ここ数年、一年も終わりに近づくこの時期は毎年、仲間とひたすらお酒を飲みに行くことが習慣でした。
忘年会と称しては飲み、クリスマスはワインバーの限定セールに駆けつけ、年越しもこたつに入りながらまったりと飲み、正月は初詣の帰りに飲んでいました。
一人暮らしでも、みんなが居たから寂しくありませんでした。
年越しに親元にも帰らない私に、みんな暖かく声をかけてくれました。
年末に飲むことが習慣となったきっかけ
思えば数年前、いびつな親子関係にすっかり嫌気がさしてしまった私が年越しの暇を埋めるべく、ひたすら遊びの予定を入れたことがこの習慣が始まるきっかけでした。
学生という生ぬるい身分を享受しながら親元にも帰らずに、本当は生きることにも嫌気がさしていて、私はお酒にお金をかけて何か必死に自分の影を埋めていました。
社会人である先輩方は年末以外でもしばしば私を飲みに誘ってくれて、当時成人済みとはいえまだ大学生であった私の視野の狭い稚拙な話を、親身になってよく聞いてくれました。
お酒の適正量を知ってきれいな飲み方をできるようになったのも、先輩方のおかげでした。
そうして私が不本意ながら就職し社会人となって、荒んで、そのあと少しずつものをわかっていく様子も、先輩方は毎年ずっと見守っていてくれました。
物事を悪く考えて辛くなってはお酒に逃げた弱い私だけれど、気づけばお酒を通して仲間と過ごす時間が大切なものとなって、彼らと飲むとき以外でも交流するようになりました。
仲間と過ごした関西を出ていく
社会人になって少しした私は経済的に自立し、それに伴いようやく親とも距離を置くことができるようになりました。
そうしてようやく「自分」というひとりの人間としてゆっくりものを考えることができるようになり、会社を思い切って辞める決心がつきました。
関東へ行って今までと環境を変えて、自分が何を得られるか、冒険してみようという気になりました。
そのとき最後に挨拶したのも、先輩方でした。
最後まで、いつも通り飲みに行って語らいました。
気づけば過ごした時間は長くて、気づけばずっとそばにいてくれて、お互い少し寂しくて、別れを惜しみました。
それでも私は自分の決断に納得していたし、寂しい以上にこれから始まる新しい生活にわくわくして、あまり振り返ったりはしませんでした。
先輩方も少し心配はしても、ようやく自分で自分の人生を決められるようになった私を褒めてくれて、暖かく見送ってくれたのでした。
そうして今年も師走が訪れる
会社を辞めて早3か月、ブログを書くのも忘れてしまうほどに、思った以上にいろいろなことがありました。
そうして私の価値観も、目まぐるしく変わっていきました。
何か人に言えるようなこれといった人生の結論が出なくても、私だけは私の退職の決断をよかったと思っていられる、そんな3か月でした。
季節は夏から秋、秋から冬へと移り変わり、ようやく少し落ち着いて、クリスマスのイルミネーションで輝く街を歩いてふと、先輩たちを思い出しました。
「そうか、今年は飲みに行こうなんて、気軽に言えない距離にいるんだな。」
そのとき私は初めて、関西を離れたことを心底寂しいと思いました。
今年の先輩方は、私の近況を知らない。
今年の私は、先輩方がどうしているか、知らない。
もちろん今年の年末は新しい出会い、新しい交流があります。
それが楽しみであるとしても、先輩方と過ごした4年間には誰も叶わないような、大切なものを置いてきたような、そんな気がしました。
けれど関西に留まり続けた場合の日常を想像して今と照らし合わせると、明らかに今ここにいることが自分にとって正しいのでした。
大人になるってどういうことかなぁ。
私はちゃんと大人になれたかなぁ。
そんな脈絡のないことを無性に先輩たちにきいてみたくなって、今日はお酒を飲むのをやめました。
私は元気で、しっかり自分の道を歩んでいます。