北の湖理事長に問われた「酒の飲み方を知っているか」

2015年11月27日11時0分  スポーツ報知

 2001年初場所から06年名古屋場所まで相撲担当をした。北の湖理事長が、一貫していたのは「土俵の充実」だった。現役時代に「憎らしいほど強い」と言われた大横綱はパフォーマンスや小細工が嫌いな方だったと思う。

 お酒の席でもよくご一緒させていただいたが、カラオケは歌わない。元大関・琴風の尾車親方のように歌手デビューしてレコードを出す人もいるぐらいだから「お相撲さんは歌が得意」というイメージがあるが、北の湖理事長は「俺は歌の稽古したことないから」と歌おうとしなかった。史上最速で横綱になった理事長には、余興を覚える必要などなかったのだろう。

 それでも後援者の方々に「1曲だけ」とせがまれて一度だけカラオケの前でマイクを握る姿を見たことがある。入れた曲は「鳩ぽっぽ」。理由は一番早く終わる曲だからだった。もっともそのときもマイクは握っているものの、口は動いていなかった。

 大横綱でありながら「敷居の高さ」を感じることはなかった。理事長は地方場所中でも午前中にサウナに行くのが日課だったので、時間を見計らってよく押しかけて、協会の中では聞きにくいようなことを聞きに行った。サウナでくつろいでいるところを若造に直撃されて、さぞ迷惑だっただろうが「帰れ」と言われたことは一度もなかった。

 サウナに行くのは前夜の酒を抜くための日課だったのだろう。とにかく理事長の酒豪ぶりはすごかった。私が担当している間は、後援者などからつがれた酒を断るようなところは一度も見たことがない。横に座るときには覚悟が必要だった。高級ブランデーのナポレオンをつがれながらこんな会話をしたことがある。

 「酒の飲み方を知っているか」

 「いえ、分かりません。教えてください」

 「口から飲むんだ」

 「なるほど簡単なんですね」。そのまま記憶をなくして、そのまま北の湖部屋の力士部屋で朝まで寝てしまったこともあった。

 理事長は酒だけでなく、ラーメンも好きだった。両国はもちろん、地方場所でもよくバッタリ、ラーメン店でお会いした。店内では「おお」ぐらいしか言わないのだが、店を出る時には、その店が前払いの食券制でない限りは必ず理事長が当たり前のことのように私の分まで払って出て行った。北の湖部屋の若い力士に食事をおごることなどでお返しはしたつもりだが、あのさりげない優しさはいつまでも忘れられない。

 6年間担当した私の知る限り、北の湖理事長ほど人望のある人物は協会にいなかったと思う。逝去からまもなく1週間になるが、時が経つにつれても、喪失感は大きくなるばかりだ。(甲斐 毅彦)

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