今日、国際通貨基金(IMF)が特別引出権(SDR)の準備通貨の見直しを発表しました。その結果、中国人民元が組み入れられました。
![1](http://megalodon.jp/get_contents/250231638)
組み入れ比率は10.9%で、これはポンドの8.1%、日本円の8.3%を上回りました。つまり、いきなり第3位の通貨になったということです。
中国は(日本より高い比率の望む)ということをアピールしていたので、その念願がかなったことになります。
人民元のスペースを作るために、ポンドはこれまでの11.3%から8.1%へ(-28.3%)、ユーロはこれまでの37.4%から30.9%へ(-17.4%)、日本円はこれまでの9.4%から8.3%へ(-11.7%)、それぞれ減額されました。米国はこれまでの41.9%が41.7%(-0.5%)と、殆ど下がっていません。
なお貿易量など、中国経済の実力から考えて、今回の比重は至極妥当だと思います。
投資家は、今回のSDR準備通貨採用がセレモニー的な意味合いしか無く、マーケットに対するインパクトはゼロであることをハッキリ認識すべきです。
SDRは1969年に「ドル不足」を解消するために考案された、IMF内だけで通用する「スナックのツケ」みたいなものです。
説明します。
アメリカは1971年までゴールドとドルを、1オンス=35ドルで交換できる兌換性を維持してきました。
ゴールドは地中から発見され、掘り出される必要があります。つまり、おいそれと供給量は増やせないわけです。(だからこそ、希少価値があるわけですが)
すると兌換性を維持している限り、ドルの供給も増やせないのです。
一般に世界の貿易量が増えると、その決済に必要となる通貨の量も増えます。すると通貨が増えないと、貿易量も増えないことになります。経済学ではこれは「トリフィンのジレンマ」と言います。
すると、もっと貿易を振興しようと思えば、ドルの供給を増やす必要が出てきてしまうのです。そこで不足気味のドルの代りになるものとして、せめてIMF内部で加盟国間で付け替え可能な、帳簿上の覚書としてSDRが考案されたのです。
いまあなたが仕事の帰りにスナックへ寄ったとします。そこで飲み食いして、帰りがけに「ママ、つけといて!」と言い残してお店を出る様子をイメージしてください。
これはある種の「信用」です。でもこのカレンシー(通貨)は、このスナックだけでしか通用しません。
これと同様にSDRも実際にコインや紙幣があるわけではなく、帳簿に貸借を記録する、ブック・エントリー方式によるやりとりなのです。IMF内部で、加盟国間だけでしか通用しません。
さて、1971年になるとニクソン大統領が突然、「ゴールドとドルの兌換を止める!」と宣言しました。これがいわゆる「ニクソン・ショック」です。
するとそれ以降、アメリカは輪転機を回して際限なくドルを刷れるようになったのです。
SDRという苦しい方便を考案しなければいけなくなった、そもそもの理由が、この「ニクソン・ショック」で吹き飛んだというわけです。言い換えれば、SDRは創設後、僅か2年で「お役御免」になったのです。
今日、SDRは「マケハ」に代表される国際金融ヲタだけが気に掛ける、衒学的な存在でしかないのです。
組み入れ比率は10.9%で、これはポンドの8.1%、日本円の8.3%を上回りました。つまり、いきなり第3位の通貨になったということです。
中国は(日本より高い比率の望む)ということをアピールしていたので、その念願がかなったことになります。
人民元のスペースを作るために、ポンドはこれまでの11.3%から8.1%へ(-28.3%)、ユーロはこれまでの37.4%から30.9%へ(-17.4%)、日本円はこれまでの9.4%から8.3%へ(-11.7%)、それぞれ減額されました。米国はこれまでの41.9%が41.7%(-0.5%)と、殆ど下がっていません。
なお貿易量など、中国経済の実力から考えて、今回の比重は至極妥当だと思います。
投資家は、今回のSDR準備通貨採用がセレモニー的な意味合いしか無く、マーケットに対するインパクトはゼロであることをハッキリ認識すべきです。
SDRは1969年に「ドル不足」を解消するために考案された、IMF内だけで通用する「スナックのツケ」みたいなものです。
説明します。
アメリカは1971年までゴールドとドルを、1オンス=35ドルで交換できる兌換性を維持してきました。
ゴールドは地中から発見され、掘り出される必要があります。つまり、おいそれと供給量は増やせないわけです。(だからこそ、希少価値があるわけですが)
すると兌換性を維持している限り、ドルの供給も増やせないのです。
一般に世界の貿易量が増えると、その決済に必要となる通貨の量も増えます。すると通貨が増えないと、貿易量も増えないことになります。経済学ではこれは「トリフィンのジレンマ」と言います。
すると、もっと貿易を振興しようと思えば、ドルの供給を増やす必要が出てきてしまうのです。そこで不足気味のドルの代りになるものとして、せめてIMF内部で加盟国間で付け替え可能な、帳簿上の覚書としてSDRが考案されたのです。
いまあなたが仕事の帰りにスナックへ寄ったとします。そこで飲み食いして、帰りがけに「ママ、つけといて!」と言い残してお店を出る様子をイメージしてください。
これはある種の「信用」です。でもこのカレンシー(通貨)は、このスナックだけでしか通用しません。
これと同様にSDRも実際にコインや紙幣があるわけではなく、帳簿に貸借を記録する、ブック・エントリー方式によるやりとりなのです。IMF内部で、加盟国間だけでしか通用しません。
さて、1971年になるとニクソン大統領が突然、「ゴールドとドルの兌換を止める!」と宣言しました。これがいわゆる「ニクソン・ショック」です。
するとそれ以降、アメリカは輪転機を回して際限なくドルを刷れるようになったのです。
SDRという苦しい方便を考案しなければいけなくなった、そもそもの理由が、この「ニクソン・ショック」で吹き飛んだというわけです。言い換えれば、SDRは創設後、僅か2年で「お役御免」になったのです。
今日、SDRは「マケハ」に代表される国際金融ヲタだけが気に掛ける、衒学的な存在でしかないのです。