ギャンブル依存の貴闘力、野球賭博で角界解雇も「今でもやりたくてうずうず」

2015年11月29日5時30分  スポーツ報知
  • ギャンブルに関する過去の苦い経験を語る貴闘力

 2010年に野球賭博に関わったとして日本相撲協会を解雇された元関脇でプロレスラーとしても活動する貴闘力(48)が28日、都内で開かれた「ギャンブル依存症対策推進フォーラム」に出席し「元関脇 貴闘力氏が語る赤裸々ギャンブル体験」と題して講演した。最大で負債が5億円以上にも膨れ上がったという博打(ばくち)人生を貴闘力が公式の場で語ったのは初めて。現在は一切のギャンブルを断ち「依存症の人には絶対にお金を貸してあげないこと」と警鐘を鳴らした。

 現在は都内で焼き肉店を経営しながらプロレスラーとして活躍する貴闘力。今回の講演は「一般社団法人 ギャンブル依存症問題を考える会」の田中紀子代表理事から「依存症に苦しんだ末に、回復した体験を話してほしい」と依頼され、話すことを決意した。

 約250人の前で壇上に立ち「私はお母さんがサイコロを振っているときに生まれました」とギャンブル好きの両親に育てられた生い立ちから語り始めた。「借金取りから逃れる父親のせいで小学校を6、7回転校」し、小6のときに「絶対にギャンブルはやらへん」と決意し、中学卒業後の1983年に元大関・貴ノ花が師匠の藤島部屋に入門した。

 ところが、決意をひるがえしギャンブルにはまってしまう。「やらないと決めたのに…。やはり、おやじのDNAだろうか」。89年春場所後の十両昇進のときには化粧まわし代などのために必要な400万円を工面するため、10万円を握って大井競馬場へ行き、見事に400万円を手にした。以降はどっぷりとつかり、1日で最高5000万円も損したこともあったという。

 2010年7月には野球賭博に関与し、協会を解雇された。同じ年の10月には都内で焼き肉店をオープン。相撲人生を棒に振ったにもかかわらず、その後も、競馬やカジノなどから足を洗うことはできなかった。

 「クビになった後は商売でもしろと1000万円貸してくれる人がいたんですが、その金もギャンブルで使ってしまった。店を始めた後、1年間はギャンブルやめたんですが、年末年始は店が休みで暇。銀行に入れる300万円を持って韓国のカジノへ行ってしまった。そこでまた1000万円ぐらい勝ってしまって。ためておけばいいのにまた使ってしまった。ギャンブルをやめるために周りにはゴルフをやったり、お茶(茶道)をしてみたらどうかと勧められましたが、まったく面白いと思えなかった」

 完全な依存症だった。これまでの人生で5億円以上は賭け事で消えたという。それでも、ようやく断つ決意をした。きっかけは、13年末、焼き肉店の従業員に支払う給料分が不足してしまったことだった。

 「自分を慕ってくれている社員に払えないのがすごく情けなくなりまして。借りて、給料を払って、そこでやめました。依存症の人にはお金を貸さないこと。オレも(離婚するまでは義父だった)大鵬親方が何とかしてくれる、という甘えがあった。貸したらその人を地獄に落とすことになる」。現在は飲食店経営者でありながら、お金の管理には関わらず、生活費のみを受け取るようにしているという。

 しかし、長年の習慣はなかなか抜けきらない。「実は今でもやりたくてうずうずする。競馬番組を見て『俺だったら』と予想だけすると当たるんですよ。買えばまた同じことになると分かっているのにねえ」。ギャンブル依存症のチェックシートの質問項目を埋めてみると、パーフェクトで該当者になってしまうと明かす。それでも、依存症だという自覚はないという。

 シンポジウムには筑波大准教授の森田展彰氏、北里大ギャンブル依存症専門外来講師の蒲生裕司氏ら専門家も参加。森田氏らは、角界で鍛えた忍耐力があるはずの貴闘力の経験を踏まえて、ギャンブル依存症は「強い意志さえあれば治る」という俗説を否定。回復のためのプログラムを作ることの必要性を説いた。赤裸々な告白を受け、田中代表理事は「貴闘力関には依存症の経験者のセオリー通りのお話をいただき、大感激でした」と話した。(甲斐 毅彦)

 ◆貴闘力忠茂(たかとうりき・ただしげ)本名・鎌苅忠茂。1967年9月28日、神戸市生まれ。48歳。中学卒業後、藤島部屋(現・貴乃花部屋)に入門し、83年春場所で初土俵。2000年春場所、初優勝。02年秋場所で引退し、年寄・大嶽を襲名。現役時代の93年に故・大鵬親方の三女と結婚も10年に離婚。同じ年に野球賭博に関与し相撲協会を解雇された。14年4月、大仁田厚戦でプロレスデビュー。力士時代は181センチ、148キロ。

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