街
神保町…本の街(3)
◆禁断の香り、ビニールに封入
世界中の様々な時代、内容の本が集まる神保町。だが、好奇の目で迎えられながら消えゆく本がある。「ビニール本(ぼん)(ビニ本)」だ。
ビニ本はポリ袋に入れられたアダルト本の総称。その中でも普通の書店には並ばない、きわどい描写の女性ヌード写真集を指す。立ち読み防止のためポリ袋に入れられた。発祥は神保町といわれる。一部の古書店に1970年代半ばから出回り、79年に爆発的ブームになった。
「毎日新しい本が入り、買い逃すと二度と手に入らない。気が気じゃなかった」。アダルト業界に詳しいライター斉藤修さん(61)は、デザイン事務所の仕事が終わると三鷹からバイクで神保町へ向かい、4〜5軒のビニ本店を巡るのが日課だった。
ブームの原因は、モデルの質と露出だ。それ以前のヌード写真集はモデルの年齢が高く、露出も低かった。「それが20歳そこそこのかわいい女性がモデルに代わり、下着ごしに『ヘア』まで見えた。日本のアダルト文化にとって大転換期でした」
規制すれすれの露出は過激さを増していく。うっすら見えるだけだったヘアは、下着の素材が薄くなるにつれてはっきり見えるように。局部を隠す素材が、ぬらしたティッシュ、化繊のベール、セロハンへと過激さを極めたところで、警察の取り締まりが入った。
80年代半ばにはビニ本の新作はほぼなくなった。80年代初頭から「無修正」の「裏本(うらぼん)」が新宿・歌舞伎町で売られるようになった。発行元、印刷所が不明の地下出版物だ。出版社を明記するビニ本は目を付けられやすかったらしい。
◇薄〜く過激に、アダルト文化大転換
ビニ本はどれだけつくられたのか――。週刊朝日(80年9月19日号)によると、当時、出版社が30〜40社あり、新作は月120冊ほど、発行部数は月計130万〜140万冊と推定している。
斉藤さんはブーム当初から収集を始め、所蔵するビニ本は4千冊を超える。「刊行物だが国会図書館にもほとんど保管されていないとみられる。大衆文化を知るうえで貴重な遺産だと思いますが、公開できないのが残念です」
神保町でビニ本といえば必ず名が出るのが「芳賀(はが)書店」だ。最初にポリ袋に入れて売り始めたとされる。
販売を決めたのは現会長の芳賀英明さん(64)。大学を卒業した75年、古書・新古本の小売り部門を任された。芳賀書店は36(昭和11)年、巣鴨で創業。空襲で被災し、戦後の48年に神保町で再出発した。出版部門も抱え、67年には劇作家寺山修司の評論集「書を捨てよ、町へ出よう」を出した。
芳賀さんが働き始めたころ、売り上げは低迷していた。脱却の糸口として目を付けたのがビニ本だった。
週刊朝日(同)に店内の模様が活写されている。「十三坪というフロアに、学生風、ネクタイをしめたサラリーマン風を中心に約三十人の客がギッシリ」「店内はかなり明るい。そこに(略)『秘花淫乱』といった強烈なタイトルのビニール本が所狭しと並んでいる」
狙いは的中した。取次会社を経た本の場合、書店の利益は価格の1割だったが、出版社が直接納めるビニ本は4割が利益になった。1億円に満たなかった年商はすぐに3億円になり、80年代半ばには最高の24億円に達した。80年完成の8階建て本店ビルの建設費5億円をあっという間にまかなった。
ところが80年11月、芳賀さんはわいせつ図画販売容疑で警視庁から指名手配される。出張先でニュースを見て急いで出頭し、逮捕された。29歳だった。1カ月後、釈放されて店に戻ると、以前にまして客がつめかけていた。「全国に宣伝してくれたようなものです」
現在、アダルト出版の環境は厳しい。同書店の売り上げの中心はアダルトDVD。書籍の売り上げは2割程度だ。インターネットには無料で無修正の動画や画像があふれている。過激さはビニ本の比ではない。同書店の年商は最盛期の7分の1に減った。出版部門は活動停止状態だ。
それでも現社長で妻の紀子さん(72)の表情は明るい。「他店より価格は安いので、地方からもお客さんが来てくれています。ビニ本全盛期からのお客さんも多い。もう一度時代の流れをつかまないとね」
(重政紀元)