数年前まで2桁成長を誇っていた世界経済のエンジン=中国が減速している。だが、減速ばかりに目を向けても、中国の真の姿は捉えられない。これまで成長をけん引してきた第2次産業の低迷という「暗」の側面がある一方、消費などが新たな成長エンジンとして立ち上がる「明」の側面もある。
それこそが、経済の構造転換が急速に進む新しい中国「ニューチャイナ」だ。中国で勝ち組となっている企業はこの転換に気付き、新しい波に乗り出している。2030年までに北米の経済規模に並ぶ中国の変化を見逃す手はない。
日経ビジネス11月23日号の特集「勝ち組が見るニューチャイナ」の連動企画第3回は、「無印良品」を展開する良品計画の松崎暁社長が語る「中国の新しい消費動向」。同社は現在、中国で約150の店を出店。2015年3~8月期の決算では、売上高が前年同期比19%増、営業利益が同38%増となった。この好業績をけん引したのが中国市場だ。中国内での消費動向が変わる中で、同社はその変化にどのように対応してきたのか。
2015年3~8月期の決算は、中国市場がけん引して好業績となりました。松崎さんご本人も、今年5月に社長に就くまでは中国事業を手がけていたと聞きました。
松崎社長(以下、松崎):私は西友出身ですが、中国との付き合いは比較的長いです。西友時代、最初に中国とビジネスをしたのは1988年のこと。この頃、中国でアジア競技大会があって、中国と伊藤忠商事が、北京の天壇公園にスポーツセンターを造りました。
この時、体育館に併設するマンションに食品センターを作ってもらいたいというオファーが西友に来て、私がそれを担当することになりました。それで西友は当時、中国で初の外資系スーパーとして進出しました。その頃は当然、国営のスーパーしかありませんでしたし、消費者が食料品を買うのも市場が一般的、という時代でした。そんな中で西友を出すために、契約業務や交渉業務で中国に渡りました。さらに、その後の西友時代には北京で合弁の百貨店を、上海では合弁の食品スーパーを手がけました。
そして私は、2005年に良品計画に転じました。良品計画が中国1号店を出したのは2005年7月1日。私は同月4日に入社したので、中国1号店として開店した店舗には携わっていません。ただ、この店は2008年に閉鎖したので、今、良品計画が展開する中国の店舗は全て、私が現地を見て、交渉して、決めた物件と言えます。
随分奥地まで店舗を展開していますが、これら全てを松崎社長が見て、交渉したのでしょうか。
松崎:新疆ウイグル自治区や長春にもオープンしましたが、これらの店舗も私が自分で行って、物件を決めました。今はもう良品計画の社長になったので、中国事業については、東アジア事業部の担当役員が出店先を決めています。ただ社長に就くまでは自分の目で見て、足を運んで、どこに出るかを決めていました。