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「体感者」になるとは、
戸田先生の獄中体験については戸田先生の小説「人間革命」を通しお伝えした。獄中にあって
「仏の其の身をわかりたい」という壮絶な願望、取り組み、自らの縁起によりもたらされた体感
現象であった。
池田先生はご自身の「人間革命」で「一切むなしゅう捨てる」「革命は死なり」と叫ばれてい
る。このことは、「自我」から離れることを意味している。「自我」という自己都合を離すこと
により「体感者」の道が現象として拓かれたのである。この在り様が物語読みの者には理解でき
なかった。
戸田先生・池田先生の「人間革命」は、広宣流布という戦いの中、自己都合を排除し、民衆救済
というドラマを現実化してきたストーリーである。最高の仇討は、気づいた者が「体感者」にな
ることである。このことが「法華経の智慧」の王道である。それが創価の師弟の原理である。
「思惑」というハズレた者には到底理解できない世界である。しかしハズレるから気づくことも
ある。これが仏の働き作用なのだ。
以下はアルベアの妄想
「法華経の智慧」に印(しる)されたドラマを古今東西の「悟った人」「覚醒した人」「覚者」
「賢人」等と言われる人、または伝えられる物語を検討してみるとなぜか同じ過程、類似の過程
となっている。「悟り」という現象は人類の転換期にみられる歴史的事実なのだ。
宗教的な枠組みでとらえてしまうと教祖となり神・仏になる。対象化するからである。人間は対
象化することにより文明を発展させてきたが、人間そのもの成長・成熟はもたらされなかった。
なぜならば対象化する、モノ化させる自我意識のが働き作用が強固だったからである。
しかし21世紀に入り、その「自我意識」が揺れ始めている。「おかしさ」を多くの人々が気づ
き始めているからである。自然と「自我」から離れる現象も起きているのである。自分自身の意
識の使い方により「悟る」という現象がもたらされるようになってきているのだ。創価の世界に
どっぷり浸かり生きている者には気づけない現象が、なぜか地球規模で起きている。わからなく
て当り前である。
従来の宗教と言う枠組みの崩落・崩壊現象である。宗教的、信仰的な基盤に生きる者にとっては
驚異であり、恐怖であり、不安である。それが自分自身の周辺に起きている様々な「いざこざ」
の要因なのだ。
「悟り」現象と言う眼差しからみるならば、どうでもいいことであり、くだらないことなのだ。
なぜならば宗教的な枠組みがハズれるからである。「自我」「私」「自分自身」の否定により見
えてくる広布の世界である。
自我という妄想からの離脱をすればいいのだ。「自我」への囚われ、執着が愚考と言う「思惑」
を生み相対的現象となって現れているのが現代文明なのだ。「自我」は文明の元凶となっている
ことに気づく事だ。気づいたら離脱現象がもたらされる。(俯瞰的眼差しの自得)
「自我」の否定については、おそらくチンプンカンプンの者がほとんど、普段から考えるに及ば
ない考え方が染み込んでいるからだ。ゆえに意識の使い方を学ぶことが求められているのだ。自
我に固執する、膠着している現代人にとっては、苦悩であり、恐怖である。「臆病にて叶うべか
らず」である。
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