子のリオデジャネイロ五輪アジア予選日本大会で、サクラセブンズこと女子日本代表は香港大会(同7〜8日)に続いて優勝、2大会の総合成績で1位を決め、見事五輪キップを獲得した。これまで日の当たることの少なかった日本女子ラグビーは、どのようにして世界に対抗する実力を養ってきたのか。2回連載で、「過去・現在・未来」を紹介する。 (大友信彦) 当日券窓口には長い行列ができた。スタンドを埋めた観衆は5809人。「女子の試合で、秩父宮がこんなに埋まるなんて」。女子ラグビー草創期から関わってきた日本協会役員は感慨深げに言った。 男女7人制の五輪種目採用は2009年に決まった。それから6年。五輪キップ獲得で一躍脚光を浴びた女子ラグビーだが、この日を迎えるまでには長い歴史があった。 1983年。東京都世田谷区が主催したラグビー初心者講習会の募集要項に「男女不問」と書かれていたことから、女性7名が応募したのをきっかけに、世田谷ラグビースクールの女子部として世田谷レディースが発足した。ほぼ同時期、愛知県でブラザー工業のハンドボール部員を中心にブラザー工業レディース(のちの名古屋レディース)、三重県で松阪レディースが誕生し、3チームは翌84年から試合を実施。その後、スクールに子どもを通わせている母親たちを中心に全国に女子チームが続々生まれ、88年に日本女子ラグビーフットボール連盟が設立された。 初めて15人制の日本代表が結成されたのは91年。この年、第1回女子ワールドカップ(W杯)がウェールズで開催されたのだ。日本はこの大会で3戦全敗に終わるが、第2回の94年スコットランド大会でスウェーデンからW杯初勝利を挙げる。98年には初めて日本国内でテストマッチ(対香港)を行い、2002年W杯スペイン大会ではオランダを破り2勝目。このときSHで出場していたのが、現在サクラセブンズを率いる浅見敬子ヘッドコーチだった。 しかし、この大会を最後に日本はW杯から遠ざかってしまう。日本の前途に立ちふさがったのは、7人制でリオ五輪切符を懸け、死闘を繰り広げたカザフスタンだった。 PR情報
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